第3話 逃げろ俺

 目に飛び込んだのは知らない天井。


「あ、目が覚めた?お茶飲む?痛い所は無い?」

「…いただきます、左頬が痛いです」


 髪の長い知らない女性はにこにこしながらポットから急須に湯を注ぎ、湯呑に茶を注いでくれた。白衣を着た後姿は何となく学校の保健室の先生を思い出す。


「三回目だから薄いかも!でもしょうがないわね!そうよね!」


 このご時世茶葉があるだけ立派というものだ。ほとんどの農地が徴発されて芋を作付けし、嗜好品は大変貴重だ。高騰したそれを知らない人間に出せるというのはこの女性が金持ちである、もしくは他人の物を勝手に使っている時だけだ。もちろん出所は気にせず頂く。


「ありがとうございます、いただきます」

「あ、そうそう!異常はなさそうだけど頭が痛くなったら病院に行ってね?」


 案の定ここは病院ではないらしい、おそらく公民館の一室だろう。給湯器があるから事務所か休憩室あたりだろうか。受け取った茶をベッドに腰掛けて受け取る。薄いが久しぶりに心地よい渋みのお茶だ。


「あいつどうなったんですか?」

「ん?あー彼ね!もちろん逮捕よ!つまらない前科よねー!それで前戦送りなんて割に合わないわね!」


 この女さらっととんでもないことを言った。

 だが徴兵検査に来てただのチンピラに伸されたのだからこれで晴れて無罪放免、いつもの日常に戻れるだろう。

 あの男には少しだけ感謝しなければならない。

「あ、もう一個あったわ!」


 わざとらしく女は手を叩いた。芝居がかった女の仕草に得も言われぬ焦燥感が体を支配していく。


「あ、はい?」

「あなた合格!!」

「・・・・・・は?」

「あら?聞こえなかったかしら?ご・う・か・く!!」

「違います聞こえてますいや、何も聞こえません!家に帰してください!」

「あらあら困った子ねー!でもぉ、残・念☆ あなたは私の…おっと!みんなの盾になってこの日本を幽鬼から守る運命なのよ!」


 女はバチコーンとウインクしながらポーズを決める。このままここにいてはまずい。勢いよくベッドから立ち上がり出口を目指して走り出す。


「ウフ!逃げられないわよ!アハハ!」


 女はどこから取り出したのかムチを振って俺の足を払った。転びはしなかったものの、わたわたとバランスを崩して俺は壁に手を付いた。その瞬間入り口の引き戸ががらりと開いて誰かが入ってくるのが見える。

 あと数m、その人物と入れ替わりで部屋を飛び出せばムチで打たれることもきっとない。


「博士、早…!」


 先程体育館で口説かれていた女が部屋に入ってきた。話しぶりから白衣の女とグルだったとすぐに理解したがそんなことはどうでもいい。

 壁と女の隙間に割り込むように白衣の女から立ち位置を変えれば切り抜けられる。この女には悪いが壁になって貰うべく体を滑りこませた。はずだったのだが視界が回る。


「がっは!」


 何をされたか全くわからなかったが強い衝撃に勝手に声が出てしまう。


「どういうこと?」

「ごめんごめん!突然だったからほらぁ!ちょっと打ちたくなっちゃって…」


 あの白衣やばい奴だ。それよりも両腕を後ろに決められて動けない。引き倒されて拘束されたようだ。が、先程見た女の体躯は重く見積もっても50kgちょっと。武器運びで鍛えたこの体で振りほどけないはずはない体格差だ。

 それも不思議だがそれ以前に体がおかしい。急激に体温が上がり、体中が痛くて視界が霞む。


「まさか説明を…」

「だって彼逃げちゃうんだもん!私のせいじゃないもん!でも薬は飲ませたからもうちょっとで転化が始まるわね☆」

「最低、説明も無く薬を飲ませたの?」

「その方が早いでしょ?どうせ戦争が終わらなきゃまともな暮らしなんてできないし!」

「最低!あなたまだ聞こえてる?」

「…あ、あ?」


 女の声が近寄ってきたが最早顔が見えない。続けて何かしゃべっているがうまく聞き取れない。熱にうなされた時のように皮膚がざわざわする。あぁ…俺は

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