廊下とトランプと描く

犬丸寛太

第1話廊下とトランプと描く

 廊下というものには必ず扉がある。 

 それは教室の扉、病室の扉、はたまた夏への扉、別の世界への扉。今日も誰かが扉を開く。

 「くそっ、ふざけんなよ!」

 遊技場の喧騒の中、男は遊戯台に向かって当たり散らしていた。どうやら自分の思うように事が運ばなかったようだ。

 男は遊戯台を殴りつけるすんでのところで思いとどまり遊技場を後にした。

 賑やかな通り。肩を怒らせながら乱暴に歩く男はいかにもといった風体の男と肩がぶつかってしまった。

 男はまずいと思ったのか振り返ることもなくその場から逃げ出す。

 背後から怒声が聞こえるが立ち止まったら終わりだ。男はわき目も振らず走り続けた。

 繁華街を抜け薄暗い高架下に着いたところで男は足をとめ、息を整える。

 「くそっ、なんでいつもこうなんだ・・・。」

 男はつくづく運の無い男だった。子供のころから今の今まで残念賞。何をやっても上手くいかないわけではなかったが、運が絡むと途端に負けが込む。それが男の人生だった。

 自分の人生を振り返りながら今度はひどく肩を落としながらとぼとぼと歩く。

 高架下の薄暗がりの中男はぼんやりとした何かを見つけた。

 「幸運の扉」

小さな豆電球に照らされた薄汚い看板にはそう書かれていた。

 「あなたの未来、ひとつ占ってみませんか?」

 女の声のようだがどうにも年齢が判然としない。

 「必要ない。どうせろくでもないからな。」

 立ち去ろうとする男を女の声が引き留める

 「あなたから不思議な気を感じます。例えるなら今まさに巣から飛び立つ鳥のような。空へと羽ばたかんとする強い気を感じます。

ぜひ私に占わせてください。もちろんお代はいただきません。」

 気色の悪い女だが、散々な目にあって疲れていた男は憂さ晴らしに女に付き合うことにした。

 適当にやらせて、いちゃもんをつけて帰ろう。男は小さな卓を挟んで女の向かいに座る。

 卓の上には紫色の布が敷かれている以外何も無い。

 早速男は難癖をつける。

 「水晶玉とか割りばしとかは無いのか。お前らの商売道具だろ?」

 馬鹿にする男の声にも女は声色を変えず説明を始めた。

 「私の占いはとても簡単です。こちらのトランプから1枚引いていただけますか?」

 とんだ茶番だ。子供の方がまだましだ。

 男は呆れながら卓に裏返しで並べられたトランプの中から一枚抜き取ろうとする。

 「その前に、もう1つだけご説明を。あなたの未来はあなた自身が描くものです。私はその手助けをしているだけ。くれぐれもご注意ください。」

 男は女の説明を聞き流しながら1枚カードを抜き取った。

 男が抜き取ったカードの絵柄はジョーカー。

 「で、これで何がわかるんだ?」

 男は煽るようにトランプをひらひらと女の顔の前で揺らす。

 「まぁ!これはジョーカー!それも逆位置のジョーカーです!」

 「だからこれで何がわかるんだよ!」

 男はトランプを卓に叩きつける。

 「私の占いでは逆位置のジョーカーは幸運の到来を意味します。それも特別強い幸運です。何せご存じの通り切り札を意味するカードですから。」

 世辞にしても下手くそすぎる。男は呆れを通り越して怒りすら覚えた。

 「バカにするのもいい加減にしろ!」

