第2話 試験結果はどこへ続く
新しい出会いを予感させる季節も終わりに近づき窓から見える木々の葉もすっかり緑色になってきた季節。もちろんぼくに新しい出会いはなかった。出会いがなかったのか関わろうとしていないのか。クラスを見渡す……と言っても席から見える範囲だが。見回したいところだがそれは叶わない。そう、今はテスト中。大型連休目前のこの時期にテストを実施するのは連休中に自分の弱点を見直せということらしい。こんな考え事をしているのはなぜか。答えはいつだってシンプルだ。テストなんてもう終わったからだ、いや、オワッタからだ。もう一度問題用紙に視線を落とすが、なるほどわからん。現在数学のテスト中。進級して一段とわからないが増えたな、わからないが増えるというのは成長の証というが、現在の状況を鑑みるに……怠惰の証だな。怠惰と言っても授業を聞いていなかったり、家ではちょっとテストとは関係のない本を読んでいるだけだ。しかし、少し問うてみたい。勤勉と怠惰、どちらが我々人間に備わっている基本的な性質か?と。ぼくが思うに怠慢こそが人間に備わった基本的性質なのだろうと思う。つまり、ぼくは人間としての本分を全うしているだけだ。
「と思うんだけど、どうだろう?」
「どうだろうか?じゃねえよ。テスト中にそんなこと考えてないで問題解け」
小鳥遊のくせに……正論なんて聞きたくない。
「いや、解ける問題がなかったんだ」
「もっと勉強しろって。おれは余裕だったぜ」
「やるじゃん」
こいつは見かけによらず勉強はできる。悔しくなんてないんだからね。勉強できたらもっと学校生活が楽になるんだろうか。いや、できる奴にはできる奴なりの悩みってやつがあるんだろうなあ。できないぼくには推し量ることもままならない。
「なあ、伊藤。なんでテストなんてあるんだろうな」
「なに?哲学?お前はいいじゃん。テストの点数いいんだから」
「お前に成績のいい奴の気持ちなんてわからないんだろうなあ」
わざとらしくアンニュイな雰囲気を醸し出しつつ言ってくる。……殴りたいこの横顔。
「で、成績のいい奴はどんな悩みを持ってるんだよ」
「彼女が欲しい」
それは悩みではない。願望だ。そして、それが叶うことは決してない。ぼくが阻止するからだ。
「彼女ねえ……お前ならすぐできそうだけどな」
「お、意外に高評価」
顔は悪くないし、背も高い。成績もいい。外側だけ見ると彼女がいても何らおかしくないのだが……そうか、変態だからか。
「で、なんでテストがあるのか?だっけ?」
「そこに戻るのかあ。おれだってテストなんてやらなくていいならやりたくねえよ」
「ほとんどの学生がテスト嫌いだと思うぞ」
まあ、努力が形になるのが好きっていうやつも稀にいる。ぼくには到底理解できないけど。なぜか?ぼくの場合努力の成果が見えない。成果が見えないのか、努力していないのか。
「お前の場合は努力してないんだよ」
「心を読むのはやめてください」
決して努力していないわけではない。授業を聞いていないだけだ。しょうもないことを話していたら予鈴が聞こえた。いつも通りの昼下がり、いつも通りのしょうもないやり取り。結構好きな時間だ。
定期考査というわけではないからテストのある科目とない科目がある。午後の授業というのは身が入らないもので、ぼんやりとする時間が増えてしまうのも仕方ない。
『なんでテストなんてあるんだろうなあ』
昼休みの問いかけが思い出される。言われてみるとあんまり考えたことなかったかもしれない。いわゆる『学校』という環境に身を置いて早……何年だ?十年以上か。幾度となくテストを受けては惨敗して、疎ましく思うことばかりだったけど、存在に疑問を持ったことがない気がする。ちょいと考えてみますかね。本を読む気も起きないし。
テストがなぜあるのか?か……こいつは難問だな。考えるための材料が少ないな。なんとかして手掛かりがないもんか。テストに関わっている人はどうだろう?まずは学生。受ける側なくしてテストなし。学校で行われるテストはペーパーテストだ。口頭試験ではない―—つまり、テスト問題を作成する側がいることになる。教師側もテスト問題の作成があるな、それに採点も。きつそうだなあ……そうか!ぼくは答案用紙の記述を少なめにすることによって先生たちの負担を軽減していたのか。ぼくは気づかないところで先生方を癒していたのか…おそろしい。こう考えるとテストってどっちにとっても歓迎されないな。誰からも嫌われるなんて……テストも不憫な奴だ。だが、これだけの嫌われ者なのに世にはびこっている―憎まれっ子世にはばかるというやつだろうか。随分と思考がそれてしまった上に、結局それほど広がらなかったが、テストは誰からも疎まれる不憫な奴ということがわかった。もう少し範囲を狭めて考えよう。教育機関においてなぜテストがあるのか?という範囲で考えてみよう。あー、なんも思いつかねえ。
「えー、ローマが全盛の時代で―」
先生の声が耳に飛び込んでくる。今は考え事をしているんだ、少し静かにしていただいてもよろしいでしょうか?と心の中で毒づく。待てよ?ローマが全盛の時代、道はすべてローマにつながっていたという。つまり、我々があれほど忌み嫌うテストもどこかにつながっているのだろうか?
