第六節:僕たちは眠る街で目覚め、醒めた街で夢を見る

◇1919年 ニューヨーク州 マンハッタン


 トミー・ロックウェルがラグハウスを訪ねてきた日から三日後の昼、ジョン・アバフェルディの部下を名乗るポール・バルメナックという男から電話があった。「今晩、店に向かうからあんたは仕事を他の人間に任せて話ができるようにしておけ。」といった内容の連絡だった。用件を伝え終えると電話は乱暴に切られた。その日は幸いステージを別のバンドに依頼していた為、ステージに穴を空けることはなかったが、店には立つ予定だったので、休暇中の従業員に急いで連絡を入れた。


 黒人ばかりの店内にジョン・アバフェルディやポール・バルメナックの様なカタギではない人間が居ることは非常に稀であり当然よく目立つ。ただでさえこの店に白人がいることなど滅多にないのだ。

 アバフェルディさんはそこのところを理解してか、必ず店を開ける前に顔を出していたが、この男にそういった気遣いはないらしい。

 黒人の客たちの顔には程度の差こそあれ緊張の色が見える。おかげで店にいる客は3分の1程になり、ステージにいる知り合いの演奏家たちはあからさまに嫌な顔をこちらに向けた。


 ポール・バルメナックの顔には額から左頬にかけて大きな切り傷の跡があり、その傷跡は彼が尋常でない人間であることを強調していた。

 傷男スカーフェイスは、席に着いてから暫くの間黙って過ごしていたが、僕の貴重なお客様達が立ち去って行くのを見届けると、閑散とした店内の様子を確認した後に口を開いた。


「変わりもんの親父はシカゴでひと稼ぎしてくるらしい。お前も聞いてるよな。」

「お聞きしていますよ。」

「その間に俺がお前んところの面倒を見るんだとさ。なあ、なんで俺がこんなくそ面倒臭い仕事をしなきゃならないんだ?…なあ!!聞いてんのか?」

 傷男スカーフェイスから放たれた声は、店中の時間を止めた。客は凍り付き、ステージの演奏は止まった。様子を探るように慎重に残っていた客の足が出口に向かう動作で再び時間が動き出した。

「演奏をやめるなよ。俺は黒人音楽ジャングル・ミュージックが結構好きなんだよ。ほら、やれよ。」

 ステージでは再び演奏が始まった。客は誰もいない。僕と従業員と、この強烈なヤクザ者のためだけの演奏だった。


「それで、今日はどんなご用件でいらしたのでしょうか?」

「お前さ、あんまり俺をイライラさせるなよ。お前の店の面倒を見るために来たんだよ。どうやって面倒見ろってんだ。こんなしみったれたしょんべん臭い店を!いいか、この店を白人が来ても恥ずかしくない小綺麗な店にしておけ。あとお前さ、あの看板いつまで掲げてるつもりだよ。馬鹿じゃねぇのか。もうすぐ禁酒法が始まるってのに酒場の看板掲げやがって。イカれた婦人会キャリー・ネイションに斧でしばかれたいのか?」

「わかりました。店の内装を綺麗にして、看板も変えておきましょう。」

「いちいち言わねえと分からねえ。これだからサルは嫌いなんだ。アンクル・トムみたいにへこへこしてんじゃねえよ。イラつくな。頭使いやがれ!これくらい言われなくてもやっておけ!俺がくそ面倒くさい指示しなくてもいいように、気持ちよく酒飲んで帰るだけで済むようにちゃんとやれよ!」