 男は乱暴にカードを投げつけ去っていった。

 投げつけられたカードが卓の上のトランプを一枚弾き飛ばし、卓上から落ちる。

 翻ったカードの絵柄は正位置のジョーカー。

 「あらあらこれはこれは。」

 明くる日、男の勤めていた会社は倒産した。立ち尽くす彼に追い打ちをかけるように電話がかかってくる。両親が事故で亡くなったそうだ。

 つくづく運の無い人生だとは思っていたが男はあんまりだ。なぜ自分ばかりがこんな仕打ちを受けなければならないのか。

 男に残されたのはたった一つ。

 男にとってもはやそれは忌むべきもので捨て去ることに何の躊躇も無かった。

 駅のホームに立ち、男は命を捨てようとした。電車の通貨を知らせるアナウンスとともに風が吹き舞い上がった紙切れが男の顔に張り付く。何もかもを終わらせよう。

 風にあおられ散る枯葉のように男はふらりと通過する電車に向けて身を傾ける。

 「待って!」

 すんでのところで腕を掴まれた男の体は力なく駅のホームに倒れこみ、そのまま男は気を失った。

 目を覚ますと男は固い簡易式のベッドに横たえられていた。

 辺りを見回すとそこは救護用の駅の医務室のようだった。半ば物置のような無機質で狭い空間の中で男は死ねなかった事を自覚し、絶望した。まただ、また上手くいかなかった。

 立ち上がることもできない。男は呆然と焦点の合わない瞳でただ天井を見つめていた。

 「目が覚めたんですね!」

 唐突に声をかけられた。女の声だ。あの女のようないやらしい声色ではなく無垢な、瑞々しい声だ。

 男が声の方向に目を向けると声の主であろう女が近寄ってきた。確かに知っている顔だが思い出せない。最近見たような、前から知っていたような。わかるのはただ美しかった。

 「よかった・・・間に合って・・・。先日のお礼が言いたくてずっと探していたんです。でもまさか、その、自殺なんてだめですよ・・・。」

 女の顔は憐れむでもなく、蔑むでもなく、ただ悲しそうだった。

 「今は辛いでしょうけど生きていれば必ず良い事があります。今まで辛かった分の良い事が必ず。これ、私の連絡先です。元気になったら電話してください。お礼がしたいんです。」

 女は言い残し立ち去った。

 元気になったらか。そんな日は来ないだろう。

 駅員に促され男は医務室から出た。

 今日は監視が厳しそうだ。明日にしよう。どちらでも同じことだ。

 男が駅を去ろうとした時駅員に声をかけられた。

 「あなたを救護した際、近くに落ちていました。お返しいたします。当たると良いですね。」

 見てみるとそれは宝くじのようだ。当たると良いですねだと?馬鹿にしやがって。

 ひったくるように受け取り握りつぶしてそのままポケットに詰め込んだ。

 自宅に戻った男は力なくベッドに倒れこんだ。この部屋とも明日でおさらばだ。目を閉じて眠ろうとした時電話が鳴った。相手は親戚のようだ。どうせ葬式の打ち合わせだろう。面倒だ。男は無視して今度こそ目を閉じる。

 夜中、男は目を覚ました。暗い部屋の中で携帯の通知を知らせるランプだけがプツプツと明滅している。確認してみると数件の不在着信と留守電が一件。話をするのは面倒なので留守電の方だけ確認しよう。一応両親が死んだのだ。何がどうなったかぐらい知っておいても良いだろう。

