第4話 銀の丘

 準備を済ませて部屋を出た。準備といっても簡単なもので、お金とナイフを持って家を出るだけだ。いつ泥棒が入ってもおかしくないので、お金は全て持ち歩く。幸い、持ち歩けないほどのお金はない。金と銀の硬貨は音が鳴らないよう工夫して服の内ポケットに入れ、銅貨と少しの銀貨は左側の腰に下げている縦型のウエストバッグに入れる。襲われて奪われたときに銅貨に銀貨を混ぜておけばそれ以上は探さずに去る傾向がある、という話を聞いたことがあるためそうしているが、本当にそうなのか確かめる機会がないと嬉しい。ナイフは右側の腰につけているホルダーに入れて持ち歩く。ナイフは護身のため所持するわけだが、その扱いに自信はない。


 廊下を歩いて突き当りにある階段を下っていく。二階建ての集合住宅の二階に住んでいる。ロジカノに紹介してもらった部屋だ。階段を下り終えて外に出ると、馴染みのあるパン屋『銀の丘』が正面に構えている。店の前にはおすすめのパンを紹介する立て看板があるが、最近はそれに注目することはまずない。

 この街の建物は赤一色だ。ガーレン荒野の赤土で作った日干し煉瓦を使うため、そうなる。初めてこの街を訪れたときは赤一色の異様な景観に圧倒された。それが今となっては異様と感じないのだから、人間の慣れは便利だが怖くもある。

 とりあえず朝食兼昼食をとろうと銀の丘の扉を開けた。来るたびに思ういい匂いに包まれる。

「いらっしゃいませ!」

 元気な声と笑顔で出迎えられるが、それを向けた相手が俺だと認識すると、何となく愛想が抜ける。この店の看板娘であるフィノだ。

 商品棚に向かう。その向こうにフィノがいる。棚は三段あり、そこにパンが並んでいる。棚にはガラス板がはめられていて、客側からは取れなくなっていて買うときに店の人に頼む必要がある。

「起きたばっかり?」

「大体そんなところ」

 パンは朝によく売れたらしく、棚の中にはまばらにしかない。昼頃には追加されるだろうが、朝と昼の間の今は品薄だ。

「昨日はつい飲みすぎた」

 他愛もない会話をしているうちに進んで、ついつい適度を忘れてしまった。とはいえ次の日に支障が出るほどは飲んでいない。そこまで飲むとごろつきの格好の的になる。

「誰と?」

「このパンをくれ。あとミルクも」

 よく食べる、干しブドウが入っているパンを指さす。銅貨二枚を商品棚兼会計場の上に置く。

「誰とでもいいだろ。それと、今日はあの席で食べる」

 店内の一角を示す。店内の隅に買ったパンを落ち着いて食べることができる空間がある。小さい丸テーブルが二台、椅子は四脚。俺は窓側の席が好きだ。外の景色を眺めながら食べると面白い。仕事があるときは基本店内で食べて、それから向かう。席が埋まっているときはそれが無理なのだが、今は誰もいないため問題ない。

「教えてよ、気になるじゃん」

 フィノは準備をしながら食い下がってくる。別に言ってダメというわけではないが、聞かれれば聞かれるほど言いたくなくなる。

「ただの知り合い」

 ただの知り合いがどんな知り合いかを俺はわかっていない。

「男の人? 女の人? あ、ハレルが女性と飲んでるわけないよね」

「そうだよ、男だ、男。よくおごってくれる気前のいいヤツだよ」

 そうわかりきったように言われるとイラッときて今に見返してやると思うのだが、そんな思いは時間の経過で簡単にしぼんでいく。

「そっか。ケチなハレルとは——」

「そう、大違いだ」

 自分ではそう思っていないのだがよくそんなことをフィノには言われる。チップでもあげればその評価は覆るのだろうか。だけど、フィノにチップをあげようという気にはならない。……ケチだな。


 席についてパンを食べ始めると、暇を持て余しているフィノがなぜか俺の向かいに座る。

「暇なら両親の手伝いをしてこいよ」

 不器用でパン作りの役に立たないとは聞いているが、簡単な手伝いならできるだろう。

「店番が私の大切な役目だもん。それに、私と話がしたくてあえてこの時間帯に来たんでしょ?」

 からかうような嬉しそうな表情で言ってくる。その雰囲気が無邪気で、これ以上無駄に抵抗する気が失せた。

「仕事が入ったの?」

「ああ。また忙しくなる……かもしれない」

 どのくらいの期間案内するかは依頼者との相談で決めるためわからないが、多いのは一週間前後だ。

「どんな人? いかがわしい人?」

「まだ会ってないからなんとも言えないけど、若い夫婦らしい。そうだな……奥さんが美人ならさらに張り合いがでそうな気がする」

 フィノは一瞬軽蔑の眼差しになったが、次には自信顔になって、

「私ほどの美人なんていないよ」

 と言ってきた。

「フィノは美人というより可愛いってタイプだろ」

 フィノは確かに人目を引く顔はしている。だから本気か冗談かわからず、肯定するでも否定するでもない、方向がわずかにズレる言葉を返した。それは俺の本心でもある。その言葉を受けてフィノは驚いたが、次には冗談っぽく言ってくる。

「……それってもしかして、口説いてる?」

「そんなところ」

 ここで必死に否定したら俺の負けなので、すまして答えた。

「パン作りの修業はしてるのか?」

 ふと頭によぎったことを聞く。話題が変わってフィノの表情が真顔になる。

「……んっと、まあまあ……かな」

 なんとも煮え切らない発言だが、つまりはしていないということだろう。

「それでいいのか?」

 店番の仕事ぶりを見ていて、フィノがこの店を愛しているのは伝わってくる。継げるなら継ぎたいと思っているのだとも。いや、継ぐというより守りたい、だろうか。

「やればやるほど、私って職人気質からほど遠いのかなって思い知るんだよね……。この店は好きだけど、継ぐかは怪しい感じ。親にも無理して継ぐ必要はないって言われてるし……どっちかというと早くいい相手を見つけろって言われてる」

 話し始めは目線が俯いていたが、どこかから俺の目を見つめて話していた。なにか言葉を求めているのかもと思ったが、どんな言葉を求めているのかがさっぱり。そもそも、求めていないかもしれない。

「継ぐにしても、いい相手を探すにしても、焦る必要はないだろ。まだ二十一だろ? まあ……そのいい相手が器用なやつならいいんだろうけど……」

 その人に修業させればいい。もちろん、やる気がなければ意味がないが。

「……そうだよね」

 無難のことを言ったつもりだったが、なぜかフィノは唇を尖らせて不満なようすで同意してきた。

 それからもダラダラと喋り続け、ちょうどフィノがまた忙しくなってきそうな頃合に食事が終わり、店を後にした。

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