第12話 サクリ

 西地帯の娯楽街でニアーナを探して二人で歩き続けた。ザイキリの目には細心の注意を払う必要があった。探す対象は、よくわからないものから人に変わったため不自然さは消しやすいが、油断はできない。二人で水の入った片手で持てる酒瓶を持ちながら、歩き飲みしているのを装い行動した。今のところ怪しまれている感じはないが、ニアーナを見つけることもできていない。

 俺はもちろん、探し始めるとリーガはニアーナの気配を見ることがさっぱりなくなった。


 メインの通りより多少人通りが減る通りで、建物の壁に立ちながら背を預け、通りゆく人々を観察している。

 歩いていても、こうして待っていても案外遭遇の確率に大差はないのではという議論を経て、今はこうしている。動いていたほうが気分は楽だが、あまりに動き続けていると自分がいま危なっかしいのかそうでないのかが曖昧になってくる。冷静になるための休憩の意味もある。

 そう考えていたが、一気に緊張が走った。

「向こうからサクリが来る。絶対に目を合わせるな、見るなよ!」

 運悪くザイキリのボスが歩いてくる。

「あ、あの……化物がかっ⁉ ど、どうすればいい⁉」

「だから目を合わせるな、見るな! 絡まれたら、どうなるかわからない」

 本当は見当がつく。たぶん、リーガがすぐ想像するようなことが起きる。

 そんなやり取りをしているうちにも、取り巻きを連れたサクリはこっちに歩いてくる。何事もなく通りすぎるのを願って待つだけ。取り巻きとなにか話しているようだが、どうでもいい。とにかくさっさといなくなってくれ。


 なにか、鋭い物音が鳴った。


 ちょうどサクリが通りすぎようというとき、恐怖のあまりかなにか知らないが、リーガが持っていた酒瓶を落としてそれが割れた、その音。

 これでは喧嘩を売っているようなものだ。

「おいおい……ハハッ、こいつはもったいねえなあ……」

 当然のようにサクリはそれに反応した。ゆっくりとこっちに近づいてくる。

「あ……いや……こ、これは……」

 リーガの思考は、きっと言葉にするのが無理なほどの恐怖に占拠されていて、まともに言葉が出てこない。

「どうだ、お兄さん? オレと一緒に飲み直さねえか?」

 サクリの拳がリーガの頭蓋を粉々にせんと飛んでくる、俺は咄嗟にリーガの腕を引っ張り回避させる、サクリの拳はリーガの代わりに建物の壁に直撃し建物が崩壊した。


「全力で逃げろっ!」


 叫んでリーガの背中を押した。恐怖で足が動いてくれないことが心配だったが、彼は走りだす。死の恐怖を生きたい意思がまだ上回っている。

 俺は近くに積み重なっていた木箱を倒して妨害しつつ、サクリに酒瓶をプレゼントした、思いっきり投げて。それは直撃したが痛くないのか動揺はまったくなく、その眼力と佇まいは夜の闇に呑まれることがない威厳がある。潔く逃走を始めた。


 サクリが追ってきているかはわからないが、ヤツの取り巻きが騒ぎながら追ってくる。すぐにあの程度の障害は越えただろう、逃げ切れるかわからない。つかまればこの西地帯ではまず助けが来ない。逃げ切るしかない。

 もうリーガの姿は見えない。おそらく彼は大丈夫だ、東地帯に駆け込める。境界道にわりと近い通りだったのが幸いだった。

 とはいえ、すごく近いわけではない。追手の騒ぎように呼応したほかのザイキリ組員が逃げる先々で湧いてきて、それを避けるようにして逃げるためなかなか西地帯を脱出できない。逃げ始めるのが少し遅かっただけで、この差か。


 建物と建物の隙間、道ならざる道に駆け込み身を隠している。この騒ぎが起きないのが一番だったが、起きたのが夜だっただけマシだった。身を隠しやすい。とはいえ、相手もそれはわかっていて、こういうところを探している。もし見つかって挟み撃ちに遭えば終わりだ。

