保健室、元ヤン先生

 保健室。ベッドの上。薬品や消毒液のどことなく不快なにおいで溢れたこの場所。ボクは気付けばそこで横になっていたのである。藍色女に襲われたのち、謎のフライパンで応戦し、最後の最後に赤井クンがやってきて戦闘は終了。その後の記憶が全くないあたり、気絶してしまったのかもしれない。

 ぼんやりとした意識の中、身体を起こす。

 なんとなしに手をグーパーさせて、ピコのエサように持ってきていたお菓子を勝手に貪り食っているピコを突く。殺し合いの後によくそんな呑気で居られるな。


「おーい、大丈夫か? 自分の名前、憶えているか?」

「……お、覚えていますけど、どちらさま?」

 しばらくつついていた。しかし一向にお菓子から離れようとしたにピコの執着心に呆れている時、ベッドを囲んでいたカーテンがサッと開かれ声を掛けられた。そこには派手な髪色をして、すこし不相応なサイズの白衣のポケットに手を突っ込む女性がいた。そんな人は今まで見たことがなくボクは首を傾げた。


「養護教諭に決まってんだろ、とりあえず大丈夫みたいだな」

 よっこいせ、と伯父さん臭い台詞を吐きながら近くに置かれたパイプ椅子に座り込む彼女。立ち振る舞いを見ていても、その葉でな髪色を見ていても、元ヤンという印象がどんどん強まる彼女は養護教諭、保健室の先生らしい。

 ただ、その言葉により疑念は深まる。


「見たことがないですけど」

「それは、偶然だったんじゃないか?」

 今まで保健室を訪れた回数はおそらく十指に収まるだろう。監獄みたいな様相の高校ではあったけど内側は平穏そのもので喧嘩に巻き込まれたことは一度もない。体育も大してまともに授業を受けていないから怪我をする余地がない。だからほぼ歯科検診とかの検診の類でしか保健室には来たことがなかった。

 しかし一度も来たことがないわけではない。それなのに彼女の顔は初めてみた。


「邪推しててもいいが、とりあえず上着脱げ、傷を見せろ」

「本当に養護教諭なんですよね」

「お前一応男なんだろ、上見せるくらい構わないだろ」

 疑わしい。そしていきなり上着を脱げなんて言われたから余計に。

 ボクは、自分で言うのもなんであるけれど容姿はかなり整っている方だ。だからたまに変な人に襲われかける。この容姿だから大概は野郎による襲撃なのだけど、本当に稀なことに女性が襲撃してくることもある。


「なんだその目は……それとも脱がされたいのか」

「いえ、そういう事じゃないですけど」

「ならさっさと脱げ、こっちだって仕事でやってんだよ」

 はぁ、と彼女は大きくため息を吐いた。ボクはこの女性が学校に忍び込み無垢なる生徒に、なにかいけないことをしようとしているんじゃないかと警戒していたのに。まるでボクが我儘な恥ずかしがり屋だと言わんばかりの目を向けられる。

 ほんと理不尽。

 それでも仕方なくシャツのボタンを外すために下を向いた。


「これ、脱ぐ必要あります?」

「シャツは他の先生が買いに行ってるから、脱いだ方がいい」

 そこにあったのは藍色女によって大部分が切り裂かれた無残なシャツだった。もはやボクの肌の大部分が露出し、一体なんのために存在するのかもわからないほど。脱がずとも傷を確かめることは容易にできるだろうと思われた。

 彼女に言われて脱ぎはする。というかこれを脱ぐと言っていいのか分からない。肌の上に乗っかった布切れを取ったと言う方が現実に即している。


「あぁ、大分だなぁ、痕になりそうなのはないが」

 目に入るのはそこら中に走る薄い切り傷。全てが全て深い傷ではないから深刻なものではなさそうだけれど、こうそこら中に傷があると凄惨に見える。

 いや、事実凄惨ではあったのだけど。辻斬り紛いな事されたし。

 あと、変身したまま気絶してたから今のボクは女だった。学ランとかは切り刻まれていたというのに、かつてピコに渡されたサラシは一切傷ついていない。フライパンだったり、妖精は結構技術力があるのかもしれない。


