ヴィランって聞いてない
時に人類の中にはこの世の理を超越する力を持つ者が生まれる。彼らは物理法則やら、学者様が必死こいて解明してくれた世界の規範を超越した力を持っている。
例えばそれは水を自由自在に操れる力。あるいは手から火を作り出せる力。
古典的な言い方をすれば「魔法」だろう。
しかしそんな魔法使いたちを野放しにしていると世界の秩序はとんでもないことになる。数は本当に少ないのだけれど、そんな連中が所かまわずドンパチ暴れまわっていたら問題である。過去には一個師団を丸々潰した魔法使いもいたらしい。
そのようなことがあったから世界は魔法使いたちを、世界秩序の調停者として用いることに決めた。紅茶のなかった西欧や港丸々ティーカップにしようとした地域では、彼らは酷い迫害を受けていた。ゆえにそれは魔法使いたちが一般人を憎む最大の要素を減らした。攘夷から一転、開国に踏み切った西国武士みたいな事が起こった。
こうして人類の調停者『ヒーロー』は誕生した。
彼らの当初の目的は、秩序を乱そうとする魔法使いたちを罰すこと。時に軍隊までもを超越する理外の力を持った人間を抑え込むこと。
そしてそれは成功した。世界に秩序がもたらされた。
しかし――――――。
「なんでアンタの世界の話をワタシが話さなきゃいけないのよ」
滔々と分かりやすい解説をしてくれたピコは突如、持っていた棒を投げ捨てた。メガネまでつけて、小さめのホワイトボードに色々書いてくれていたのに。
「一番大切なこと忘れてるよ?」
「アンタ、アンタ、アンタって……」
しかしボクも常識知らずじゃないのでそれくらいは知っている。
聞きたいのはピコの言った【契約者】と言う言葉について。
「なんで震えてるの?」
「このっ、このっ」
けれど顔を真っ赤にして震えているピコの姿に首を傾げる。なにか妖精特有の病気にでもかかったのか。分からないけど彼女は拳を握りしめて震えていた。
言葉も言い切れておらず不思議だ。
「ヒーローの中には、異なる世界からやって来た契約者が力を与えたことによって能力を得た人がいる。後天的ヒーローってヤツ。アンタは今からそれになるわけ」
バンッ!
ピコは勢いよく机をたたいた。小さな体のどこにそんな力があるのか。そう疑いを抱いてしまうほどに凄まじい音が耳に届いた。ちょっとだけ怖くなる。
けれどピコはその後すっと立ち上がって、ホワイトボードにまた書き始める。どうしてこんなにも喜怒哀楽が乱高下しているのだろうか。心配になる。
「アンタはこの世界の秩序を守る尊き戦士になれるわけ。誉れでしょう?」
それから色々ホワイトボードに書いた後、振り向いてボクを睥睨する。
なにか八紘一宇とか五族協和とか大東亜秩序とか言いそうな勢いのピコに慄く。自称「ティータニアの下から来た」妖精は、愛国主義に染まっているように思われた。
誉れとか世界の秩序とか、すごくそれっぽい。
「……それをすることでボクになにか利益が?」
「――は?」
しかし残念ながら日本の帝国時代は七、八十年は昔のこと。今はご主人様ことアメリカ合衆国連邦帝国の下その牙を失った。名誉のために腹を切るような異常性をボクは持っていない。名誉なんてあっても食い扶持がなければ生きていけないもの。
「秩序を守る――、なんて犬も食わないよ今時」
「ちょ、ちょっと待ちなさいよ、え? ヒーローになれるのよ?」
そもボクの人間性は善良ではない。ボランティアをしたくないと思うくらいには。だからこそ利益はなく、傷つき時間まで消えるなんてことになっては堪らない。
「賃金はない、手当もない、福利厚生もない、時間は浪費する。妖精さんはこんな条件を突きつけてなにをどう説得するつもりなんだい?」
「まだワタシはなにも言ってないケド」
ふるりと顔を背けて、ぼそぼそ呟く様は明らかに嘘をついている。
ちなみにボクがヒーローと言うのがブラックであることを知っているのは、ボクの友人に現役でヒーローをやっている人がいるから。彼らは能力を持つが故、その身の自由と引き換えに半ば無理やりヒーローをさせられている。
「アンタよっぽどヴィランに向いてるわよ」
「じゃあ、帰っていいよ?」
まったく失礼な話だ。お菓子だって勝手に食べてたくせに。
「じゃあほら、本物の契約書あげるから」
ぶつぶつ愚痴を言ってピコをデコピンして追い出そうとする。
そんな頃、観念したらしいピコは渋々彼女の持つ肩掛けのバッグから紙を出した。
随分独特な質感の紙。ごわごわしている、と言うよりも布みたいな感じがある。色も所々が茶色っぽく、見るからに羊皮紙だった。
