第23話 わたしとあなた。変化の形

 スタバを出ると久遠は「本を買いたい」と言った。


「ちかくに、本屋あったかな。橋を渡ったところに、古本屋があるぐらい?」


 久遠は目を光らせ、歩き始めた。狭い歩道をふたりで並んで歩くのも悪いので、久遠の後ろをついていく。黒いストラップサンダルが地面を蹴るたびに、ウェーブのついた髪がゆれる。遠くにいる後ろ姿を目で追っていることが多いせいか、こんなに近い距離で、後ろをついていけるのは、なんだかうれしい。

 真っ白なファッションビルに、久遠は入っていく。

 店内へ一歩入ると、さわやかな緑のかおりがした。


「ここ、紅茶のお店。この前、一緒に飲んだでしょう?」


 指をさされるのは、壁一面に大きな黒い缶が並べられた紅茶の専門店だった。上品なスーツ姿の男性が、微笑みかけた久遠に深々と頭を下げている。高校生の行動じゃない。ふつうの高校生なら、ファッションビルじゃなくて、通りを挟んだところにあるラウワンに集まる。


 地下へのエスカレーターに乗る。

 ビルの地下に、大きな空間が広がっていた。

 見渡す限りの本棚。図書館より広い、大型書店だった。

 広すぎる店内に足を止めていると、シャツの袖を引っ張られる。いっしょに、本棚を見回った。好きな作家が、新しい推理小説を出したそう。見つけた新書を手に取り、コーナーをぐるりと回る。


「これは、おもしろかった」あらすじに触れて、久遠は楽しそうに話す。買う予定だった本と、途中で見つけた気になる本。購入していたライトノベルのつづき。あわせて三冊の本を手に取って、会計を済ませる。久遠は、袋を大事そうに抱えていた。落ち着いた色のショルダーバックと、本の入った袋を持つのは、すこし大変そうだった。


「持とうか? なんか、デートっぽいし」


「いいわね。デートっぽくて」


 俺の手のひらに、揃えられた、細く長い指先がふれる。重さを受け取った。軽い重さも、大事に思えた。


「羽純くん、なにか、手を使うスポーツしてたの?」


「いや? したことないよ」


 指の付け根がボロボロだから、スポーツをしてると思われたようだ。

 中学までは、サッカー部だった。ショータと一緒に、走り回っていた。いまは、やめてしまった。楽しいけど、お金がかかるんだ。


「スポーツジム、行ってるんだ。それでかな」


 学生は、無料で使えるところがあり、姉ちゃんの趣味で筋トレをさせられていた。

 筋肉をつけすぎてショータに怒られたことがある。「ムダに肉つけるな。野球部に転部しろ」と、キレられた。仕方なく食事を減らし、筋肉を落とすと姉ちゃんに言われる。


「鉄ちゃん、もっと肩に筋肉つけたほうが、モテるよ。自信にもなるよ。ねっ?」


 姉ちゃんに言われたら、仕方がない。筋肉をつけるためには、食べる必要がある。一緒にご飯を食べるショータには、すぐに気づかれ、怒られた。


「ふうん」


 なんだか、納得はしてもらえなかったよう。


「いいけれど?」


 透き通るような目で覗き込まれながら言われる。「そのうち、見抜いてやるんだから」と、言われたようだった。

 本屋を出たところで、久遠が聞いてくる。


「羽純くん。どこか行きたいところは、ある?」


 青いスカートのすそが、風になびいて揺れ動く。

 日差しが傾きはじめるぐらいの時間。俺の行きたい場所は、ひとつだけ。


「川岸に座ってみたいんだ」


 久遠は「なるほどね」と猫みたいな口をしていた。

 街中に流れる河川には、昔からカップルが座っていることで有名な場所があった。何度もその光景を見ていて、いつか自分もここに座るんだと、意気込んでいた。

 それが、今日であればいいなと、デートが決まったときから夢みていた。


「カップルの等間隔の法則ってやつ? わたしたちも、いまからそれに、なりにいくのね」


 細い小路を通り、舗装された川岸へ降りる。風があり、涼し気な場所だった。

 川岸を歩くと、男のひとと女のひとがひとりずつ、ひと組みになって、座っている。そんな後姿が、たくさん見かけられた。並べられたように、きれいな間隔を開けている。いままでは、なんでだろうって思ってた。いま、わかった。となりに座る人に、集中できる距離を取ってるんだ。あの間は、ふたりだけの世界をつくるのに、必要な間隔だった。


