伊藤くんの日常問答
沖原哲
第1話 妄想は力なり
無事に学園の二年生に進級することができた。ぼくの学園生活に特別な出来事はない。かわいい女子と隣の席になって仲良くなるような展開も、突然の美少女転入生とお近づきになることもない。ましてや通学中にみかける美人さんとお近づきになるなんてこともない。そういうことが詰め込まれているのは今現在読んでいるような小説の中だけだ。
「じゃあ、この問題。伊藤」
「わかりません」
「……少しくらい考えてから言ってくれよ」
ぼくは言いたい。ぼくを指してわかるかどうか少しは考えてから指してくれよ。「わかりません」と言うのも多少は恥ずかしいものなのですよ?先生。
「まったく……ここテストに出すかもしれないぞ」
テスト問題を数問教えてもらったところでぼくにはそれほど影響しない。なぜなら、赤点の中でも高めになるか低めになるか程度の違いしかないのだから。にもかかわらず、ほとんどの授業で本を読んで過ごしている。なぜかって?授業よりも本を読んでいる方が楽しいからだ。そんなことを言うやつは大抵成績がいい―小説の中なら。授業を聞いてないし、家でも勉強は特にしていない、もちろん予備校に通っているわけでもない。つまり、成績は下から数えた方が圧倒的に早い。
「今日の授業はここまでだな。級長挨拶」
「気をつけ。礼」
さて、午前の授業はこれで終わった。学校生活で唯一の癒し、昼食の時間だ。ぼくの昼食の場所は決まっている。別館とつながっている渡り廊下がぼくの定位置だ。廊下と言ってもこの渡り廊下は3階とつながっている部分が屋外になっている。なんでこんなところで食べているのかって?外で食べる方が気持ちいいからね。どうせ一人で食べるのなら気持ちのいい場所で食べた方がいいでしょ。心の中でいただきます。と言っておにぎりにかぶりつく。
「お、今日は鮭のおにぎりか。やったぜ」
お気に入りの具だったことを親に感謝をしていると声がした。
「よお、相変わらず一人か」
軽い挨拶をしながら近づいてきたこいつは小鳥遊。一年の頃からなんとなく付き合いのあるやつだ。校内で友達と言えるのはこいつくらいか……。
「よお、部活の連中と食べないの?」
「いつも一人で食ってるからたまには一緒に食ってやろうかと思ってな」
ニヤリと笑いながら近づいてきやがった。
「クラスどんな感じよ?」
「これといって特別なことはないけどな……強いて言うなら、高橋さんが可愛いかな」
「高橋さんて誰?」
「知らねえのか。もう少し人に興味持てよ。高橋さんは陸上部の子だよ。結構人気あるじゃん」
「人に興味がないわけじゃないよ。学年に三百人もいたら知らな人のほうが多いって」
「そりゃそうだけど。人気の女子くらい把握しとけって。そんなだからいつも一人なんだぞ」
「女子を知らないことと一人であることは全く関係ない。ぼくが一人なのはただいつも教室でラノベ読んでるからだよ」
「一応原因はわかっているのね」
「まあ、ラノベ以外も読んでるけど、読んでる本なんて周りにとっちゃ関係ないし」
「おっしゃる通りで」
「んで、話題の高橋さんがどうかした?好きなの?」
「いや、そういうわけじゃない。可愛いなって思ってるだけ」
「ほーん。あー……高橋さんてあの人か。選択科目同じだわ。たしかに可愛いかも。ぼくの好みからはちと外れるが」
「お前の趣味はちょっとずれてるよな。しかも二次元のほうが好きだしな」
「それは……否定できないな」
「高橋さんと言えば、今朝少し耳にしたことがある」
出ましたよ。こいつは交友が広いから結構いろいろな噂を仕入れてくる。
「高橋さんて去年県大会に出場したんだよ」
「すごいじゃん。期待の星ってやつだな」
「まるでおれだな!そんなわけで、部内でも結構期待されてるわけよ」
しれっと自分をアピールしてきやがる。そしてその情報は初めて知ったぞ。多分適当こいてるだけだが。
「んで、ようやく全国大会決定?おめでとう」
「いやいや、そういうめでたい話だったら学校中で話題になるって」
「なんだ?深刻な話か?ははあ、彼氏でもできたな?」
「それはそれで、噂になるが違う。まあ、話は最後まで聞けって。んで、去年県大会に出た高橋さんなんだけど、最近伸び悩んでるんだってさ」
「まあ、本人にとっては深刻かもしれないが、スポーツやってれば伸び悩む時期くらいあるもんなんじゃないの。猛練習してどっかケガしたとか?」
