第15話 湧き出る声

「どうしたの? なんか元気がないね」


 いつもほど食が進まない。隠そうと努めたわけではなかったが、気づくとは思わなかった。

「そうか?」と聞くと、「うん、なんとなく」と返される。なんとなくでそんなことがわかるのは、それだけ付き合いが長くなっているという証なのか。

 窓の外に目を向けると人通りはまばら、またフィノに視線を戻す。特別心配そうな表情はしていない。

「さすがに今回の仕事は堪える、と思って……。一人はいい思い出なく街を出て、もう一人は行方不明。案内人の宿命かもしれないが……まあ、報われるためにやってるわけではないはずだけど」

 ニアーナを探すつもりだが、つい見つけられないだろうと考えてしまう。彼女を見つけて国に帰しさえすればリーガも俺も納得するだろう。リーガはこの街でのことを笑って話すことすらできるようになるかもしれない。だが、それが遠い。それに、仮に幸運なことに見つけることができたとしても、彼女は素直に帰るだろうか……『力』を求めそうな気がしてならない。


「だったら案内人をやめればいいのに。うちで雇うよ?」

「……それもそうだよな」

 案内をしたほとんどの人が、この街で廃れていくかこの街から消えるのを、見て聞いてきた。そのたびに、この仕事をやめようか考えてきたが——それはこの街から去ることを意味すると思えて、できないままにここまでやってきた。

「でも、彼女のことを探さないわけにはいかない」

「あてはあるの? まさか、西地帯にはいかないよね?」

 まさかと思っていないから聞いてきたのだろう。本当のまさかはいざ直面したときに思い至ることで、この場合のまさかは好ましくない意味を加えるまさかだ。

「わからない。状況次第ではいくかもしれないけど……できればいきたくない」

 その状況次第がどんな状況なのか判然としないのが厄介だ。どうなったら向かうべきなのか、その基準はこの間では掴むことができなかった。本当に西地帯にニアーナはいたのか、いなかったのか……。

 フィノにはあきれたというか——しょうがない人だといった感じで苦笑される。

「もし行ったとしても、勝手に死ぬのだけはやめてよね」

 もしかしたらちょっと怒っているかもしれない。

「……努力はする」

 難しいのは、勝手に死のうとしなくても死ぬときは死ぬことだ。


 東地帯の娯楽街を、あてもなく歩いている。なぜここにやってきたのか、自分でもよくわからない。無闇に来るべきところではないから、きたくなったのか。

 ここに来る前に宿に寄ってニアーナが戻ってきたかどうかの確認をしたが、いなかった。彼女が泊っていた部屋にはもう別の誰かがいるらしい。どんどん彼女の気配が希薄になっていくような、それと並行するようにこちらの探す気力も消えていくような抵抗しがたい感覚に襲われた。これが時間の経過というものなのか。

「ねえねえ、お金ちょうだい!」

 この時間の経過に抵抗するのは難しいことで、甘えることは不本意だとしても難しくない。そして、甘えるのは悪いことではない。むしろそれで救われる場合が多い。


「ねえってば!」


 服を引っ張られたことで、自分が言われているのだと気づいた。

 振り返ると、見知らぬ子供がいた。まだ年齢が一桁かもしれない少年。ちなみに見知っている子供はテキュぐらいだ、そんなことを言ったら彼女の機嫌を損ねるだろうが。

「わるいわるい、追いかけっこがしたいんだな」

「ちがう。おなかすいた……お金ちょうだい」

 本当にお腹が空いているかは定かではないが、空いているような雰囲気は出ている。子供を使ったその手のことの可能性もあるが、お金を出すだろう人物を見抜いたところを評価すべきだろう。

「これでたらふく食べるといい」

 ウエストバッグから取り出した数枚の硬貨を手渡した。

「ありがとう!」

 お金を受け取ると喜々として、すれ違い駆けていく。


「あの林にもう一度いってみて」


「ちょっと待て——⁉」

 そんな声が聞こえて慌てて振り返るが、少年の姿は人波のなかにない。不審な者を見る目が俺に集中してきて、居心地が悪くなりとりあえず静かに歩き出す。

 今のあの声は少年がすれ違うときに出したものだったのだろうか。それしかありえない。だけど声音が違かったような。少年の声を思いだそうとするが、早くも曖昧になっていて、あの声の印象も曖昧になっていく。少年の顔も鮮明じゃない。思い出そうとすればするほど遠くなっていく。覚えているのは言葉だけ、

『あの林にもう一度いってみて』

 林、あの危険な林に行く。それは大抵の人には受け入れられない提案。死の危険ばかりで、それを乗り越えた先に恩恵があるわけではない。だが、いまの俺にとっては甘言だった。

 もしかしたらそこに行けばニアーナに会えるのではないか、仮に会えなかったとしても納得することができるのではないかと思えてくる。

 そもそも、彼女はあそこで消えた。あそこに何かがあると思うのは自然ですぐに辿り着きそうなものだが、案外そういう単純な考えを肯定するのが難しく見ないようにする、それにようやく気づくことができた。きっとあの少年は何も言っていなかった。俺が気づいただけだったのだ。あの少年が気づかせてくれたんだ。


 急に気持ちが軽くなった感じがした。


 何事からも解放された軽さ、ではない。明確なことに縛られた軽さ。道が限られてくると、迷い少なく進んでいける。その先が危険でも迂回などなく、進むしかないのだ。

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