第10話 偉大な泉

 西地帯に向けて長くて緩やかな登りと下りが続く道を歩き続けた。どこで鍛えたのか二人は体力があって、まったくバテる気配がなく、とても疲れたなどと言える空気ではなかったが、おそらく疲れてはいなかった。

「あれ? なにここ、もう西地帯に着いたの?」

 ここまで真っすぐに生きてきた道に初めて岐路が現れた。

「ここを真っすぐいったところにある泉を避けるためにこうなってる。右に行こうが左に行こうがどっちにしても西地帯に辿り着けるが、どっちを選んでも後悔しないってことではない」

 選択肢があるとは贅沢だが難しい。

「その泉を見てみたいわ。このまま真っすぐいきましょう」

 選択肢を自ら作れるのは素晴らしい。

「残念だが、それは無理だ。この泉はこの街の貴重な水源だ、立ち入りは禁止されているし、見張りは堅い。死を覚悟すれば見れるかもしれないが、実は俺も見たことがない」

 泉はこの街がある丘で一番高いとされるところにあり、一帯に潤いをもたらしている。この泉がなければ乾燥地帯のここに街ができることはなかった。重要な場所のため、四大組織が協力して泉を荒そうとする者(いるのかは不明)から守っている。普段は敵対関係でも、この泉の前では協力しあえるのだ、泉は偉大だ。

「大丈夫よ、見張りに気づかれないようにこっそり見ればいんだから!」

 ニアーナは道から外れて泉がある方向に向けて駆け出した、まるで恐れを知らない無邪気な子供のように。

 愕然としているうちにその姿は木々の向こうに消えていく。

「ちょっと待てっ!」

 はっとして声を出すも遅い、届かなかっただろう。きっと、駆け出した瞬間に言っても届かなかった。

「あ、あいつ何やってるんだ⁉ どどど、どうする⁉」

 リーガはニアーナの奇行に混乱している。それは俺も同じ。

「リーガはあそこの茂みに隠れて待機していてくれ。下手に通行人と関わるなよ」

 この地はこの泉が近い周辺は緑が豊かで、隠れるのは難しくない。

「で、でもっ……僕も行ったほうが……」

「命が惜しいんだろ、力を探すためならまだしも、ここでそれを賭ける必要はない。しっかり隠れてるんだ!」

 言い放って俺は駆け出した、ぐたぐたと話している暇はなかったから。

 林に入ったが、ニアーナの姿は見えない。鬱蒼としていて見逃している可能性もあるが、あの感じだとかくれんぼをしているとは思えない。彼女のことだ、目的へ向けて寄り道などせず猪突猛進だろう。

 あまり探すことに集中せず先を急ぐ、気配があれば見逃さないと思い込んで。声は出せない、見張りに気づかれれば終わりだ。来たことのないところのため、もうすでに良くないところに踏み込んでいる嫌な感じがある。実際、この林に入る時点で良くない。

 ただ、良くないとも言い切れない。ここに見張りがいることも泉があることも俺の中ではまだ現実に近い幻想だ。見たこともないのに話を聞いただけであると思い込んでいる。突飛な話でも昔話ならもしかしたら本当にあったのではと思えたりする、突飛な話ではなければ確かめてなくても意外と素直に信じられる。それが嘘だったと今日暴いてしまうかもしれない……だが、その進みは慎重、なるべく音を立てないように走っている。


「おい、いま何か音がしなかったか?」

 しばらく進んだとき、そんな声が聞こえた。全身に冷たい血が巡る。

 慌てて立ち止まって木の陰に身を隠してあたりを見回すと、木々の向こうに小屋があることに気づく。小枝の折れる音がする、誰かが近づいてきている!


