お狐さま

まえがき

 ちょっとながいです。

 あと読んでいただきありがとうございます。(久しぶりのコメント)

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 お狐さま。青白い髪の毛と獣耳、病的なまでに白い肌、そして豊満な身体つきの女性。そして背中の辺りでふわりふわりと揺れている大きな九つの尾が特徴的なその女性は周囲に青白い炎の球を従えている。彼女は見た目の通り人間でない。

 妖怪それも九尾。忌避されるべき化物。それがこの女性の正体。

 といっても、この人はそこまで危ない人じゃない。


「小童だ、無礼な言葉くらい許してやろう。趣味はよくないようじゃが」

 お狐さまは手の中にいるピコに呆れ気味の声を出す。しかしお狐さまの様子はただピコに呆れているようなものではない。なぜだかその大きな胸あたりで腕を組み、それほどの違和感がないように少しだけ身を逸らす。それも恥ずかしそうに。

 お狐さまは心を読むことができる。だから……ピコはなにを考えていたんだ。


「ただ童の説教も年寄りの仕事、ゆえに早く終わらせるに越したことはなかろう」

「……な、なにをするつもりなのよ」

 怯え切っているらしきピコは萎びていた翅を力なく動かしていた。無表情に思えて、しかし力強く拳は握られ血管が浮かんでいるお狐さまは明らかに怒っている。


「そんなに雑でいいんですか? いつもは面倒な儀式をしているのに」

「面倒というでない。しかしそれ以上にその羽虫は無礼な口をきいていたのでな」

 憐れピコ。南無三。巫女装束だからちょっとおかしいけど。

 ピコを哀れみその後疑問を投げる。これから行われるは氏神様へ、ひいては黄泉の桜様へと奉ずる神事の最終演目。それを手短にやろうとするお狐さまに首を傾げる。

 ピコはどれだけ無礼なことを考えたんだろう。


「ほれ、はようせい」

「……『顕現:桜花刀』」

 前方からは憤怒の顔で催促する声。手の内からは「助けて助けて」と救援を求める小動物が、震えながらきゅうきゅう鳴いている。

 すまないピコ。ボクが仲間になるのはその場その場の強者だけだ。弱者じゃない。

 急いでお狐さまのご要望通りにする。


「『発現:狐火刀』」

 桜の花びらが散りばめられた鞘に入った刀が一つ。青い光を灯す鞘に入った刀がもう一つ。それぞれはボクの腰、緋袴の帯の中に差されて虚空から現れる。

 一つは桜様からの下賜品、一つはお狐さまからの下賜品。


「ふぅむ、相変わらず使うことはないようじゃの」

 お狐さまに下賜された刀を鞘ごと抜き、跪いて奉納する。

 刀身には見る者を魂から惹きこむ妖しき魅力が秘められていた。

 しかしその刀身を茫然と眺めていることはできない。その刀は比喩でなく見るものの魂を奪い取る妖刀。見続けていると命が危ういのである。しかしどうしたって心惹かれてしまう。軽くお狐さまが振るうその刀はあまりに美し過ぎるのだ。


「特にすべきこともないが……」

 血に塗れていないことを確認したお狐さまはその刀に、いくつかの狐火を纏わせる。ぐるぐる回り最後には刀身の中に狐火は消えていく。

 その瞬間悍ましいなにかの声が刀から溢れ出し、刀身は大きく震えた。


「ほれ、必要ないかもしれぬが、持っておくように」

 気になるけれど聞いてしまえば正気を保てなさそうで目を逸らす。


「な、なによあれ、なんなのよ」

 手元でピコが小さく叫ぶ。あれは一体なんなのかと。

 お狐さまは九尾として伝承の中に出てくることはなかった。だから説明もしていなかったのだけどお狐さまもまた佐倉家を見守る存在。無償で力を与えてくれる人。そしてまた黄泉の国に住まう者。おかげで力は朔の夜にしか扱えない。

 だからあんまりいらない感じもある。口にはしないけど。


 そして今度はボクの周りを桜花が包み始めた。

 やってくるのは桜様の祝福。


「妾の目の前で他の女に食いつくなどとは、信じられぬわ」

「お狐さま、ボク女じゃない」

 お狐さまとは違って桜様は現世に姿を現すことはない。しかしその代わりすごく派手な祝福の方法をしてくれる。その一つがこれ。

 本来ならば奉納する桜の刀に力を与えるだけで終わる儀式。お狐さまと同じく桜花に刀を包み込めば終わってしまうところを、桜様はボクまでもを包み込む。おかげで視界は真っピンク。鼻腔には良い匂いが漂ってきて心地よい。

 しかし目の前にいる般若の如き様相のお狐さまのお陰で真に心安くはない。


「さぁて、羽虫、あと朔夜にも挨拶をしようかの」

「え? なんでボクも?」

 桜の花が薄れてくる。桜は刀に絡みついて泡のように膨れ上がり美しくはじけた。

 これで儀式も終わり。そしてピコの生命も終わりかと思っていた。しかし見るからに嫉妬心が溢れているお狐さまはピコをボクごと捕まえてくれる。意味が分からない。正面から抱きしめられて、九つに分かれた尻尾がボクの身体に絡みつく。周囲には熱を感じるほど近くに狐火が回っており、若干絞められていて苦しい。


