いつもの日常と髪の毛
まえがき
現代ファンタジー週間154位(たぶんほんとにこれが最大値)
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「やっぱりアンタ髪の毛の色違うよね」
あくる朝。火曜日ということもあり、まだ週が明けたことへの倦怠感が残る教室。昨日よりは明るく透き通った空気感は増しているのだけれど、依然時間が停滞している雰囲気がある。ほとんどの人は一人スマホを見てゲームかなにかをしていて、僅かな人が小声で談笑をしている程度。すごく静かだった。
「宵桜とか言われたり、実際昨日の夜は微妙にピンク色になってたし」
ボクは先日とは異なって変身していない。それでは当然お金が入ることもなく、ボクの気分は酷く陰鬱。その陰鬱により生まれる倦怠感は底知れない。
今日もやることがなく本を開く。果たして昨日はどこまで読んだだろうか。途中で赤井クンがやってきて奇行をしていたがためにあんまり覚えていない。しおりを挟んだところから二、三ページを捲り戻してようやく記憶に残っている部分が見つかる。昨日はなんと無駄なことをしていたのだろうか。今度は徒労がやって来る。
「でも今はピンク色なんてどこにもない」
静けさ。換気のために開けている窓の隙間から入る肌を刺すような北風がボクの耳を撫ぜる。それからクラスメイトの身じろぎや小さな話し声、あるいは鉄製の扉が動くけたたましい音。耳に入るのはそれくらいで本を読むには集中が出来た。
昨日のように後ろにいるメガネ女子が呪術をしていることもなく、不快なうるささというのはあまり感じられない。ただちょっと今日彼女は過呼吸になっているかのような息をしていて心配になってしまう。呪術でも跳ね返ったのかもしれない。
「いつもみたいにかなり黒に酔った藍色でしょ」
それ以外はいつも通りの静けさ。冬でなければ心地の良い微睡が襲ってくる時分。ピコがいまだにうるさいけれどクラスメイト達もあまりしゃべっていない。
しかし風が吹くたび、彼ら彼女らはなぜかほんの少しの話し声も失っている。それがいつもとは違う部分。平生とはかけ離れたもの。
「アンタやっぱり隠してることあるわよね」
それが静寂でも静けさでもなく沈黙であったことにようやく気付く。瞼を下ろし肌の感覚に意識を寄せると、いつも以上にクラスメイト達から視線を向けられている事に気付く。いつもは男子がチラチラと、赤井クンからはじっくりと見られている。しかし今日はなぜだか女子たちからの目線も多くあった。
それに気付くと今度はそれが気になって集中できない。
「…………今日はそれよりも注目するところがあるだろ」
ぼそり。誰にも築かれないように小さくピコにつぶやく。
もはやボクの意識は小説にはなく、同じ行を何度も行ったり来たりしていた。
「いや、たしかにそうだけどさぁ」
憮然とした表情のピコ。そのピコに見せつけるようにボクはボクの腰あたりから髪の毛を手のひらに掬い身体の正面へと持ってくる。ボクの髪の毛は輝いていた。
ボクは髪の毛に関しては結構意識しており元からかなり艶やかな方だった。クラスメイト達に時折触られるほどにはつるつるつやつやの髪の毛だった。しかし今日はいつもの艶が比較対象にならないほどに艶やかである。鏡であるかのように光をキラキラ反射して、触っているとまるで液体でも触っているのかの如くまるで抵抗感がない。触るだけで心地よさが襲ってくる。そのうえボクの黒の中に混じる僅かな青色が際立って見えていた。ほんのりと光っている様にも見えていた。
明らかに尋常でない。よっぽど今の姿の方がヴィランに変身しているようなナリをしている。こんなことになっていたのに気付いたのはボクが昨日、喫茶Natureから帰ってきた時。おそらくは鳴海先輩のせいだろう。
「ほんと、なんでこんなことになってるのかしら」
触り心地の良さが原因で昨日からずっとピコはボクの髪の毛に構いきっている。ペタペタ触り、さらさら撫でて、時折髪の毛に包まったりする。窓に反射して写るそのピコの姿は可愛らしい。時々楽しそうに笑って、ボクが眺めていることに気付いて恥ずかしそうに髪の毛の中に隠れたりする。
