第13話 去る者
目が覚めた。陽の光に満たされた部屋がやけに眩しい、忙しくまばたきをする。少しして慣れてからは天井をぼうっと見つめて、ひどくぼんやりした思考で自分の状況を考える。
すぐに思い至った。サクリにひどくやられて寝込んでいて、たぶんやっと起きたのだ。思考の鈍さや体の重さからずいぶん寝ていたのだろうが、見当がつかない。
腕を触ると出血は治まっており、焼きえぐり取られたところに肉が戻っていて安心する。ぐっすり寝ただけはある。
喉の渇きを覚えて甕から水を飲む。なぜかあの夜に水を飲んだときよりも甕の水が増えている気がするが……まあ、そんなこともあるのだろう。
「……ダメだ、水だけじゃ足りない」
異様な空腹感を埋めたい。食べ物なら何でも食べたい気分だ。自然と足は『銀の丘』に向かっている。頭が重くて戸惑うほどにフラフラした足取りになってしまうが、焦らずゆっくり進んでなんとか辿り着いた。
店の扉を開けると、フィノが驚いた顔をした。
「ハレル目が覚めたのっ⁉」
「ついさっき……」
「いま様子を見に行こうと思ってたの、遅かったか……無理に歩かせちゃったね……でも、とにかくよかった……」
どうやらフィノは俺の様子を見に来てくれていた、さらには面倒を見てくれていたのかもしれない。それはありがたいことではあったが、あんな姿を見られたと思うと恥ずかしい気もした。
「その……お腹がやけに空いてるんだ」
「わかった、早く座って」
肩を貸してくれる。一人で歩いていけるから別にいいと言ってもきかず、結局そのまま席に案内された。いつになく甲斐甲斐しいため、戸惑う。
「ロジカノって人に面倒を見てくれってお願いされて……それで初めて見たときは死んでると思った」
真顔で言われた。声音からも冗談ではないとわかる。
「それはさすがに大げさじゃないか?」
「大げさじゃないって——はい、これ食べて。ベッドが血で赤く染まってたんだから、思わないほうがおかしいよ」
「そ、そうだったのか……それは思うかも」
そういえば赤かった気がする——っていうか、かなりひどい格好で店にきてるな⁉ 血が染みた服だ、これ! 本来だったらつまみ出されているだろうが、いまは特別なのだろう。
「下手に動かしたら、なんならちょっと触れただけでも死んじゃうかもって思えるほどで、怖かった。さあ、とにかく食べて」
「ああ、ありがとう」
促されてパンを一口食べると、そこから止まらなくなった。あっという間に完食し、次のパンを食べる、完食、次のパン——を繰り返していく。おいしいと思うが味わっているのかはよくわからない。とにかく自分の中に落としていく、幾多のパンを。それでも終わりが見えない。自分は一体どこまで食べるのか不安にすらなってきたとき——
「ねえ、ハレル……ごめん、もうパンがない」
思わぬ形で終わりがやってきた。同時に、パンがないここは今は何屋なのかという疑問も湧いた。
フィノは困ったような申し訳なさそうな顔をしている、それか俺の異常な食欲に愕然としている。その表情を見たら我に返った気がして、なぜか満腹感もやってきた。
「かなり満足した……ありがとう」
値段とかどうでもよくて金貨を一枚テーブルに置いて席を立つ。大分ふらつき感は薄れてきている。
「こんなもらえない、っていうかお金はいいって」
「いいんだ……それと面倒みてくれてありがとう。ちなみにそれを含めての金貨じゃない、その礼はいつかする」
「どこか行く気でしょ」
「一旦部屋に戻って着替えて、依頼人に会ってくる」
会うというより、安否確認といったほうが正確だが、会うと言ったほうが説明がいらない。
「しばらくは大人しくしてたほうが——って言っても聞かないよね、気をつけてね!」
そんな言葉に背中を押されて店をあとにした。
リーガが無事だったのなら宿泊しているだろう宿にやってきた。
「リーガはいるか?」
もし『いない』と言われたらどうしよう、という緊張感と共に、あの受付、大柄の中年男性に聞くと、
「いるよ。ずっといる」
と返ってきてひとまず安堵する。ただ、男が渋い表情で答えたのは引っ掛かった。
「なにか問題でもあるのか?」
「問題かはわからない。何日も部屋から出てきたのを見てないってだけだ」
「生きてるかの確認はしてるよな」
「してない」
しろよ!