 目が合った。


「侵入者だ! 追うぞ!」

 駆け出した。

 自分の目で、見張りらしき人がいたことを確認できた喜びを噛みしめる暇はない。通った道だろうが違かろうが迷いなく駆けていく。なぜこういう時は迷いが消えるのだろうか、無性に今を生きているという感じがする、すぐそこに死があるとしても。

 追手は何人いるのかはわからないが、声を出し合いながら賑やかに追ってくる。その賑やかさは底なしの獰猛さだ。きっとこれは狩り、食らうための狩りではない、殺すための狩り。楽しんでいる、楽しんでいる人間は手ごわい。

 でも大丈夫、俺は狩りなどでは殺されない。

 声や足音が近づいてきている。確実に迫られてきている。そもそもの体力の差か、こうなる前に走っていた疲労の差か。追う側は俺の姿が見えていて、追われる側が相手の姿を見られないのは卑怯だ。見つかる前なら隠れられても、見つかってから隠れられるようなところはない。

 まだ焦る距離ではない、逃げ切れる。そのうち相手がバテる。

 突然、嫌な気分に襲われる。

 これではまるで、依頼人を見捨てた案内人と同じだ。ニアーナが心配で追いかけてきたはずが、自分が追いかけられたらそんな心配そっちのけで逃げ回っている、彼女もいま追われているかもしれないのに。いくら彼女の暴走だったとはいえ、それに付き合うのも案内人の宿命、でなければ案内人ではない。そう考えながら逃げている。

 幸運も不運も、不意打ちでやってくる。

 賑やかな声に呼応したのだろう、挟み撃ちするように向かいからも追手がやってきた。

 避けようと方向転換するが、それを予期して後ろから来ていた追手が展開していて、隙がなくなっている。その光景に戸惑っているうちに、追手が多方から詰め寄ってくる。落ち着いてよく見ると、追手たちは特別楽しそうにしていない。

 取り押さえられてあっけなく地に伏した。

「へへっ、なんで悪党って、逃げ足だけは速いのかね」

「言えてんな、それ。この街の不思議十選に加えようぜ」

「問題はなにを抜くかだな、候補は?」

「この街の悪党は不思議十選の話でなぜ盛り上がるのか?を抜いたらどうだ?」

「ふざけてんじゃねえぞテメエっ!」

 頭を踏みつけられました。

 ナイフを取り出したのが雰囲気でわかった。

「いま殺してやったっていいんだ」

「ちょっと待ってください、こいつの処分はおれたちに任せて、皆さんは見張りに戻ってください。こいつは囮で、仲間が泉を狙っているかもしれません」

「そんなのお前らが行けばいいだろ、俺らはこいつを泣かせねえと気が済まねえよ!」

「おれたちでは力不足の恐れがあるから、優秀な皆さんに戻ってほしいんです」

「……ほう、聞いたか?」

「ああ、よくわかってる」

「こいつらの言う通りだ、早く戻ろう」

「援護助かった。よーく話を聞き出したあと、こいつをしっかりゴミ箱にぶち込んどいてくれよ」

 幾人かの男はこの場を去るようだ、歩き出した。しかし、一人が立ち止まって振り返った気がした。


「ところで……お前たちは何だ?」


「共に泉を守っている者ですよ、どうしてですか?」

「……いや、なんでもない。そうだよな、気にしないでくれ」

 今度こそ男たちは去って行く。

 気配からして三人がこの場に残った。場所を変えるのか、起きあげられて歩かされる。どこに向かっているのかはわからない。結局、さっきと大して違いのわからない場所で止まった。

「あんたがこんな無謀なことをするとは意外だった」

「どうしても口を挟みたくなったんだ」

「そうじゃない! いやそれもだが、この地に入ったことを言ってる」

 この三人はトウタリの組員で、『夜空の太陽』の常連、面識がある男たちだ。この三人がきてくれたのは幸運だった。


 事情を正直に話すと、ある程度の理解は示してくれたが、ロジカノには報告するとのことで『夜空の太陽』行きにくくなったが近いうちに行くだろう。

 ニアーナのことは諦めろと言われた、もしまた見つかったら次は庇いきれないと。彼女が無事戻ってきてくれていることを期待して、一旦は戻るしかなさそうだ。

「かなり助かった。これでいい酒を飲んでくれ」

 三人に銀貨を一枚ずつ渡す。それを期待して助けてくれたわけでないことはわかっていたが、だからこそ渡したくなった、つい。三人は複雑そうな表情を見せたが悪い気もしていないようで素直に受け取ってくれた。