「おい、お前! おれの店の裏でなにをしている」

 瞬間、体が硬直した。

 すぐに追手ではないとわかり安堵する。

「ちょっと酔いがひどくて……ここで休ませてもらってる。ここは、やけに落ち着く」

 我ながら苦しくてつまらない言い訳だが、咄嗟にはこれしか出てこなかった。

 怪しまれてもおかしくないが、意外にも店主の反応は暖かかった。

「はは……変わり者だな、まあ、珍しくない。ゆっくり休んでいけ」

 すんなり納得して、裏口から店に戻っていく。

 俺はすぐに移動を始めた。

 すぐに追手がさっきの場所に駆け付けたのがわかった。

 雰囲気で告げにいくとわかりやすい店主だったのは助かった。きっと優しい人なのだろう。

 娯楽街一の賑わいを見せる通りに移動して、堂々と人波の中を歩いていく。これだけの人がいて、夜の暗さで顔をはっきり認識できていないとくれば、そう簡単には気づかれない。さっきいたのとは逆の方向からこの街を出よう。さすがにそこには追手が回っていないはず。


 読みは的中した。この手のことに慣れているだろうさすがのザイキリも、まだこっちには警戒が及んでいない。

 建物がまばらになってきて境界道もあと少しで現れる、そんなところで前方に人影が現れた。


「お前みたいな悪運が強いやつを潰すのが、オレは好きなんだ」


 最悪なことに、今もっとも会いたくない男、サクリが俺を待ち構えていた。おまけに興味のない趣味も知ってしまう。

 後ろを振り返ったが、悪運が強そうなやつはいないし、人の姿すらない。

 そんな俺のしぐさなど心底どうでもいいとばかりに、サクリに嘲笑や苛立ちはない。

「あの瓶を落とした間抜けな男なんて用じゃねえ。知ってるんだぜ案内人さん——」

 サクリはまるで俺のことを知っていたかのような口振りだ。

「お前がトウタリの寄こしてる偵察野郎だってことはな」

 そして俺も知らないこと情報を口にした。

「いやいや、俺はただの案内人——」

「トウタリの組員が集まる酒場の常連だってこともわかってる」

 思っていたよりも知っているようだ。とはいえ、それがトウタリの偵察野郎だという確証にはならない。だが、聞く耳は持たないだろう。なにせサクリは俺のことが怖くない。間違っていようが一応潰しておけばいいだけだ、くらいの考えのはず。

 サクリは酒瓶を懐から取り出すと、その中身を一気に飲んでいく。上を、空を見上げて、まるでそれが肴であるかのよう。そして飲み干す。

「ああ……。こうして思い出したように星空を見ると、やけに綺麗だ」

 感慨深そうに語ったあと、瓶が飛んできた。それは顔、左耳のすれすれを、風切り音を残して通過していく。当たっていたら終わっていた速度。

「……運がいい。だが、オレ相手には運頼みじゃ生き残れねえ!」

 とうとうサクリが向かってきた。巨体と年齢に似合わない軽やかな走り。

 俺はナイフを手に取り、思いっきり、星に突き刺さる勢いで上空に放り投げた。

 サクリに首を鷲掴みにされる。片手で掴まれているのに、首全体を包み込まれて圧迫され、そのまま持ち上げられる。息ができないし、声が出ない。

「なんだ? 思ったより歯ごたえがねえな。もう少し楽しませてくれよ、おいっ!」

 俺はサクリの背中側に回り、ナイフをその広い背中に突き刺した——と思ったが、ナイフの刃が砕け散った。

 こいつは噂以上だとあきれつつも感心したとき、サクリの蹴りが飛んできた。かろうじて回避したが、次々と飛んできて避けることに追われる。反撃の隙がないしサクリの蹴りを受けたら三度は死ねるだろうから避けるしかない。

