おじいちゃんと宴

 おいしそうな食べ物で溢れかえった宵の宴の席。久しぶりに相まみえる遠戚や兄弟、いとこやはとこに歓喜する騒がしさは宵闇を明るく穏やかに照らし上げる。所々で叫びが上がり悲鳴が上がって号哭が聞こえて苦笑が飛び出る。あまりにも混沌とした状況であるけれども、これがボクらの宴。たまにお皿やグラスが割れる音が聞こえるのももう慣れてしまった。一体どれだけお酒を飲んでいるのかは分からないけど。


「はっは! そう落ち込むな! お前たちもまだ若いのだからな!」

 その騒がしさ、声を張り上げないとすぐ隣にいる人にさえ届かないという騒乱の中にいて、しかしおじいちゃんの声はどこまでも鮮明に響く。幾層にも重なり合った乱痴気をその鋭く覇気のある声が突き抜けて行く。とはいえコレもよく見ることで、特別臆病な人であったり、まだ宴に慣れていない婿入り嫁入りした人や赤ちゃんくらいしか興味を持つこともない。

 ただ近くにいると圧がすさまじく思わず目を瞑る。一瞬ボクは台風の吹き荒れる屋外に居たのかと錯覚するほどのなにかが、その声にはあるのだ。


「第一お前たちも佐倉の一員だ、顔だけは良いだろう!」

「……それが問題なんですよ」

 八十の年寄りの癖に右手には一升瓶が握られて、時折直で日本酒を身体に注ぎ込む。左手はおじいちゃんと並ぶと随分華奢に思える宵さんの肩に掛かり、辛気臭い顔をしていた大学生二人組に檄を飛ばす。


「顔がいいのに誰にもモテない、告白をしても振られるんです」

「宵は大人しい上に華奢だからな! どうだここで一度体を鍛えてみれば!!」

 しかしいまだに宵さんたちの顔が晴れることはない。それどころか卑屈な言葉をぼそぼそ呟いている。月華さんは脚を抱いて壁に向かってぼそぼそ何かを呟いている。お酒も飲んでないのに素面でこれって、そんなに恋人がいないことは辛いのか。

 ボクも恋人なんてできたためしがないけれど、さすがにそこまで落ち込むことはない。これが高校生と大学生の違いなのだろうか。

 とりあえずおじいちゃんの鬱陶しさからは目を逸らす。


「いや、イイです。遠慮しておきます」

「そう水臭いことを言うんじゃない、同じ佐倉家で同じ男なのだから!」

 おじいちゃんは赤井クンと同じく筋肉豊富な人間だ。そのためおじいちゃんも視覚的な鬱陶しさがある。そしてこちらも同じく精神的な鬱陶しさもある。しかしそのベクトル自体は赤井クンとおじいちゃんでは大きく違う。

 第一におじいちゃんの筋肉は十割趣味であり、赤井クンのそれはおそらく六割趣味である。赤井クンはあれでもヒーローとして筋肉をつけている。


「それにいい年をした男というのもお前くらいしかいなくてな、手は余っておる!」

「……いや、目の前に居ますよね、俺以外のいい歳した男」

 そして趣味であるからおじいちゃんは筋トレを布教することに率先的なのである。暇があれば親類の男を誘い、筋肉を育てようと提案する。それが赤井クンとの大きな違いといってもいいだろう。そしてその鬱陶しさといったら比類ならない。

 だから矛先をボクに向けようとする宵さんの言葉から身体を逸らす。確かにボクは男らしくなりたいとは願っているが、むさくるしい筋肉になりたいわけじゃない。華奢なままに格好良くなりたい。伯父さんみたいに。


「……朔夜を筋トレに誘ったら、女どもに絞殺されるわ」

「だからってなんで俺が爺さんの趣味に付き合わなきゃならないんだ」

 うふふ、だってボクは可愛いんだもの。……やっぱりちょっと悲しい。

 ボクは主に珍妙なる生き物として女性陣に可愛がられているが、女性陣の結束力と家庭内権威に関してはおじいちゃんの覇気を以てしても打ち破れないらしい。だから宵さんは頑張って孤軍奮闘してくれ。ボクは矜持を失う代わりにのんびりできる。

