第19話 裏の雑木林
建物と建物の間で、狭いところ、そうは見つからないだろうところで、しばらくの間休憩をとった。精神的にも体力的にも疲れたし、なにより自分を落ち着かせる、ここまでの出来事を整理する時間が欲しかったようだ——と、ある程度休んでから気づいた。
黒猫を抱きながら座っているとほんわかと温かいその体温が気持ちよくて、妙に落ち着けた、こんな事態になって初めて。
「お腹すいた……」
俺ではない。うつらうつらとしている黒猫がぼそっと呟いた。俺もお腹は空いている。こんな時でもしっかりと空くのだと感心している。
「じゃあ、どっか適当な家を漁らせてもらうか」
ただここには人が住んでいない、食べ物が家の中にあるのかは疑問。
「家の中は外よりも危険なの。ハズレを引けばさっきの奴らと同じ末路よ」
確かにあれは怖い。ただ、外にいても仮面人がいる、大して変わらないようにも感じる。初めに入った家屋にはなにもいなかった。どうせなら何かもらってくるのだったと少し後悔の念が湧いてくるが、その時点ではあまりに状況把握をできていなかったので仕方ない。今もできていないが……。
「それなら空腹を味わってるしかないだろ。おやすみ」
「どこの家に入る?」
恐怖が消えたわけではないだろう、背に腹はかえられないといったところで意外と人は勇気というか力を発揮する……いや猫か、いやいや人か。
「どうせ賭けをするなら、勝ったときにたらふく食べれそうな家がいいわね。高級食材があれば、なおよし!」
これまでで一番この猫が人のように思えた瞬間だった。
「いい家を知ってるの。この近くに豪邸がある。あそこなら間違いなく食材の山があるはず。何も棲んでなければあそこで籠城して暮らすのも悪くないかも」
これまできわどい線を回避しつつここで暮らしてきたのだろう。そう思うと、この黒猫が妙に逞しく、なおかつ頼もしく感じる。
「ただ厄介なことに、なぜかあそこには仮面の門番がいるの。侵入は簡単じゃない。でもだからこそなにか良いもの、この良いものは食材のことじゃないわよ、それもある気がするの。なかなか面白そうでしょ?」
一石二鳥を狙う、ますます人間らしい。もはや猫の姿をしていても猫に見えな……いや、猫に見える。
「安心して。仮面に気づかれずに入れる入口を知ってるの。以前知り合った女に教えてもらったから。あいつもあなたみたいに人の姿で行動してる不器用なやつだったわ」
どんな人かは知らないが、会えるものなら会いたい。別に打破できなくてもいい、ただ現状について意見を交わしたいものだ。
「いけ好かないやつだった。いいように私をこき使って最後は捨てられた。今はどこでなにをしてるのかわからない……」
まるで捨てられた猫のように言う、人なのに。
「だからもう私は人に使われない、逆に使ってやるんだって決めたの!」
こんな人のいない街で人に使われる、人を使うと言ってもいまいちピンとこないが、まあ俺がいたのはさいわいだろう。
「つまり、その入口から俺がこっそり入って中から食料を持ち出してくればいいんだな?」
「それはダメよ! もしあなたが中で死んだらまた一人になるじゃない! 私も一緒に行くわ!」
いや、人を使う私になったんじゃなかったのか……?
