第3話 魂、乳力に引かれて

 大型連休に突入した。部活をやっているわけでもない、友達がいるわけでもないぼくはそれはそれは暇を持て余していた。現代社会は娯楽が多すぎてもはや選ぶことが億劫なレベルにまでなってしまった。技術の進歩を喜ぶべきかどうかというのはなかなか難しい問題のようだ。

「ままー、あの人なんでぶつぶつ言ってんの?」

「見ちゃだめよ」

 聞こえてますよお。公園でぶつぶつ独り言を言っているだけで不審者扱いとは、世知辛い世の中になったな……昔のことなんて知らないけど。

「それにしても暇だなあ……」

 意味のないことを延々とつぶやく程度には暇なのです。金はない、友達もいない、時間はある。人間は歴史から学ぶことができる生き物だ。娯楽が少なく、時間を持て余していた時代がこの日本にも確かにあっただろう。そんなとき人々は何をしていたのだろうか?そう、恋をしていたのだ。かつての人々はあり余る時間をピンク色の妄想で潰していたのだ。つまり、ぼくも恋をすればこの暇な時間をつぶすことができる!……だからと言って急に恋心が芽生えるわけでもない。古来より『恋はするものではない、落ちるものだ』と言われている。ぼくも落ちてみたいものだ。

 なにはともあれ、歴史に学ぶということで、とりあえず図書館に移動した。図書館というのはいい。これほど暇つぶしに適した場所もそうないだろう。なにより、金がかからない。特に読みたい本があるわけではないので適当な本を一冊持って閲覧席に着く。本を開くが読むわけではなく、窓の外をぼけーっと眺めていた。風で揺れる木々や舞い上がったものが落ちる様子から先日の授業を思い出した。

『ニュートンはリンゴが木から落ちる様子をみて万有引力の法則の着想を得たという逸話があるんだ』

 とかなんとか。誰もが知っている逸話なわけだが、そこからどうやって月の話に行くのかさっぱりわからん。ちょうどいいことにここは図書館。ちょっとだけ調べてみようかな。

 調べると言ってもどんな資料をあたるべきなのか……とりあえず相談だ!

「すいません」

「はい」

「ニュートンについて知りたいんですけど、いい本ありますか?」

「ちょっと待っててくださいね」

 え?いきなり本持ってきてくれんの?

「こちらでどうでしょうか?」

 タイトルを確認する。

『プリンシピア 自然哲学の数学的原理』

 いいわけない。

「あのー……もうちょっとソフトな感じでいいのありませんか?」

「なるほど。少々お待ちください」

 え?なんかこう……もうちょっと質問とかは?変わった司書さんだなあ……ちなみに結構タイプなのである。あの母性の象徴に顔をうずめたい。

「こちらでよろしいですか?」

 今度持ってきてくれたのはニュートンの伝記だった。こういうのを読みたかったんだよ。

「ありがとうございます」

「先人に学ぶ。おもしろいですよね。髪型はあまり参考にならないと思いますが?」

「そ、そうですね。髪型を参考にしたいわけではないので……」

「なにかありましたらまたお声をかけて下さい」

「はい。ありがとうございます」

 会話って難しいんだな。本のアドバイスを聞くだけでも一苦労だ。

 閲覧席に戻り伝記を読んだが、なるほど天才ってやつなんですかね。人格的に尊敬できるかは微妙なところだが、その功績はすさまじいな。彼の最大の発見は万有引力か微分積分か……いずれにしても厄介なものを作ってくれたもんだ。まあ、微積についてはもう一人いたみたいだが。科学の発展を若干恨みつつ最初の疑問に立ち返る。リンゴの木を見て万有引力の着想を得たという。有名なこの部分だけを知っていたがちょっとだけ続きがあるようだ。

彼はリンゴが落ちる様を見て、もう一度木を見て、もうちょっとだけ木を伸ばしてみる。やっぱりリンゴは落ちる。さらに伸ばして……そこでふと疑問に思ったという。なんで月は落ちてこないのか?と

「すげえ妄想力だ」

 もうなんていうか……すげえな。ぼくの語彙力が少なすぎて悲しくなるが、すごいとしか言えない。

曰く『月は落ち続けている』

だそうだ。ちょっと実感がわかないけどね。なんでも、月が離れる力と地球が引っ張る力が釣り合っているという。この部分に関しては……とりあえず保留!