「全身ガーゼ膜はできんよなぁ、お前はベッドで仰向きになってろ」

 裸をじろじろ見られるのはなんだか少し恥ずかしい。今まで女子も男子もボクが脱ぐと目を逸らしていたから、直視されるというのは少なかったし。だからちょっともじもじ悶えていたのだけど、先生は突然立ち上がりどこかに行ってしまう。

 なんだかボクだけ滑稽なことをしている様に思われて遣る瀬無い気持ちになった。


「体中にこれ貼るからな、不快感がえげつないことになるけど」

「……消毒液とかじゃないんですか?」

 そうして先生が持ってきたのはシップと絆創膏が合体したようなヤツ。正式名称は不明だが絆創膏の上位互換を持ってきた。こういう時は消毒をさせられるのだろうなと思っていたから、そのことに拍子抜けする。

 拷問のような時間が始まると考えていたから特に。


「あれは安いけど、効果ないしな。ほとんどパフォーマンスみたいなもんよ」

 ペタペタボクのお腹にそれを貼っていく先生。あんまり人に触られるところでもないからなんだか変な気分。くすぐったさが結構あってちょっと身体を悶えさせる。そのうちにナメクジが体中にくっついているような感覚に襲われてすごく不快。別ベクトルでの悶えが襲ってきた。


「お前肌の触り心地すごいな」

「や、やっぱ変態じゃないか」

「ばかやろう、褒めてんだよ、よくもまあケアできてるよなって」

 時々傷のないところを指で撫でまわして、なにかと息を漏らす先生は何処からどう見ても不審者。ただ残念なことに本人にその自覚はないらしい。


「ほんとう、こんな性別不詳の人間がヴィランだなんて信じられねえわ」

「ちょ、ちょっとなんでボク――いたっ!」

「ほれ、反対側を向け」

 なんでそんなことを知っているのかと、ボクがヴィランだとなんで気付けたのかと、思わず高らかに声を出そうとして身体を叩かれ悲鳴上げる。どうにもお腹側に上位互換絆創膏を貼り終わったらしく、ぞんざいに吐き捨ててくれた。

 叩かなくてもいいじゃない。


「それとお前、ヒーロー部に尋問されて自白したのに、それが学校側に伝わってないとでも思ってたのか?」

「……いや、別にそんなことは思っていませんでしたけどね」

 再び吐かれたため息の中に、なにかこちらをすごく馬鹿にする意図が含まれているように感ぜられて、思わず嘘が口から駆け出す。「てやんでい、ばかやろう」と武士の時代から続く名誉を重んじる心と江戸っ子魂がボクの身体を動かしたのである。

 ボクは江戸住まいじゃないけど。ルーツも東北だけど。気迫だけは江戸的だった。


「ヴィランがこの高校から生まれて処理やら何やら、ヴィランに対する健康云々とかでさんざん残業させられたってのに、なんでお前はこうも呑気なんだよ」

「いたっ、いたたたたた! 頭、あたまかんけいない!」

 元ヤン的に見えた先生は、事実元ヤンだったのかもしれない。あるいは真正の江戸っ子。少し汚く言葉を崩しながら先生はボクの頭をぐりぐりしてくれる。途端襲う途轍もない痛みに悲鳴が上がっていた。


「教師は聖職であるから、残業なんて支払わない、なんてふざけてんだろ、クソっ」

「それ、文科省言ってよ。ボクに言ってもなにも変わらないよ? わかる?」

 やがて凄まじい形相で愚痴を吐き始めた彼女にちょっと恐れる。上裸のまま保健室から抜け出すわけにもいかないし。かといってまた頭グリグリされたくないし。


「ほんと、なに考えてるかは知らないけど、やめれるならヴィランなんてさっさとやめとけ」

「は~い」

「……お前、ほんとに呑気だな」

 ペタペタ体中に貼られながら、仕様もない会話が続いた。

 しかしそれを貼り終わるとまた一人ベッドの上で寝ているよう指示されて、退屈な時間が始まった。途中でサイズが大きめのワイシャツを渡され身に着けてみて、「彼シャツじゃん」と元ヤン先生に笑われることがあった。チビで悪かったな。



 五限が終わるチャイムが鳴った。

 そしてそれが地獄の扉が開かれた音だった。

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