第32話 生まれる渦

 多少後悔していた。やはりナヤーシャを連れながら行動するのは一人のときの二倍は周囲への警戒に気を使う。一人のときは狙う存在に気づくのが遅れてもどうにかなるが、それではナヤーシャは守れない。

 彼女といっしょにこの街を出る以上、準備をしないわけにもいかず買い出しは避けられなかった。ただ、案外と言っていいのかわからないが、襲われる気配は薄い。そもそも有名ではない俺はこの北地帯ではほぼ顔を知られていないため、探している輩だとしても顔と名前が一致しない。顔の特徴は書かれているらしいが、それでの判別は難しいだろう。

 旅に必要な水と食料を買いそろえる。とくに水は重要視する。それが無くなれば人はいともたやすく衰弱していくことは、この街を目指して荒野を歩いていたときに思い知った。それから砂煙を防ぐための外套も不可欠。

 この街に名残を抱く余裕はない。準備が整い次第出ることは確認して決めている。もうこの街で夜を越すことはないのかと思うと、まだいるのに、もうこの街にいないような不思議な気分になってくる。


 陽が傾いてきた夕暮れ時、俺とナヤーシャはこの街・メルブートの出口を目指して歩を進めている。互いに口数は多くない。いつ襲われるかという緊張感はもちろん、この街を出るという挑戦への怖さと不安、心細さ。加えてやっと出られるという安堵と期待もある。彼女はどんな気持ちでいるかはわからない、もしかしたら俺の心情を汲んであえて口数を減らしているのかもしれないし、似たような心情を抱いている可能性もある。

 境界道を選べば歩きやすい道を進んでこの街を出られるが、あえて歩きづらい道……というか道なき道を選んで進んでいる。この街を取り囲むようにある林を進んでいる。境界道を行けば俺を狙う者が待ち伏せをしている恐れを考慮して、回り道を選んだ。

 ナイフで枝や蔦を切りながら進んでいるが地面はそのままで——木の根や石、背の高い草も生えている——歩きづらいままだ。

 木々がまばらになってくれば荒野、この街の外が近い。早く出て、この街が見えなくなればひとまずは安心できる。


「草木が少なくなってきましたね。もしかしてそろそろですか?」

 こんな街の外れに来るのはこの街に来たとき以来のため確信めいたことは言えないが、確かにそろそろだと思える光景にいる。

 ナヤーシャは体力があるほうではないだろうが、ここまで愚痴や不満をいっさい口にせずについてきていた。だからなのか、彼女に言われると本当にそろそろだと思える。

「きっと近い。もう少しだ」

 親しみ囚われていた環境からついに抜け出すという寂しさと期待が胸にこみ上げてくる。

「きっと来ると思ってたよ、元案内人のハレル」

 もう少しでこの街を出る、そんな予感を破るようにぞろぞろと人が現れた。その数は一、二、三……ざっと十数人。見たかぎり女しかいないようだ。

「よく状況がわからないが、人違いだ」

「後ろめたいことがあるヤツでもなければ、わざわざこんな道からこの街を出ようとはしないだろ? 違うかい?」

 間違っていない、むしろ当たっている。とはいえ、決定的な証拠にはなっていない、十分に反論の余地はある。

「全然ちがう。俺たちは駆け落ち同然でこの街を出るんだ。こいつの父親は怖いぞ、娘を男から守るためなら手段を選ばない。だから、この道から出る必要があった」

「そうなんです。ね、アナタ」

 俺の作り話に同調して、ナヤーシャが腕を組んでくる。恐ろしく自然なその言動に味方ながらちょっと恐怖を感じるが、その度胸は頼もしい。

「……そうか、それはとんだ邪魔をしてしまったな、悪かった」

 ナヤーシャの演技が効いたのか、この集団のリーダーらしき女は朗らかな笑みを浮かべて謝った。

「おまえたち! 構えろ!」

 と、思ったら、急に指示を出して周囲の女たちが一斉に弓矢を構えて、それは俺たちに向けられている。

「おい、これはどういうことだ!」

 不意を突かれた動揺を示しつつ、ナヤーシャを俺の背後に隠れさせる。

「どういうことだ、もなにもない。私に小細工は通用しない、お前がハレルだという確信を持っているからだ。そして、それをお前に明かす必要はない」

 女は毅然とした表情で言い切った。こいつらはおそらく、ただ一攫千金を狙うゴロツキ集団ではない、なにか容易ではない目的に向かっている規律ある集団に感じる。数的に圧倒的に不利で逃げ場もないこの状況で、この集団から逃れるのは絶望的といっていい。


「いいかおまえたち、こいつはあのサクリと渡り合った男だ、けっして油断するな! 生きた状態で引き渡す必要はあるが、半殺し程度ならかまわない、やれ!」


 一斉に俺に目掛けて矢が放たれる。回避はできない、ナヤーシャを守る必要がある。それに矢の軌道は殺しにきているとしか思えないほどに逃げ場をなくしている見事なもの。仕方なく買ったばかりの外套を前方に放り投げた。それは中空でひらひらと舞い踊り俺たちに向かっていた矢を絡めとっていくが、残念ながら傷はついてしまっただろう。