 川岸に、空いている席が見えた。指さすと、久遠が頷く。


 石のタイルで整備された川岸。さきに座ると、久遠は片手で俺の肩に持たれながら、ゆっくりと腰を降ろした。スカートが少しふくらんで、お尻から太ももを撫でながら、座っていた。女の子らしく、足を揃えた横座りだった。


 水のせせらぐ音と、草木が風で擦れる音に耳を傾けていた。ふいに、落ち着く香りがした。それが久遠の香りだと気づくと、なんだか、胸がぽかぽかする。


「ふたりで並んで座ると、わたしたちもきっと、カップルに見られているのね。どう? ほかのひとから、恋人だとみられるのって」


「正直、うれしい。でも、久遠から恋人だと思われなきゃ、なんの意味もない」


「ふふっ、冷静じゃないの、残念だわ。緊張してくれてないのね」


 緊張という言葉で、二回目の告白のときを、思い出した。告白の前は緊張して、余裕なんて一切ないって話をした。それを踏まえると「今日は、告白しないの?」って意味だと思う。


「うっ、ぐ」


 顔を横に傾けながら、じーっと覗き込むように見上げられて、はずかしくなる。


「いま、告白したら意味が違うんだよ。今日は、スマホ探したりしたときのさ、ご褒美のデートなんだから。それなのに告白したらさ、ぜんぶ下心でしたって言うようで、俺はいやだ」


 光をきらきら反射させる水面を見つめながら、言葉をつづけた。


「風邪をひいたのが、ここあでも。スマホなくしたのが、ショータでも、俺は同じことをしたから。それに、恩を着せるようにするのは、違う」


 満足したように、久遠は笑っていた。


「言い聞かせるような姿もきらいじゃないわよ」


「やめてくれ。また、振られるから」


 久遠は驚いたような顔をした。「仕方ないか」とつぶやいて、目を閉じていた。


「羽純くん、一度だけ。ひとつ聞いてもいい?」


「いいよ」


 改まる久遠に、すぐに返事をした。


「どうして、わたしを好きになってくれたの?」


 いままでで、一番意外な質問だった。

 強い久遠が、こんな質問するなんて。

 いいや、さっき久遠が言ってたじゃないか。俺が久遠を強いって思いたくて、気がつかなかっただけなのかもしれない。

 目の前の女の子と、しっかり向かい合う。


「あー、たぶんさ。その質問、答えられない」


 首を傾げられた。


「どこを好きなのかは、いくらでも言えるんだけど、どうして好きかだけは、言えないんだ。自分でも考えたよ。でも、答えは出ない。好きになるのって突然で、わかんないんだよ。だから、そうなんだと思う」


 宝石のような青い瞳に、笑いかけた。


「惚れるのに、理由はないんだと思う。好きになるのも、突然で、頭がしびれるようだった。だから、久遠を好きになった理由は、わからない。でも、好きだ」


 言ってから、しまったと思う。また、ふいうちだった。

 久遠が顔を真っ赤にして、目を見開いて、唇をわなわなさせた。


「久遠のこと好きになったときも、久遠のことを知りたいじゃなくてさ『久遠に振られたい』って思ってたんだ。気づいてなかったけど、振られるのをさ、わかってたんだ。もしかしたら、頭じゃないところで感じていたのかもしれない」