「いんや、本人は特に気にした風もないらしい。練習の時間も変わってない、むしろ減ってるっぽいよ」
「本人が気にしてないならいいじゃん。気にするのは周りばっかりってね」
「まあ、そういうもんだよ。人には勝手な期待を押し付けるもんさ。やれやれ…期待に応えないといけないスターはきついぜ」
安心しろ。お前が期待されているなんて話は聞いたことがない。もちろん口には出さないけどな。
「そんな目でおれを見るなって。興奮するだろ」
「トイレ行って来いよ……。部活って大変なんだな」
「もうちっと興味出せよ。でもさ、不思議じゃね?高橋さん自身も陸上も練習も嫌いって感じじゃない」
「まあ、県大会に出るくらいだしな」
「なのにさ、記録でないのに気にした風もない。内心気にしてるってこともあるかもしれないけど、そんな感じでもないしさ」
「何が言いたい?」
「ちょっと考えてみない?なんで高橋さんの記録が伸び悩んでるのか」
「聞けばいいじゃん」
「あほか。どうやって聞くんだよ。『やあ高橋さん。最近記録伸び悩んでるんだって?どうかしたの?』ってか?」
「いや、聞き方は工夫しろよ」
「まあまあ。答えを聞いたんじゃ面白くないだろ」
全くめんどくさいな……どうやってこいつをかわしてやろうか。
「お、予鈴だ」
「貴重な昼休みだったのに、お前との無駄話で終わっちまったよ」
「なんて尊い昼休みなんだ」
「あほか」
「また放課後な。教室で待ってろよ。行くから!じゃな」
小鳥遊はさっさと教室に戻っていった。放課後って……お前部活は?
お昼の後というのはやる気が出ないもんだ。じゃあいつやる気が出るのかというと、いつなんだろうなあ。ぼんやりと先生の話を聞きながら黒板を眺めている……ノートは時々とる。しかし、授業中というのは本当に退屈だ。本を開く気にもなれない……さすがに教科書は開いてるけど。そしてふと思い出してしまった。昼休みの奴の話を。なるほど、暇つぶしにはもってこいの内容だ。五限六限を使ってちと考えてみよう。授業は……まあいいか。テスト前に焦れば充分だ。
さて、聞いた話を整理してみよう。昼休みに小鳥遊が言っていた話はこうだ。
『去年県大会に出場した高橋さん。記録に伸び悩んでいるが本人は特に気にしていない。焦って猛練習している様子もない』
整理してみると特に変な状況でもない。むしろこれから記録が伸びそうな感じなんですけど……。ただ、引っかかることも言ってたな…そうだ、練習時間はむしろ減り気味だと。ここで『減り気味』という表現を使ったということは、最近になって減ったと予想できる。減っているのだったら、あいつ練習しなくなったという表現を使いそうだ。記録に伸び悩んでいる人が焦って猛練習をしたら怪我をする。変わらずに淡々と頑張ればムリなく記録を伸ばせるかもしれない。では、練習を減らしたら?これは非常にわかりやすい。自己ベストからは徐々に遠ざかる。では、好きでやっていることで伸び悩んできたらどうだ?多かれ少なかれ焦りは出るだろう。だが、本人は気にしていない……つまり、この記録の伸び悩みは本人にとっては必然のことだとしたらどうだろう?そうだとしたら、周りは騒ぐが本人は気にしない。そうか!今記録が伸びないというのは本人にとっては必然のことなんだ!謎は全て解けた。ぼくは数百年の未解決問題を解いたような気持ちになった。きっとフェルマーの最終定理を証明した時ワイルズもこんな気持ちだったに違いない。
そして、六限終了のチャイムが聞こえた。
「待った?」
小鳥遊が教室に入ってきた。ふむ、ここは定型文で返してやろう。
「いや。今来たとこ」
「大遅刻じゃねえか」
大遅刻だとわかっているのならもっと早く来いと言ってやりたい。
「もちろん嘘だ。ずっと居たよ」
なんせぼくのクラスですからね。
「知っとるわ。んで、推理はできた?」
「そういうそっちはどうよ?」
「ちっとも考えてねえよ」
殴りたい。この笑顔。
「まあいい。ぼくはとても晴れやかな気持ちだからね」
「お、じゃあ推理を聞かせてもらおうか名探偵」
「数学者とでも呼んでくれ」
「お前数学赤点すれすれだったじゃねえか」
「高橋さんの状況について整理しよう」
「強引に始めやがったな……だが、切り出しは完全に探偵だ」
