かえるの話

第1話

田舎に住んでいる祖父が蛙を持ってきたことがある。


卵ごと水槽に入れて運んできたのは私が小学生ころの出来事だった。


沢山の小さな粒状の卵を寒天状のような物体が包んでいて間近で見ると肌が粟立つ。


祖父が卵を目の前に持ってきて手に乗せたそれを左右に振るとぶよぶよと動き、なんとも不気味なものを見た気分になったものだ。


祖父はそれを持ってきてそのままうちに置いて行ってしまった。水槽まで持ってきたのだからもとよりそのつもりだったのだろうが、なんとも無責任だと思った。


これから生まれてくる大量の蛙の世話をするのは誰なんだ、とか、そもそもこんな量家の中だけで処理しきれないしはアパートぐらしなんだぞ、うちは、と伝える前に帰られてしまったことが口惜しかった。


しかし家族が制止することをしなかったから蛙はそのままうちで飼うことになった。


私はしばらく貰った悩みの種のことを忘れようと思っていたが種の成長は止まらない。


あっという間に卵はおたまじゃくしになり足が生え手が生えもう立派な蛙と言ってもいいほどになってきたころだった。


飼っている1匹が玄関ドアの近くで干からびていた。


その後も干からびた個体は玄関前や室内から続々と発見された。


原因は単純で水槽には蓋がついていなかったからである。飛び跳ねられるようになったからには脱走を図ることは容易にできる。


蓋をつければいいだけの話だったが水槽は祖父が持ってきたもので淵のサイズがわからなかった。いや、この際そんなことどうでもよくて大きすぎてもいいからとにかく蓋をつけるべきだったのだ。


何故か私たちにはそれができなかった。それは蓋を買うのが億劫だったからかもしれないし、蛙たちは都会の玄関脇では長くは生きられないと感づいていたから自暴自棄になっていたのかもしれなかった。


卵から帰った蛙未満たちは黒く薄い斑点模様を持った親指くらいの小さなサイズだった。ヒキガエルのような重々しさはまるでない。彼らは毎日のように外に飛び出しては干からびていった。


このままずっと同じように死への旅を蛙たちは繰り返すのだろうか。他に彼らが生き残る道はないのかという思いが私の中に生まれた。


片手で数えられるくらいの数になってきたとき、私はふと蛙を一匹手に乗せて途中で逃げ出さないように片手で覆い、エントランスをくぐって外に出ていた。


土砂降りの雨の日だった。


手の平を地面に近づけると蛙は素早く地面に飛び降りた。一連の行動にはもうお前の手の中には戻らない、そんな決意が感じられた。


蛙はその場に留まっていたが私はすばやく自分の部屋のある階まで戻った。


飼っている動物を放したのだから、今思えばあの行為は違法行為だった。


だが、そうしなければいけないという強い使命感が当時の私にはあった。


このまま彼らの結果の決まりきった旅路になんの勧告もなしに見放すのか?そんなことは到底できなかった。


少しでも可能性があるのならそれにかけてみたいと思った。


アパートの近くに生活ができそうな水場はなかったし、逃した次の日は晴天だったからあの蛙は家にいたときと同じ運命を辿り干からびて死んでしまったかもしれない。


けれども数十年たった今でも私はやつが今もどこかで生きているんではないかと思わざるを得ないのだ。


そう思うことになったきっかけは今月見たある動画だった。


「恐怖!蛙人間」


深夜、私の住む県内で蛙のUMAが発見されたというのだ。


私は所謂オカルト系は苦手であるから通常ならそんな見ることはないのだが蛙を手放した経験がある以上興味を惹かれた。

県内だ、もしかしてあいつじゃないか?


再生ボタンをクリックする。


暗所をうごめく奇妙な生き物の姿がそこにはあった。


体色は闇に紛れるような暗色で目をこらせば薄い斑点が見えなくもない。身長は子供程度の大きさのそれは見た目こそ私の飼っていたあの蛙にそっくりだった。


画質がいいわけではなかったがその動きから作りものらしさは不思議と感じられなかった。これは本物なのではないか。


あのときの蛙が二足歩行でひょこひょこと歩く様子が編集され、何度も流れる。


動画は夜に撮影されたせいで見づらく私の目の錯覚かもしれなかったがこれが私の飼っていた蛙であったら法律違反どころの話ではない。


動画の内容は目撃情報をもとに設置したカメラにそのような物体が写り込んだというだけでその蛙人間がなにか事件を起こしたなどというものではなかった。


しかし、しばらくするとやつにはこのまま誰の目にも触れず平穏に過ごしてほしいという思いが私の中に湧き上がってきた。


あのとき逃した蛙が突然変異して人間になったなんて到底ありえない話だ。私には経験があるからそう思っただけでそもそもこの蛙人間が本物だったとしてもやつであるという確証はないのだ。


帰ってこなくていいから、どうか今度は誰の目にも止まらずに生き抜いてくれよと他人とも知り合いともつかない相手に向かって私は念じるのであった。

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かえるの話 @murasaki_umagoyashi

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