 本から顔を上げてぐーっと伸びながら外を見ると空はすっかり茜色だ。結構充実した時間を過ごせた気がする。ニュートンさんすげえっす。ということで、本を返してから帰るとしよう。借りた本をカウンターに持っていくと借りた時の司書さんがいた。

「お帰りですか?」

「はい、本ありがとうございました。なんかすごく勉強になりました」

 なんて中身のない感想なんだ。

「私もリンゴ好きですよ?」

「え、あ、はあ……ぼくも好きですが」

「本読みたくなったらまたいらしてください。本はいつでもあなたを待っていますから」

「え、はあ。多分近いうちに来ると思いますが。では、失礼します」

「はい。ありがとうございました」

 なんつうか、不思議な司書さんだな……あの母性は素晴らしい。しっかし、歩いて帰るのしんどいなあ……バスで帰るとするか。図書館のすぐ近くのバス停までたらたらと歩く。一人で過ごす休日ってのは悪くない。まあ、休日はいつも一人なんですけどね。

 バスに乗っている間、特にやることもないので外を眺める。移動の時ってなんか外見ちゃうよね。至極どうでもいいことを考えていたらバスがカーブに入ったようで窓に頭をぶつけた―その時にわかった

「月は落ち続けてるんだ‼」

 すんげえでかい声が出た。やっべえ……みんなこっち見てるよ。でも、なんかわかったわ!力のつり合いってあんな感じなのか!なんだろう……すごく高揚している。とりあえず、なんか気まずいので次のバス停で降りた。

 家に戻って腰を落ち着けるとさっきの感じが蘇ってくる。気持ちいい……あんなことってあるんだなあ。散歩とかしていて何かに気づくなんてのはてっきり適当こいてるもんだとばかり思ってたけど、案外そうでもないようだ。ぼくの場合は『気づいた』というよりも『腑に落ちた』という感じだったけど、偉人と言われるような人たちは多分『降りてきた』とか『つながった』っていう感じなのかもしれない。この勢いでぼくも新理論を考えてみるとするか!

 新理論を考えようと思ったからといってすぐに思いつくものでもない。そりゃそうか。しっかし、あれだなあ……司書さんのむn…母性はすばらしかったなあ。司書さのためだけに図書館に通いたい。これが恋⁉ぼくは恋に落ち続けているのか⁉って違うか…情欲ってやつですかね。なんでこんなにも惹かれるのだろうか。本能で片づけてしまってはつまらない……

「そうか‼」

 閃光のように閃いた。そう、ぼくの中で今日読んだ万有引力の法則と本能と言ってしまうには余りにも深い業が結びついたのだ。ぼくたちがこれほどまでに惹きつけられるのは情欲なんかではなかったのだと。そう、逃れられない物理法則によるものだったのだ。物体間にはたらく力は距離が大きくなると小さくなり、質量が大きくなると大きくなると書いてあった。つまりだ、その人のむn…母性が大きくなると質量が大きくなる―その分ぼくたちを引く力が強くなるということだ。しかし、ここで考えないといけないのは必ずしも質量に依存するというわけではない点に注意しなければならない。なぜなら、その母性は必ずしも大きさに惹かれているとは言えないからだ。

「まだ……何か足りないのか……?」

 ぼくはこの理論に足りない部分があるのではないかと思う。何が足りないんだ?思い出せ‼何かあったはずだ。

「万有引力定数‼」

 そうだ、定数がくっついていたはずだ。しかし、今回のぼくの理論では必ずしも定数とは言えない。せいぜい重み係数ってところか。そうだな、『趣味嗜好係数』とでも名付けておこう。結局全部変数なのか?と思ったが、よく考えたら『趣味嗜好係数』に関しては個人の中ではおおよそ定数になる。つまり、ぼくの視線がついつい引き寄せられてしまうのはぼくの下心などではまったくなくて、厳然たる物理現象の結果だったのだ。結局のところ、ぼく達の魂はその母性の引力から逃れることはできないのだ。

『と思うんだけどうだろう』

『風呂入って寝ろ』

 小鳥遊め……つれない奴だ。もうメッセージ送ってやらねえぞ。

 しかし、その質量は手を引き寄せるだけの力を及ぼしてはいないということには注意しなければならない。

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