第9話 境界道

「『東の魔境』に行ったって……ハレル一体どこにそんなお金があるの……?」

 あの店は娯楽街にめったに行かないフィノでも、フィノに限らず東地帯に住んでいる人ならほとんどが知っている。あの店を知っているというより、あの店の噂を知っている。

「そんなの俺に聞かないでくれ」

「ハレルを置いてほかにいな……言いたくないのね、わかってる」

 フィノはあきれたような諦めたような表情になった。

 今日も『銀の丘』の窓辺で遅めの朝食にしながらフィノと話している。

「まあ、二人とも楽しんでくれたみたいでよかったよ。一つこの街のいい思い出が増えてくれたんだとすればいいな」

 力を見つけられるかは置いておくとして、二人が国に帰ったときに散々な思い出しかなくては悲しすぎる。いい思い出があれば悪い思い出もいつの間にかいい思い出になっていたりする。

「話を聞いた限りだと、早くもそのニアーナって女性とずいぶん仲良くなったように感じるけど?」

 リーガとは仲良くなっているように感じていないということだろうか……確かになっていないかもしれないが。

「それはどうだろう……無理してるかもしれない。少し無理してでも良好なフリをしてたほうが総合的にみれば面倒じゃないこともあるだろうからな」

 意外そうな顔をしたフィノは、次に複雑そうな顔になって口を開く。

「それってつまり、私との関係が悪くなるとここに来にくくなって朝食の問題がでるから……無理して私との良好な関係を続けてるってこと?」

 なぜそんな方向に飛躍してしまうのかと動揺して、なぜかフィノの目を凝視してしまう。

「な、なんでそんなに見るの? ……っていうか返事は?」

 つまりフィノは、俺と良好な関係にあると思ってくれているらしい。今にして思えば、いくら商売とはいえわざわざ話したくない客に話しかける必要はないわけだ。そもそも、今にして思わなくてもそれは知っていた気がする。

「別に……それが嫌なら隣のパン屋に行けばいいだけだろ?」

「……それもそうだよね、隣にパン屋があればね」

「素直に言おう、嫌じゃない、むしろ嫌じゃない」

「それなら、私も『東の魔境』に連れていってよ」

 確かにそれもそうだ。

「まあ、大人になったらな」

「私いま二十一だよ? いつまでも子供じゃない」

 初めて会ったときは子供っぽかったのに……そのときは俺もそれなりに子供だったのだが……。

「なら、大人の女性になったら、かな?」

「ハレルだって大人の男じゃないじゃん」

 子供の頃はそのくらいになったら大の大人だと思っていたのにいざ自分がなってみると大の子供で心細くて、どこに大人が転がっているのか探し続けている。

「じゃあ、今度連れていく」

「ふふ、いいって。それよりも、また明日もきてね」

 なんでそんな嬉しそうにそんなことを言うのか、なぜか少し悔しい。もしかしたら大人は自分の中にはないのか。


 昨日であっけなく心の準備期間は終わった。今日は西地帯へ『力』を探しにいく。西地帯に行ったことはもちろんあるが、それを探したことは俺個人ではまともにない。勝手知らない地帯ではどうなれば危険でどうなっていなければ安心かの目安が曖昧で動きにくいため、簡単にはできない。

 特に西地帯を支配するザイキリはその手の輩に過敏でうるさい。ザイキリはこの街で一番『力』の捜索に積極的で一番暴力的な組織と言われている。他地帯に積極的に組員を送り込みなにかとトラブルを起こす。支配する西地帯でも何かと事件を起こしていると聞く。怪しきは罰する方針で幾度となく酷な目にあってきた人々がいると。

 そんなザイキリの根源と言える存在は、ボスであるサクリで間違いない。サクリは五十を超える中年だが老いぼれるどころか歳を重ねるごとに野心的なっているらしく、その巨体の隆々とした筋肉は若い頃よりも強靭になっていると評判だ。トウタリのボスのデリットとは三十年来の腐れ縁で、なにかと張り合っているらしい、サクリが。

