第21話 初デート
人生、初デート。
こんなに気持ちが落ち着かない日があるなんて、知らなかった。
家のなかで、鏡を見ると「変じゃないかな」と身だしなみを整える。次に鏡を見ると、気になるところがあって、また整える。繰り返した挙句、ようやく家を出ても、まだ心配になっている。
デートの待ち合わせは、13時。
その、30分前にも関わらず、待ち合わせ場所に到着してしまった。
「へへっ」
久遠とのチャットの履歴を見てニヤけていた。
『13時に駅前。わかったわ』
昨日の夜、20時ごろのやりとり。おかげで、半日以上楽しい気持ちでいられた。
準備をすっかり忘れるぐらいに、浮かれてしまっていた。
朝になって、姉ちゃんに泣きついた。
「なあ、姉ちゃん。着ていく服、どうしよう」
寝起きのねーちゃんが、ずれたキャミソールの紐も直さずに俺の部屋に来て、ぽいぽいとベッドの上に服を並べてくれる。
「ふぁーっ、いってらさー」
それだけ言うと、姉ちゃんは自分の部屋に帰っていった。せっかくの日曜日に、二度寝するらしい。
じっくりと街並みを見回していた。
みんな、だれかと一緒に楽しそうに歩いている。俺も、久遠といっしょに、この街並みに溶け込めるんだろうか。
考えてみると、それはないなと首を振った。だって久遠は、目立つから。
『ごめんなさい。電車に乗り遅れちゃった。5分ぐらい遅れます』
律儀に連絡が来たのは、待ち合わせ10分前のことだった。
『了解』
ここにいるよと教えるために、見える景色を写真に撮り、久遠に送った。
『どこにいるか、わかったわ。百貨店の前ね』
駅を出たところにある百貨店前のベンチに座っていた。
待っているという感覚はない。ひたすらに、久遠が視界に入るのを探している。
ふと、見慣れない色が目に入った。
青。
鮮やかで、パキッと目立つ青色。
大きなシルエットが揺れ動き、青色が近づいてきた。
「また、あなたを待たせたわね」
少し離れたところからでも聞こえる、凛とした声。いくつもの視線を引き連れて、久遠があらわれた。
「いや、いま来たところ」
お決まりのセリフで返す。
「騙されないわよ。きっと、30分前からここにいて、尻尾を振りながら待ってたでしょう」
したり顔の言葉は、うまく頭に入ってこなかった。
――かわいい
いつもと雰囲気が違う。大人っぽくて、かわいい。
ふわふわに巻かれた髪が、やわらかくて、やさしそう。
白い上品なレースのブラウスが、胸元や肩を透かせて見せてくれて、涼しげ。青いスカートと、よく似合っている。
よく猫をかぶるという久遠。今日は、隠さずにかぶってきた。猫耳のついた黒いキャスケットを頭の上に乗せている。
最後に目に入った久遠の瞳は、勝気にあふれていて、満足げだった。
「どう? 感想はないのかしら」
「かわいい。今日も、かわいい。いつもより、かわいい」
「言わせておいてなんだけど、照れるわ」
かぶっていたキャスケットを手に取って、顔を半分隠して横顔を向けてくる。丸くなった瞳と、もう一度目が合うと、また離れていった。
「色合い、俺と一緒じゃない?」
ジーパンと白シャツっていう、俺のありきたりの恰好を見ながら言う。
「あら、偶然ね?」
語尾を上げながら、言葉に含みを持たせて言われた。
まるで、俺の着てくる服が、わかってたように。
「見てた?」
「ううん。みなくてもわかるわ」
含んだような笑いも、次第に口角があがって、満面の笑みになる。
「羽純くん、わかりやすいもの」
そんなセリフが、ぱあっと体に染み渡って、自然に笑顔になれた。
「ははっ。そうかな」
「ええ、おかげで、顔を見れば色んなことがわかるわよ。なにに悩んでるの?」
心臓に刺さったトゲが、ちくりと傷んだ。でも、だいじょうぶ。久遠に気づいてもらえて、抜けたから。
「いま吹き飛んだ」
言ってから、勢いよく立ち上がる。久遠の目が、下から上へと動いた。
「そう。たまには、わたしに頼ってくれてもいいのに。そんなに、頼りないかしら?」
桜色にツヤをだす唇が、ツンと拗ねる。
