第7話 夜明け通り

「え……依頼者の夫婦って夫婦じゃなかったの⁉」

 今日も『銀の丘』のいつもの場所でフィノの雑談に付き合わされている。すでに買ったパンは食べ終わった。そうなる時間帯に来ている俺が悪いのだが、盛況なときに来るのは気が乗らないし、その時間帯は部屋でごろごろしていたい。それと、話すのが嫌なわけではないからこれでいいと思っているのかもしれない。

 別にする必要はないのだが、話に触れられたので一応訂正しておいた。夫婦じゃなかったからといって『力を探しに来た連中じゃないのか?』という詮索なんてされないのはフィノと話していて楽なところだ。そのことに敏感なのは街で存在感を示す組織や街の外にいる野心的な国や俺のようなもの好きぐらいで、ほかはそんなあるかも怪しいものを探していても食っていけないぐらいの認識だ。

「じゃ、じゃあ……どうするの?」

「どうするもなにも、夫婦じゃないからってすることは変わらないだろ?」

 依頼者の希望するように街を案内するだけ、単純だ。

「口説くだけだよ」

「や、やっぱりね……。ハレル、最低」

「最低なものか。ブロンドの長髪はさらさらで、顔は美人という言葉があの人が生まれる前にあったのが疑問に感じるほど、さらにスタイルもいい、育ちが良さそうな雰囲気を隠し切れずにあふれさせてた。口説かないほうがおかしい。幸い時間はたっぷりある、じっくりいこう」

 フィノは引きつった笑みを浮かべている。ドン引きといったところか。

「なんか、とにかく饒舌に褒めてるのがムカつく」

「おまえにムカつかれても困ることはないからな」

「なにそれっ!」

 握りこぶしを作り始めた。

「い、言っておくけど冗談だからな?」

 ちょっと、だいぶ心配になった。

「……ハレルは冗談の加減がヘタというか、冗談なのか本気なのかわからない」

 俺としてはわかりやすいと思って言ったのだが、まあフィノの反応が物語っている通りなのだろう。というか、こんなやり取りをしょっちゅうしている気がする。

「……なんていうか、気を付けてよね。いくら組織の人間じゃないって言っても娯楽街を歩くのは危険だってよく聞くし、ハレル弱いんだから」

「まさかあのフィノちゃんが俺を心配してくれてるのか?」

 弱いというのは聞き捨てならない(事実だが)が、心配してもらうのは嬉しい。

「ちがうちがう、常連のハレルがいなくなったらうちの売り上げに多少の影響があるでしょ、だからよ。勘違いしないで」

 なかなかたくましい理由だった。

「いつまで案内人をやってるつもり? 何もないうちにやめたほうがいいんじゃない? ……その、いっそのことうちで働きながらパン作りの修業をしてみるとか」

 フィノは珍しく俺の表情をうかがうようにそんな提案をしてくる。冗談っぽくて冗談には聞こえない。それ相応には俺を買ってくれているからこその提案で、ありがたく感じる。だが——その話には落とし穴がある。

「俺がここで働いたら俺はここのパンを買わなくなるだろ。結局常連が一人消えるぞ」

「あ……そ、それもそうだね。じゃ、じゃあダメか……ははは」

 自分の誤算を誤魔化すような苦笑いを浮かべるフィノ。

 そもそも俺はこの街に縛られたくないからこそ、人との濃い繋がりができにくいだろう案内人を仕事にした。このパン屋で修業を積んで技能を習得し、店のことを後は頼んだなどと言われたら逆に街に根付いてしまう。もし修業をしていたらその時には俺もすっかりその気になっている恐れもある。今の俺からすればそれはなんか違う。

「おっと……そろそろ行ったほうがいいかな」

 席から立ち上がると、フィノは俺を見上げて「依頼者のとこ?」と聞いてくる。それに「そう」と簡単に返すと、フィノも立ち上がった。

「もし機会があったら、その絶世の美女をここに連れてきてもいいよ。特別にごちそうするから」

「ああ……わかった。……でも、なるべく連れてきたくはないな、ここは俺の日常だから」


 宿泊施設に二人を迎えに行き、それから娯楽街にやってきた。東地帯の娯楽街。今日は力の捜索ではなく、娯楽街の雰囲気に慣れてもらう。それなら東地帯でも問題はない。怪しい動きなんてしない、今日はただの遊び人だ。

「活気があるというのか騒がしいというのか、すごい人ね」

 ニアーナは感心と呆れが半々といった感想を口にする。この街に到着したときにもきたらしいので初めてではない、改めて実感したというところだろう。

 東地帯の娯楽街『夜明け通り』には多くの店舗や屋台が並んでいる。通りの道幅自体は住宅街のそれとは比べるまでもなくゆとりがあるが、道のあちこちに屋台があり人通りも多いため、ある意味住宅街の道のほうがゆとりがある。

「本当にここは僕たちが歩いていいところなのか⁉ 目がぎらついてるやつらばっかりなんだが……」

 リーガは早くも怯えきっている。怯え切っているが、見た目にはそういう雰囲気があまり現れないのが彼のいいところだ。それがなければ簡単に目を付けられて絡まれているだろう。いや、俺が怯えていると感じているということは周りもそう感じているのだろうか。

 彼の怯えは過剰と言える、皆が皆そういうことをするヤツらではない。さすがにリーガの被害妄想がいきすぎている。公然と暴力が認められていればここは街になっていない。かといって暴力が多いのは確かで、暗転するときは突然やってくる。