 暗闇の中で男は留守電を再生する。

 男は内容を聞いて愕然とした。

 両親の死の詳細にではない。遺産の話だ。

 父親は多くの株券所有していたらしい。金額にして五十億。事故で死んでしまったため遺書はなく相続の権利は一人息子の自分だけだ。

 親戚はしきりに男を心配していたが、どうせ金目当てだ。一円たりとも渡すものか。

 冴えないサラリーマンだった父の趣味が株であることは知っていた。しかし、これほど利益を出していたとは。どうりで自分に運が回ってこないはずだ。

 男は喜びもつかの間、あることを考えた。

 豪運の父が死に自分はすべてを受け継いだ。もしかしたら金だけでなく運も受け継いだのかもしれない。

 ポケットの中の宝くじを取り出す。

 間抜けな妄想だが突然五十億を手にしたのだ。無理はない。

 男は早速ネットで当たりくじの番号を調べ手持ちの宝くじと見合わせる。

 当選。一等二億。

 なんてあっけないことだ。ほんの一晩で52億が舞い込んできた。

 真夜中に起きた事実に男は興奮を抑えられなかった。

 あれもしたい、これも欲しい。幸福な想像は尽きなかったが一先ず落ち着こう。

 男はタバコに火をつけテレビの電源を入れた。

 深夜のくだらないバラエティ番組だが、今の男に面白くて仕方がない。

 タバコの煙とテレビの光、男の狂気じみた笑い声が暗闇の中に充満する。

 しかし、あるところで男は笑うのをやめた。

 番組の終盤、ドラマの番宣で主演女優がドラマの解説をしているシーン。

 あの女だ。

 テレビに映る女優は着飾ってはいたが確かに駅で自分を邪魔した女だ。道理で見覚えがあるはずだ。それにこの女、よく見るとこの前肩をぶつけた男に絡まれていた女だ。

 男は女がお礼をしたいと言っていた事を思い出した。一体何のお礼かは知らないが人気女優からの直々のお礼だ。

 男は下卑た笑いを浮かべ早速女に連絡する。

 女はすぐに電話に出た。ぜひ会って食事をしたいとのことだった。

 まさかまさかだ。この俺が人気女優と食事だと。うまくやればそのまま俺のものにできる。やかましい週刊誌やワイドショーは金で黙らせればいい。それに俺は豪運を手に入れた。すべて俺の思うままだ。

