ことの顛末2 Side:元ヤン先生

まえがき

 地震、大丈夫ですか。

 ちなみにボクは明日から始まる新生活が怖くて仕方がありません。

 根暗陰キャに友達が出来るかすごく不安。でも友達がいないと大変だと聞きます。

 超怖い。人と話したくない。でも辛い思いはしたくない。いやだいやだ。

――――――――――

  ―――――――――――


 お昼休み。


「ほら、あーん」

「……」

 長時間に渡る赤井の甘やかし。普段は堅物で男としか交わらない初心な男が、顔を蕩けさせ甘い声をただ一人の人間に注ぎ込む。均整の取れた身体つきの端正な男のその行動は、おそらくただの女にしてしまえば気絶したしまうもの。

 それを朔夜は受け続けた。

 しかしひねくれた朔夜の感性は、そして男としての感性は、その甘やかしに対して途轍もない苦痛を覚えていた。可愛らしい顔には死にそうな表情があった。


「ほら口を開けろ」

 膝に乗せられおいしそうな食材を突きつけられる。ほとんど否応なしに。

 朔夜には、それが昆虫にも劣る悍ましき食物であるようにも思えた。

 周囲に構え、笑い、囃し立てる女性陣が悪魔の手先であると感じられていた。


「……ぃゃ」

 朝から続く耐えがたき拷問。

 しかし彼はこの短時間で赤井の甘やかしに耐性をつけていた。


「ごはん、まずくなる」

 と言ってもそれは最低限。気絶しないだけの耐性。

 舌足らずで、今にも胃酸をぶちまけてしまいそうな顔で朔夜は抵抗する。


「ふふ、拗ねんなよ」

 その抵抗を酷く見当違いな感触をする彼に、朔夜は涅槃の如き顔を浮かべる。


「本当に不味い、吐いちゃうから」

 一瞬の緩み。そこを突いた朔夜は勢いよく駆けだしトイレに籠城。

 薄く頼りなさを覚える隔壁も、コンスタンティノープルを囲む川や城壁の如き堅牢さを朔夜の目に写しだす。


 登校するとき恋人繋ぎをする。お昼休みは膝に乗せて餌付けされ、下校の時にはまた恋人繋ぎで家に帰る。朔夜には地獄のようなタイムテーブル。

 しかしそれは『同盟』が一斉攻勢を初めて七日の間、絶えず続けられたのである。


 □


 僅かな沈黙、顔を青褪め俯き震える五人の少年少女の姿を眺める。

 白い小さいのだけケロッとしているのは、その場に関われていないからなのだろう。本来はここに中学生がいることさえおかしいのだから。


「あっはっは! 傑作だなお前らは」

 涙をこぼしつつ彼女は遂に大きく笑う。溜めていた感情が爆発したかのように。

 あまりの愉快に頬を朱に染めお腹を抱えつつ最後は机に突っ伏した。それでもこらえきれずに「ひーっ、ひーっ」と声を漏らし続けている。


「先生、不快なのでやめてください」

「ふっひゃっ――」

 震える声で文句を連ねる。これを赤井に向けていたのだと思い笑いがぶり返す。

 こんな庇護欲誘う、嗜虐を誘う声を出していたらそれは無理だろうに。


「しかしなるほど、そういう事だったのか」

「そういう事、って何でしょうか」

 顔を背け徹底的に無視を決め込んだ朔夜。同じく口を噤む女子高生五人組。その間を縫って声を挟むのは、周囲の様子にぎょっとした顔を見せていた白い少女。

 戦っていた筈の両者が互いに死にかかっている。おそらく私より、こいつらのどうしようもない潰し合いを知っている少女は声を挟んだ。


「いや、なに、カウンセリングの先生が赤井というヤツから相談を受けていてな」

 私の親愛なる友人が煙草ついでに一つのことを話していた。

 曰く、天女の如き生徒が嫉妬と寂しさでヒステリーになっている、と。


「いわく『友人がヒステリックになってるんですが、どうしたらいいでしょうか』だとよ。親友を奪われて不安でたまらないかもしれないと答えたみたいだが」

 だろうな、と彼女はふるふる力なく震えている朔夜の姿を見て頷く。

 話を聞く限りそう捉えられても仕方がないだろう。私だって平然と「抱き着いてたりしてた」なんて言っていたくらいだ、そこに並々ならぬ感情があると思っていた。


「なんだその顔は」

「……一日目に、赤井クンに相談されてそんなことを言ったヤツがいたから」

 はー、面白い。どんどん不機嫌な顔に変わる少年の姿を見て彼女は涙を払う。悪いと思いつつも、頬を膨らまし始めた少年にまた笑い涙が零れ落ちてしまうが。

 しかし一日目に誰かほかの生徒にも相談していたらしいことを知る。この様相の天女に比べて向こう側はずいぶん愛しているようだ。


「つまり佐倉は友人として異様なほどに愛されていて」

 話を聞くに赤色の髪の毛をした男は相当焦って相談しに来たらしい。親友か、もしくはそれ以上の関係であるこの少年を憂いて。その友愛か恋愛かは計り知れない。

 それをおそらくこの美少年は知らぬのだろうな。と彼女はため息を吐く。

 その目は未だ青褪め震える少年を見つめていた。


「お前たちは一人の親友に負けたというわけだ」

 しかしこの場にはその少年以上にボロボロに敗北を喫した人々がいる。

 以前に見せた異様な恋への執着も想い敗れ、意気消沈。どこか遠くを眺めている。