 でも鬱陶しいからボクは陰鬱な空気を出している月華さんの下に緊急退避する。


「月華もう落ち着いてよ、どうせそのうち彼氏なんて出来るからさ」

「不良キャラで彼氏がいるリア充と、小学生の頃から一途に恋い慕ってくれるような優しい彼氏のいるリア充に私の苦しさが分かるもんですか」

 そして聞こえるのは瑞希が月華さんを慰める声と、何故かボクが赤井クン付き合っているような台詞をぶちまけてくれる月華さんの自棄になった声。自棄になるのは構わないがボクと赤井クンが一途に愛し合っているだなんて気持ち悪いことを言わないでほしい。変な想像が脳裏に浮かんで鳥肌が立つ。


「別にボク赤井クンと付き合ってるわけじゃないし、第一ボクヘテロだからね」

「こんっなわっかりやすい嘘つかれるとかもうマヂむりやけ食いする」

「……ねえ、ボクが女の子のが好きって言ってるよね?」

 近付いて意味不明なその誤解を解いてあげようとする。しかしその効果はまるでなく幽鬼の如くふらりと月華さんは立ち上がりボクのことを抱きしめた。そしてわざわざ逃げてきたのに、そのまま月華さんの身体に押されて元の場所に返される。

 人間は信じたいことを妄信的に信じたくなる生物であると聞くが、案外それは本当なのかもしれない。月華さんはボクを女だと信じてやまない位だから。


「朔夜が赤井クンとやらの話をするとき、毎度毎度顔が甘ったるいし」

「……は? なにを言ってるのさ」

 おじいちゃんと宵さんが筋トレをするかしないかと争っている。その隣で黙々とそしてバクバクと勢いよく食べ物を口に頬りだした月華さんの言葉に首を傾げる。なにをどうしてどのような見方をすれば赤井クンのことを甘々な顔で話すのか。

 もう慣れてしまって嬉しくもなくなってしまった月華さんの太ももの上。そしてクッション代わりの大きな胸。その状況でボクは低い声で問いかける。もう男としての尊厳は全くない状況だけれども。


「そんなに食べたらデブるよ」

「はっ、こっちはゆるふわぷにつる美少女とは違って筋肉があるのよ」

 ボクの疑問を鮮やかに無視してやけ食いする月華さんに釘を刺す。しかし返ってくるのはそんな台詞。そういえば確かに昔よりも月華さんの座り心地が悪くなってる。

 ……あとなんだゆるふわぷにつる美少女って、それただの幼女だろ。


「ほうっ、月華は体を鍛えているのか!」

 不満を抱き頬を膨らませる。しかし筋肉という言葉を月華さんが口に出した瞬間、ぐるりとおじいちゃんが首を回して月華さんを凝視した。目がギラギラ輝いていて、一瞬食い殺されるのかと思って頬の空気が抜けていく。

 ぷすぅと阿呆らしい音が出る。


「朔夜と違って身長があるので、筋肉があった方がモテるかと」

「ふむ、たしかに去年よりも随分スラっとしているな!」

 うっきうきのおじいちゃん。若くて、さらにはあまり筋トレには興味のなさそうな女性陣の仲間が出来ようかというところで、テンションが高まっていたのだろう。随分鼻息が荒くなっている。もはや野獣だ。


「どうだ宵、お前の幼馴染も体を鍛えているというのだから、共にやらないか!」

「いえ、お断り願います」

 やけ食いをして宵さんの状況をまるで知らずに貪り食っているロボットと化した月華さんと、筋トレ大好きなおじいちゃんに包囲され宵さんは絶体絶命。まずもって売ろうとしたボクに懇願の目を向けてくる。しかしボクはそこまで優しくない。


「ちょっとだけ、ちょっとだけでいいんだ。それだけで人生は大きく変わる!」

「俺は、今の俺に満足してるんです」

 神道を少なくとも立場上信奉しているはずのおじいちゃんは、なにか怪しげな新興宗教の教祖染みたことを吐き散らして宵さんを筋肉の道へと引きずり込もうとする。

 ボクに救いを求めても救われる兆しがないことを悟ったのだろう。宵さんはできうる限り姿を消そうとしている瑞希にもまた懇願の目を向ける。


「これが現代的なイケメンの容姿なんですから」

 しかしその筋肉へのあくなき探求心を前にして、たとい普段は女性陣を指そうとはしないおじいちゃんだとしても、その矛先が瑞希に向く可能性は十全にある。しかも今年は月華さんが筋トレをしていると言ったのだから。ゆえにこの場で安地にいるのはすでに筋トレをしている月華さんと、女性陣の支持を持つボクだけである。

 しかし片方はやけ食いモンスターと化し言葉などまるで通じることがない。そしてもう片方はすでに売ろうとした相手だ。もはや宵さんの仲間はいない。

 ざまあやがれ、人を売るからこうなるんだ。


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