ぼくが考えるべきはぼくが身を置いている社会について考えるべきだったんだ。思い出せ!いつも周りがどんな会話をしているかを!
『なんであの人本見ながらニヤニヤしてんの』
『きもいよねえ』
それじゃない。
『あの二人付き合ってるらしいよ』
『まじで!最近仲いいと思ってたんだよな』
『ねえ、仲いいよねえ』
ふむ、これですね。高校生の会話の9割は誰かの恋愛話だ(偏見)。人は自分の関心ある事柄に意識が向かうようになっているらしい。つまり、これは逆説的にぼくが恋に飢えているということになるのだろうか……。今はそれはいいか。世の中は資本主義だが、高校という環境において資本は形を変えているんだ。そう、学校というのは恋愛資本主義なのだ。彼ら彼女らは常に恋に飢えているのだ。すべての道は恋愛に続くのだ。つまり、テストすら恋愛に続く。では、どのようにつながっているのか?テストの役割を考えてみるんだ。
1.自分の学力的現状の確認
2.教師側が評価するための材料
3.常識の共有
まあ、こんなもんだろう。ふむ、なるほどね。恋愛資本主義社会で勝ち抜くのも楽じゃない。ぼくが結論を出すのと同時に放課後だ。さて、ぼくの出した結論を誰かに聞いてほしい。
「おれだ」
「部活だ」
「え、ちょ……切りやがった」
あいつまだ部活やってたのか。しかたないから明日にしてやるか。とりあえずメッセージを送っておく。
『明日の放課後な』
これで良し。
「じゃあ、先日のテストを返却する。連休中にしっかり見直しておくように。定期考査も近いからな」
定期考査ねえ。定期的に精神攻撃を仕掛けてくる学校なんて嫌いだ。
「伊藤」
「はい」
「お前は…まあ、がんばれ」
いやいや、がんばったんですけどね。えーっと、今回の数学のテストは……32点か。上々の出来だな。
「えー、今回のテストは結構出来が良くて、最高点は100点、平均点は72点、ちなみに最低点は32点だ」
32点なんてとるやつがいるのか。もっと勉強しろよ、全く、顔が見てみたいね。なんか、先生がこっちを見てるぞ?……32点てぼくじゃないか!やれやれ、最低点の発表はやめてほしいものだな。とりあえず、放課後まで本でも読むか。戦いに疲れた戦士は英気を養わねばならない。
ようやく受業が終わった。いやあ、結構寝てしまったね。午後の授業は眠くなるからね仕方ないね。小鳥遊が教壇側の入り口から入ってきた。
「うーっす。なんだよ急に」
「今日は大事な話がある」
「おいおい、告白かあ?」
「告白……よりも重要な話だ。つか、部活は?」
「部活があったら来ねえよ。明日から猛練習だから今日は休みなんだと」
そりゃまた大変なこって。
「まあ、あれだ。今日呼んだのは他でもない。先日小鳥遊から提出された問題についてだ」
「なんか言ったっけ?」
「世紀の大予想『テスト予想』についてだ」
「いや、なんも予想してないんだけど…なんか考えたわけね。では聞かせてもらおうか。300年証明されることのなかった世紀の大予想『テスト予想』の証明とやらを」
こいつなんだかんだ言ってのりのりじゃねえか。
「とはいっても部分的な証明だがな」
「部分的とは」
「完全な証明を与えることはできなかったんだ。なぜテストがあるのか?については結論を出せなかったんだ。なので!高校におけるテストの役割について証明を与えた」
「なるほどね。確かにおれらにはそれで充分だわ」
「まずは自分の置かれている状況について考えたんだ」
「環境?」
「そ、まあ社会と言い換えてもいいな」
「資本主義とか社会主義とかって話か?」
「そそ。ぼくたちってどんな社会にいると思う?」
「ん?そりゃあ資本主義じゃねえの」