 駅での女の言葉を思い出す。

 これまでの不幸の分、幸運がやってくる。

 まさにその通りだ。しかし、俺の不幸はこの程度じゃ足りない。俺はもっともっと幸運になれる。

 男は半ば狂気に近い妄想に取りつかれた。

 しかし、男の妄想は的中した。

 博打、企業、そして女優との婚約。

 人生を決定づける分岐路において運は常に男の味方をした。

 ある時、男のもとにテレビ局からとある番組への出演依頼が舞い込んできた。

 その番組は出演者同士を運の絡むゲームで競わせ、最終的に勝ち残ったものに景品を与えるというものだ。

 ありふれた番組だが、今回は特別企画らしい。

 なんでも、近頃の男の豪運を聞きつけたとある人物が男を指名してきたらしい。

 特に断る理由もない。男は二つ返事で出演を了承した。

 しかし、条件があるらしい。

 一つは生放送であること。

 そして二つ目。

 放送の上では景品を賭けた勝負をするが、裏では「自らの持つすべてを賭ける」。

 男は妙に思ったが、恐らく金の事だろう。金なんて失ったところでどうにでもなる。

 自分は誰にも止められない、肥大した妄想とそれを裏付ける現実によって男は狂人となっていた。

 番組当日、大勢の観客を前に男は少々緊張していたが連戦連勝。男はすべての勝負に勝ち続けた。

 面白くもない。当然だ。何せ自分は豪運の持ち主だ。

 自分をわざわざ呼びつけた相手は今頃相当青ざめているはずだ。そう思い男は相手の男の顔を覗く。

 相手の男は放送開始前から仮面を被っていた。担当者に問いただしたがこれも条件の一つだと言った。それに演出上その方が盛り上がるとも。

 まぁ、どうでもいい。こんな茶番、次で終わりだ。すべてが終わった後に無理やり仮面を剥いでやる。

 「最後の勝負は勝利者に100ポイントです!」

 お決まりの文句で司会の芸人が笑いを誘う。

 台本通りだ。男は適当にお道化て見せた。

 続けてアシスタントのアナウンサーがゲーム名を告げる。

 「最後の勝負はいたって簡単!ババ抜きです!」

 ババ抜きだと。聞いていない。打ち合わせでは別のゲームだったはずだ。

 男は訝しんだが、別のゲームだろうとババ抜きだろうと最後は運任せの勝負だ負けるわけがない。文句を言うでもなくおとなしく卓に着いた。

 ゲームスタートの掛け声を合図に手札が配られる。ババは男の手札に有った。

 勝負は順調に進んだ。

しかし、一向に相手はババを引かない。

 男は少し焦ったが。まだ中盤だ。問題ない。

 勝負は進み残すカードは三枚。

 ババはいまだに男の手札に有った。

 男はいよいよ焦った。まさか負けるのか。

カードを持つ手が震え始める。

 男は焦燥のさなかに例の条件の事を考えていた。

 「自らの全てを賭ける。」

 相手の声が聞こえたと思った瞬間カードを抜き取られた。

 男の手札にはババだけが残っていた。

 負けた、俺が、そんなはずはない。何故だ。俺は豪運の持ち主だ。何故だ。

 相手の男はカード手放し大げさに勝利を宣言する。

 会場は大盛り上がり。番組はこのままフィナーレへと向かおうとしていた。

 男はババを卓に叩きつけ、怒りの声を上げる。

 「ふざけるな!こんなものは茶番だ!」

 台本通りとい言わんばかりに司会の芸人が男を窘めるように煽る。

 観客は大笑い。番組は男を無視してフィナーレのセレモニーを開始した。

 相手の男が椅子に座ったままうなだれる男に近寄り耳打ちをする。

 「やぁ、久しぶりだね。まったく君には大恥をかかされたよ。おまけにあの娘と婚約なんてねぇ。」

 男は今にもかみつきそうな勢いで相手の顔を見上げた。

 おぼろげながら記憶にある顔だ。

 相手の男は観客とカメラに映らないようにゆっくりと仮面を外す。

 あの時の男だ。俺が肩をぶつけた。

 「あの時私は転んでしまってね。骨にひびが入ったんだ。仕方なく病院へ向かったけれどもそのせいであの娘には逃げられるし、週刊誌に捕まるし散々だったよ。」

 男は相手の男に詰問した。

 「そんなことはどうでもいい!金なら金がほしいならいくらでもくれてやる!だが何故だ!何故俺は負けたんだ!豪運の俺が!答えろ!」

 相手の男はさもありなんといった顔で答えた。

 「簡単なイカサマだよ。私はこのテレビ局で偉い位置にあってね、君の後ろにいるディレクターに君のババの位置を知らせるように言っておいたんだ。もちろんカードを配る時も必ず君にババが行くようにしたよ。」

 「は?イカサマ?じゃあ俺は運で負けたわけじゃないのか?」

 「そうなるね。」

 「全てを失うっていうのは?」

 「君を本気にさせる詭弁だよ。君が必死でババ抜き勝負に挑み渋面を浮かべる様子は実に面白いものだったよ。その後の迫真のリアクションも観客に見下されながら笑われているのも実に愉快だった。いやースッキリしたよ。

面白い番組になったし。あの時の事はチャラにしてあげようじゃないか。」

 「なんだ俺は運を失った訳じゃないのか!」

 男は椅子からずり落ちながらけらけらと笑っている。

 「まぁ、でも潮目は変わったかもねぇ。運っていうのはそういうものだから。」

 「ま、待て!なんだそれは俺から運が逃げたというのか!」

 今度は立ち上がって相手の男に食って掛かる。

 傍から見ればひとりでもんどりうっているようにしか見えない。

 司会の芸人もここぞとばかりにちゃちゃを入れ、観客はまるで哀れなピエロを見るように嘲り笑っている。

 街頭のテレビを見上げながら占い師はつぶやく。

 「ご注意くださいと言ったのに。」

 ジョーカーは本来貴族に飼われる人間以下の存在。道化師。

 男は人々の嘲笑から逃げるように廊下に飛び出しいくつもの扉を開けていく。

 やがて男は最後の扉の前に立ち自らをから笑う。

 「俺は運を失っちゃいない。また誰かが助けてくれるはずだ。」

 男はそっと屋上への扉を開いた。

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廊下とトランプと描く 犬丸寛太 @kotaro3

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