愛いやつである。黙っていればこんなにもかわいいのかとちょっと驚愕する。
「さぁ?」
そしてピコがこんなにも髪の毛に構いっきりになっているように、クラスメイト達もボクの髪の毛に強い興味を抱いているようだ。特に女子たちはボクのアニメでも見ないような髪の質感に目を奪われている。一部の女子、特にあの下世話な連中は獣のような眼でこちらを見ている。
アレはおそらく、ボクにコンディショナーとかを聞こうとしているに違いない。
「それよりもよ、アンタしっかり作戦の内容覚えてんの?」
すでに面倒ごとがほとんど確実な未来と化しており頭を抱えかけていた。けれどそのピコの台詞が相打ちとなりボクはしっかりと頭を抱えることとなった。
ピコが言う”作戦”とは喫茶Natureのお茶会でピコとクロとマスターと鳴海先輩が計画してくれたという作戦。それは昨日ボクが桔梗のサドの混じった襲撃に応戦している中で策定され、へとへとになって喫茶Natureを出た時に渡された小冊子にまとめられたとある作戦のことである。
名称『どさくさに紛れてヒーローになる』作戦。命名はチョコ。
それは今日行われるはずのヴィランによる高校襲撃を逆手に取ったものである。
ボクは今日ここを襲ってくるという危険なヴィランたちと自ら以って相対し、クラスメイトや同学年や先輩後輩それ以外にも町の人達に例の妖精魔法少女に変身したボクがヒーローであると思わせる作戦。自分たちを守ってくれた魔法少女はヒーローであるという認識をした衆人達が溢れかえり、ヒーローと事実上認められればヒーロー部の連中に連行されずに済む、という考えに基づく作戦である。
なんだろうかボクにはこれが成功するようには到底思えない。頭のねじが五、六本抜けて、それからウォッカでも飲んでいたのではと思うほどのトンチキな作戦。
こんなものを作戦なんていうのはおこがましい。そもそもが小冊子にまとめるほどの内容じゃない。ノート一ページにも満たない作戦内容だったし。
こんなの撫でられ損の恥辱損である。あんな目に会わしておいてこんな作戦ともいえない作戦を渡してくるなんてイカれてる。本気で悪魔なんじゃないかあの人たち。
「おまえ……いや、なんだ、今日は一体なんなんだ?」
暑苦しいのが遅れてやってきた。机に突っ伏し頭を抱え、意味不明な作戦をそれでもなにか万万が一に間違いが起こって成功するかもしれないと思いなおし、自棄になりながら作戦概要を思い出していた頃。ヤツが机の近くまでやって来る。
「おまえの髪の毛どうなってんの」
投げ掛けられる疑問の声。しかしボクがヤツの質問に答える必要などない。もはやボクをヴィランだと知っている赤井クンはボクの敵である。というかもしヴィランだと気付いてなかったとしてもあんなことをしてくれたのだから敵である。
キミは衆道の様なものを望んでいるのかもしれないがボクは望んでない。だからこそ今日は徹底的に彼のことを無視することを決定したのである。穏やかでしかし反撃を食らう恐れが確実に低い社会的報復。彼は立ち尽くしていた。
「……変身はしていないみたいだが」
荷物を置いたらしい赤井クンはボクの机の前面に立って主にボクの髪の毛を見ている。しかもやっぱりじっくり眺めている。もうちょっとこいつにはデリカシーと言うものを身に着けるべきだと思う。
「……うるさい」
赤井クン特有の面倒臭さを予期する。けれど今日は一段気力がなく、先手を打ち赤井クンの面倒臭さを封じ込めようとした。先に予防することで自らの精神疲労を抑えようとした。顔上げてそれから赤井クンに言葉を告げる。
「近寄んないでよ」
でもちょっと言い過ぎたかもしれない。
ポロっと出た言葉によってしょぼくれた顔になった赤井クンを見てそう思った。
それから体感では幾ばくもなくお昼休みとなった。
朝のあの台詞がいまだに響いているらしい赤井クンはぼそぼそ何かを言ってから、昨日の人気のない部屋にボクを連れて行った。
もうすぐ、作戦決行の時である。
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