第20話 恋とウソ


「年上に興味ない?」


 どういう意味かなんて聞かなくても、伝わる。伝えられてしまう。


『あたし、あなたに興味があるの』


 だからこそ、俺は受けとめることができなかった。


「何のはなし?」


 必死になって、誤魔化すのが精いっぱいだった。


 きれいな顔で綾音が笑う。

 どう言葉を続けようか迷っていると、綾音が視界に入ってくる。椅子に座っている俺に、またがって来た。焦って立ち上がろうとしても、肩を押さえつけられてしまう。

 ひとつの椅子の上で、俺と綾音が重なり向かい合った。ふれあっている部分が熱い。

 正気でいられそうになかった。


「鉄くん、無意味な誤魔化しはね、相手をムダに傷つけるんだよ?」


「すみません」


「よろしい」


 にんまり笑う綾音の顔が、目の前にある。

 百合の花の香りが、鼻をくすぐる。強い香りに惑わされそうになる。


「鉄くん、あたしのことどう思う?」


「きれいなひとだと」


 納得できない答えだったらしく、目が笑わなかった。


「あたしはね、鉄くんのことかっこいいと思う。顔がいいし、優しいし、言葉がなくても察してくれる。すなおで、まっすぐで嘘つけないところも良い」


 どこか遠くへ目をむけたかった。目を閉じてしまいたかった。


――コツン


 おでことおでこがくっついた。

 目が映すのは、綾音の目。強いまなざしから、逃げられない。

 目が語る。


『あたしは本気だから』


「あたしと付き合わない? 退屈させないよ」

 

 世界を征服されたようだった。

 綾音が世界のすべてで、身動きも、呼吸すら許してくれなかった。


 それでも、俺は言わなければいけない。


 久遠を選ぶためには、この誘いを断らなければいけない。

 固い信念がないと、綾音と付き合ってしまう。

 いや、付き合わないはずがない。明るくて、楽しそうな綾音を、もっと知りたいと思ってしまっている。


――久遠も、だれか好きな人がいるから、振るのかな


 突如として現れた不安を、すぐにかき消した。


 これだけの想いを口にされたら、しっかり向き合って返さなければいけない。

 

 うまく、言葉が出てこない。

 なんでもいいから言葉を出そうとすると、久遠の言葉を口にしそうになる。


『よく知らないの。それで付き合えるかと言われれば、むりよ』


 本当か?

 なんだか、違和感がある。この言葉が、久遠らしくないような……。


 俺は、綾音のことを、よく知らないと言えるのか?


 ああ、だめだ。わけがわからなくなっている。


 好きだって言われたのが、うれしくて迷ってしまっている。


 こんなの、断るより、頷くほうが簡単じゃないか。


 断らなければいけない。

 ここで頷いてしまうと、俺はただ流されただけだ。

 それじゃ、だめなんだ。


 もしかして、俺、試されてる?

 好きなひとがいるのは、綾音も知っている。ということは……。

 俺が断るとわかって、告白してきたのかもしれない。


 気持ちは言葉にしないと伝わらない。だから、振られてもいいから伝えたいぐらいの想いが溢れたのかな。

 それだけじゃない気がする。俺が二回も振られてるから、一度好かれる経験をさせてくれたのかもしれない。


 好意は、ぜんぶ受け止めた。

 綾音に向かって笑いかけた。


「きみは、そうやってすべてを受け止めて、笑って許してくれるんだね。その顔に、惹かれたのになあ」


 綾音が吐いてしまったときも、あきらめて全部笑って受けとめた。

 そのときと同じ顔をした俺が、同じ顔で断ってしまった。


「ありがとう。悪かった」


「ううん、わかってた。わかってたのに、こんなにも苦しい。好きになるって、突然で、理由もなくて……わかんないよね」


 こんなことしちゃいけないのに。

 うつむかせた綾音を抱きしめて、そっと背中を叩いた。

 声もなく、音も無い。ただ、そうしていた。


「よしっ、帰る」


 いきなり立ち上がった綾音は、残っていた缶の中身をすべて飲み干した。


「お、おうっ」


 なんて立ち直りの早い人だと思った。

 どこか俺と似てる。

 そうだ。どこか、同じ匂いがする。


「鉄くん、ばいばい」


「またな」


 笑ってる綾音が、泣いているようにみえた。俺は、綾音についていった。見送る口実なんて、なにもない。


「ついてこないでよ?」


 玄関を出る綾音に、睨まれた。


「ああ、そうする」


 そう言いながら、ついていく。

 外に出るとすぐに、綾音はスマホのアプリを操作した。終わると、塀に背中を付けて、しゃがみこんだ。


「ついてくるなって、言ったのに。なんで」


「なんで、つってもな」


 正直なことを口にした。


「告白の言葉が、本物か偽物かはわかったんだ。おかげで、綾音のことをさ、少しだけ知れた。なんとなく綾音は、寂しがりやだと思う。そう思ってたらさ、ひとりにはできなかった。悪い、ぜんぶ俺のせいなのにな」


 綾音はようやく顔をあげる。強がる顔も、目元は隠しきれていなかった。


「なんとなく、綾音はトラっぽい。強いんだろうなと感じたけど、繊細だった。きっとすぐ立ち直って、また笑ってそう。でも、そんな顔を見れたのは俺だけだと思うとうれしい」


 背中を壁にもたれて、雲に隠れた月を見ながら話す。

 こうしていると、校舎裏みたいだ。


 どうしたら、綾音は顔をあげてくれるかな。

 悩んでから、ひとこと口にした。


「あっ、流れ星」


「ほんとっ?」


 ぱあっと綾音が顔をあげた。流れ星っていいながら、俺は綾音を見ていた。

 つまり……


「うそ」


「キャハハハハッ」


「こんな嘘なら許されないかな、なんて」


「鉄くん、ほんとうサイテーだね」


 タクシーが、目の前で止まった。


「なまいき君、ありがとね」


「何のはなし?」


 全部をなかったことには、できない。気にしてないっていうと嘘になる。だから、とぼけるのが精いっぱいだった。

 いま、一杯いっぱいの、ひどい顔をしているはずだ。


「鉄くん、ちなみにあそこ。お姉ちゃんが見てるよ?」


「っげ、マジ?」


 あとで何を言われるかわからない。見えない姉の姿に、立ち上がり背筋がぴんと伸びた。

 慌ててふり返ると、玄関は閉まっていて、姉の姿はなかった。


「うそ。隙だらけだよ」


 百合の花のかおりがした。

 ふわっと、風がふいた。

 頬にあたたかさと、はじめて感じるやわらかさが残った。

 となりを向くと、月の光に目を光らせた綾音が、けらけらと笑っている。


『絶対にあきらめない』


 強い目が伝えてきた。


「ほかの女とのデート、せいぜい頑張ってね?」


「後悔しないようにするよ。綾音も、せいぜい頑張れよ」


「キャハハッ、なまいきーっ」


 タクシーの扉が閉まる。赤いブレーキランプをいつまでも目に残して、角を曲がっていった。

 

 玄関の扉をしめた。そこで、力尽きる。

 真っ暗な玄関でうずくまり、一歩も歩けなくなった。


「あーーーっ!! 迷わせるなよ」


 はじめての痛み。受けとめきれなかった。

 誰かを選ぶってことは、その他のだれもを選ばないってことなんだ。


「久遠に、逢いたいよ」


 つぶやいた言葉が、静まり返る空間に響いた。

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