邂逅
結構な時間を食べて朝ごはんを食べて、お風呂に入り歯を磨く。それからコード無しのドライヤーで無駄に長い髪の毛を乾かす。毎朝毎朝、この時間ばかりは本当に憂鬱で髪の毛を切ってしまいたいと強く思う。あと五、六年は叶わないだろうけど。
温風を髪の毛に当てつつ部屋に戻る。そうしておいてきた白毛玉をまた撫でようかと机の前に座り込む。
はて、どの引き出しに入れたかな。
焦る中、適当に放り入れたからそれがどの引き出しなのかは分からない。
とりあえず一番上を開ける。未使用のノート、メモ帳、ボールペン、シャーペン、そして筆箱。一度全て取り出してみて、そこに白毛玉がいないことを確認する。
二つ目、お菓子貯蔵庫。賞味期限の長いお菓子を暇なときに買い込んで突っ込んでいた場所。そしてそこに、器用に袋を開けクッキーの上に乗っかっている毛玉を見つける。これはクッキーを食べているという認識で良いのだろうか。
とりあえず机の上にティッシュを敷いてクッキーごと白毛玉を置いた。
それからちょっと落ち着いて毛玉を眺める。小さくカリカリと言っているのでこの生き物は口があるらしい。蝶の中には成虫になると口を失ってしまうものもいるらしいから、その類いの生き物なのかと思ったが。
しかし眺めてみて、それが食むものがチョコチップクッキーであることに気付いてちょっと焦って白毛玉をひっぺがす。どうにもチョコは人以外に対して大概有毒だというし。見知らぬ生命体であるが毒死するところ見たくはない。
ボクの倫理観は小動物を待ち望むほど崩壊してはいない。
きゅうきゅう!と力強く鳴き震えはじめた白毛玉。クッキーを取られて抗議しているのかもしれない。それくらいいきなり強く抵抗をし始めた。
コイツもしや自分が毒を食っているのかさえ判別できていないのか。哀れなやつ。
今日は休日。日課の散歩をして朝ごはんを食べ、容姿を整えたと言っても予定はなにもない。だからすることもなくて白毛玉にでも構おうかと考えた。
いまだ精一杯鳴いて、クッキーを奪い取った右手にへばりつく白毛玉を撫でる。おそらく抗議をしていたというのに途端に鳴き声も落ち着いて来る。あまりのチョロさに頬がゆるゆるになって来た。
次第に嗜虐心が刺激された。
ちょっとだけ、ほんのちょっとだけ白毛玉を人差し指でつついた。絶対に傷つけることがないように優しく、ゆっくりと。そしてどこかに飛んで行かぬようにと小さな力で。ふぁさふぁさした、触り心地の良い毛玉の中心部を押すようなものだった。
けれども軽い白毛玉はたったそれだけで、机の上をころころころがる。
白毛玉が食べて散らかしたクッキーの破片がその毛に絡まってしまう。
いけないことをした。ゴミは取らないと。そう思って白毛玉に手を向ける。
その時だった。水を被った犬のように毛玉は勢いよく身体を揺らした。そして飛び散るクッキーの欠片。それ以外にもほんの少し白い毛が飛び散る。
それからきゅうきゅう、過激に身体を揺らしつつ大きな鳴き声を上げる。
なんと、なんと愛らしき姿か。胸がキュンキュンしてしまった。
今度はこちら側に帰って来るよう親指で毛玉の背後を突く。ころころころーっと、くるくる回ってボクの胸に触れる。ちょっとだけ勢いが強かったかもしれない。
それからまた毛玉はきゅうきゅう鳴いて抗議した。時にはボクの身体にぐりぐり白い毛を押し付ける。この小さな白毛玉はこんなにも起こっているのに、ボクにはまるで効果がない。それどころか心地が良い。
それが哀れで憐れで、とてつもなく愛らしい。思わず白毛玉に顔を突っ込む。
なんて嗜虐心を煽って来るのだろう。
それでもちょっと変なにおいがしていた。臭いというわけではないけれど。独特の、東南アジアの方の香草みたいな香りがしてちょっと嫌だ。あんまりこの匂いは好きじゃない。それに綺麗な毛並だから忘れていたけど、これはおそらく野生生物。