「そんな化物みたいなヤツがいるって……僕は本当に、生きて国に帰れるのか……?」

 俺から簡単に西地帯の説明を受けたリーガはまだ見ぬ世界への期待に体を震わせている。

「少し脅すようになったかもしれないが、過剰な心配はいらない。これまで案内人として何度も西地帯にいったことがあるが、目立ったトラブルはなかった」

 ただ、力を探す目的で西地帯に行くことは多くなかった、それだけに俺も不安だがこれ以上脅しても逆効果だと考え、それは口にしない。

 サクリの姿は一度目撃したことがある。そのとき理屈に関係なく感じた、こいつに関わると死ぬ、と。

「覚悟を決めるしかないわ、リーガ……。国に生きて帰りたいなら冷静さを失わないこと。それさえ守れれば私たちは死なない、わかるでしょ?」

 以前この街に来て力を捜索した仲間の二人が西地帯で怪しい影——とでも言うのか、何か赤黒い浮遊体のようなものがさ迷っているのを見つけたらしく、その正体を暴くことはできなかったが今回それを二人が探すことは決まっていたとのことで、西地帯を素通りすることはできないらしい。

 そんな浮遊体の噂は聞いたことがない。知らない国の噂ならそんなものもいるのかもしれないと思えるが、住んでいるこの街となるといまひとつ現実感が薄い。だからこそ現れそうな気がするし、現れなくても驚かない。

「どうしても命が惜しいなら、やめたほうがいいと思うが」

 リーガが不憫に思えてきた。大切な家族と平穏に暮らしていたかっただけの男が、野望の渦に巻き込まれて苦しんでいる、さすがに演技ではないとわかる。

「舐めないで、私たちは勇敢なんだから。案内人なんて命の危機が来たら我先にと逃げ出す卑怯者だってことはわかってるんだから、どうせ本当は行きたくないんでしょ、あなたも。それとも私たちがそのザイキリに捕まればラッキー、って認識? お金は十分もらったしこれ以上案内する必要もなくなった、って。まあ、どっちでもいいけどね」

 姫がご乱心だ。

「おい、その時の案内人がどんなやつだったかはわからないんだ、ハレルがそういう人物だと決めつけるのはおかしい、撤回しろ」

「その時の案内人がハレルだったとしたら? 今は責任を持って危機に瀕しても案内を続けてくれる誇り高い人に変わってくれてることに期待するの?」

 なんでもその赤黒い浮遊体を見つけたときの二人はザイキリ襲われたらしく、一人は難を逃れて国に帰ったが、もう一人はその後どうなったかわからないとのことで、そのときの案内人は二人そっちのけでいの一番に逃げ出した……らしいのだ。

「言っておくが俺は万能じゃない。二人よりこの土地の事情に詳しいぐらいだ。いざというときは俺よりも自分や仲間を信じたほうがいい。……ただ、一応それなりに真っ当なつもりだ、なるべくは二人の期待に応えたいと思ってる。さあ、議論は終わりだ、そろそろ東地帯を出る」

 東地帯からほかの地帯への移動は難しくない。地帯の境となる幅広い道、境界道こそあるが、あくまでここは一つの街、自由に往来することができる。自己責任で。

「なんか、すごく清々しい道ね……ここは」

 境界道に立ったニアーナは、一度深く呼吸をした。

 ここにいるときはどの地帯にもいない。この街にはここまで幅広くてここまで真っすぐ延びている道はここぐらいだ。物資を移動するには重要な道だが、人通りは多くない。この道は街への入口でもあるため、二人はこの延びていく道の一部には立ったことがあったはずだ。この道を使わなくても街に入れないことはないが、わざわざする必要はないこと。

 これから向かう西方向を見れば、天から降り注ぐ日差しを受けて赤紫の輝きを見せている岩山・ゴンガレ山が、建物に削られることなく、雄大に構えている。ゴンガレ山はそのときの気分で繊細にその色を変える。今は……たぶん機嫌がいい。

「風が気持ちいいな」

 ゴンガレ山から下りてくる今は穏やかな風を受けてリーガは目を細める。

 案内人をやっていると、いつも依頼人の言葉は新鮮に感じる。俺はもう、いちいちこの街の道や風や音や建物に深い感じを覚えなくなってしまっているが、この街に来て日が浅い人の感想を聞くと、ふとどこかに引っ張り戻される気がして安心する。

「こっちはどんなところなんだ」

 リーガがこの道を横断するとすぐ入れる北地帯を指さす。

「そっちは北地帯……ってことはわかってると思うが、まあ特徴としては女性による接待が充実してるな、ここの娯楽街は。もしかして、行きたいのか?」

 思わず口元に笑みを浮かべながら聞いた。

「あ、いや……それは」

 リーガの顔が青ざめてくる。まるで魔窟を見つめるかのように北地帯に目線を向けた、ように見えたが向けていないのかも。

「これだから男って最低よね」

 俺たちを見ないでニアーナはぼやいた。

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