 今にも胃の中を全て吐き出してしまいそうな少年に比べて体調は良さそうだ。しかし夢現のような顔をして茫然となにかを眺めている。


「まぁ、そこまで落ち込むんじゃない」

 勝手に親友が女に囲まれると思ったらどろどろに甘く扱われた少年。

 それに対し誘惑を仕掛けたというのに無視され、挙句嫌がる敵陣に無理やり構っているその男を見てしまった。


「といっても、男ってのは恋より友情を重要視するらしいからな」

 実質的な敗北は彼女らの方だろう。心的外傷の度合いは少年の方が酷いけれど。

 しかし慰めぬわけにもいかない。相手は嫉妬狂いの殺人未遂者なのだから。


「元から佐倉が少し有利な戦いだったわけだ」

「……あれは、あれは友情などとは言えぬものです」

「いやいや、まさか……そんなわけないじゃん」

 終戦後、二人は互いににらみ合う。片や赤井に本気で恋心を抱かれているという現実、片や友情なんぞに己が恋心が劣っているのだという現実から逃れようとして。

 現実を見ていないのは佐倉の方だろうけどな。彼女はくつくつ笑う。


「一斉攻勢とやらはどうするんだ? 嫉妬で藍川は佐倉をずたずたにしたんだろ?」

「……やればやるほど苦しくてたまらなくなることを、すると思いますか」

 いつもは凛とした顔を見せる藍川もどことなく俯いており、鋭い声色も大分落ち込んでいる。それを意外そうに彼女は眺めた。

 嫉妬心で狂乱するような奴が、ここまで落ち込んでいるとは思わなかった。


「それで佐倉は? 続く限り赤井の寵愛を一身に受けられる訳だろ?」

「おぞましいこと、いうな」

 どうにもこれに、赤井への恋慕の感情はなかったようだ。

 随分と紛らわしいことをしていた割には珍しい。ただの性悪だったか。



 □


「しかしなんであの顔をして、朔夜なんだ」

「……ちょうどいいですよ。あの内面に花鳥風月なんて言葉は似合いやしない」

 トボトボと一様に青ざめた顔の連中が過ぎ去って少し時間が経った。しばらくしてふと天女の如き少年の顔がふと思い浮かび、そんな言葉を小さく漏らした。

 それを合図に閉め切られたカーテンは勢いよく開かれる。


「それにしても、ほんとに朔夜の企みって訳じゃなかったんですね」

「はは、そうだな。どうもお前に対しては性格が頗る悪いみたいだが」

 そこから出てきたのは先ほど六人が語っていた渦中の人間。赤井勇一。燃えるような赤色の髪の毛を持ち、筋肉はついているものの均整の取れた肉体をもつ男子高校生。天女が「筋肉」と罵ってやまない男である。


「全員に悪いことをしたかもしれません」

「そうか? 一番平和的な解決だと思うが」

 粛々とした顔を見せるその男。一番腹黒い男に茶を用意する。

 この男はカウンセリングをしている友人から、あの六人が画策していることに早々に気付いていた。しかしそれでもこの画策が佐倉によって企図されたと考えていた。

 面白いことになりそうだったから、そのことを伏せていたというのもあるけれど。


「それにしても、お前の初恋の相手ってのはずいぶんなじゃじゃ馬だな」

「……朔夜は元々純粋だったんですよ。口汚くもなかった」

 ケラケラと笑い茶をあおっていた彼女は意外そうに目を丸くする。なにかを思い出すように目を薄くする彼の顔は何か悟りを開いているようにも思われる。

 あの見るからに残念な性格が、後天的な物なのか。

 それが本当であれば、酷く惜しいことだ。人類規模の損失であるかもしれない。


「命短し……なんて言いますけど、幾らなんでも短すぎます」

「随分と爺臭いことを言うもんだ」

 派手な色に筋肉質な身体。現代的なイケメンの少年は古めかしい台詞を吐いた。

 なんとなく思っていたが、この男、大分古風なところがある。


「性格が悪くなったから、もうお前は佐倉に恋してないのか?」

 古風な男に問いかけてみる。我ながら嫌味な問いかけだと自覚している。

 しかしそれをせずにはいられなかった。


「ったく、コーヒーにすればよかった」

 あぁ、あぁ、甘ったるいな。赤くなる彼を見て思った。

 砂糖で舌がグズグズになる。


「命短し、恋せよ少年。純粋な恋を抱けるのは今の内だぞ」

 その癖随分酸味もあるようだ。まだ熟れ切れていない果実のように。


「さてと、お前も佐倉と出会わない様に早く帰れよ」

 二つのティーカップが空になった頃、彼女は少年に声を掛けた。

 肘をつき、頬に手を当て、少年を眺める彼女の口角はにんまりと吊り上がる。

 彼はそれを見て憮然とした顔を晒した。それでもやる気なさそうに手を振る彼女の言葉にこたえて鞄を背負い出口へと歩いて行く。

 あぁ、そういえば一つ言葉を忘れていた。


「あれはほぼノイローゼだからな。間違ったら本気で縁切られるから注意しとけよ」

 驚愕に顔を染め、勢いよく振り返る赤の少年の顔はすばらしく面白かった。

 やはり、養護教諭の仕事はこういうことがあるからたまらないのだ。

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