第30話 疑心回遊

 店の外に出た。だいぶ気分が軽くなった気はしたが、これから騒がしくなるかもしれないと思うとそこまで軽くはなっていない。自分について考える機会を欲してここに来たはずだったが、いつの間にかそんな余裕はない。いや、もとよりそんな余裕はなかったというか、気がなかったのか。その機会が欲しければ暇を求めるべきだったはず。


「これからどうしましょうか。わたし、店を出るまでだけで、出てからのことを考えていなくて」

 そっと、さりげなくナヤーシャは腕を組んできた。ぎこちなさはない。遠慮のない密着具合。思わす、「これはなんだ?」と聞いた。

「あなたはわたしのことを買ったんです。密着しないで、一定の距離を保って歩いていたら不自然で、怪しまれます」

「まるで監視があるような言い方だな」

「これでも一応、お金になるかもしれない商品なので。それに、それがないならもう逃げてます」

 とは言っているが、あたりを見回しても監視の気配は感じない。勘付かれないようにしているはずで感じなくてもおかしくはない。ただ、疑いが増してきている。さっきの女性が思っていたより警戒心が強くなさそうな印象だったのが引っ掛かる。

 あれこれで付け入って自分を売り込もうとしている、その可能性が消えない。店のためか、自分のためか、両方か。こうなると、揺さぶりをかけるしかない。


「ナヤーシャ、おまえ……俺のこと騙してないよな?」


 回りくどい探りは入れない、彼女の目をしっかり見て聞いた。なぜ『騙してないよな?』と聞いたのか。騙されてないと信じたいのか、ナヤーシャのことを。

「さっきあの人になにか吹き込まれてましたよね? 惑わされないで、わたしは本当にあなたに助けてほしい。わたしは——あなたを信じてる」

 目をしっかり見つめ返して、組む腕にぎゅっと力を込めて彼女は言った。その瞳は目を逸らしたくなるほど力強い。だからといって疑いが消えるわけではない。ただ、仮に騙されているとしても、彼女に付き合う価値があるように感じた。理屈はない、感じただけ。


「あなたはわたしのことを信じなくてもいい。同情もしなくていい。……同情は、してないですよね? わかります、あなたは自分の都合でわたしに付き合ってくれている。自分の歩いてきた道に穢れを残さないように。それで——それがいいんです」


 図星だった。あのままナヤーシャを見ないで去ればその光景に後ろ髪を引かれる。それを回避したくて、恐れて、見るしかなかった……それが事実だ。やはり未熟なのだろう、それを内に抱えて生きていく自信がないから、少しでも軽くしたい意識が働く。それでも結局は重くなっていくことを知っていながら。

 しかしそれだけで動いたかというと違う気もする。力になりたいと思わせるものが彼女にあったからこそ、あのとき聞き返した。もしかしたらそれは同情かもしれない、それかここで会った縁を信じたくなったのかも。どちらも合っていて、どちらも違う気がする。


 街はまだ明るいが薄暗くなってきていて、夜が近い。この北地帯の夜を知らない。今日まで日中も知らなかった。とりあえず日が暮れる前にこの地帯を出たほうがいいだろう。他の地帯に行ければ、追手がいたとしてもここと比べて格段に自由がなくなる。だから問題はこの地帯を素直に抜け出せるか。

 派手な装いの女性を連れ歩いていれば悪目立ちするのではと心配していたが、よく見ると案外そんな女性を連れ歩く男が多いことに気づく。日中は気にしていなかっただけか、夜が近づいてきているからか……詳細はどうでもいい。目立たないのは幸いだ。だが、他の地帯に行けば確実に目立つ、悪目立ちだ。注目を浴びたいならそれも一つの手だが、あいにく現状は注目を浴びたくない。

「どこかちょうどいいところで服を買おう」

「確かに……ハレルさんの服装は冴えない気はします」

「違う、おまえの服だ」というと彼女は「へ……?」と言葉に詰まった。そのあと慌てたように何かを言おうとしたがそれを遮って話す。

「その服はここでは目立たないが、ほかでは悪目立ちする。面倒なやつに絡まれる、必ず」

「そう、なんですね。わたしほかの地帯に行ったことがないので……。ひとまず、言いたいことはわかります。でも、ハレルさんはわたしを気に入って買ったのに、地味な服を着せるのは不自然です、怪しまれます。それにわたしが地味な服に着替えてあなたは嬉しいんですか? ドキドキできますか?」

 別にいまもドキドキしていないが、とは言わない。言えば信じないか強引なアピールをしてくるかだ。ただ、全くしていなかと言えば嘘だ。それに集中できるほど心中が穏やかではないだけ。それに、彼女にドキドキする必要はないはずだ。