「まあ、大枠ではそうなるな。問題はなにが価値あるものかということだ」
「なるほど。確かにクラスカーストでは金が必ずしも重要ではないかもしれないな」
え?なんでこいつこんなについてこれんの?ぼくは1日考えたのに?わざとわかりづらい感じに話してるのに……ちくしょう。
「そういうことだ。我々の社会において価値あるもの…それは」
「モテだ」
おい。ぼくの言葉をとるんじゃない。
「……まあ、そういうことだ。じゃあ認識が一致したところで我が『すべての道はモテに通ず理論』を聞いてもらおうか」
「ほう。自分の正しさは自分で証明して見せろ!つか、長い名前だな。」
え?なんでバトル漫画のノリなの?別に正しいかどうかなんてどうでもいいんだけど。
「ノリがよくわからんが……ぼくの考えたテストの役割はとりあえず3つ」
黒板に3つ列挙する。
1.自分の学力的現状の確認
2.教師側が評価するための材料
3.常識の共有
「割と普通だな」
「……ぼくの貧相な頭ではこれが限界だったんだよお!言わせんな」
こいつは的確にぼくの傷口をえぐってきやがる。
「お、落ち着けって」
「とにかく!この3つ自体はそれほど重要じゃない。というより全く重要じゃない」
「どういうことだ?」
「この一見普通の事柄の裏側にモテ資産増大の秘密があるんだ」
「モテ資産ってなんだ?モテ力みたいなもんか?」
「まあ、恋愛資本主義における価値あるものといったところか」
恐れおののけ!我が理論にな!
「まずは、第1の項目『現状の確認についてだが』これについてはそれほど言うことはない」
「いや説明しろよ」
「まあ、これは暗にテストを受けるということを指しているわけだが、テストを受けるまでには勉強するだろ?」
「お前はしないけどな」
「いや、していてあれなんだ」
「……で、勉強するとなんだって?」
かわいそうな奴を見る目でこちらを見るんじゃない。殴りたくなるじゃないか。
「噂によるとテスト前には勉強会なるものがあるそうじゃないか」
「たしかに、仲いい奴らで集まってやるな。ああ、なるほどね」
「ああ、そこで同年代の人間関係が深まる。友情やら恋愛やら……まあ、こいつらもモテ資産の形の一つだな」
「お前には無縁のものばかりだな……涙拭けよ」
ハンカチを差し出すんじゃねえ。ありがとよ。
「んで?第2の項目は?」
「教師側の評価、つまり成績だな。成績いい奴ってなぜか聞こえてくるじゃん?つまり、生徒からも教師からも評価が上がるわけよ」
「なるほどね。ここで人からの評価ってやつが手に入るわけね。あれ?おれは成績がいいなんて言われたことないぞ」
「何事にも例外はある。涙拭けよ」
とりあえずハンカチを渡してやった。まあ、こいつのなんだけど。
「最後のやつはよくわからんわ。常識の共有?」
「常識というか知識というか」
「それがなんでモテ資産になるわけ?」
「簡単に言うと、だれもが似たような知識をもつことになるわけよ。そうすると自分が知ってることは相手が知ってるわけ」
「そうね。で、どうつながるわけ?」
お?意外と結びついてない感じ?1日考えた甲斐があったぜ。
「その勝ち誇っている顔がもうなんかすんごい腹立つけどな」
「これはさ、意外性につながるんじゃないかって思うわけよ」
「はあ、確かに。テストに出そうなこと以外のこと知ってると『よく知ってるなあそんなこと』ってなるわ。資料集のちっさい文字のとことか、コラムとかな」
「そういうことよ。資料集のちっさいとことか知ってると、勉強できる奴っていうよりなんか物知りみたいなポジションを得ることができる。これもモテ資産の形の一つだ」