「これから一緒に行動していく上でももう少し私のことを理解してもらわないと困るわね。あ……でも私のことはそう簡単に理解できないわ。深い女なんだから」
まあ、使われてはいるかもしれない。あと、面倒な女の間違いでは? というか、人間なんて往々にしてそうか。自分が面倒な人間じゃないと思えば他人は総じて面倒な人間になる。それは猫でも違わないだろう、よく猫のことは知らないが。
「ほらほらあそこ……いるでしょ? ね?」
黒猫が声を潜めて言う。
その豪邸の近くにくると、確かに門番をしている仮面人の姿があった。樹木によってできた生垣の周りにその姿がちらほらとある。
「あの生垣、ちょっと触るだけで意外と音が立つからあそこは抜けられないと思ったほうがいい、すぐに気づかれるわ。それに、あの生垣を音を立てずに抜けられたとしても庭にも仮面がいるからやっぱり守りが堅いの」
緊張と若干の高鳴りを感じさせる雰囲気で黒猫は語る。以前に来たときのことを思い出している部分もあるのか、やけに真剣だ。
「そんなに守りが厳重ってことは中にもその仮面がいるんじゃないか? そのへんはわかってるのか?」
来て、見て思ったが、無理をして潜入するところではないようにも感じる。なぜ黒猫がここをすすめたのかも合点がいかない。
「例の女とここに来たんだろ。その時に中は調べなかったのか?」
「……えっとー、それは……」
わかりやすく言葉を濁す。何かを隠している、それとも何か言いにくいことがあるのかもしれないが、出会ったばかりの俺には見当のつかないことだ。
「話したくないなら別に言わなくていい、興味ない。とにかく、ここはやめたほうがいい気がする」
「待って待って待って! わかった、言うからお願い待って!」
「わかったから顔に爪を当てるな、ひっかくな!」
黒猫にはそう感じただろうが、別に話を引き出すための脅しをしたわけではない。本当に興味がないし、ここに入るべきではないと思っているだけだった。
「その女があの建物に入っていったきり帰ってこないの。だから調べたい……ってことなんだけど、ダメ?」
「ダメだ。帰ってこないってことは死んだんだろ。あの中がどうなってるかは知らないが、穏やかなところとは思えない、そう考えてしまう。俺は勇敢と無謀をはき違えて死にたくない」
「そんなこと言わないで、勇敢も無謀も紙一重じゃない。そうだ、美人な私がペロペロしてあげるから、ね?」
本当に頬をぺろぺろと舐めてくる。驚くほど嬉しくない。
「わかった、おまえ一人でいけ」
黒猫の首根っこをつまんで肩から降ろした。しかし、すぐに黒猫は肩に飛び乗ってくる。
「一緒に行こうよ、一緒に死のうよ、ね? 私ひとりじゃ寂しいのよ」
今度は無言で肩から降ろす。すると、黒猫はとぼとぼと豪邸の方へと向かっていく。まるでもう仮面人に見つかってもよさそうな、自棄になったような歩みで……思わず、不覚にもそのしっぽを掴んで持ち上げた。
「いやぁん! もしかして私のこと愛してるでしょ?」
さすがに見捨てるのは無理がある。俺に積極的に関わってきた黒猫の戦略勝ちだろう。こうして愚かな人は消えていくんだ。
「初めに追い払っておくんだったと後悔してる」
「やっぱりここ、落ち着くわ」
黒猫は定位置、肩に乗ってきた。定位置と考えている時点で、もう受け入れている。
「それで、その入口はどこだ?」
ここには何かあるのかもしれない。そんな雰囲気もある。例の女が調べに入った、仮面人が睨みを利かせている、これだけでもその期待は大きくなる。自分が一人だったらどんな決断をしていたかは今となっては不明だが、黒猫の提案に乗るのも不本意とは言えない。そんなことを言うと調子に乗りそうなので言わないが。
「建物の裏手……その一見変哲のないところに直接家の中に入れる地下通路があるの。仮面の警戒を抜けてそこに入れれば、問題なく潜入することができるわ。もちろん、潜入後の安全は保証できないけど……」
「そんなのわかってる。……もし中に入って死んだとしても、おまえを恨んだりはしない。だから責任なんて感じる必要はない、むしろ俺はここに潜入できるだけで生き生きしていられる。それは……まあ、喜ばしいことだ」
「なんか、あなたってだいぶ変わってるわね。それとも強がり? 気遣い?」
表情ではわからないが、声の色で面白がっているのがわかる。
「でも、ありがとうね。一応、私もちょっとは役に立つつもりではいるわよ。でも力仕事はできないから勘弁してね」
戦闘も知恵も期待はできないが、知覚では十分期待できるだろう、なにせ猫だ。
仮面人の動きをよく観察してから、慎重に豪邸の裏へとまわっていく。裏は雑木林だった。
「どこにあるんだ? なにか目印みたいなものがあるのか?」
