第14話 血の色

 リーガを見送った翌日、その夜。俺は少し久しぶりに酒場『夜空の太陽』へとやってきた。日数という意味では久しぶりという言葉を使うのは大げさだが、感覚的には『少し』がいらないぐらいに久しぶりに感じた。まるで知らない店に入るような、それよりも、知っているがもう知らない店に入るような気まずさがある。

 そのせいで、十分ぐらい店の前で立ち往生をくらった。そして、今回は引き下がろうかとも考えたが、そうしてしまえばもう二度とこの店に入ることはできない気がして、いよいよ覚悟を決めて扉を開けて中に入った。


 入るまでは賑やかだった、店の外まで喧騒が漏れ聞こえていたにもかかわらず、入ってから徐々にそれがやんでいく。扉に付けられているベルの音に引かれたわけではないだろう、客たちの視線がこっちに集中する。

 ロジカノと目が合った。するとロジカノはカウンター席から立ち上がり、声を上げる。


「皆の衆! あの西地帯のいけ好かない首領・サクリに深手を負わせた英雄、ハレル様のご来店だぞ!」


 そんなロジカノの言葉に呼応して店内に歓声が響きわたる。

 事前に打ち合わせをしていたのかもわからないし、本気なのか冗談で言っているのかはもっとわからない。

「みんな! 今日はオレの奢りだ! 遠慮なく飲んで食べてくれ!」

 ロジカノが狂気的なことを言いだし、店内はさらに盛り上がる。ロジカノに祈りをささげる者すらいる、やめたほうがいい。

 いつもここでは隅っこで大人しく飲食をしている目立たない客のつもりだったが、こうも注目されてしまうとどうも居心地が悪い。


 よくやった、見直した、握手してくれ、じゃあこっちはハグしてくれ、じゃあじゃあこっちは金を恵んでくれ——などといった声を次々と掛けられ、そのたびに適当に応えていく。それらへの対応が一段落して、やっとロジカノの隣、カウンター席に腰かけた。

「おつかれさま」

 トハは若干の苦笑を浮かべつつ言うと同時に、水を出したくれた。苦笑を返して、料理を注文した。よく頼む、お気に入りの料理。

 トハが料理の準備を始めるのを確認してから、ロジカノは妙に嬉しそうに語りだす。

「いやあ、驚いた。サクリが深手を負ったって話でも十分驚きなのに、その相手がハレルで、おまけに生きて帰ってきたってんだからなあ!」

 背中を平手でバシバシ叩いてくる。痛くない。

「俺の方が驚いた。まさかサクリに絡まれるとは思ってなかった……」

 冷静でいたつもりだったが、ニアーナが消えて探しているうちにそうではなくなっていた、そこに隙が生まれたと今になれば思う。あのとき確かに冷静だった、それなのに絡まれたのは単についていなかったからだとも今になれば思う。

「もしかしたら目を付けられてたのかもしれない」

 サクリはそれを匂わせるようなことを言っていた気がする。ただそれは一種の脅しで、俺の存在は知っていたのだろうが待ち構えていたわけではなく、まるで好機を窺っていたように見せようとしただけの可能性もある。現に、遊ばれていた。そもそもあっちからすれば、俺なんかよりも注視している人物は大勢いるはずで、俺はそれらの下に埋もれている目立たない一人だったはず。だが、そう思おうとしても自分の中で自分は目立っているため、やはり最も注視されていたのでは——などと思えてしまうところもある。

「それはどうだろうなあ……わからない。あいつは動くものには何にだって噛みつきそうだしな。——でも、これからは注意したほうがいい、あいつ目の色を変えてるだろうさ」

 なぜかそんなことをちょっと楽しそうに語る。

「それは何色なんだ?」

「え……? そうだな、赤じゃないか。血の色だよ」

 もう西地帯に入るのは難しい、そう思うと嫌に窮屈に感じた。案内人としては致命傷にも感じる。変装すれば入れないことはない(それでも怖い)だろうが、変装して案内するのは妙にしっくりこない。ただニアーナを探しにいく分には問題がない。変装していてもきっとすぐに気づかれる。

「こんなふうに楽しくサクリの悪口を言っていられるのは、ここが東地帯で、サクリが目の前にいないからだ。あそこでは常にヤツが目の前にいるようなもん……想像しただけで怖いな、こりゃあ」

 ロジカノは急に神妙になった。

「ねえねえハレル、すごかったんだって?」

 話に割って入るというより、話を打ち消してテキュが入ってきた。俺の左肩に両手を乗せてくる。無駄に近い。

「すごかったって、何がだ?」

「何がって……西地帯のコワーイ人と張り合ったんでしょ?」

 俺から離れて、想像の中の怖い人がしそうなポーズなのか、何やら構えている。この街の外にしか興味がなさそうなテキュが少し興奮気味に話してくるのが意外だった。

「人を殺そうとしたんだ、それはすごいことじゃない」

 この街ではありふれていることだし、褒められることでもない。いや、場合によっては褒められるわけだが、誇れることではない。少なくとも自分の中では。

「でもでも、みんな言ってるよ? こんなことが起きたからにはハレルは覚悟を決めるだろう、トウタリの次代を担う存在になるだろう、って。さすがあたしが見込んだ男だよね!」

 テキュは褒める……というか、おだてるようなつもりで言っているのだろうが、その話は俺の知らないところで俺が勝手に動いているかのような気分のよくないものだった。

「トウタリの次代を担うのはロジカノで決まってる。聞こえてるんだから、傷つくぞ」

「いやいや、勢いで幹部にこそなったが、所詮はそこまでの男だ。ハレルは容赦なくオレを踏み台にすればいい、むしろしてくれ、踏んでくれ」

「そうそうハレル、このおじさんは調子のいいことばっっかり言うけど、いざというときはとことん頼りにならないんだから……まあ、家族を大切にしてるのは評価できるけど」

「よくぞ言ったテキュ! ただおじさんだけは違う、ダメだ」

 ロジカノという男は本当にそれでいいと思っているから怖いし強い。この男がいれば心配はないだろう。


 客に呼ばれてテキュが去っていく。ロジカノのいつもの勧誘にテキトーに付き合いつつ流しているうちに料理がきて、周りが静かになっていった——というか周りが気にならなくなっていった。ようやく、慣れた空気が戻ってきた。

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