「まさか。俺の悩みの八割は久遠のことだぞ。ほかの友達に言えても、久遠には言えないよ」
「悩みを解決する方法、教えましょうか?」
「そんな方法、あるのか?」
きょとんとして答えた。
「ええ、ひとつあるわよ。直接、わたしに聞くこと。あなたの前では、素直でありたいの。なんでも答えるわよ、プライバシーに関わること以外は、ね」
言い切ると、久遠は自信にあふれた笑いを浮かべる。なんでもどうぞ。そんな仕草だった。
ひとつだけ。思い切って、聞いてみることにした。
「久遠ってさ、一度目の告白を、断るって決めてないか?」
珍しく、久遠の目が大きく開かれた。
「っぷ。あはっ、あははははっ」
笑い出した久遠は止まらなかった。腹の底から、おかしさを口にしていた。
大きな笑い声は、周りのひとたちも立ち止まるほどだった。
「どうしてわかったの?」
「いや、なんとなく」
満足げに笑いながら歩き出した久遠に、手招きをされる。機嫌よく歩き出す久遠を追いかけた。
「ゆっくり、お話ししましょう」
そう提案され、やってきたのはスタバ。おしゃれなカフェとして名高い、コーヒーのチェーン店だ。
この店、来たことある。姉ちゃんとはじめて訪れたとき、変に緊張してしまった。二度目だからか、すこし店内を見回す余裕があった。
姉ちゃんほどの年齢のひとが、コーヒーを片手にリンゴマークのノートパソコンを広げていたり、テーブル席で静かに談笑していたりする。
久遠は、楽しそうに頭を上下に揺らしながら歩いている。店内の看板を見つけると「あっ」と声を出しながら、注文口へと向かった。ケーキやクッキーのケースには、見向きもしていなかった。
「い、いらっしゃいませ」
久遠に見つめられて、接客に慣れたスタッフさんも、声がうわずっていた。
「コーヒー&クリームフラペチーノ、ショットとチョコチップ追加でお願いします」
店員さんとは逆に、よどみなく久遠が読み上げる。スタバ上級者の動きだった。支払いを終えた久遠が、横に一歩動いたので、俺が一歩前に出る。
男の店員さんがまぶしい笑顔で言う「いらっしゃいませ」さわやかなこの一言のために、また来るのもありかもと思えるほど、気持ちがいい。
「トールのキャラメルフラペチーノ。ミルクを無脂肪にして、エスプレッソショット追加で」
練習通り。いつか使おうと覚えていた注文ができた。
会計を済ませ、商品受け取り口へ。久遠のとなりに並ぶ。ミキサーが、氷を砕く音が響いていた。
コーヒーがミルクのなかで渦巻くドリンクが、トレイに載せられている。
先ほどと同じ男の店員さんが、同じぐらい爽やかに商品を渡してくるのを、久遠は上品に笑いかけて受け取っていた。
「ありがとうございます。ところで」
店員さんと言葉を交わす久遠は、視線を俺に向けてくる。なんだろう。
「彼、すこし、こわくなかったですか?」
店員さんは、愛想笑いでない笑いを出した。
「ハハっ。すこし、目つきが鋭いからですかね」
「わたしも、そう思います。ありがとうございます。ね、羽純くん、気づいてた?」
「ごめん。いまショック受けてる。マジ?」
怖いと言われ、口元を手で押さえていた。
申し訳なさそうな店員さんが、出来上がった商品を渡してくれる。
「お待たせしました。すみません。でも、かわいくて、すてきな彼女さんですね。こうやって気づかせてくれるの」
「かわいくて、すてきまでは合ってる。でも、彼女にはなってくれない」
「あっ、てっきり」
「羽純くん、いくわよ。いらないこと言って店員さんを困らせないの」
「待って。それ俺のセリフじゃない?」
トレイを抱え、店員さんに頭をさげて、久遠についていく。店員さんは、すてきな笑顔で笑っていてくれた。あんな笑い方が出来れば、怖いだなんて思われないのに。
店内から、外のテラス席へと移動した。解放感のあるこの席は、景色がいい。風が感じられるし、すぐとなりに一級河川が流れているおかげで、水の音がBGMになる。適度な話し声と、川に流れる水の音が、ふたりだけの空間に集中させてくれそうだ。