 足を延ばし、両手を地面につきながら、空を見上げて言う。今日の空は、特別に美しいと感じた。


「好きっていう気持ちをさ、全部説明しちまうの、もったいなくないか?」


 パカーンって笑って、尻尾をぶんぶん。

 久遠は蒸気した頬を手で押さえながら、ピンク色の唇を動かした。


「ありがとう。羽純くんは、わたしを強いって言ってくれる。でも、そんなことないのよ。わたしからすれば、いまの羽純くんのほうが、よっぽど強いわよ」


「うーん」


 うまく言葉にできなくて、すこし悩んだ。

 もし、俺に強さがあるんだとすると、久遠に憧れて、理想の自分を目指した強さだから。


「もし俺がそういう風に変われてるなら、うれしい。でも、きっと、好きってエネルギーで、久遠を安心させるために変わっただけだぞ」


 それには、もうひとつだけ理由があった。


――綾音、ありがとう。


 綾音に、自信をつけさせてもらったんだ。

 好きって気持ちを受け止めて、応えられなかった。

 でも、綾音に好きって言われた自分がうれしくて。

 そんな自分を、俺が弱くしては、だめだと思った。

 死ぬほど迷って後悔した夜に、もう迷わないと決めたんだ。

 自分を好きになるって、誓ったんだ。


「こんなこと言うと、変なんだけどさ」


 あほみたいに、口を開けて笑ってしまう。


「久遠に会えてよかった。少しずつだけどさ、変われたよ。今日は、こっちを伝えさせてくれ」


 俺がそう言うと、久遠は優しく笑って、こらえきれないように口を大きく開けた。


「あははっ」


 幼い女の子みたいな顔で、白い歯を見せていた。


「寄りかかってもいい?」


「俺で良ければ」


「羽純くんが、いい」


 小さな声。唇が動いているのを見ていないと、聞き漏らしそうだった。

 俺が地面についていた手の上に、小さな手が重なる。指先はすこし、冷たかった。


「わたしね、ひとりで生きていけると思ったの。親もいらない。姉もいらない。家庭内でも比べられて、学校でも比べられるのなんて、うんざり。いざ、ひとりになるとね、驚いたわ。わたし、ひとりだと何にもできないの。そうよね。15歳の女の子が立っている場所なんて、ぜんぶ自分以外の力でつくってもらってる。それに気づけないほど、子どもだった」


 久遠の手が、きゅっと握ってきた。


「でも、引くに引けないの。頑固で、プライドばかりが高くなっていたんだわ。自分にイライラしながら、家族にも頼らず、ひとりで生きていくんだって、決心だけは立派なの。自分のことで、手一杯なのに、告白してくる男の子たちは尽きないし?」


 久遠の頭が、俺にぶつけられる。キャスケットの猫耳が、ゆれているように見えた。


「たまにね、おっちょこちょいするの。スマホ落としたり、風邪をひいたり。ほんと、心が折れそうだったわ。でも、羽純くんだけが気づいてくれた。グイグイ来るなあ、とも思ってたけど」


「うっ」


 たしかに。自分でも、そう思う節はあった。


「いいのよ。わたしは、嫌じゃなかったから。わたしのなかの、他人と自分の境界線は、すっごく離れてるの。境界線をグイグイ越えてくる他人が嫌じゃないってのは、はじめてだったわ。どんどん、あなたの侵入を許していく自分も、はじめて。男の子に、いろんな顔を見せるのも、はじめて。新鮮で、すこし甘酸っぱくて、乙女な自分と向き合うのも、はじめてよ」


 息遣いのわかる距離で久遠は、大きく息を吸った。


「きっと、同じ自分なんて、いないんだわ。毎日、毎日、すこしずつ変化していく。そのなかで、知らず知らず、自分のなかに、だれかを取り込んでいるの。あなたは、わたし。わたしは、あなた。そうやって、すこしずつ修正していく関係の深さに、名前がついているんだわ」


 ぎゅっと握った久遠の手が離れ、指先がふれ合う。

 人差し指同士が絡まった。


「ほんとうの意味で、甘えさせてくれるのは、あなただけよ。ありがとう、羽純くん」


 指先に力が入れられ、すぐ抜ける。

 受け止めていた久遠の重さも、なくなった。


「はい、終わり」


 にっこりと久遠は笑っている。

 今日の空のように清々しく、美しい瞳だった。



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