第30話 うわさ【side:久遠なぎさ】
羽純 鉄と、久遠 なぎさが付き合う少し前のはなし。
今日、久遠なぎさは二度目の登校をした。
一度目は今朝。教室にスクールバッグを置いた途端、スマホが震えた。姉から父親が倒れたことを聞きつけ、いてもたってもいられなくなった。
父親が救急車で運ばれたという病院に急いで向かっても、ついたのは昼前だった。
「なぎさ、学校はどうした。はやく戻りなさい」
見ただけで患者だとわかる薄い色のパジャマに着替えた父親の姿。白いベッドに横渡り、ノートパソコンを叩く手を止めずに告げられる。
「心配しました」
「そうか。すまない」
感情のない父だった。無機質な言葉の謝罪を受ける。
早々に沈黙に耐えられなくなり「体を大事にしてください」と伝える、病室を後にした。
エレベーターで一階に降りる。広々としたロビーで、姉を見かけた。病院にあるコンビニのコーヒーを飲みながら、母親に怒りをぶつけている。「心配して来てやったのに、クソ親父」と、悪態をついている。
姉はわたしを見つけると、猫のような目を細めた。
「なぎさちゃん、ありがとう。お父さん、平気みたい。ごめんね、騒いで」
姉が申し訳なさそうに言う。
「いいえ。お見舞いに来たこと、怒られたわ。はやく学校に戻れって」
いつからだろう。姉と、ぎこちない関係になったのは。
小さいころは、姉妹でずっと一緒に遊んでいたのに。
――きっと、わたしが嫉妬してしまってから
優秀過ぎる姉と比べられるのが、わたしのコンプレックスだった。
欲しいものは、全部もっているような姉。
かわいさも、美しさも、頭のよさも、運動神経も、機転も、優しさも、ぜんぶ持っている。それでいて、飛びぬけて明るく分け隔てのない性格は、だれからも慕われて当然だった。
姉との、なにげない会話も距離感が遠く感じる。当たり障りないように、配慮してくれている。
わたしが一度、拒絶してしまったから。
「っま、気を付けて帰ってねん。なにかあったら、連絡してきなさいよ。お姉ちゃん、さみしがりなんだから」
わたしが何とも言えない顔をすると、察したように姉は笑う。
「キャハハ。ごめんね」
わたしが謝ればいいのに、そうしない。頑固な一面が、わるいように出てしまっていた。
もやもやとしたものを抱えながら、バスと電車に乗って、学校に戻っていた。
すでに、授業は終わってしまっている時間だった。
すこしの徒労感と、おおきな空腹感に悩まされながら、荷物を取るだけに学校に戻る。みんなが帰宅しているなかで、わたしだけが二度目の登校をする。
前にもこんなこと、あったかしら。
スマホを無くしたときも、こんな風景だった。
まだ、羽純くんとはすれ違っていない。
珍しく、学校に残っているのかもしれない。
校門の前で、クラスメイトとすれ違う。
はっとしたような顔を浮かべられた。
なんだろう。心当たりはないのだけれど。
「久遠さん、あの」
決心して、聞いてみたいことがあるような口ぶりだった。
「佐藤くんと付き合ったって、本当ですか?」
「はいっ?」
すっとんきょうな声が出た。
いけないわ。あまりの理解できないことに、頭がフリーズした。
「佐藤くんって、同じクラスの?」
「そ、そう聞いたんです。あれっ」
同じクラスの女の子は「おかしいな」と、首をかしげる。
「いいえ。付き合ってないわ。そんなうわさが、流れているの?」
「はい、もう一日それで持ち切りで」
「……そ、そう。ありがとう」
頭が痛い。
この手のうわさは放置していれば一週間ほどで消えると知っている。でも、いままでで一番、出どころのわからないうわさだった。
自分に余裕がなくなっているのが、わかる。すこしイライラしている。
はやく荷物だけ取って帰ろう。
正面玄関に入ったところだった。
「久遠 なぎさ」
聞いたことのある、低い声がした。