「申し訳ない。バルメナックさんには面倒をかけさせたが、今後はそうはならない。ちゃんとやると約束します。」

 僕は腹の底から湧き上がる感情を押し殺すのに必死だった。


「二度はないぞ。…ああ、そうだ。お前、この店残してトンズラしやがったピーターの馬鹿について何か知ってるか?」

「いえ、知りませんよ。姿を消したきりです。」

「そうか、なんか分かったらすぐに知らせろ。」


 その日、僕はジョン・アバフェルディという人物がいかに品位のある人物であったかを実感した。



 程なくしてギャングは店を出ていった。それと同時に全身の筋肉が弛緩して自分が非常に緊張していたことを認識した。僕はこれ以上無いくらいにぐったりと疲れていた。しかし、僕には疲れていても考えなければいけない問題があった。一つは店舗の改装についての実際的な方法と費用について。加えて、トミー・ロックウェルと話をしたアーティストとしての身の振り方について。という非常に重大な二つの問題を抱えていたが、やはりもぐり酒場の経営を如何に安全なものにするかという問題こそが最も優先的に解決されるべき内容だった。

 僕は店の電話帳を繰り、ハーレムにある看板屋と内装屋のうち何軒かに電話を掛け、看板工事と内装工事の見積もりを依頼した。現在掲げている”Lag House BAR & DANCE SALOON”と書かれたネオンサインを下げて、新たに”Lag House DINER & DANCE SALOON”と書かれた袖看板を掲げることにした。ネオンサインは夜の店としてのイメージが強く、酒類を扱っていることを警戒される可能性があるからだ。費用はどこも同じようなものだった。撤去費用と設置費用、材料費、諸費用を合わせて500ドル、安くない値段だ。


 そうこうしているうちに閉店の時間がやって来た。緊急で招集した従業員には代わりの休暇を与え、先に帰らせた。ステージを任せた演奏家の面々には謝礼を上乗せした。

 それから僕は再び問題の解決の為に人のいなくなった店のテーブルに向かった。そこには演奏が終わった後の興奮の残り香のようなものが未だにほんのりと漂っていた。


 工事にかかる費用は想定よりずっと高かった。月々の売上から仕入れにかかった金額を差し引いて、更にアーティストや従業員への支払い、収めるべき税金、ジョン・アバフェルディへの見ケ〆料を引くと店に残る利益は決して多いとは言えない。そこからどの様に工事費を捻出しようか、まるで見当が付かなかった。僕が数字と睨み合っている間に夜は着々と更けていった。疲れと眠気からか次第に集中力が失われ、課題は明日に繰り越されることとなった。


 翌朝、自室のベッドで目覚めた僕は、身支度を整えながら一日の予定を立てた。バンドの練習が夕方に始まること以外に決められた予定は無かったが、すべきことは沢山あった。まずは看板について、そして小綺麗な内装について。

 看板については、お金の問題に収束したため、銀行に行き融資を受けることにした。

 次に内装だ。僕は内装工事に並行して、密造酒を保管しておくための隠し扉を用意することにした。しかし隠し扉となると問題の性質上、表立った取引をするのは好ましくない。自分で作るか。若しくは知人に依頼するかのいずれかの選択が妥当であろう。予定通り1920年1月16日から禁酒法が施行されるとして、それまでにはまだ2ヵ月の猶予がある。それまでに信頼できる知人の中から大工を見つけるか、間に合わなければ自分で拵えればいい。


 僕は簡素な朝食を終えるとまずは銀行に向かった。場所はダウンタウンの金融街。ここに来るのはピーターの失踪を受けて経営権を僕に引き継ぐ為の手続きの一つとしてジョン・アバフェルディと共に訪れて以来だ。

 通りを歩くのは白人のエリートばかりで、異国を訪れた様な感覚に陥った。ちょうど7年前に初めてニューオリンズを出てニューヨークの地を踏んだ日に感じた疎外感によく似ていた。奴らは黒人を信用していない。信用の無い者には金は貸さないだろう。


 番号が呼ばれ、カウンターに向かうと受付の女性はあからさまに嫌な顔をした。用件を伝えると口座を確認してくれたが、予め融資が出来る可能性は極めて低いと釘を刺された。僕は理由を聞かなかった。

 しかし、蓋を開けてみると状況は想定していたものよりずっと良かった。幸いなことに口座にはピーターが経営していた時代の貯蓄が残っていたので、それを改装費用に充てることにした。多少気は引けたが背に腹は変えられない。彼の慎重な性格に救われた。



