藍色少女 ヒステリック

 本来ならば入れない屋上。ボクはそこに藍色の女子と共に立っていた。

 建て替えられたばかりの校舎の屋上はとてもきれいだ。航空写真に写っていたような、なにをすればそうなるのかと思うほどの黒ずみは何処にもない。冬のすこしするどい空気がボクの身体を突き刺して、なんとなくすこし心地が良い。

 冬の透き通った晴れの日、太陽は輝き景色は遠くまで見渡せた。


 そんな場所。扉から少し歩いてそして彼女は口を開いた。


「佐倉さんって勇一くんのことをどう思っているんですか」

 彼女とボクの関係性は親密なものではない。赤井クンがヒーローであったから、赤井クンがヒーロー部を作る時にたまたま顔を見たくらい。だから突如呼ばれて少しは驚いていたのだけれど、随分久方ぶりの言葉にため息が出てしまった。


「もしかしてキミって結構ゴシップ好きなの?」

 小学校、中学校の頃は良く言われた台詞。それはボクが赤井クンに思わせぶりな言葉を吐いたり、思わせぶりな態度をしてみたりしたことが原因。

 昔はボクと赤井クンがなにかいけない関係性であるのかと疑う人は多かった。

 しかし高校では悪戯もしなくなり収まっていた。だから久しぶりにそういったことを聞いてなんだか面白さ半分脱力半分の心持を抱く。


「いえ……ただ勇一くんのことが好きなのかと思いまして」

「んふっ、もしかして赤井クンがなにか愚痴ってた感じ?」

 ただボクのことを率先的に話すような人はあまりいない。昔はちょっとお茶目だったから時々「厄災」呼ばわりされていて、面と向かって関わって来るという人は少なかった。陰口をする人はもっと少なかった。

 だからこれは赤井クンがなにかを言ってくれたのだろう。ヒーロー部の間柄、その流れでボクの愚痴を言ったことはありえなくない。そう思って口角はつり上がった。

 

「赤井クンの愚痴って聞いたことなかったからなぁ、教えてくれない?」

「……」

「あの人、学校とかだと懇切丁寧に相手してくれるんだけど、二人っきりだとに酷いこと言うヤツなんだよね。その癖愚痴は聞いたことがなかったからさ、教えてよ」

 普通に悪戯をするとそれの十倍くらい口汚く罵って来る赤井クン。ただ色仕掛けみたいなことをしてみると徹底的に無視をしてくる赤井クン。いろいろと悪戯は仕掛けているのだけど愚痴を言われたことは一度もない。だから聞いてみたかった。

 その愚痴にボクの悪戯に対する評価とか、ボクそのものに対する印象とかがあるかもしれないじゃない。だから心は浮つく。


「……なにをしたいのか良く分からない野郎、とは言ってました」

「え~、もっと他にないの? 昔は抱き着いてみたりほっぺにキスしようとしてみたり、いろんなことやってたのに」

 どうしてそう思ったのかも深く聞いてみたい。けれど愚痴なんてそもそも相手に仔細をことごとく伝えようとするようなものじゃない。だからそれは仕方がないとは思うのだ。この失望の感情は抑えられないけど。


「……いえ、愚痴もそれくらいしか効いたことはないです」

「う~ん。そっか」

 しかし赤井クンもそれほど愚痴を言うような奴でないことはたぶんたしか。

 だから失望感は強いけれど諦めるしかない。嘘をつかれるようなことを彼女にはしていないし、おそらくそれが真実なのだろう。とてもつまらないけど。


「佐倉さんは、本当に勇一くんのことが好きじゃないんですか?」

 翻って、そして念押しにまた問いかけられる。


「恋愛的には好きじゃないよ。ただ家族みたいに思ってるし親友みたいに思ってる」

「そう、ですか」

 根掘り葉掘り聞かれるのも懐かしくちょっとだけ面白くなってしまった。屋上で人もおらず開放的で心からはじけてしまったのかもしれない。なんだか久しぶりに赤井クンに悪戯してみようかと思うくらいにはボクの心は高揚していた。


「それで、今日はなんでここに連れてきたの?」

 とはいえ談笑に時間を費やしてもあまり良くない。それほど時間はたっていないがボクだってお昼ご飯が食べたい。瑞希たちの下世話話も聞いていたい。だからちょっとせかしてみたのだけど――それが良くなかったのかもしれない。


「そう、そうなのね、ふふ」

「ん? どうし――」

 なにかがボクの耳元を駆けていく。


「私からっ、あなたは私から勇一くんを奪おうとする女狐なんですね!」

 憎悪の塗れた咆哮が、彼女から繰り出された。突如怒り始めた。


「サクヤ! 今すぐ飛びなさい!」

 顔は黒々としている様に見えた。醜い感情に覆われていて、かつて描かれた獄卒の様相を呈している。咆哮を耳に入れるだけで心に負の感情が流れ込み、穢されてしまうかと錯覚するほど、そこにはどす黒いものが込められていた。

 続いて彼女が腕を振るう。


「ばかばかばかっ!? 死ぬじゃん!? そんなことしたら!」

 半透明の刃、彼女の能力のよって作られた液体の刃。それが瞬く間にボクへ向かって飛んでくる。それは勢いよくボクの身体を擦り、ぎりぎり学ランだけを浅く切って虚空へと飛んで行く。

