第5話 依頼者
東地帯の宿泊施設が立ち並ぶ一角にやってきた。
ここには二、三階建ての建物がひしめき合っている。道は狭く入り組んでいて、それなりに訪れた経験がある今でも余裕で迷う。今回も迷った。似た外観の建物だらけなのも一因だ。ここはゴンガレ山から吹き降ろされる強い風がより強くなり、それが駆け巡るたびに砂煙がひどく舞い上がって歩行者を苦しめる。
無事に目的の宿、『せせらぎの宿』の前に辿り着いた。一息ついてかららその扉を開くと、ベルの高い音が鳴った。
「どうも、いらっしゃい」
若干枯れた野太い声が俺を出迎える。受付にいたのは、『せせらぎの宿』という清らかな名前の宿には似つかわしくない大柄の中年男性だった。
「ご宿泊ですか?」
まるでそれ以外の用なら容赦なく叩き出すといった、いかめしい目つきだ。
「……いえ、違います」
とはいえ、その迫力に気圧されて一泊するわけにもいかない。
「では一体なんの用で」
俺の言葉を受けて、男はきな臭い者を見るような目に変わる。
冷や汗が浮かびそうになるが、ここで焦る必要はない。れっきとした用があるのだから堂々としていればいい。
問題は、依頼者が宿側に俺——案内人が訪ねてくる可能性を伝えているかだ。もし伝えていなければ、不審者に認定されて依頼者に確認するという余地もなくつまみ出される可能性がある。そのつまみ出す相手がこの男性となれば、想像するのが怖い。
「俺は案内人で、ここに宿泊しているリーガさんとニアーナさんと面談の約束があるんですが」
「……ああ」
声や表情から男の警戒が薄れたのがわかった。どうやらしっかり伝えてくれていたようだ。
「案内するから、ついてきて」
男は少しだるそうに立ち上がって歩きだした。
「こっちがリーガさんの部屋で、こっちがニアーナさんの部屋だ。あとはごゆっくり」
そう手で示しつつ言うと、男はあっさりと背中を向けて立ち去っていく。完全に警戒を解いたのか、一階の部屋だから騒ぎがあればすぐに駆け付けられると考えたのか、それともやはりだるいのか。
気になるのは、夫婦のはずなのに別の部屋を借りていることか。大喧嘩をしたのか、ソジャンの感じが的中したのか。
「……えっと」
考えを巡らせているうちにどっちがリーガさんでどっちがニアーナさんの部屋か忘れてしまった。説明をぼやっと聞いていたのが仇となった。大した問題ではないかもしれないが、それを知らずにノックをするのはちょっと嫌な感じがする。とはいえそれを聞きに戻るのは大げさに感じるし、不信感を与えるかもしれない。
「まあいい」
切り替えて近い方の扉を三回ノックした。
「はーい」
反応が返ってきた。女性の声だ。すぐに扉も開く。
「どうも、案内人のハレルです。今回は依頼をいただきありがとうございます」
一応つまらない挨拶をする。もちろん感謝の気持ちはあるが、つまらない挨拶だ。しかしそのつまらなさが初めて会った相手にはちょうどいいのかもしれない。
「よろしくお願いします。私はニアーナです。……ちょっと待ってください、リーガさんに報告します」
少し急いた様子でニアーナは隣の部屋の中に呼びかける。どうやら本当に夫婦ではなさそうだ。かといってそう見せかけないことに躊躇いを感じないため、どんな目的で夫婦だと騙ったのかが不可解だ。
「ハレルさん、こちらにどうぞ」
ニアーナがリーガの部屋に入るよう手招きしてくる。おとなしく従う。
「初めましてハレルさん、リーガです。今回はよろしくお願いします」
「よろし、くお願いします」
手を差し出してきたので応じると、両手でガッチリと掴む力強い握手をされ一瞬動揺して言葉に詰まりかけたがこらえて続けた。続いてニアーナとも握手を交わす。こちらは片手同士で、男性と握手した直後だからか女性の手の小ささが際立った気がした。そもそも握手の経験が多いわけではないが。
席に案内され、挨拶をしたときの小さな騒がしさが消えていき徐々に話し合いの空気が高まってくる。
簡素な部屋だ。ベッドと荷物ぐらいしかない。俺の部屋と大差ないが、ここには窓がないため若干の息苦しさみたいなものは感じるが、すぐに慣れるだろう。この部屋で話し合いをするつもりだったのだろう、丸椅子がちょうど三脚あった。テーブルを挟んで二人と対面する位置に腰かける。
「二人は夫婦だと聞いていたんですけど……」
これを置いておいて話を進めるのはストレスだと思い、話の初めに質問した。
「それですか……」
ニアーナが困ったような気まずいような反応をすると、リーガも似たような表情を見せる。
事情を聞くと、特別驚くようなものではなく、勝手に肩透かしに感じた。
二人はとある組織に所属していて、上の命令で、夫婦を装ってこの街で活動するよう言われていたためそうしたらしい。上は夫婦という誰から見ても明確に映る関係のほうが怪しまれずに活動できると考えていた。しかし、いざこの地にきて空気に触れたら、夫婦を演じる必要はないと二人は感じた。それも無理ない、この街は怪しいやつらだらけなのだから。それで演じるのを早々にやめたらしい。リーガは妻子がある身で、上からの指示だから仕方なくやっていたが気分がよくなかったようで、相当すっきりした様子で事の成り行きを語ってくれた。
とまあ、穏やかな理由だったが、気になるのは二人の背後にいる組織だ。話したがらない限り聞こうとは思わないが、まずこの街の組織ではない。おそらく、二人はどこかの国の兵士だ。兵士がこの国に送り込まれるのは珍しくない。