「おぬしのようなちんちくりんが、妾の愛しき人を惑わしているようでな」

「……お狐さま、別にボクはお狐さまから桜様を奪おうとしてるわけじゃないです」

 囁かれるは黄泉の国の住民らしく冷え冷えしたもの。抱きしめられると感ずるのは生気を感じられぬ死者の冷え切って心臓の音のない身体。向けられるはなにか他人の旦那を奪おうとする間に入ってきた無粋な女への瞳。溢れるのは嫉妬心。


「そうかのう、おぬしはずいぶん男をたらしこむのが上手なようじゃが」

「なにを言ってるんですか、バカなことを」

 なぜボクがビッチみたいな言われ方をしているのかが分からない。ボク男だし、女になってもつるぺったん。女性としての魅力は薄いだろうに。

 第一、考えてみてほしい。今ボクの背中あたりから感ずる凄まじき感触を。出るところは出てくぼむところはくぼむ男がうらやむ理想的な肉体を。

 もはや歩く煩悩製造機みたいなナリ、サキュバスみたいな肉付き。

 なのになんでボクのが男たらしなんて言われなきゃならんのか。

 まず鏡を見てほしいドスケベお狐さまめ。


「ふ、ふふ、ふ、覚悟はできているんだろうな、餓鬼」

 その声にちょっと苛ついていたボクは反射的に口を開いてしまった。


「でも残念、桜様はお狐さまよりも貞淑なボクを選んだみたいだね!」

 お狐さまはプルプル震えはじめた。その顔の憎悪は悍ましく、途端ボクは逃げ出した。その間心の中には恐怖なんてものはなく、どこまでも歓喜がそこにはあった。

 うふふ、最近赤井クンも煽れておらずフレストレーションがたまっていた。だからやっぱり、抑えられなかった。でも後悔はしていない。むしろ楽しくなっていた。


「だ、誰がドスケベ狐じゃ! 顔を出せ! その心を叩きなおしてやるぞ小娘!」

 神楽殿を飛び出し駆ける。朔の夜だから桜様の力を扱え、身体能力は爆発的に向上していた。ゆえに裸足で走っていても足は痛くない。風を切る音が凄まじく、視界を木がすごい速度で入れ替わる。


「羽虫も朔夜も、無礼が過ぎる!」

 狐火がボクのそばを通り抜けて行く。魂を奪う悍ましき力が機関銃のように飛んでくる。しかし桜様の力は偉大なものでおよそ目で追うことも敵わないような速度の狐火さえ軽々避けることができた。

 しかし避ければ避けるほど周囲の山には甚大な被害が及ぶ。


「桜様は可愛らしいお嫁さんを持っているんだね」

 植物にも魂がある。それがある程度管理されているとはいえ木となればそれ相応の魂がある。けれど狐火はその魂さえ奪ってしまう。だから桜様は狐火を打ち消す。

 そんな姿にちょっと微笑ましく思えながら、しかし山の中から大量の狐が現れてそれどころでなくなってしまう。空にはお狐さまが浮かび、未だ羞恥と憤怒に顔を赤くし怒声を上げる。これで空から地から狐火を撃たれることになる。


「でもちょっと重たい愛だね」

 桜の花がまた多く散り始めた。地獄のような乱戦が始まった。



「黄泉でたっぷり説教してやるわこのたわけ!」

 それからボクは太陽が昇ってくるまでの長時間、ずっとずっと追い続けてくるお狐さまからの逃走を継続していた。あるいは時折応戦してまた逃げる。それを続けて数時間。ようやく差してきた太陽に心が落ち着く。殺伐も溶け始めた。


「来月、来月こそはおぬしを黄泉に連れて行ってやる!」

「あっははっ!」

 黄泉の彼ら彼女らは日が昇る現世で生きていくことはできない。髪の毛の桜色も薄れ、二本の刀の存在が曖昧になって行く。完全に黄泉とのつながりが消えるその寸前、帰り際にお狐さまが悔しそうに上げたその声にどうしようもなく楽しくなる。

 ちょっと我慢してみようかと思ったけど体内の疲労が口を制御することも許さない。おかげでおかしな声が漏れてしまった。


「ほ、ほんとアンタ馬鹿じゃないの」

 あさぼらけ。地面に倒れ落ちると土や木々や枯葉の清々しい匂いが襲ってきて、遠く鳥のぴよぴよ鳴く声が聞こえる。近くには文明の香りはなく、お狐さまのお陰で荒廃してしまった林の中に物悲しくも神秘的な景色が舞い降りる。

 髪の毛の色はもう元の色に戻っていて、力もなく若干筋肉痛を感じられる。


「さて、そろそろ帰ろうか」

 眠い、しかしここで寝てしまえばクマに食われてしまいそうで、高揚感があるうちに家に帰らなければ不味いことになる。コンパスを取り出して屋敷を目指し歩く。


「……アンタもしかして毎年これやってるの? なんでコンパス持ってるのよ?」

 ちなみに遅れてしまったけれどあのお狐さまは実のところボクのご先祖様なのである。伝承に出てきた桜様と契約を結んだご先祖様。どうにも本人が言うには寿命を迎えたのち妖怪になり九尾となって不老になったらしい。

 そして桜様のお嫁さんでもある。仲よさげな夫婦だ。


 こうして、年末と年始のイベントは終わりを迎えた。

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