 ピコの言葉がなければ直撃していた。急いでボクは変身し飛び立った。


「逃げるなぁぁぁっ!!!」

 彼女の力は【液体操作】。主に水を操る異能。

 ここは高校の屋上。当然そこには貯水タンクがある。血の気が引ける。

 気付けば彼女の背後には大きな水の球が浮かび上がっていた。


「い、いきなりなんだよ!」

「早く逃げなさいよ! あんな狂人に殺されるなんてたまったもんじゃないわ!」

 それはあたかも空気と水が反転した泡のようにも、シャボン玉のようにも思えた。

 それは小さな刃となってこちらめがけて飛翔する。


「うしろっ!」

「うわっ! なんて動きしてるんだよ!?」

 次に襲い掛かってくるのは、理性を失い獣と化した彼女の下からではない。なにもなかったはずの背後からいきなり一つの刃が襲い掛かってきた。腕を動かすもよけきれず、ほんの少しだけ切れてしまう。痛みが走る。


「さっさと死ね! 死ね!」

 水の泡が爆発した、ように思えた。

 それは単に水の刃が一度に、それも大量に生成されただけでしかなかった。

 瞬く間にボクの身体を傷つけられて自覚をした。

 そして絶望的なことが発覚する。背後から飛翔し避けた刃はくるりと回って再びこちらへ向かって飛翔する様を目撃した。絶望的な生存戦であることを自覚する。


「あぁ、勇一くん。あなたを穢す女狐をようやくこれで殺せます」

 十字砲火というには威力が弱く、機銃掃射というには速度が足らない。しかし弾幕の密度だけはそれらに等しい。そしてその継続性についてはそれらに比類ならないほどの物がある。なにせこの水の刃は増えはすれどヘリはしないという代物。

 一度避ければ右から飛翔し、今度は上から飛んでくる。避けきれるわけがない。


「ヴィランを殺しても、咎められることはないでしょう」

 その顔には愉悦があった。そこに底知れぬ邪悪がいた。人の命をまるで考えぬ唾棄すべき悪がいた。ゆえにボクは最も信頼あるヒーローへと直接電話を掛ける。

 救いを求めるために。


「キミの仲間に殺されかけてるから! 早く屋上来て! ほんとに死ぬ!」

「んぁ?」

 なんだその声はこちらは殺されかけているというのに。憤怒によってボクでさえスマホを粉砕できてしまいかねないほどに手に力がこもる。

 そしてなにかを喋る暇もなく攻勢は続く。


「殺す殺す殺す、殺す! 勇一くんとの愛のために!!」

「はやくこい! 狂人に殺される」

 その顔はもはや狂信者と言っても過言ではない。腕を組みなにかに対して侵攻を告白するような真摯な顔つきで、ボクを殺そうと呪詛を吐く。顔はほんのり朱に染まり、身体を小刻みに赦しながら大きな白い息を吐く。

 法悦を感じ入っている様にしか見えない。


「おい、おいっ!」

 しかし周囲の音を拾ったのだろう赤井クンがなにかを叫んだ。

 それにほっとして、しかし彼女は槍を生み出した。

 


「死んでちょうだい」

 あまりにそれは遅く動いていた。まるで止まっているかの如く。しかしそれ以上にボクの身体はまるで動かない。金縛りにあったように全く動けない。それどころか周囲の水の刃さえ動いていない。時が止まったように思われた。

 身体が動かず迫りくる槍。目を瞑ることさえ出来ないうちに死を自覚する。


「――妖精を、なめんじゃないわよ!」

 しかしボクは生きていた。槍が胸を貫き心臓を串刺しにするはずだった槍は、ピコの持つそれによって打ち消された。ただの水滴となってボクの身体に流れ落ちる。


「ティータニアの作ったものを、たかが人間如きが壊せるわけないじゃない!」

 掲げられるはフライパン。かつてボクにすごく便利なサラシを渡してくれた時に持っていた、謎の鞄からそれを取り出したのである。サイズはボクら人間が使うフライパンと変わらない。ただデザインがすごく武骨。しかしそれがボクを救ってくれた。

 ピコはそれをボクの手に持たせた。


「なにをしてんだ!」

 幾本の槍をフライパンで防ぐ。

 続いて赤井クンが屋上の扉を蹴っ飛ばしてこの場へと乱入する。

 途端、水は地に降り注ぐ。ボクを傷つけていたものはなにもかも消え去った。


「やめろ、やめろ! そんなことをしてもなににもならない!」

「ふふっ、そう、そうよ、勇一くんとの愛に、女狐如きが触れれるわけがない」

 それは甘ったるい声を漏らしながらどこかへと消えて行く。赤井クンと一瞬触れ合った後、校舎内へと軽いステップを踏みながら去って行く。


「た、たすかった」

 ボクは屋上に倒れ込み、水にぐしゃぐしゃになった衣服を厭い、浅い傷から発される痛みを覚えながら、ようやく落ち着いて深呼吸をする。


「おそ、遅すぎだよ、ほんと」

「おい、大丈夫か! おい!」


 しかしこれが地獄の門が開いただけであったことなどとは思ってもみなかった。

 ボクは楽観主義でなく悲観主義の筈であったのだけど、それを上回る絶望があったことなど、どうして推測できようか。

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