「なるほどね、すべての道はモテに通じてるわ。理論というよりは理屈と膏薬はどこへでもつくって感じだけどな。とは言っても、テストのモチベにはなるわ」
「いやいや、これほど完全な理論はなかなかない。そして、理論は実験をもって実証されなければならない」
「もちろんだ」
小鳥遊が不敵な笑みを浮かべている。ふ、どうやらこいつは確信があるらしい。ぼくは自信たっぷりに問いかけた。
「勉強会の定理についてどうだ?」
「勉強会かあ。おれが教えたところを女子に教えて仲良くなっている奴はいた」
「教わったことをしっかりとものにしたってことだな。教えるのうまいの?」
「いや、今はそれ関係ないだろ…。でも、勉強会って仲いい奴らでやるからそれで進展してるんだかわからねえわ」
「なるほどね。保留!」
「いやいや、お前はどうよ?」
「……勉強会なんてしたことないけど」
「………すまん。今度やろうぜ」
「お前と一緒に勉強してもモテ資産は増えない。残念ながらな」
「じゃあ、2つ目の評価の定理は?」
「これはなあ、結構微妙なところなんだよ。お前あんまモテないし」
小鳥遊は成績がいい。だがモテない。まあ、これに関しては変態係数を導入すれば説明がつくが、こいつのために黙っていよう。
「おいおい、おれくっそモテるから」
その発言がすでにモテない奴の発言だ。
「スペックが高いのは認める。だが、モテてはいない、変態だからだ」
言わないつもりだったがつい口が滑ったね。
「断じて変態ではない。愛があふれているだけだ」
「はいはい。その愛は決して見せないでくださいね。ゆーて学年1位ってモテる?」
「特別モテてる感じではないな」
「うーん……いろんな定数を導入すれば…」
「いやいや、それもう違う定理になるじゃねえか」
「……保留!」
なかなかやるじゃないか『テスト予想』それでこそ挑み甲斐があるってもんよ!
「んで、3つ目の意外性の定理はどうやって確認すんだ?」
「なんか参考になりそうな例はないわけ?」
「おれの周りにはあんまいないタイプだなあ……ああ、あったわ」
ん?なんでぼくのテストの解答用紙を差し出してくるんだ?
「そして、3つ目の定理は否定された。なぜなら、お前は全くモテてないからだ」
「おいおい、ぼくの解答用紙のどこに意外性があるっていうんだ」
「いやいや。証明問題の解答欄を見てみろって。テストでこんなことを書くやつはいないし、教科書の範囲からも外れてる。つか32点て……ちゃんとやれよ」
「いかにも、ぼくの全力だが?」
ぼくは自分の解答用紙に視線を落とした。ぼくの解答と先生からのコメントがそこには書いてある。
『ぼくは驚くべき証明を見つけたが、それを書き記すにはこの余白は狭すぎる』
『その驚くべき証明は書かないと点数にはなりません』
下校の時間になってしまったので、下駄箱にある自販機で買ったコーヒーを片手に小鳥遊と一緒にたらたらと駅に向かう。
「世界中の学者たちはこうやって世界と戦ってるんだな。知の島の開拓者達に乾杯」
「お前のあほ理論と一緒にすんなよ。でもまあ、テスト頑張ればモテるってことはわかった!次の定期考査がんばるかあ!」
「そうだな……」
テストを頑張ってもモテるかはよくわからんというのがさっきの結論だが、そんなことも忘れて隣のあほはやる気をみなぎらせている。いや、やる気があるのはいいことだと思うけど。結局、『テスト予想』は相も変わらず未解決のままだ。しかし、未解決問題というのは否応なくぼくらを惹きつける。そうやってぼくたちは知の島の境界で問い続ける、『どうすればモテるのか?』と。
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