風に吹かれ、久遠が帽子を押さえている。波のついた黒髪が、きれいになびいた。
「遅れてごめんなさいね。髪を巻いてたの。慣れないからか、うまく巻けなくて。でも、せっかくだから、いつもと違う姿をみせたかったのよ」
「気にしてない。それよりも、こわいって思われてたほう気にしてる」
「うふふっ。羽純くん、あまり話さないもの。だから、みんな見た目にだまされて、知らないのよ。羽純くんが最近、明るくなってきてることとかね」
「そうかな。いや、そうなんだろうな。相変わらず、自分から話しかけるのは苦手だ」
「でしょう? クラスメイトもあなたのことを、一部しか知らない。だから、となりのクラスの女の子の頭をたたく奴とか、勝手に言ってるんだわ。イメージって、そのとおりに見えてしまうもの。その人の見たいように、ね」
となりのクラスの女の子の頭をたたく……身に覚えがあった。
前に、ここあが俺を呼びにきたときだ。俺の横で俺の名前をよぶものだから「おい」と、頭をはたいた。まさか、それがそんな風に見えてるだなんて。
「大丈夫よ。少なくとも、わたしは知ってる。あなたが望むなら、クラスメイトに誤解だって言ってあげましょうか?」
すこし考えた。
頭の中では、鼻で笑える話だった。
「いらない。友達がわかってくれてれば、それでいい。そっちを大事にしたい」
久遠は、優し気な目をする。それで十分だった。
冷たいキャラメルフラペチーノを、口に入れる。ほんのりと甘い。甘いものは好きなのに、甘すぎるのが苦手な味覚。ほんのりとした甘さが、ちょうどよかった。甘いものばかり食べると、姉ちゃんに怒られるし。
「羽純くん、ひとくちちょうだい」
飲みものに口をつけるのを待っていたようなタイミングだった。久遠は、いじわるな顔で聞いてくる。
「うっ、い、いいけどっ」
「そう、ありがとう」
そういうと、顔色ひとつ変えずに、俺のドリンクを手元に寄せる。なにくわぬ顔をしながら、俺の使ったストローに唇で触れていた。
「あっ、おいしい。ぜんぜん、甘くないのね」
言ってから、もう一口飲んでいた。
「わたしのも、いる?」
「い、いや、いい」
「あとで後悔するくせに」
「やめてくれ、ほんとうに。これっていわゆる、間接キス?」
「いわゆる、というか。どう見ても間接キスよ? わたしの唇がふれたあとじゃ、いや? 新しいストローを、もらってきましょうか?」
「絶対だめ」
「いやよ、冗談じゃない。そうそう。今日は、お気に入りのリップグロスを付けてきたの。踊るような、鮮やかなデリケートピンクでしょう。見ないでよ? ストローにも、ついちゃったかもね」
わかりやすいことをしてしまった。「見ないでよ」と言われた途端、釣られるように唇を見てしまう。三日月のような、意地の悪い口に変わる様子と、瑞々しい桜色の唇を見てしまった。よけいに、意識してしまう。
「ううっ」
帰ってきた自分の飲み物を飲むことに、躊躇した。
「飲まないなら、飲んであげましょうか?」
「二十秒くれ、二十秒」
「はいはい、黙ってればいいのね」
両肘をテーブルにのせ、意味ありげな視線で見つめてくる。
なにがそんなに楽しくて、つま先を遊ばせるほど浮かれてるんだろう。俺は、こんなにも動揺しているのに。
自分の心音が聞こえてくる。この音が、外に飛び出してしまわないか心配になっているのに。
十秒かけて、落ち着いた。
ストローを口元まで持ってくるまで七秒かかる。そこから三秒見つめて、やっと一口だけ飲むことができた。
「おいし?」
きれいな笑顔と明るい声で、聞かれた。
「味がしない。わかんない」
「あら、もったいないわね」
「勘弁してくれ」
「うふふっ」
ころころと笑う久遠を見ていると楽しかった。
「ところで羽純くん、さっき、おもしろいこと言ってたわよね」
久遠は、話を切り出した。
『久遠ってさ、一度目の告白を、絶対断るって決めてないか?』
俺が感じた、久遠の違和感。
それを、明らかにしたかった。
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