第6話 銀貨二枚
偶然この街にあったというより、力が先にあったという話を聞いたことがある。それを求めて孤立の地に人がやってきて集まり住み着き街ができたと。この地で力を得て国に帰った者が国を栄えさせたという伝説が、人々をこの地に向かわせたらしい。確証のない昔のことで、昔話だ。だがこの街で生きていると、無視できない気配みたいなものを感じて、だから俺はここを離れられないでいる。力がほしいわけではない。皆が危険を承知で探すそれに触れたい、というか知りたい。それを知ることができれば、俺はきっとこの街を出ていく。誰かが力を見つけたという話はここに住んでいて聞いたことがない。それっぽい噂は聞くことがあるがそれが事実になったためしがない。そもそも俺の生と比べれば長い歴史のこの街で伝説の次に伝説が生まれた記録がなく、つまり俺はこの街から出られないのか——よくわかっていない。
親の顔は知らない。物心ついた頃には孤児院にいた。そこでの暮らしは裕福ではなかった。お腹いっぱいに食事をできるときなんてなかったし、衣服はボロで薄汚れているのが常、寝床は子供同士でぎゅうぎゅうで落ち着いて眠れない。でも、裕福だった。みんなと食べる食事はうまかったし楽しかった、面倒を見てくれる大人たちは優しかった、子供同士の喧嘩は日常茶飯事だったが、そのぶん仲直りもあった。そこは十五歳になったら出ていく決まりがあって、出ていった。飲食店で働きながら自立した生活をしていて、大人に近づいていっているという充実感を感じていたが、そんなものはすぐに薄れていった。孤児院から離れたことで自分が自分でいられる場所がなくなったのだとやっと気づいたころ、この街、メルブートを客の会話で知った。
まるで楽園のような場所だと思い、俺みたいな身軽なやつは一度はいってみるべきだと思い旅に出た。いざ来てみれば、あれはこの街に来たことがなく都合のいい妄想を膨らませていた者の幻想の楽園だと知ってガッカリして怒りすら覚えたわけだが、その幻想が俺の中でも身勝手に膨らんでいたのも確かだった。道中ではいろいろあったが、印象に残っているのは限られてくる、何かの弾みで思い出す光景もある、その中で特に強く印象にあるのはガーレン荒野で死にかけて救われたこと。ふと、あそこでロジカノが現れて水を差しだしてくれなければ俺はあの荒野で死んでいたのだろうと考えることがあるが、うまくその光景を思い浮かべられない。確率でものを言えば死ぬほうが断然高かったはずなのに、断然低かったはずの助かるという事実がそれを凌駕する。
「いい仕事が入ったんだって?」
「耳が早いな」
『夜空の太陽』に今夜もやってきたロジカノは俺の隣のカウンター席につくなり挨拶代わりに言った。
俺は仕事が入ると酒を飲まなくなる。酒を飲みすぎて仕事に支障がでるのが怖いし、なんというかそれがリズムになっている。ここは酒場だが、売りは料理だと俺は思っていて、だから酒を飲まなくても夕食目当てでくる。
「これでもトウタリの幹部ですからね」
そう言われると監視されていてけん制されているような気分になるが、本人はそんなつもりで言っていない、ただのちょっとしたおどけだろう。情報が入ってきてしまうのだ。だから俺もできる限りロジカノのことは信じるし、ロジカノから向けられた優しさに背くようなことはしたくない。それでも問題を起こしてしまえば俺は容赦なく裁かれるだろう、仮にロジカノには裁かれなくともトウタリによって裁かれる。それはこの東地帯以外のほかの三地帯でも同じ、そこを支配する組織に裁かれる。善か悪かが重要ではない、都合の悪いやつが消される。それはこの街に限ったことではない……はずだ。
「それで、一体どんな内容だったんだ?」
「それは知らないのか?」
「オレはただの人間だぞ……知ってるだろ?」
ただの人間であることは知っているが、ロジカノがどこまで知っているのかは正直わからない。ただ、紹介人であるソジャンがトウタリと繋がりがないとは思えない、トウタリの影響力はこの東地帯の深くまで浸透しているはずで、だから長く支配できている。つまりは、気配は掴んでいるはずだ。
「三か月の間、街の楽しみかたを教えてほしいらしい。いい友人になれればいいんだが……」
「そんなに長くか……相当買われてるな。友人になろうって言われてるようなもんだな、それは」
俺はあくまで組織の、トウタリの人間ではない。だからせめてもの抵抗として明言はしない、しかし歯向かえないものはある。
「ここ以外……東地帯以外の楽しみかたを丁寧に教えるつもりだ」