「契約期間はどのくらいが希望ですか」
この街の娯楽目当てでないとすると、思ったより長い期間になるだろう。
「三か月でお願いできますか」
リーガのその言葉に驚かされる。思ったより長くなるだろうと思ったよりも長かった。
「長い、ですよね。でも、あの……ソジャンっていう紹介人はハレルさんなら受けるだろうって言ってました。受けて、くれますよね?」
あからさまではないが、どこか圧を感じる言葉遣いで囲い込もうとするニアーナ。
こんな相談をされていれば、ただの夫婦ではない、もしくは夫婦ではないと気づくのは難しくないだろう。部屋にきたときソジャンがこのことを話さなかったのは、二人にそう言われていたのか、ソジャン独自の判断か。いくら報酬が良くても、三か月同じ人を案内するのは気楽ではない。その相手が気難しい相手ならなおさら。現段階ではそんな印象はない、むしろ付き合いやすい相手には感じるが、契約が成立したのを境に態度が変わっていく可能性も捨てきれない。ただ、それを恐れていてはこの仕事はできないので、どこかでは割り切る必要がある。
「ソジャンはあなたのことを信頼できる人だと言っていた。だから……お金は前払いします。加えて、僕たちの目的が達成できた暁にはさらにここに……上乗せします。どうですか?」
依頼金をテーブルの上に出し、さらにそこに硬貨を重ねていき俺の様子を窺うリーガ。その顔には自信がのぞいているように感じる。そんな表情になるのも無理ないと思うくらいの額ではある。
「確かに悪い話ではないと思います。でもその前に、目的を聞かないわけにはいかないです」
「それはそう……ですよね」
「もちろん、わかっているんですが……」
リーガとニアーナは困ったように見つめ合う。契約が成立していない相手には話したくないということだ。
「その反応で大体は見当がつきますが、あくまで見当なので確証ではないです。その見当をもとに意見を言わせてもらいますが、そんなことを三か月もしてれば……死ぬかもしれないですよ?」
「……し、死ぬのは嫌です! 僕は本当はここに来たくなかったけど、命令だから仕方なく。三か月間生き延びて、無事に家族のもとに帰りたい! その手伝いもあなたにしてほしい! お願いします!」
俺の言葉に強く反応したのはリーガだった。必死な、悪い言い方をすれば気が狂ったように突然まくし立てた。
任務はしっかりしなければならないと思っているが、その思いに囚われて死んでは元も子もないと考えて葛藤をしている、といった様子に見える。
対してニアーナに揺れは見えない。必死に自分の思いを語るリーガを冷静に見ている。この任務に納得してここまできた、といった印象だ。
「わかりました、受けます」
とはいえ、心の内を実際にのぞいているわけではない。付き合ってみないとわからないし、そうしてもわからないかもしれない。
「ほ、本当ですか⁉」
「いいん、ですか?」
いきなりの承諾に二人はそれぞれの反応を見せる。リーガは素直に驚きそこには喜びも混ざっている、ニアーナは驚きつつも言葉に裏があるではと探っている、そんな雰囲気がある。渋りそうな気配を見せただけに、半信半疑になるのも無理はない。
「これを受ければ、ハレルさんも三か月間命の危機に晒され続けるということなんですよね? もう少し、じっくり考えたほうが……」
いざうなずかれると、慣れない地にきたばかりで余裕がないはずのニアーナは俺のことが気にかかったようだ。
「おい、ニアーナ……」
彼女のまだ撤回が許されるかのように取れる発言にリーガは渋面をつくる。俺の気が変わるのではとやきもきしているようで、その様子がおかしくて思わず笑みがこぼれた。
「大丈夫です、納得した末に受けてますから。問題ないんです、この街で行動していれば意外と近くにそんな危険はある、それを承知でこの仕事をしてるので」
前払い分の硬貨をテーブルの上から取って、ウエストバックの中に入れた。バッグの中で硬貨同士の衝突音が短く鳴り、いくぶん重くなる。金貨もあったが、かまわずそれも一緒に入れた。
「それで、目的は力を探しているという認識でいいですか?」
「えっと……まあ」
もう依頼金は受け取った。つまり俺たちは共謀者だ。しかしリーガは認めることをためらう。頼りにしても、信用は到底まだできないという思いがためらわせるのか。
「そうです。私たちはその力を探す任務でこの地を訪れました」
そのリーガの様子を見てあまりよくないと感じたのかニアーナはためらいなく認める。彼女はリーガより年下に見えるが力関係は同等のようだ。遠慮があまりない。度胸はリーガよりありそう。
「それで、その力は本当にこの地にあるの?」
ニアーナは突然俺に対する言葉遣いを変えた、遠慮のないものに。一瞬迷う。雇ったとする相手への口調なのか、今後のやり取りのしやすさを考えてのものなのか。彼女の様子に当別変化はない……おそらく後者だろう。
「正直なところ——わからない。確かなのは、大の大人がそれを探して時に口論をし、時に争い死者もだし、時にかなたの地からわざわざやってくるってことだ」
二人は苦笑いを見せた。
俺はこの力が何かわかっていないからこそ、『力』という曖昧な表現を平然とできる。わかっている者が聞いたら、鼻で笑われるかもしれない。
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