 僕は必要な手続きを終えると、ウォールストリートを足早に抜け、バスに乗り込んだ。当初はこのままセント・ニコラス・アヴェニューの店に向かう予定であったが、途中空腹を満たすためにバスを降りた。緊張というのはその症状が落ち着きを見せると、代わりに空腹を連れてくる。

 セントラル・パークの北側、ウエスト・111thストリートにあるダイナーではニューオリンズ出身の主人が作るガンボを食べることができる。僕にとっての故郷の味だ。

 土地柄か、当時食べたものに比べて幾分高価に思えたが、今ではそれも気にならない程の稼ぎがある。幾つかのトラブルは付いて回るものの前進している確かな実感がある。膝を抱えているだけだった昔の自分とは違う。

 空腹を鎮めると活力が湧いたので、僕は代金を払い店を出ると腹ごなしを兼ねて歩いて店に向かった。ハーレムの中でも南部地域は白人の出入りもハーレムの中心部に比べて多い場所だ。警官からの暴力や不当な逮捕が多いのもこの地域にあたる。だから、この地に住む人やここで働く人たちは、ひどくびくびくとしている。笑った口元にきらりと光る白い歯もワークソングもない。


 昼のハーレムは静かに眠っている。そこには煌めくネオンも酔っ払い達の喧騒もジャズの音色もない。街を行く黒人たちには、彼らがダンスホールで見せる耀きもない。彼らが向き合うべき貧困や暴力、差別といった現実が本来彼らの持ち合わせている豊かな個性を根こそぎ奪い取っている。僕は長い間夜の世界にいるから、そういった感覚を忘れることがある。コルネットを吹き続けることそのものが現実を忘れたいという願望の形なのかもしれない。しかし彼らの昼の姿を見るとやはり自らが差別され、軽蔑されている黒人ニガーなのだということを思い出す。


 毎週末、欠かすことなく踊りにやって来る同じアパートメントの友人がいる。以前、彼になぜそんなに熱心に通ってくれるのかを訊ねたことがある。その時、彼はつらい日常を忘れて楽しく踊ることが生きがいなのだと言った。週末の為に働き、ひと時の楽しい夢が終わると、またどうしようもない現実に帰っていく。それがハーレムに住む黒人の現実なのだ。

 僕たちは眠る街で目覚め、醒めた街で夢を見る。



 店の前に着くと、鞄から鍵を取り出し慣れた手つきで錠を落として閉じられていたシャッターを開いた。そして地下へと降りて行った。カウンターに鞄を置くと照明の電源を入れ薄明かりが灯った。


 僕は看板工事業者に連絡を入れ工事を依頼をした。

 結局、内装工事も同じ工事業者が担当することになり、来月頭、つまり1919年の12月1日から作業に取り掛かり10日で終わらせるそうだ。

 一通り工事の件が片付いたので、僕は安堵した。一番大きかった金の問題をクリア出来たことは店にとっても、僕個人にとっても非常に喜ばしいことだ。

 僕は伸びをして、それからカウンターに入りマッシュポテトの仕込みに取り掛かった。よく茹で、よく混ぜた。


 仕込みが終わり練習の時間になるとバンドメンバーが揃い、即興的なアンサンブルが行われた。コルネットが嘶く。それは実に心地良いものだった。


 僕はバンドメンバーに店のことを話した。禁酒法に向けて看板を変えること、もぐり酒場として営業し、これまで通りにステージを開催すること。そしてロックウェルが話していたこれからのジャズミュージシャンが目指すべき姿についての話もした。

 幸いなことに皆好意的に受け取ってくれた。元々は寄せ集めのバンドだったが、今のバンドの結束は堅い。これから酒を飲む場所が減る状況で、演奏機会が増えるとは思えなかったが、僕たちなら何とかやっていけるだろうという自信のようなものがあった。


 1920年、僕が24歳になる年。僕がビル・ダレンスバーグの名を語って10年になる年。高貴な実験と称されたアメリカいち馬鹿げた法律が施行される年。大きな変化が訪れる足音が聞こえた。

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