「わからない。運次第だ」

「う、運次第って……あんたそれでも案内人か⁉ 僕たちの身の安全を守る努力をしろよ! わかってるのか⁉」

 普段は温厚なのだが、身の危険が関わってくると気難しくなるな。彼からすれば三か月間ここに閉じ込められる感覚なのだろう、少し感情的になるのはしょうがない。

「まず俺のことを案内人と呼ぶな、名前で呼べ。自分がこの街のド素人だって宣伝してるようなもんだ」

「……お、おまえっ! それをここにくる前に言えよ!」

「忘れてた」

「忘れてたって……こいつ本当に大丈夫なのか⁉ どう思うニアーナ!」

「……ちょっと、リーガ」

 ニアーナは荒れ狂うリーガに冷静になってあたりを見るよう表情としぐさで示す。

 すれ違いゆく周囲の人々、屋台の人々地べたに座り込んでいる人々の視線が俺たちを追っている感じがするが、必ずしも追ってはいないだろう。おもしろがるような、警戒するような視線を感じる。

「あー……こういうときはどうすればいい?」

「大人しく歩き続ける」

 困ったような委縮したような表情で歩きながら聞いてくるリーガにそのままでいいと答えた。


「おっと……着いたぞ」

 とある店の前で足を止め、それにつられて二人も止まる。

「目的地があったのね……ただ街を散策してるだけかと思ってた」

「なんでハレルはそれを先に言ってくれないんだ!」

 目的地があったらあったで、まだかまだかとうるさかっただろう。どっちにしてもうるさいので言ってもよかったとは思う。

「ニアーナには髪を切ってもらう」

「なんで、イヤよ」

 シンプルに断られた。

「意味がわからない、どういうこと?」

「ニアーナは美人すぎるからやけに目立つ、そのままでは絶対野郎どもに絡まれる。だからその長くていかにも女らしい綺麗な髪をバッサリ切ってもらって華の度合いを落としてもらう」

 理由を説明しても納得した様子はない。長い時をこの髪型で過ごしてきたのなら抵抗があるのは無理ないことだろう。それに、もし俺が長髪にしろと言われても素直にはしない。男女の感覚の違いはあっても、難しい問題に変わりはない。自分の外見の印象はそれを見る相手にだけではなく自分の気持ちにもかかわってくる。

「でもここまで一回も絡まれなかったじゃない。それに、思ったより女性も歩いてたし……案外大丈夫なんじゃない?」

 難しい問題とはいえ、身の危険につながる問題だけにやすやすと引き下がれない。彼女は楽観的に考えているようだが、楽観とは都合の悪いことから目を背けるために出てくる。

「おまえは絶世の美女だから男たちも圧倒されて声を掛けられなかったのかもしれない」

「それなら切らなくてもいいでしょ?」

「いや……確かにそうだな。……やっぱり切らなくていいのかもしれない」

 経験や想像をもとに予測できる場合もあるが、それを超える、または下回る場合もある。今回は超えた、ということだろうか。それなら今までの経験で疑いなくものを言うのは危険だろう。

「そうね……やっぱり切るわ」

 ニアーナから予想外の言葉がでた。追われると逃げたくなり、逃げられと追いたくなる、まるで子供同士のルールのない追いかけっこのようだ。もっとも、大人の視点ではルールがないように見えても実はルールがあるのが子供の遊びだ。

 しかしこれは、さっきまでなら喜んでいただろうが、今ではそれがいいのかわからない。

「ここまではそうだったとしても、次からはそうだとは限らない、最善を尽くしたい。それに今のままでは絡まれなくても目立ってるんでしょ? それはよくないわよね」

「それは……けっこう説得力がある」

「もとはと言えばあなたが言ったのよ?」

 確かにそうかもしれないが、それはもはや彼女の意見だ。ニアーナは「じゃあちょっと待っててね」と優しく笑い、散髪屋に向かった。


「これでどう? 満足した?」

 ニアーナは自信ありげにポーズを決めてみせる。髪は肩に当たらないまで短くなり、待っている間に買ってきたキャスケット帽を深く被って若干目元が見えにくくなっている。服装はもともと男装的なところがあったのでこれでだいぶ一目見たときの衝撃は薄れただろう、よく見ると相変わらず華やかではあるが、それなりに地味な印象だ。

 通行人の様子を観察する。

「けっこう視線が集まらなくなったみたいだ、上出来だな」

「そうじゃなくちゃ困る、それよりもショートヘアの私への感想はないの?」

「似合ってるってさっき言わなかったか?」

「一度も言ってないわよ、あなたときどき変よ?」

 あきれを通り越して、心配そうな目になるニアーナ。いや、あきれを通り越してないかもしれない。

「しかし、リーガはよくニアーナと二人で旅をしてきて襲い掛からなかったな。尊敬するべきか心配するべきか……」

 とか言いつつ俺も襲い掛かることはないと思う。逆に彼女から襲われたら拒否する自信はないが。

「な、なに言ってるんだ、おまえは。……浮気をするしない以前の問題で、僕は妻以外の女性はどうも苦手なんだ、もともと。妻は特例というか……強引に突破されただけで……」

 その話だけでリーガとその奥さんの関係が浮かんでくるようだが、奥さんは見たこともないのでやっぱりいまいち浮かんでこない。ただ、いつか会って話してみたい気はした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る