第8話 東の魔境
陽が落ちて暗くなり、日中より増して不穏な空気が街に漂っている。
あれからは乱暴な方たちが好まなさそうな飲食店に入り昼食をとりながら街の様子を観察していた。ちょっと引いた位置から街の人を見ているとその中にいたときには気にする余裕がなかったところに意識を向けることができる。落ち着いて食事をしたこのあたりから、それなりに二人から浮ついている感じが消えてきたが、消えたかというと消えていない。
そこを夕暮れ時に出てからはまたうろついていた。暗くなってくると気の合う仲間なのかどうかは不明だが三人から五人ほどの小規模な集団が目立つようになる。
道端に座り込んでいる誰かを取り囲んでいる男四人の集団がいる。言葉遣いは荒く、お金を巻き上げようと大声で威圧している。こうなってしまっては出さないわけにはいかないだろう。出さなければまず暴力がやってくる、下手をすれば死ぬ。しかしその者は頑なに出そうとはしないようで、威圧に耐え続けている。助けにいく気もないのに、俺たちはその場から動くことができない、次に何が起こるのか怖いが目が離せない。するとしびれを切らした男たちはその者に危害を加える——のではなく、あきらめたようにその場を去っていく。男たちがいなくなったそこから姿を現したのは犬だった。
「俺もあんなふうに強く生きられればいいんだが……」
犬の威風堂々とした座りっぷりに見とれる。周りの人々から拍手が沸き起こる。犬をたたえる万雷の拍手。あの犬は弱者に見えて実は強者なのだ。あの状況で悲鳴も上げずお金を出そうともせず逃げ出そうともしなかった、男たちは犬を見逃したのではない、恐れをなして逃げ出したのだ。手を出さずとも撃退する、まさに強者の証。
「絶対におかしいわよ……この街も、あなたも」
二人は目の前の光景がしっくりきていないようだ。無理もない、二人はここにきてまだ日が浅い。
拍手が落ち着いてきたころ俺たちはこの場を去ることにする。犬に敬意の視線を送ってから歩きだすと、すぐに目当てのギャンブル店に辿り着いた。店の中から明かりが外に漏れてきている。夜の『夜明け通り』は店から漏れる明かりでけっこう明るい。まるで夜明けなど感じさせないと言わんばかり、通りの名前と張り合っているかのようだが、結局いつもここには夜明けがくるらしい。
「なにか賑やかな声がするわね、なにこの『東の魔境』とかセンスのない名前の店は?」
「ギャンブル店だ。この娯楽街で一番人気の店だ」
そう説明している間にも、客が入店していっている。扉が開くたびに喧騒と金管楽器を主とした演奏が漏れ聞こえてきて、別世界への入口がすぐそこにあるのだと実感する。
「十何年か前まではこの娯楽街一番の不人気店だったが現在の経営者になってから——」
「そんな解説はどうでもいい! ギャンブルなんて僕たちがするわけないだろ!」
「死ぬのを覚悟してでもギャンブルをしたくてこのメルブートを目指す者が一番多いんだぞ、それなのに、せっかく辿り着いたのに、この街のギャンブルを一回も体験しないのか?」
とは言っているものの、俺はあまりギャンブルが好きではない。理由は特にないがあえてあげるならやる気が出ないから。
「僕たちの目的を忘れてないだろうな⁉」
リーガは多少学んだようで小声で言った。
「明日から遊ぶ余裕がなくなるし、もしかしたら死ぬかもしれなと感じることも多くなる、もし死ぬときに一回ギャンブルをしたかどうかで気分が全然違う。してないとこの街で死ねないが、してればこの街で死ねる」
「まるで死んだことがあるような言い方だな! 冗談はいい加減にしてくれ、この街で死ぬことなんて考えたくもないっ!」
「私は……ちょっと興味あるかな、この街のギャンブル」
「実は僕も、一度は味わってみても悪くないとは思ってる」
紆余曲折あったが入ることになった。
入店するとまず目を見張るのは華やかな内装だ。どっかの国の王族でもこんな空間は知らないだろう夢にもでないだろう光景。もちろん俺は王族ではないから勝手な決めつけだ。一角にある舞台には演奏者がいてその音を体で感じると、またここにやってきたのだという感じがきて何故か少し嬉しくなる。そして人々の一喜一憂が場を不安定にさせる。
この空気を味わうだけでも、ここに来る価値がある。
興味があったようだったニアーナも渋っていたリーガも初めての雰囲気に圧倒されているのか言葉を失っている。そこに——
「ようこそいらっしゃいました、ハレル様!」