サッカー部の風見くん。背が高く、掘りの深い顔をしている羽純くんの友達。
いつも愛想のかけらもない顔をしているひとだけど、今日は格別だった。怖いとまで思えるほど、顔に力が入っている。
「聞きたいことがある」
きっと、うわさのことなんだろうなと気づいた。
イライラしてはいけない。自分に言い聞かせた。
「お前が、同じクラスのやつと付き合ったってうわさは、ほんとうか?」
言葉を選ぶのに迷った。
わたしがだれと付き合ったのか、特定できていないような話が広まっているようだ。
頭に血がのぼってしまった。それでも、がんばって落ち着いて話したつもりだった。
「ええ、本当よ。本当にそんなバカなうわさが広がっているのよ」
わたしがそう言い切る前に、目の前の男は走り出した。
呆気に取られてから気づいた。
いまの答えを「yes」だと誤認している可能性が高い。
「あーーっ、もう!」
わたしは、叫んでいた。
あの男、絶対誤解した。
その誤解を持って、羽純くんのところに行った。
「信じられない、あの男。待ちなさいっ!」
スカートを気にせず、走って追いかけた。
風見くん、内履きのまま外に出て走り出すのも信じられないし、声が届いても止まらないのも信じられない。
脳裏に浮かぶのは、羽純くんの顔だった。
あの男、誤解で羽純くんを不安にさせるんじゃないでしょうね。
羽純くんと風見くんが、昼休みにいることが多い中庭に向かっても、姿は見当たらなかった。
来た道を戻って、校舎裏に向かう。
今日、こんなのばっかり。
なんだか、笑えてきちゃう。
たまにある、運に見放された日。
そのうち良い事あるからと、自分をなぐさめる。
校舎裏へと続く道で、風見くんとすれ違う。
さっきの言葉を正そうとしたら、向こうから話しかけてきた。
「行かせねーよ。鉄が悩んでる。お前のことでな」
だれのせいよと、叫びそうになった。
ついに、わたしのイライラが最高潮になって、口を走らせた。
「どきなさい。わたしは、あなたにもイラついているの」
むりやり通り抜けようとする。風見くんの腕が、わたしの肩を押してきた。
「いたっ」
肩を小突かれた大きな衝撃に、身をよじった。
頭が、急に冷静になった。
おあいにくさま。わたし、大人しい女の子じゃないのよ。
――スパーン
平手打ちの高い音が響き渡った。
風見くんが、驚きながら顔を横にそらしていた。
逆上したのはお互いのようで、風見くんが掴みかかってくる。
「このッ」
大きく振りかぶった両手で、取り押さえられそうになる。
体を半身にして構えた。踏み出した右足を見てから、相手の右手を両手でつかんだ。
少し引っ張っただけで、風見くんの重心が崩れた。腕を取ったまま、頭の上を回して、投げ技をかける。
――四方投げ
最後の優しさで、投げているときに手を離してあげる。
風見くんは地面を転がった。勢いを殺したあとに、背中を校舎の壁にぶつけている。
「っぐ」
肺から息を吐き出す音がした。
――ダンッ
風見くんが目を開けた瞬間、顔のすぐ横をローファーで蹴りつけた。
「邪魔をしないで。わたしは、わたしの好きな男に逢いに行く」
男の子を足蹴にしながら、言っていた。
やだ。すこし、はしたなかったかしら。
すこしスッキリして、冷静になった。
「それと……いい? よく聞いて。あなたが、わたしに、うわさのことを聞いてきたときの返事はこうよ『本当よ。本当にそんなバカなうわさが広がっているのよ。信じられないわ』よ。話を最後まで聞かないせいで、羽純くんを不安にさせているのだとしたら、わたしはあなたを許せない」
風見くんが、目を大きくしてから頭を下げた。
わたしは急いで、羽純くんのところへと向かう。
……落ち込んでないといいけれど。
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