第3話 案内人

 なにやら物音がして、意識が浮上した。

 ぼやけた思考で考えて、それがノックの音だったと理解する。俺の部屋を訪ねてくる人なんて限られている。

 部屋はすっかり窓の外から差し込んでくる陽光に満たされている。朝か……もしくは昼が近いかもしれない。

「いま行く」

 寝起きの重さを感じる体を起こすと、ナイフが腰にあることを確認してから向かい、扉の前に着くと、

「一体なんの用だ?」

 と扉を開く前に確認するが、すぐに返事が返ってこない。

 ここで初めて、目覚めたばかりの体に嫌な予感が走る。扉の向こうに立っているはずの人物の息遣いは聞こえないし、身動きしている気配もない。ナイフの柄にそっと右手を添える。

「お前は誰だ」

 反応がなければ戦闘の覚悟をしようと思い、もう一度投げかけた。

「……私だ」

 今度は反応が返ってきて、ナイフの柄から手を放した。

「なんだソジャンか……驚かせないでくれ」

 扉を開くと、もう見慣れた人物の姿が現れた。

 赤い長髪と黒いハットが特徴的な男で、案内人をしている俺に仕事を持ってきてくれる人物だ。全身黒一色のコーデで服装は紳士的、スタイルが良くそれを着こなしているのだが……どうも不気味な印象が先行する人物。男なのに長髪なのと、常に髪で左目が隠れているのがその印象を助長させている気がするが、おそらくそれだけではない……しかしその感じを言葉ですくおうとすると、それはするりと逃げていってしまう。


「私だと気づいてないようだったのでな、ちょっとした遊びだ。その様子だと今まで寝ていたようだな」

 ソジャンはいつも決まって扉を四度ノックするためわかりやすいのだが、今回は寝ていたためにそれを聞き逃した、そこに見事つけ込まれた。

「仕事がないとどうも怠惰に身をまかせすぎる。いけないと思いつつそうするのが、なんか贅沢なんだ」

「……そうか」

 ソジャンは否定するでも肯定するでもなく俺の言葉を受け取る。表情は変わらない。あまり表情が豊かなタイプではないし、変わったとしても表情から感情を読みにくい。

「それで、仕事の話か? まさか遊びにきたってわけじゃないよな?」

「そのまさかだったら素晴らしかったのだが、残念ながら仕事の話だ」

 おふざけに適度に付き合ってくれるので、不気味な雰囲気を持っていても不思議と付き合いやすい。

「依頼人はこの街に来たばかりの若い夫婦で、この街を遊び尽くすための案内をしてほしいらしい。……問題ないよな?」

 うなずいて返す。本当に問題がない。これができなければ案内人などできないという、基本の中の基本のような依頼内容だ。

「……ただ、気になることもある」

 緑色の瞳が、俺の瞳を見据える。一瞬怯んだが、そんなことはおくびにも出さないで一つうなずいて続きを促す。

「私の目には、その二人はどうも夫婦には映らなかった。この街に来たばかりと言うのは様子からして本当だと思うが、なぜそんな嘘をつく必要があるのか……」

 もしかしたら一癖二癖ある依頼人かもしれないということか。ありがたい忠告だ。

「そこを明らかにするかどうかは、相手の様子を探りつつにしてみる。前向きに受け取れば、平和な案内より刺激がありそうだ」

 言っていて、思わず苦笑がこぼれた。刺激のある案内より、平和な案内のほうが断然いいと冷静な自分が考えたのだ。


「つまり、受けるということだな?」


 また緑色の瞳に見つめられる。今度は怯まなかった、「喜んで」と返す。そもそも、今まで依頼を断ったことはない。そういう姿勢でいないと、仕事がこなくなるような気がして不安になるから。

 俺の返事を受けて浅くうなずいてから、ソジャンは懐から一枚の紙を取り出してそれを俺に渡し、「確かに渡した」と言うとすぐに背中を向けて去っていく。階段を下っていくなかでその背中が見えなくなるのを見届けてから、その紙に目を通す。そこには依頼人が宿泊している宿の名と依頼人の名前が記されている。


 今日の内に今はまだ素性の知れない夫婦と会って話をする、そのイメージを一人になったいま思い浮かべると、なんか不安になってくる。

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