一人の男性がやってきた。気の良さそうな笑顔を浮かべているふくよかな体型の中年だ。
「ああ、これはどうも」
強引に握手をさせられて戸惑うがそんなことはお構いなしに腕を振ってくる。
「……入場料を払いたいんだが」
「ああ、そうでした、そのために挨拶にきたんでした。一人銀貨三枚となります」
男、この店のオーナーであるバルークは俺とその後ろにいる二人を見つめて相変わらず気のいい笑みを浮かべている。
「入場料で銀貨三枚って……ぼったくりだろ」
「ええ、そうね」
店に入ったときは感動的な戸惑いがあったように見えた二人は、その額を聞いて一気に現実に引き戻されたようだ。お金とは本当に怖い。
その会話が聞こえたのだろう、笑顔を浮かべていたバルークの片方の眉がピクリと動いた。
「悪いな、二人はこの街の初心者なんだ、これの価値は後で教えておく」
バルークにしか聞こえないよう小声で言った。
「いえいえ、わかってますよ、しょうがないことです」
彼も小声で返した。
「あー……三人分を俺が出す」
気を取り直して銀貨を九枚取り出して渡す。
バルークは銀貨を丁寧に数えていくと、「おや……? ハレル様、銀貨が一枚足りませんね」といったことがないのがこの店のいいところだ。
「おや……? ハレル様、銀貨が一枚多いですね」
「いや、返さなくていい……きっとバルークの手の中で増えたんだろう」
「おかしなことがあるものですね」
「まったくだ」
二人で笑い合う。
正直者のオーナーがいる店は本当に気分がいい。
バルークは忙しい、すぐに次の仕事に向けて去っていった。従業員も充実していて休んでいてもいいはずなのになぜかオーナーの彼が一番忙しそうに見える。俺が初めてこの店にロジカノに連れられてきたときからそうだった。
「おいハレル、入場料で銀貨三枚取るなんて、もっとほかにいい店があったんじゃないか?」
「ある程度人物をふるい落とすための仕掛けだ。賭けでの勝敗が生きるか死ぬかに直結してるようなやつらが集まってるとこにいって俺たちが楽しめるか?」
二人は店内を見回す。賭けに負けてガッカリしている人や面白くなさそうな人はいても絶望に打ちひしがれている人がいないことはすぐに感じただろう。
「もっとも、そういうところがご所望なら——」
「さーて、どんな勝負が僕を待ってるのかなー?」
似合わない陽気な、嘘くさい陽気さを出して話を打ち消すリーガ。勝手知らない空間のはずなのに一人でふらふらと奥へと進んでいってしまう。おかしい、ギャンブルに消極的だったはずなのに積極的、少し心配になるが、まあいずれ再会するだろう。
「まずは軽いお酒でも飲みながら周りの勝負を拝見しよう」
「それもそうね、いきなり勝負事に身を投じると楽しむ余裕がなくなりそう」
勝負事は好きなのかもしれないが、それに熱中するあまり周りが見えなくなり囚われる危険性を把握していて、そうならないよう自分を抑制する心得をニアーナは持っているようだ。さすがにこの街に送り込まれただけはある。
それからしばらくは、ニアーナを案内しつつ『東の魔境』の雰囲気を楽しんだ。彼女は勘がいいのか参加する勝負でことごとく勝ち続け、この日、この時間、この場所でもっとも有名な人物になった。ついには勝利の女神が降臨したのだと騒ぎになった。それでも彼女はけっしてつけ上がることなく、冷静に対応していて絶対に少額しか賭けない、そこに感心した。楽しむ余裕を忘れていなかったのだ。
気になったのは、一向にリーガが姿を現さないこと。ニアーナは余裕をたもってはいるが何故か彼を気にかける様子がまったくない。まるで俺しかリーガのことを覚えていないような心細い気分になり、探しに向かう。
店内を探し回るが、なかなか彼の姿が見つからない。探しに向かって初めて、別れてから一度も彼の姿を見かけていない不自然さに気づいた。それにニアーナはあれだけ目立っているので、リーガが声をかけてこないのは不気味ですらある。そもそも、彼はこの店の奥に向かったのだがこの店はそこまで奥が深いわけではない。
「やあ、ハレル。楽しんでる?」
背中側から声がした。リーガの声だ。
安心感が押し寄せたのも束の間、恐怖を感じた。なぜかはわからない、なぜか振り向くのが怖い。
店内には気分を高揚させる演奏、陽気な音楽が目立って目立ちすぎないで流れている。
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