「羊皮紙なんて初めて見……これじゃ読めないんだけど」
表面を撫でて、くにくに曲げてみて羊皮紙を一通り堪能してから文字を見てみる。契約書に羊皮紙なんてなんだかそれっぽくてちょっとだけウキウキしてしまう。
けれどその文字を見てその高揚もすぐに失せる。
そこにはうねうねした、見たことのない奇怪な文字が羅列してあった。
「読んであげるに決まってるでしょ」
「……契約書を最初から見せなかったのはキミの側だよね?」
決まっているも何も先に信用をどぶに捨ててくれたのはどちらなのだろうか。
「えーっと、じゃあなに聴きたい? 全部読むのは面倒だからいくつかに絞ってよ」
「賃金、労働条件、福利厚生、各種手当、怪我をした場合の扱い、ヒーローの力」
しかし無垢な顔で言うので、とりあえずは全部聞いてから決めることにする。
□
「……微妙だね」
ピコによる酷く端的な説明を聞き終わってボクは声を漏らした。無意識的に。
全体的にほわっとした説明に、その上対して魅力的でもない契約。かなりの不満を抱いてちょっとだけ唇を突き出す。
ピコは胡乱気な目でボクを見ていた。きっと強欲野郎とでも思っているのだろう。
「契約解除は簡単だからとりあえず契約してみて考えたら?」
溜息をつき肩を竦める姿は、ヤレヤレと言わんばかり。分からないがこれは真摯なカトリック教徒なのかもしれない。連中、カルヴァン派を弾圧しまくっていたし。その癖自分はすごいことを裏でしている。
表と裏の乖離の度合いがこの妖精にはぴったりな宗教。
どうにも銭嫌いなところもあるらしいし。
「違かったら潰すから」
「……それは嫌だけど、ここに名前を書けば契約終了よ」
しかしヒーローの力が魅力的なのは変わりない。
小さい頃からヒーローの幼馴染を見ていて、その力に羨望したことは何度もある。
だからまずは脅して、そして力だけをちょっと眺めて嫌ならやめてしまおう。
妙に事務的で雑務的なことを知っているピコは、何故か未成年のボクに対して『保護者の同意』とかをまるで言ってこない。
「本当に、ここに書けばいいんだよな」
「だいーぶ、本性出してきたわねアンタ」
それはつまり法を以て契約を無理やり破棄できるということ。下衆と言うなかれ。
それでも騙されるのは癪である。
羊皮紙に名前を記す。佐倉朔夜、と。
「なにこれ、ブレスレット?」
羊皮紙は少し輝いてから次第にその形を変えた。
机の上に生まれたのは淡いベージュのブレスレット。細く、それでいて上品さを覚えるそれはおそらくだけれど女性用のように思えた。色合いもそうだし、これをごつごつした男が付けても似合わない。幼馴染には絶対に似合わない。
しかしボクには結構似合うものだ。
「つければいいのかな?」
なにも言わないピコを尻目にそれを腕に付けてみる。
線の細く、骨も細いボクの腕。その上白い肌にそれは結構似合っている。
しかしつけたところでうんともすんとも言わない。力も別に湧き上がってこない。
まさかだましてくれたのかとピコを見つめる。
「ふふふふ」
今まで黙りこくってきたピコがふるふる震えはじめた。笑い声が小さく聞こえる。
「あはははは! アンタみたいな生意気な餓鬼を騙すのって気持ちいいわね!」
狂ったように大声をあげてピコは大きく飛び立った。
「アンタに行ったことはぜぇんぶうそ。これはヒーローの契約じゃないわ!」
キラキラ舞う鱗粉のようなそれは依然美しく、しかしピコの顔はあまりに醜い。
邪な存在。それを無意識的に理解する。
「ヴィランの契約よヴィランの! あはっ、でもアンタにはふさわしいでしょ!」
ヴィランそれは世に混沌を齎す邪悪。そんなものにボクはなってしまったのか。
ボクの目の前は真っ白に……はならなかった。むしろ冷静でどっかで見かけた蠅たたきのありかを記憶を漁っている程だった・
「アンタみたいな性悪がヒーローになれるわけがないじゃない!」
蠅たたきを振るう。
夏から置きっぱなしにしていたけど役に立つときが来たようだ。プラスチック製のちんけなそれを握ると、久方の活躍に蠅たたきクンも喜んでいる様に感じた。
行け聖なる蠅たたきクン。あの邪知暴虐なるを叩き潰せ。
「これだからやり――ぶべ」
無様に叩きつけられたピコ
「うるさいなぁ」
妖精のミンチ肉で作るハンバーグっておいしいのかな。
興味が湧いた。
そこにヴィランになった悲愴は不思議なことに含まれていなかった。
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