「これでロジカノさんに報告しないとかは——」

「わかってる。単なる感謝の気持ちだ。あと、もうここに踏み入ることはない、多分」

 複雑な表情が続いた。俺はそんな表情に別れを告げてその場を立ち去った。

 この街の掟で考えれば彼らは間違っている、あの獰猛な狩人たちが正しい。ただ、この街にこういう間違い、隙間がある、この隙間があるからこそこの街はこの街でいられる。

「なんでのこのこと歩いてやがる」

 男が現れた。確か、獰猛な狩人の一人で、最後に質問をしてきた男だ。

「あんた獣かなんかか? 嗅覚がすごいな」

 俺の言葉に男は口の端を吊り上げた。すごく楽しそう。

「どうってことねえよ。あんなのに気づかないほうがおかしい」

 泉の見張りをしていたトウタリの三人が来たのは偶然だった。だから不自然ではなかったはず。最後に多少強引なところがあったが、俺を見逃す可能性を疑ったこの男は冴えている。

「別にお前が生きてようが死んでようがどうってことはねえ、たんまり蓄えてんだろ? それをこっちに渡してくれればな。はは、こっちの嗅覚はすごいんだ、まあ……金の獣ってとこだな。ははは」

 愉快そうに笑っている。一人で会いに来たのは独り占めするためだろう、そのためにあえて見逃した。腕っぷしにも自信があるからできることでもある。

「全部渡せば、見逃してくれるってことか?」

「そうだ。ただ、素直に全部渡すことだ。オレは嗅覚がすごい、疑わしい場合殺して落ち着いて確かめる必要がある」

 もしかしたら、どっちにしても殺す気かもしれない。ただ、渡せば殺されない可能性もある。目や表情を見る限りでは、約束をしてもそれが守られるとは思えない。

「渡さなかったら?」

「渡さないわけがない。そうだろ? ……あー、この問答必要か? さっさと殺しちまえばいいんだよ。そうだ、殺しちまえばいい」

「そうか」

 男はナイフを手に取った。

 こういうやつは弱く出られれば強く出て、強く出られれば強く出る。交渉のしようがない、特に一対一では。

 俺もナイフを手に取った。

 逃げるわけにはいかない。ここで逃げれば逃げ切れるかもしれないが逃げ切れないかもしれない。その計算をする必要はない。ここで逃げれば助けてくれた三人の身も危ない。仲間を上手く丸め込んであの三人を揺すりにいくだろう、この男は。ここで逃げれば案内人以前、人として失格だ。

「はっはっは!」

 男は喜々として悲しみながら迫ってくる。俺がお金の塊にでも見えているのか、よだれを垂らしながら走ってくる。そこには血が混じっている。そのよだれで滑ったのか、俺を目前にして転倒する。ナイフを持っている腕を思いっきり踏みつけると、それを落とす。踏みつけた腕に拾ったそのナイフを突き刺した。刃が腕を貫通して地面に到達したことによって男は地に縫い付けられる。

「……まっ、待っでぐれ! はなじ、話し合おう! いでぇ……。オレはお前を殺そうなんて思ってねえんだ! 大人しく金さえ渡してぐれ、げるれば、殺したりなんで……」

「話し合いならさっきしただろ。『殺しちまえばいい』って貴重な助言ももらった。それで十分だ」

「そうだ、殺しちまえばいい! 違う、殺すな! そうだ殺す、殺せ!」

 いまいち何を言っているのかわからない。


 それから聞けば聞くほど意味不明なことを言い、どんどん何を言っているのかわからなくなっていったが、もしかしたらそれは、俺が男の言葉を聞く意思がなかったからかもしれない。男はいつものように話していたのかも。そして男はいよいよ静かになった。

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