組織は力の話に敏感だ。この東地帯で案内人と依頼人としての縁があった以上、ここでは探せなくなるということ。それは二人に説明して納得してもらった。命が惜しいリーガは素直に納得してくれたし、ニアーナも不満は見せなった。不満を見せてもしょうがないと思ったのかもしれないが。そもそも俺は独自にこの東地帯を調査はしている、成果らしい成果はないが成果がないことがある程度の成果と言える。もちろんこのことは本当に秘密、この街にいる限り知られてはならない、誰にも。
「おまたせ」
トハが料理を運んできてくれてそれが目の前、カウンターに置かれて「ありがとう」と言った瞬間に、目が冴えるような匂いに襲われた。一気に意識が料理に引き寄せられる。
「やけにいい匂いだなぁ、今日のトハは」
「これは料理の匂いだって説明するのも面倒ね、ふふ」
ロジカノの冗談にトハは馬鹿にするように、でも悪い気はしてなさそうに言葉を返す。
「オレはいつもの酒と適当な肴を頼む」
「あなた決まったお酒飲んでないでしょ」
「ああ、そうだっけか、ははは。じゃあ——」
俺は料理に向かっていった。
「また来てねー」
そんなトハの言葉と、満足感とともに店を出た。ほぼ毎日来ているのにトハは一度も『また明日』とは言ったことがない。だからついまた来たくなる。
店を出るとすぐに夜の暗さを感じる。店の中も日中のように明るいわけではないが明るいため、ひとりで店を出たこの瞬間はいつも本物の夜に会ったような気分になる。
『夜空の太陽』は、夜になっても賑やかな娯楽街とこの地帯で暮らしている人々の拠り所の住宅街の境目付近に構えている。娯楽街の喧騒から離れられる落ち着いた時間を提供しつつも、娯楽街か住宅街のどちらかで問題が起きても常連のトウタリメンバーが向かいやすいようにと配慮されている場所にある。俺はこれから住宅街の方向、自分の部屋がある方向へと歩いていく。この街で暮らしていて賢明な判断ができる人は無駄には娯楽街にいかない。この街に来たばかりで浮かれている人やギャンブルに囚われた人、酒に溺れた人があそこには集まるため、厄介事に巻き込まれやすいからだ。
「どうかお金を恵んでください」
店を出てしばらく歩いた路地で、真横から飛んできたそんな声に足を止められた。
その言葉は一体だれに向けられたものか、確かに声は俺に向かってきたが、まるで独り言をつぶやいたような熱のない言葉だったために言われた気がしない。しかしここはやけに静かで、目立つ人は声を発した者と俺だけだ。
夜の暗闇のなか腰を地べたにおろし背を家屋の壁に預けているのは中年の男性か。何かを見ているというよりもまっすぐ前をぼんやり見つめているようだ。そこには俺がいるわけだが、見られている感じがしない。
「どうかお金を恵んでください」
足を止めたからというより、決められた間隔で言うと決めているかのように言葉を発した。その者の前には器が置いてあり、そこには数枚の銅貨があるように見えるが、暗いので自信がない。
ウエストバックから適当に硬貨を取り出すと、それは二枚の銀貨だった。月の光を反射して薄く輝くそれを「どうぞ」と言って器に置いた。その時、どちらかというと器よりも男性の顔を見てしまい、その目が俺の目を捉えたのを感じて妙に焦った。だからといって何があるわけでもなく、男性は一言「ありがとう」と言った。
これ以上ここにとどまっている理由はない——とどまっているのはなんか怖い——と感じて去るためにまた歩き出す。
「あなたはなぜこんな私に銀貨を二枚もくれたのですか?」
背中側からそんな言葉をかけられて、足が止まった。話しかけてくるのは意外だった。振り向くと男性は俺ではなくまっすぐ前を見ている。もしかしたら話しかけられたわけではなかった……? いや、そんなわけない。
「えっと……そうだな」
なんと答えればいいのか、言いよどむ。
「あなたは……お金を奪おうという気がない。それでこういうことをしてるんだと思うけど……見知らぬ誰かにお金を求めるのはすごく勇気がいることだ。自分の誇りとか惨めに映るとか考えてなかなかできない……と思う。あなたはそこを超えた人だから、そこにお金を出した……のかもしれない」
たどたどしく考えを言葉にして紡いでいった。少なくともそんなことは硬貨を出したときには考えていなかった。だからそこに理由らしきものがあったことに驚いた。それとも理由を作らされたのか。
「そうですか」
その『そうですか』にどんな感情が込められているのかはまったく読めない。その言葉以上でも以下でもないのかもしれない。
男性はそれ以上何かを語る気はないらしく、その場を今度こそ後にした。
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