第11話 雨

 

 息があがり、しんどさを感じてくるころだった。


 見つけたいのは、久遠のスマホ。

 見覚えのある形をたよりに、走りながら探していた。


 歩いて三十分ほどの距離を、一時間で二往復した。

 予想通りにいかないことなんて、よくあることだ。でも、今回は、予想通りにいってほしかった。


 うまくいかない時間が続く。

 これでいいのか? と、心が落ち着かなくなる。


 こうしている間も、久遠は困ってる。

 なんとかしてやりたい。


 そんな一心で頑張れた。


「あの、スマホを、見ませんでしたか。白いカバーのやつなんですけど」


 道を歩くふたりに、正面から聞いた。大学生ぐらいの、お兄さんふたりだった。小綺麗で、おしゃれな服装をしている。

 ふたりは、すこし考えてから答えてくれた。


「見てないな。おまえ、見たか?」

「いや、俺も見てない」


「すみません。ありがとうございましたっ」


 相手にしてくれたふたりに、深く頭を下げる。

 またすぐに、走り出した。


 突然、後ろから声がかかる。


「きみ、見つけたら警察に届けとくよ。気を付けて!」

「いいなあ、ああいう一目散なの。忘れちまってるわ」


 振り返って、もう一度頭を下げた。もう距離が空いてしまっているので、その差を埋めるぐらい大きな声で叫んだ。


「ありがとうございます!」


 お兄さんたち、いい人だったな。

 手を振られて、大きく手を振り返した。すぐに、背中を向けた。

 

 自動販売機や道路の傍の植木があると、立ち止まる。

 もしかしたら、探しものが落ちてるかもしれない。

 自販機は地面すれすれに伏せて、のぞき込めばいい。植木が面倒くさい。上から見てもわからないから、ちょっと踏み込んだり、手でかき分けたりしないと見えない。


 途方もなく、地道な作業。


 それでも、諦めるつもりなんて無かった。

 もくもくと、たったひとつの落とし物を探し続ける。


――なんでだよ


 ぽつん。


 冷たい粒が、落ちてくる。


 つんっ、と鼻についたのは湿った土の香り。

 

 空を見上げれば、淡く広がる雲が、ところどころ深い色のしみを広げていた。

 

 泣きたいのは、こっちのほうだ。


 ぽつん。ぽつ、ぽつん。


 わるかった。待ってくれ。


 ぽつ、ぽつ、ぽつん。


 ああ、だめだこれは。


 予報はなくて、気まぐれに変わる空の顔色を読み忘れていた。


 久遠が落ち込んでいたらわかるのになあ。曖昧に空に向かって笑いかけると、非難するように、雨粒が唇にあたって弾かれた。


 いやいや、これでも頑張ってるんだぜ。


――はあ 


 ついてない。


 雨。


 くすぶっていた決意の炎がゆらいだ。


 自然に足が向いた先は、自宅だった。


 雨に濡れた。尻尾を巻いて、走って帰る。


 体に張り付くグジュグジュのワイシャツの感触が、気持ち悪い。洗って干さないと。


 家にたどり着くころには、びしょびしょだった。


 いきなり落ちて来た雨だった。バケツの水をひっくり返したような、しぶきのような雨が空から落ちている。


 制服を脱ぎ、インナーを脱いで、洗濯機にぶち込んだ。ガラガラと音を立ててドラムが回り始め、ふたを閉じる。

 

 白いタオルで、がしがしと頭を拭いた。

 頭が揺れても、考える内容は変わらない。


「久遠、まだ探してないよな」


 どうだろうか。

 

 簡単に見切りをつけるようなやつだろうか。

 もしかしたら、まだ探してるかもしれない。

 

 大粒の雨が、窓を叩きつけている。


 いや、この雨だぞ。さすがに久遠も自宅なりに帰ってるはずだ。

 

 もやもやする。

 こんな状態で、落ち着いていられる性格じゃないんだ。

 

 着替えよう。

 

 ラフな格好になる。Tシャツとジャージを着た。


「はあーっ。いくか」


 玄関の傘立てから、黒い大きなの傘を抜いた。

 重くなった靴を履く。雨のせいで、水を吸った靴のように足取りは重い。けど、一歩を踏み出せば軽くなった。

 

 玄関の扉を開けた。

 

 むわっとした空気が顔にあたる。

 玄関屋根のしたで、傘を開こうとした。

 

 ふと見下げた足元に、来客があった。


 黒い猫がいた。


「ニャア」


 猫が、ふてぶてしく鳴く。


「ヤマト、雨宿りか? はやく止むといいな」


 もてなす気がないと見抜かれているらしい。

 猫の客人は、尻尾を一度ふっただけだった。

 

 首輪のついたこの黒猫、ここあの飼い猫である。

 名前はヤマト。どこかの宅急便みたいだなと思う。


 ここあの家には、もう一匹黒猫がいて、名前はジジだったりする。


 ヤマトとジジ、いろんなものを運んでそう。


「入ってくか? ここあのとこまでなら、一緒に」


 猫に傘を傾けてみる。憎たらしい顔をした黒猫は見向きもしなかった。ジジと違って、ヤマトにはなつかれない。


 そっけない態度でふられた俺は、もう一度学校まで走る気でいた。


――あれ、いまなにか。


 視界の端に、なにか見えたきがする。

 

 白い、耳?


「おい。待てヤマト、どこに座ってる?」


 黒猫のお腹の下に、はみ出している白いモノ。ぴょこっとはみ出た猫耳が、どうも見覚えがある。


 じりじりと距離を詰める。俺とヤマトの相性は悪い。逃げられる気がする。


 敵意を見せると、ヤマトは尻尾を動かし続ける。

 顔はあらぬところを見ていながら、目は俺をじっと見ていた。


 猫は立ち上がる。にらむように俺を見てから、俺に背を向けた。

 もう一度こちらを見るころには、器用にスマホのカバーを咥えて持ち上げている姿だった。


 見覚えのある、白い猫耳のスマホケースだった。


――久遠のスマホじゃねえか!


「見つけたーっ。待ちやがれ、こらっ」


 一目散に逃げる猫。

 雨のなか、傘もささずに追いかけた。

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