雑然と草木が伸びていて、歩くだけで精いっぱい、すぐに迷いそう——というかすでに迷ってないか? とりあえず迷ってないと思えば迷ってない、その歩みを楽しめば迷ってない……きっと。
「前の記憶は本当かどうかわからないわ、一から探す気持ちでいかないと。ぼんやり歩いてたら本当はあるもの、本当はいるものに気づけない。だから疑わないの、あると思って見る……感じていくのよ」
黒猫の話を疑っているわけではない、むしろ信じている。しかし隠し通路があるようには思えない。
「もっと深く、深く見るのよ。そうしないと見えてこないわ。見るというより感じるの、しっかり見て」
よく何を言いたいのかわからない。とにかく見つけようとはしているが、暗くてよく見えないのだ。見ようとすると余計に暗さに気づいて見えなくなる、見ようとしなければ多少は見えるがはっきりは見えない。
「ちょっと、どうしたのよ……大丈夫?」
なにかここはおかしい。月の光が届きにくいとはいえ、やけに見苦しい。そもそもこんなところに雑木林があったか? 記憶にない。この豪邸は……記憶にある。この街で自分の家を持てる者は多くない。それに加えて豪邸、嫌でも印象に残る。ただ、その裏に雑木林などあっただろうか……今はそこはどうでもいい、重要じゃない。とにかく見ないと。
「仮面よ! 仮面が近づいてくるわ! 早く、一旦隠れて!」
小声で慌てた様子で、隠れるよう黒猫が急かしてくる。
「待ってくれ、よくわからないんだ」
「あなたどうしちゃったのよ! とりあえずあっちに行って、あっちに!」
黒猫の指示に従って移動して、身を隠すようにしゃがみ込む。
仮面人が茂みを進むガサ、ガサという音がする。こっちに近づいてきているような、そうでもないような、安心した次の瞬間にそこにいそうな不気味な気配。
黒猫はしゃがみ込んでいる俺の下に潜って、息をひそめている。何事もなく通りすぎるのを祈るように。それは俺も同じだった。
近づいてきたように感じた足音が、徐々に遠ざかっていく。今回は難を逃れたようだ。
「怖かった……。さあ、早く入口を探しましょう」
立ち上がる。まだ視界があやしい。肩に鮮烈な痛みが走った。あまりに鮮烈でそれが痛みだと気づくのに少し時間が掛かったが、気づけば激痛だった。
「ちょ……なんで、肩が」
黒猫は突然のことに上手く言葉が出てこない。
背後から仮面人に肩を貫かれた。仮面人に恐怖を覚えていたが、少しどこかで見くびっていたと、痛みを感じて思う。
サーベルを引き抜かれる。激痛の上に激痛が重なり膝をついてしまう。
「危ないっ⁉」
そんな黒猫の言葉を受けてとにかく身を動かして、仮面人の追撃を一度は逃れる。
「私についてきて!」
黒猫が走り出した。それを必死に追いかけ始める。痛みのおかげか流血のおかげかさっきよりも見えるようになっていて、なんとか木々への衝突は避けられるがすぐに転びそうにはなる。
後ろから仮面人が追ってきているのか気にする余裕がないが、追ってきていないはずがないだろう。いや、わかる……追ってきている。足音がしないように感じても気配が、殺意が背中を刺してくる。
ふと、黒猫の姿がなくなっていた。見ようとするとまた極端に視界が悪くなってきて、走るのも困難になってきて、バランスを崩した。
次には仮面人に貫かれるだろう——と思って覚悟らしいものを覚えたが、それは無駄だった。凶刃がやってこなかったのだ。
「な、なんとか大丈夫だったみたいね……」
真っ暗なところにいた。ここが黒猫が言っていた隠し通路だろうか。さっきの雑木林のほうが明るかったはずなのに、ここの方がよく見える。あそこを出て視界が良好になったのかもしれない。
「言っておくが……大丈夫ではない」
「ひどい傷だわ……まるで踏みつぶされた果実のようになってる。どうしましょう、私の不器用な手では手当なんて……血が止まらない、その……舐める?」
首を横に振った。血を舐めさせるわけにはいかないし、舐められても回復に効果はないだろうから。
「仮面は卑怯だわ! いきなり背後から刺してくるなんて!」
侵入者である俺たちはそこに文句はつけられないと思いつつも、黒猫の憤りの言葉は不思議と嬉しくもあった。
「まだ待って、まだ死なないで! なにか私でもできる治療があるはずなの、まだ死んではダメよ! ダメだから……」
俺の周りを行ったり来たりする黒猫。ひらめきが降りてくるのを待っているように見える。
「……って、あなた何してるの⁉」
「いや、う……傷口に、硬貨を詰めてるんだ。はは……物を手に入れるだけじゃない、傷の手当てにも使えるから、これは便利なんだ。ぐ……、これを詰めて少し眠れば……きっと治ってる」
「それは……知らなかったわ。時代は進んでるのね。……でも、眠っちゃダメよ、死んでしまうから」
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