「気に入ってる女性をほかの男にいやらしい目で見られたくない、と考える男もいるはずだろ? 不自然とも言い切れない」

 それを聞いたナヤーシャは、「ハレルさんって独占欲が強いんですね」となぜか嬉しそうに言ってくるが、俺とは言っていなことに気づいてないか、あえて無視している。

「そうだ、その通りだ。だから……着替えてくれ」


 ナヤーシャが店から出てきた。ちゃんと地味なものを選んでいるか不安だったが、落ち着いた服装は一応知っていたようで一安心したが、もう夜になっていた。選ぶのに時間をかけすぎだ。女性服専門店だったため外で待っていたのが仇となった。別に男が入っていけないわけでもないのだが、悩んでいるうちにどんどん入店の気運が遠ざかっていった。

「時間をかけすぎだ、いつの間にか夜になってる!」と言って軽く頭を叩いた。すると全然反省していなさそうに「すみません」と言ってあたり前のように腕を組んでくる。さらには「そんなにわたしのことを待ち焦がれてたんですね」と言って不意打ちで頬にキスをしてきた。

「これはお詫びです。ふふ、どうしたんですか? 黙り込んじゃって……。わたしの予想だとハレルさんはウブで……って、そこはダメっ! ちょっと待って! こんな街中で大胆すぎっ……いやん!」

 何もしていないのに一人で乱れている。周りも俺も不審者を見る目。彼女が人気のない理由を知る。

「こほん。……どうして、わたしの迫真の演技にセリフを合わせてくれないんですか?」

「変質者になりたくないからだ」

 一刻も早くこの場を離れたかった。恥ずかしいからというのもあるが、早くこの地帯を出たい。俺たちが歩き出すと後方からざわめきと嘲笑が聞こえてきた。さっきまでは異様なものに気圧されて黙っていたが、それが遠くにいくとなぜか笑えるらしい。後をつけてくる者はいない。この場で動けば目立つとの考えか、そもそもそんな人物はいないのか。


「今日中にこの地帯を出るって……それは危険です!」

 俺の考えを聞いたナヤーシャは歩みを止め、小声で言ってきた。

「いきなりここを出る動きをすれば、出る前に必ず動いてきます。怪しきには拷問を、が向こうの方針です。だから今日は宿に泊まって、わたしたちの関係が怪しくないことを相手に信じ込ませるんです。そうすれば油断が生まれる。その油断を突いてこの地帯を出る、それが慎重かつ最善の手段だと思います」

「それは納得がいかない。俺たちはあの店から脱走してきたわけじゃない、それなのに監視がいるのだとしたら、そんなヤツらがちょっとやそっとのことで油断するとは思えない。違うか? だったら、相手が動く前にこっちが動いたほうが意表を突ける」

 つまり彼女のことを信じていないのだろう。そもそも監視者がいるかも疑わしい、そんな状況でその相手を惑わすことを想定して動くなど、じれったくてやる気がしない。

 俺の主張を受けて彼女は、「それはそうですけど……」と珍しくハッキリしない態度をとる。彼女のことはよく知らない、なにせ今日会ったばかりだ。そんな俺では到底うかがい知ることのできない心の機微があるのだろう。

「あなたの言っていることは、もっともだってわかります。そうすべきだって思います。でも……いざここを出ると思ったら怖くて。ほんとおかしなこと言ってます、助けを求めたのはわたしなのに……。ここにいるのは怖いです、だけどほかの地帯にいくのはもっと怖い。ここにいれば良くも悪くも今まで通りだけど、ほかに行けばどうなるか——だったらって……」

 俯きながら告白した。自分の弱さをよくわからないヤツに話すのだ、簡単ではなかったはず。だからこそ、正直な心情なのだろう。どこか不安定に映る彼女の調子も、そんな重圧からきているのかもしれない。

「言っておきますけど、だからってこの計画を白紙に——とかはないですからね。ただ、気持ちを整理……ちがいますね。覚悟を決める時間がほしいです。お願いします」

 俺もそうだが、ある意味ナヤーシャもいきなりこんな状況に巻き込まれた。計画性はなく、突発的だった。勢いで恐怖を打ち消す——あるいは見ないようにする——ことで進んできたが、とうとう恐怖に追いつかれた。幸いまだあからさまに怪しい行動はしていない。仮に監視がいるのだとしても、まだ進むことも引き返すこともできるし、それを考える時間もあるはずだ。


「——あ……。ハレルさん、ズルいです。こんなときに優しく抱きしめてくるなんて。でも、すごく嬉しい」


 いや、彼女から抱き着いてきたのだが……。ここで突き放せば不自然に映るため、ただただ受け入れるしかなく、仕方なしに背中に手を回す。

 こういうことをされるとさっきの言葉は本当だったのか嘘だったのかとまた疑ってしまうわけだが、どっちにしても疑いはある程度の時間の経過がなければ消えないだろうし、時間の経過でそれが逆に深まることもある。それにこれはきっと、彼女なりの監視に疑われないための努力なのだろう……たぶん。

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