汚れていることもあろうから、ボクはお湯を持ってくることにした。
□
生ぬるいお湯が入ったペットボトル。そしてラーメン用のどんぶり。両親には不審な目で見られたが何とか説得して持ってきた。これなら白毛玉を洗えるし、白毛玉が溺れることもないだろう。あるいは泳がせることもできるかもしれない。
気分はほんのり昂っている。もしゃもしゃの毛玉がはたして水を泳げるかは不明であるけれども、水に浮かせてみてもいいかもしれない。
そんなことを考えつつ自室の扉を開ける。
そこには白毛玉がいなかった。
「アンタなんなのよ! お菓子くれたと思ったら奪って、なにがしたいのよ!」
代わりに机の上には胡坐をかいて大声を上げる小さな人型が居た。背中に二対の翅を生やし、ぶんぶん音を立てながらボクに向かって指を突きつける存在がいた。
毛玉は消え、現れた不可思議な人型。
「……どちらさま? あの毛玉は?」
緑色の小さな少女はボクが扉を閉めると羽ばたき空をゆっくり飛ぶ。煌めくなにかを散らしながらボクの目の前に飛んできた。見てみると、それは妖精のようだった。
しかしその衣服はファッショナブルで現代的な服装。妖精と言うには些か文明に染まり過ぎており、また科学・工業社会に染まり切った姿をしていた。妖精とは、もっと植物のような不思議な服を着ているのではないのか。
「はぁぁぁ、これだから人間の子供は駄目なのよ。常識無しのクソガキ!」
妖精の口から放たれる言葉は、その可愛らしくファンタジーな見た目からは想像がつかないほどに醜く性悪さのにじみ出たもの。無垢かと思われたその顔にはあまりにも悍ましき邪悪が秘められていた。
とりあえず、その妖精を避けつつどんぶりとペットボトルを机の上に置く。
「まずは名乗りなさいよ」
「ここボクの家なんだけど」
頭の上に乗った妖精はひどく尊大な口ぶりでボクに命令する。
「……チビのくせに生意気ね」
「小さいのは関係ないでしょ。第一キミのが小さいよ?」
なにか小声で吐き捨てる妖精。本当にその幻想的な見た目からはずいぶんかけ離れた性根を持っているらしい。しかし小さい妖精は酷く短気だったらしい。
ボクの言葉にイラつきながら頭を掻いた。
「私の名前はピコ、ティータニアの下からやって来た妖精」
への字に口をゆがめて腕を組む妖精はそう名乗った。
ピコ、これの中身には似合わぬ可愛らしい語感の名前だ。
「そしてアンタとヒーローの契約を結びに来た【契約者】」
尊大に腕を組み仁王立ちをする妖精。ぴしっと小さな指をこちらに向けて仰々しく言葉を告げる。【契約者】と言う言葉が妙に頭の中にとどまらない。耳に入れた瞬間にその言葉は反対側から突き抜ける。それがなんだったのかおぼつかない。
「それからアンタが拾ってきた毛玉は私の偽の姿」
ほんの一瞬、あまりに強い光が発される。光が晴れると机の上には先の白毛玉がいた。代わりに妖精ピコが消えている。良く分からないが煩いのが消えてくれた。
おそらく幻覚幻聴のたぐいでも見ていたのだろう。
とりあえず毛玉を洗わないと。ペットボトルのキャップを開けて、そしてもう一度閃光が部屋を埋め尽くす。そこには地団太を踏んでボクを睨むピコがいる。
「話聞いて……。とにかくこれでいいでしょ、それで、アンタの名前は?」
頭を抱え、咆哮した後、大きくため息をついてピコは喋った。
「
相手も名乗ったことだしこちらも名乗ろう。
これが白毛玉だとは思えないがとりあえず信じる。
「だけど?」
「ぅーん?」
しかしじぃっとピコを眺めているうちになにか重要なことを忘れているように思えて呻く。聞くべきことがあるようなして脳裏を巡りつついまだ尊大なピコを見た。
「――あっ、妖精ってなに?」
そして気付いた。
そうだ、この世に妖精なんていない。
ぽんっとボクは軽快に手を叩いた。
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