第28話 すれ違い

「はあ。どうせ、そんなことだろうと思ったわ。バカ鉄、アホ犬。あんぽんたん」


 いきなり、背後から声がした。


 名前を呼ばれただけで、体全部が反応してしまう。ビクっと力が入って、自然に笑顔になって、ふり返る。

 ムスっとした表情。片目を閉じながら、腕を組んだ久遠がいる。

 

「目が赤い。やっぱり、すこし落ち込んでたわね」


 俺の事なんて全部見透かしたような、透き通った目。呆れたように笑いながら、手を伸ばされる。俺の肩に触れ、手を払ってくれる。


「猫の毛? なにをつけてるのよ、もう」


「久遠、今日どうしたんだ?」


「お見舞い。お父さんが病院に運ばれたって、お姉ちゃんから電話があったの。心配して駆けつけても『会議に参加してるから待て』って、言われるのよ。病室なのに会議って、ちっとも懲りてないの。あの人、仕事しながら立ったまま死ぬことを望んでいるのよ、きっと」


 ぷんすか怒っている久遠。父親が相手でも、口は変わらないらしい。


「げ、元気そうでよかったな」


「ええ、こっちはね。羽純くんには、連絡しておこうか迷ったのよ。でも、心配させちゃ悪いと気を回したのが、もっと悪い事態になったみたいね。ごめんなさい」


「いや、謝ることなんて」


「あなたを落ち込ませたの、悪いと思ってるのよ。くだらないうわさが、流れてしまっているのでしょう。あなたが信じたのは、半分はわたしのせい。もう半分は、風見くんのせいよ。思い出したら、また腹が立ってきたわ。いえ、やっぱり全部、佐藤のせいよ」


 こめかみに青筋を浮かべた久遠が、怒りながら笑う。組んだ腕は、ブレザーを引っ張り、しわを作っている。ローファーは、地面を叩いていた。

 いきなり、青い目がにらんでくる。


 あっ、これは……。

 とても、怒っていらっしゃる。


「あなたも、あなたよ。すぐ、わたしに聞いてくれれば、うわさに惑わされることもなかった。あとね、あなた、クラスメイトの名前覚えていないでしょう。うわさの対象が、野球部の佐藤くんだって知っていたら、わたしの佐藤くん嫌いを知っているあなたなら、惑わされることはなかった。……それに、あなたニブいのよ。ふつう、わたしが誰かと付き合ったって、信じる? 関りの薄いほかのひとなら、まだしも、あなただけは信じてほしくなかったわ。そして、もうひとつ!」


 相変わらずマシンガンのような口だなと、思っていても言えそうになかった。なにより、口を挟むタイミングもない。


「風見くん! あのひと、人の話を聞かないタイプね。話の半分どころか、ひとことだけ聞いて突っ走ってくのよ」


「ショータ、そういう所あるから。すれ違わなかったか?」


「ええ、すれ違ったわ。いろんな意味でね」


 含みのある言い方で、久遠スマイル。


 ……ショータ、無事か?


 心配すると、ショータが顔を見せる。

 久遠の姿を目に入れただけで、苦い顔をしていた。


 ズボンには、転んだような跡がついている。よく見れば、頬が赤い。


「しょーたぁ!? だいじょぶ?」


 ショータは、首の後ろに手を当てながら、強い口調で言った。


「なんでもねーよッ」


 久遠は、満足げにひとつ頷いてから、俺に言った。


「羽純くん、わたしは誰とも付き合ってない。昨日も、佐藤くんに告白はされたけど、振ったわ。振り方が甘かったみたい。妙な開き直りかたをしているせいで、変なうわさが流れてるようね。……安心した?」


「やっぱりなって思いが半分。もう半分は、安心した」


「よかったわ」


 ほっとしたように胸の前で両手の指先を合わせながら、久遠が言っていた。


「確認なんだが、お父さんも大丈夫なんだな?」


「ええ、心配して損をしたと思わされたぐらいよ」


「そっか。久遠、あのさ」


 言いたいことがあるのに、まとまらない。


 うわさを信じて、久遠から離れようとした。でも、それが必要ない。久遠を好きでいていいんだと思うと、胸の中で、桜が満開になったような気持ちが溢れている。


 俺はいま、過去最高に、久遠が好きだった。


「久遠を好きでいていいんだって知ったらさ、気持ちが溢れちゃったんだ。告白してもいいか?」


 自分で、自分を止められなかった。


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