 場に悲鳴が上がった。


 見ると、リーダーの女がうずくまっており、その肩には矢が一本刺さっている。女たちは一斉にリーダーのもとに向かうが、そんな中でまた一人倒れた。その背中には矢。一人だけ向かっていかずに味方に矢を向けていて、放った女がいた。すぐにほかの者も裏切者の存在に気づいたようで、そいつに矢を放っていく。上手く連携をとれていないとはいえ、高速の矢をその女は機敏な動きで躱して、さらに矢を放って直撃させる。


「あなたたちは結構騒がしい輩だったけれど、私たちボクダリへの反抗も今日で終わり。巨大資金欲しさに大きな動きをしすぎたわね! お姉様に逆らったこと、死んで後悔しなさい!」


 ボクダリの組員が一人、反乱組織殲滅のために紛れ込んでいたらしく多くの血が流れそうで恐ろしい状況ではあったが、まぎれもない逃走の好機だった。

 矢付き外套を回収してナヤーシャと共にそそくさと駆け出す。が——俺たちの行く先の地面に矢が突き刺さった。それは大木の陰に隠れながら反乱組織の相手をしているボクダリの女が放った矢。

「あなた虫が良すぎるわ! 私が危機を救ってあげたんだから援護しなさい! さもないと、私が殺されちゃうわ!」

 それは悲痛な叫びだったのだろうが、なぜか滑稽に響いた。そうでなければ俺は再び駆け出していただろうが、そのおかげで歩みに迷いが生じた。

 計画的な動きだと思っていたが、意外に突発的なものだったのかもしれない。反乱組織の情報を得るため潜入していた回し者だった。それともそこのリーダーを狩れば終わりの捨て駒だったのか。もしそうなら、ここで反乱組織を殲滅すれば一躍名を上げて出世できると踏んで動いたのか。……あまり興味はない。

 不意打ちによって一時は乱れた連携もすっかり態勢を整え、ボクダリの女は大木の陰から身動きが取れなくなっている。

 リーダーが倒れた、裏切者がいたという状況から一転、裏切者を狩るべく団結した動きには死んでも殺すという狂気すら感じられる。ボクダリの女は相当腕が立つが、この束となった力の前では狩られるのは時間の問題。そして次にその力の標的は俺たち。味方がいる今がこの窮地を突破する機運がある。

 すでに俺たちに向けて矢は放たれた。仮に俺の凶刃で血を見ても恨まれる筋合いはなく、あとは俺自身の問題で、もうすでに腹を括っている。

「ナヤーシャはこの木の陰に隠れてろ!」

 背負っていた重いバッグを地に預けて戦場に出ていき、ナイフを投擲する。それはすぐにナイフではなくなり風かなにかへと変化して見えなくなり、弓を次々とへし折っていき、そのすべてを折るとその存在がどこにあるのかがわからなくなった。

 反乱組織の女たちは瞬く間に武器を失ったことに動揺したように見えたが、次にはナイフを握ってボクダリの女へと向かって走り出した。おまけに数人は俺に向かってきている。

 まるで死を忘れたかのような猛進ぶりで、ボクダリの女の矢を受けても止まらず突き進んでくる。かといって化物ではない、よくないところに矢を受けた者の猛進は続かずに、倒れていく。それでも何人かはボクダリの女のもとへ到達し、剣戟へと発展。俺のもとへは四人の女がやってきて、取り囲むように展開した。

「まさかこいつもボクダリと繋がっていたとは! あの手配書もボクダリの罠だったというのか⁉ くそ、私たちは嵌められた! だが幸い、増援はまだのようだ、それが来る前に殺して逃げればまだ立て直せる、やるぞ!」

 何か勘違いをしているようだが、いまはそれを訂正したところで意味はなさそうだというか、聞かないだろう。

 四人は狂気の中でも感心する連携で斬りかかってくる。ところが、あまりに連携がとれすぎているためその動きは単調。同時に斬りにきた二人のナイフを簡単に両手で握りしめて受け止めると、その刃はあっという間に蒸発していき、二人の女は手からダラダラと血を流したあとに口から血を吐いて倒れた。もう二人はそれに怯んだ様子もなく、むしろより明確な敵意を向けて斬りかかってくるが突如動きを止めて、その狙いを理解する前に苦痛や悲しみの表情もなく、だからといって嬉しそうでも楽しそうでもなく真顔で溶けだした。

 それはその女二人に限らず、あたりに倒れている女たちも同様に溶けていく。その者たちの体は黒い液体と変わり、地面に黒い液体のたまりができる。それはその場にとどまらず、どこかを目指すように流れ動いていきある一点へと集まっていく。そこにいるのは反乱組織のリーダー、矢を肩に受けた女。胡坐をかいて座り、集まりくる黒い液体を一身に受けている——というより、吸い込んでいる。

 その姿はもはや人間には見えず、人型の影のような黒い何か。

「ハレルさん、あれは一体……」

 気づけば、ナヤーシャが近くにきていた。手には俺が置いてきたバッグがあり、それを受け取る。その手は微かに震えているように感じたが、もしかしたら俺の心情がそう見せただけかもしれない。ナヤーシャの質問には俺ではなく、やはり近くにきていたボクダリの女が答える。


「あれはきっと、化物というやつよ」

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