 気づけば両腕をガッチリと掴まれていた。

「ちっとはやるようだが……それじゃあオレは殺せねえぞ。はは……」

 焦げ臭いにおいがする、すぐ近くから。

 サクリに掴まれた腕部分の服が焼け消えていく。次いで指が腕に、腕の肉に食い込んできて焼いてくる。

「ぐっ……うあああああああっ!」

 あまりの激痛に叫びしか出てこない。強がりも抗議も懇願も出てこない。

「ははは、このまま腕を焼き切ってやる」

 今なら造作もなく殺せる、さっきから殺す機会などいつでもあったはずなのに、そうはしない。遊んでいるんだ……この男は。

 肉を過ぎ、骨が焼かれていく。今でも十分絶望的だが、本当の絶望はちょっと先にある。蹴りを一つや二つを入れてやりたいが痛すぎて動けない。

「あ……?」

 サクリが不思議そうな声を上げた。その肩口にさっき空高く放り投げたナイフが噛みついている。

 ナイフはサクリの肉を食いちぎり、肉をえぐり出し、その内部に沈んでいく。

「うっ、ぐおああああああっ⁉」

 さすがに痛かったのだろう、雄叫びを上げた。

 ナイフはお構いなしに沈んでいきもう少しで内部に完全に入り込む。そうなれば、たとえサクリでもズタズタに荒らされて終わる、俺と共に。

 残念ながらその気はなかったのか、俺から手を放してナイフの柄を掴み、抜き出そうとする。

「うおああああ、こいつ……クソがあああああっ!」

 ぐちゅぐちゅとした音と共に抜き出したナイフは勢い余って彼方へと飛んでいった。サクリは息がやけに荒くなり、大きく肩を上下させている。

「油断……したな——はあ。……もう、終わりだ。殺して——うぐあっ」

 サクリの足に矢が突き刺さった。やったのは俺じゃない。

 その一矢を皮切りに、矢の暴風が吹き荒れる。

「うおっ——あぶなっ⁉」

 それはサクリを狙っているのかもしれないが、その近くにいる俺も変わらないぐらい危ない。足元に次々矢が突き刺さっていく。

「あのガキどもが……こざかしいわっ!」

 サクリは傷を負ってない側の腕を一閃、本当の暴風で矢を押し返す。

 相手に心当たりがあるようで、どうやら無視できない相手らしい。ザイキリの反乱勢力かもしれない。ボスが一人でいるわけだから絶好のチャンスだ。

 矢の相手をしているためサクリは俺に背を向けている。隙があるが、ここで突っ込めば矢の餌食になるしサクリの命に興味はないので後退する。そして俺もサクリに背を向け、駆け出す。

 その時サクリが叫んだので思わず立ち止まる。


「勝手に死ぬんじゃねえぞ! お前はオレが殺す!」


「もう会わないだろ!」

 今度こそ駆け出し西地帯を出た。


 部屋への帰り道はひどかった。

 サクリに焼かれてえぐられた肉、そこからの出血が止まらない。両腕がやけに熱くて——これは痛い、激痛なのか……それにしても熱い——苦しみながら一歩一歩きた。

 なるべく人通りが少ない道を選んで歩いたが、すれ違う人にはぎょっとされた、悲鳴を上げた人もいた、そして誰も関わろうとしない。まあ、どうでもいいことだ。……いや、こうして考えているのだからどうでもよくないのかも。

 きっと道のあちこちに俺の鮮血だったものが染み入っている。それは街を汚しているようで気分がよくなかったが、どうしようもなかった。赤土だから血が目立たないのは救いだ。

 部屋に着くと、かろうじて動く腕を使って甕の水を飲み、ベッドに横になった。

 どっと安心感が押し寄せてくると、腕にあった熱さは全身に巡ってきてますます苦しくなってきた。まるでサクリの毒に蝕まれているようで気分が悪い。

 リーガのことが気になるが、こんな状態では確認に行けない。しっかり休んでからだ、きっと丸三日ぐらい寝続ければ回復する。それからだ。


 苦しいのに眠れそうなのは幸い。

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