「あと十日ぐらい動きがなければする。とはいえ、その前にあんたがするだろう」
よくわからないやつだが、やけに堂々とはしている。
これ以上ここで話していても埒が明かない。確認に行っていいと言っているのだから遠慮なく向かう。
せっかく安堵したのも束の間、嫌な予感が充満してきた。それが外れることを願う。
リーガの部屋の前に着くと、扉を開ける前に呼び掛ける。
「リーガ……俺だ、ハレルだ。……リーガ? おい、いるなら返事をくれ!」
一向に返事はない。
つまりはいないということだ。なら諦めておとなしく帰ろう……とはならない。
扉を開く。木でできた扉が軋む。部屋の中はあたり前だが静まり返っている。静かとは違う、静まり返っている。その部屋の隅にリーガはいた、丸くなって。姿勢からして死んではいない、と思う。壁に向かっていて背中しか見えないため、なんとも言えない。もしかしたらリーガではない可能性もある。
まさか、サクリが送った刺客なのでは……いや、サクリは自分で殺したそうだった、ありえない。では誰が送った刺客なのか……そもそも刺客なのか。ただのリーガだろう。しかしなぜ反応がないのか。
恐れを抱きながらも、結局は向かっていくしかない。その体を揺する。
「おい、リーガ……大丈夫か?」
「うわあああああああああああっ⁉」
リーガは飛び跳ねた。その勢いは天井に直撃してもおかしくないほどだったが、全然天井に届きそうではなかった。
「だ、大丈夫か……?」
「ちょっと自分の世界に没入してた……って、おまえハレルか⁉ ハレルだよなっ⁉」
「そ、そうだが」
両肩を強く掴まれる。その勢いというか、さっきから一転した調子に圧倒される。
「生きてたんだな! ……よかったあ、僕はてっきりハレルも死んでしまったのだと……」
「殺されてたかもしれなかったが、まあ運がよかった。それと、ニアーナは死んだと決まったわけじゃない」
一転してリーガの表情が陰る。上がり下がり激しい。
「それは……わかってる。でも、もうわかってるだろ、あれから何日経った? 隣の部屋に物音は戻ってない。……それに、寝るたび寝るたび、夢の中に出てくる……そして責められる。違う、責められてはいないのかもしれない、だけど目覚めると責められてたように思えてくる。寝ないと彼女のことばっかり考えるし、寝ても考えるし……僕はもうどうすればいいのか」
特別何もない床を見つめながら語るリーガの姿は、苦しそうだった。まるで倒壊寸前の家屋を見ているようだ。これが、途方に暮れていると映る姿なのか。
「探そうとは、思わないのか?」
答えの見当はなんとなくつきつつも、聞いた。
「それは……。ハレルがいなくなったと思って、もう僕が探すしかないと思って何度も探しに行こうと思った……でも、情けないことに、この部屋を出ることすらできなかった。自分の弱さに愕然としたよ。今まで周りに振り回されつつも、どこかに自分の核はしっかりあって、それを誇って生きてきたつもりだった……そう、つもりだったんだ、そんなものはなかった。今の僕は、無知でか弱い子供よりも役に立たないぞ、ははは……」
自嘲して話している内容もそうだが、それよりもやけに饒舌なのが物悲しい。
もういいだろう。限界、頃合だ。
「そうだな、おまえは役立たずだ」
リーガは顔を上げ、目を見てきた。その目からは驚きや怒りは感じない、受け止めている。
「俺はまだニアーナを探すつもりだ。なにせまだまだ案内期間が残ってる。リーガに協力してもらっても悪くない。でも……そうすれば数日で、下手をすればその日のうちにおまえは死ぬ。リーガはそれを理解してるからこそ、この部屋から出られなかったんだ……よく耐えてくれたな」
目覚めて、もしリーガも消えていたら俺は相当力が抜けていたはずだった。リーガのおかげでそれを回避できた。
「もうこの街を出たほうがいい、準備は俺がする」
それしかないと誰よりもリーガが理解しているだろう。でも、それをしたらニアーナを見捨てることになるし、そうなれば自分はもっと苦しむことになる、それを恐れている。
「僕もそうしたい……けど」
「心配はいらない。街を出て、荒野を歩く、どんどん街が遠くなっていく。国に戻り、見慣れた街並みに、家族に再会する。その時に気づく、これは悪い夢だったと。そして悪い夢から覚めてる。だから大丈夫」
「全く信じられない」
迷いなく言い切られた。それも当然か。とんでもない夢の中にいても、人はそれを現実と受け取り必死に動く。リーガは今そこにいるようなもの、信じられるはずがないし、信じなくていい。
「だけど、それを……選ばせてもらうよ」
多少のためらいを見せつつも、その言葉と瞳は力強い。
「きっとすぐわかるよ。『僕にこの街は向いてなかったんだ』って」
「いや、それはとっくにわかってた」
決断してからは早かった。リーガはその日のうちにこの街を出た。準備は俺がすると言ったが、俺だけにさせるわけにはいかないとリーガは手伝ってくれた。だから準備が捗りその日のうちに街を出ることができた。その姿は活力が戻ってきたというか、ここで見てきたリーガの中でもっとも活力にあふれているように感じて、安心することができた。これならあの荒野も越えられると。
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