「彼女は今伸び悩んでいる。それを整理するとこうなる」
ぼくは黒板に整理したことを書き連ねた。
1.高橋さんは伸び悩んでいる。
2.本人はなにも気にしていない。
3.練習時間が減り気味。
「整理してみると……よく聞く話だな」
まあ、よく聞く話だということには小鳥遊に全面的に同意だ。一見すると特別な事情なんてものはないように見える。しかし、ぼくはこの出来事がさも深刻なことであるかのように重々しく告げた。
「ここで鍵となるのは二番目の情報だ」
「本人は気にしないってやつか?高橋さんってマイペースな人なのかね」
「そういう捉え方もできるな。でも、ぼくは別の結論を出した。周りはうるさいけど、本人は気にしない。それは、本人が現状に納得がいっているからだ」
「なるほど。たしかに、原因がしっかりわかっているなら焦ることもないし、特別気
にはしないな」
「そうだ、この状況は彼女にとって必然なんだよ」
「なるほど。じゃあ、この必然は何によって引き起こされているんだ?」
「焦るなよ、助手」
「先生!早く聞かせてください!」
「まずは、最近高橋さんに変わった様子は?」
「特にない……いや!あります!先生!」
「聞かせてみなさい」
「むn……夢と希望、そしてこの世のすべてがそこにはあるという、例のあの場所から受ける力が強くなっている気がします」
「お前も真理に片足を突っ込んだな。記録が伸びていない原因はそこだろう。身体的な成熟に由来するものだ」
「成熟って……なんかいい響きだな。それはさておき、他にも原因があると?」
「そうだよ。根本の原因はそこにはない。それだけでは残り二つの情報に説明がつかないだろう」
「確かに。例のあの場所が原因で練習時間が減るというのは腑に落ちないな」
「だが、もし仮に『成熟を促す者』がいるとしたらどうだろう?」
「なん……だと?」
「そうだ、『成熟を促す者』を仮にXとしよう」
「いや、彼氏じゃん」
「……彼氏ができたと仮定すれば話がまとまる」
「だが、高橋さんが校内で特定の男子とよくいるところは見ないが。そしてそういう話をおれは逃さない」
「そうだ。確かに、校内の男子とはそうかもしれないな。つまり、大学生だ」
「そうか。それならすべてに説明がつく」
「つまり。結論はこうだ」
僕は再びチョークを手に取った。
『高橋さんには最近大学生の彼氏ができた』
小鳥遊は目を閉じて感慨深げに口を開いた。
「真相を聞いてしまえばなんてことはない……昼休みにお前が言ったとおりだったな」
「ああ。彼氏ができるとしたら校内の男子という先入観がお前の目を曇らせたんだ」
「おれたちのやることは決まったな」
「ああ……」
「「その羨ましい彼氏の顔を拝んでやるぜ!」」
その瞬間、間違いなくぼく達の心は一つだった。
今日も一人で昼食をとっていると、小鳥遊がやってきた。
「よお、今日も一人だな」
「いつも一人だよ」
「知ってるよ。なあ、聞いたか?」
「なんだよ」
「高橋さん、最近調子あげてるらしいぞ」
「記録会も近いみたいだし、気合入ってるんでしょ」
「なにが『成長を促す者』だよ。大学生の彼氏なんて影も形もなかったじゃねえか」
「事件は迷宮入りだな」
「何言ってんだよ。ただ予備校に通い出したってだけだっただろうが」
「ようやく予備校にも慣れてきたんかね。しっかしおかしいなあ……最近高橋さんが可愛くなったような気がしてたんだけど」
「女子が可愛く見えるのは恋してるときだけじゃねえよ。何かに打ち込んでる姿ってのも魅力的に見えるもんなんだよ……惚れた?」
「いんや、ぼくは山本さん派だ」
「そんな派閥はねえ。やっぱ変わってるわ」
いつものようにくだらないやり取りをしていたら予鈴が聞こえた。
「さて、教室に戻りますか!伊藤名探偵!」
「あと二限、がんばりますか!」
特別なことは何も起きないぼくの学園生活。でも、妄想はそんな生活にスパイスを加えてくれる。日常が平凡だと感じるなら自分で妄想すればいいということを小鳥遊が教えてくれた。あの時は少し楽しかったな……あいつには少しだけ感謝しといてやるか。絶対口にはしないけどな。妄想という武器を手に入れ、これからの学園生活が少し楽しくなりそうな予感がした。
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