第8話 友人との昼休み



 授業の終わりは、チャイムが告げる。


 スピーカーから、サァーと音が流れた。少し後に、キーンコーンと、よく響く長い音が通り過ぎる。

 授業中に寝ていた奴も、まじめに話を聞いていた奴も、声を大にして話を続けていた国語の先生も、チャイムの音で気持ちがリセットされる。


 チャイムの音に紛れて、俺の腹がなった。

 昼休み前の授業って、なんでこんなに長く感じるんだろう。

 この後、売店で買うパンのことしか考えられなくなりそうだった。


 気持ちが切れたクラスの空気に、先生が「授業は終わり」と号令をかける。

 同じクラスのスプリンターたちが、食堂と売店へ向かって勝負をかける足音がした。扉がバーンと開き、大きな足音がうるさく響く。

 中学のときも、似たような光景があった。しかし、高校になると、迫力が違う。みんな、足が速い。

 おかげで、コロッケパンとか、焼きそばパンとか、人気のパンを買えた試しがない。


 今日は、どんなパンが残ってんのかな。

 パン戦争が終わったあとの、少し並べば買えるぐらいの売店を目指し、教室を出ようとした。


「てっちゃーん、てっちゃーん? あれっ? いないよー?」


 甘ったるい声で、俺が呼ばれている。

 教室中に、女子の声が響き渡っている。


 なんでだよ。


 スパンッ。

 良い音が出た。

 思わず、女子の頭を叩いた音だった。


「きゃんっ。いったーい!」

「となりに、いるぞ?」

「ええーーーっ」


 俺を目の前に、大声で叫ばれていた。


 俺を呼ぶのに「てっちゃん」って言ってくるやつなんて、ひとりしかいなかった。


 紅音あかね ここあ。俺の友達だ。


 近所に住んでいることもあって、小学生のころから遊んでいる仲。中学も一緒で、高校も一緒だった。

 ここあは、セミロングの金髪を、うれしそうに揺らしていた。

 くりくりした大きな目を、ぱちくりさせた後、俺の頭を指さしてくる。


「ああーーーっ、てっちゃんだ! 色違い?」


「染めて、染めなおした。昨日、LINEで「そうなんだ」って言ってなかったか?」


「あっれー? したっけー? わすれちゃった。いこー?」


 ここあは、俺の腕を両手で抱えて引っ張って来る。

 ぎゅっとくっつかれるせいで、体が固まった。

 ここあのスカート短いし、胸元がはだけすぎてる。


 着崩し、ネクタイの緩んだ胸元から、真っ白な肌が見えていた。鎖骨から首のラインが、はっきりと見えている。

 見ては悪いと、目を逸らした。


 隙だらけだな。


 ここあのそんなところが、久遠と逆だと思う自分がいた。

 隙を見せない久遠も、こんな風に誰かの腕を引っ張って、甘えるような声を出すことがあるんだろうか。


 ちょっと興奮してきた。


「ヘヘッ」


「てっちゃんが、キモい笑い方してるーっ。昼から、えっちなんだー」


「マジでやめろ。やめてください、お願いします」


「このこのー、ムッツリさんめ」


「肘でつんつんするのも、地味に恥ずかしいからやめてくれ」


「うちと、てっちゃんの関係じゃーん?」


 ここあが屈託のない笑顔で、言ってくる。周りを歩いていたやつらがギロリと睨んできた。名前も知らない同級生が舌打ちしてくる。

 バカップルみたいに思われてるんだろうな。

 いろんな意味で、勘弁してくれ。


「ここあ、どこにいくんだよ?」


「中庭にベンチがあるの。しょーたにパシらせた」


 ショータをパシらせれるの、ここあだけだと思う。


 靴を履き替え、中庭に出る。

 3人並んで座れるほどの、茶色のベンチがある。中庭にいくつも設置されていて、ちょっとしたピクニック気分が味わえそうだ。


 ベンチにどっかり座る、背の高い男がいた。

 ネクタイを緩めながら、長い足を持て余して座っている。


 俺達と目が合うと、ショータは口を開いた。


「遅えッ」


 キツい目つきにキツい言葉。友達じゃなかったら、逃げている。


「ごめーっ。てっちゃんクラスでヤンキー探してもいなくて、てっちゃんがわかんなかったー」


 ここあが、にへらっと笑い、体を揺らしながら言っていた。


「ここあ、俺の隣で俺を呼ぶんだぞ。なんの冗談かと思った」


 俺がそうっても、ここあは「えへへー」とのんきに笑う。

 いるだけで、空気が和むやつだった。


「テツ、弁当。オヤジが、テツのも持ってけって」


「かたじけない」


 ショータから差し出されるプラスチックの容器と、ラップに包まれているおにぎりを受け取る。

 ずしりとありがたい重さがした。

 タッパーを持ち上げて、中身をのぞき込む。


「鶏チャーシュー、めっちゃ好き。うれしい」


「パン一個しか食わねえって聞いたぞ。ちゃんと食え。夜なんかでも店に来たら、いくらでも食わせてやるのに」


 ショータは夜、家の中華料理屋で手伝いをしている。店が近いおかげで、ひとりでどこか食べに行くときとかは、よくお世話になる。行きつけの中華料理屋だった。面倒見のいいショータのお父さんが、黙ってラーメンをチャーシューメンにしてくれたりする。ショータ以上に口数が少ないから、よく誤解されるけど。


 ショータと並んで、タッパーを膝の上に置いた。俺のとなりに、ここあも座る。

 いつもの三人だった。


 弁当を広げる。


 鶏むね肉のチャーシュー、ゆでたまご、めんま、たっぷりの野菜炒め。それに、おにぎりがふたつ。

 ひさしぶりに頂く、ショータのお父さんの弁当。

 俺には両親がいないからか、よく気にかけてくれる人だった。


「いただきます」


 そう言って、ラーメン屋の箸立てにぎゅうぎゅうに詰まっていそうな割り箸を割る。

 ショータは、待ちきれなかったみたいで黙々と食べていた。


「いただきまーすっ」


 ここあは、小さな弁当箱を広げている。それで足りるのか?って思うぐらい小食だった。細いここあには、それでちょうど良いのかもしれない。


「なんか、ひさしぶりだー。よかった。てっちゃんが、ほかに友達つくって、そっち行っちゃうかと思ったよー」


「テツだぜ。ないない。意地はって、友達つくるから話しかけずに見守ってくれなんて言うから、変な気をつかうはめになるんだ」


「ごめんってば。俺の思い描いた理想の高校生活では、友達いっぱいできてたんだ。現実はきびしかったけど」


 俺は得意げにいう。


「ヘヘッ、でも、友達はできた。ひとりだけ」


 すげー友達なんだ。

 久遠のことを思い出して、そう言おうとした。


 でも、言い忘れてたことがあった。

 「そういや、言ってなかったな」そんな軽い前置きで、ふたりに伝えた。


「そいつにさ、三日で二回ふられたけど」


 笑いながら言うと、空気が固まる。


「えええええーーーーーーーっっ?」


「うぐっ、ッグ、クッ、ゴホッ」


 ここあは箸を口にくわえて止まった。ショータはむせた。


「てっちゃん、ふられたの? マー? ってことは、告ったのっ? えっ、だれ、だれーーっ」


「マジか?」


 ここあが、鼻の穴をふくらませながら、声を大きくして聞いてくる。

 ショータは、むせたせいで涙目になりながら、聞いてきた。目が驚きで揺れている。


「マジだよ。同じクラスにさ、久遠っているんだ。目がきれいでさ。かわいいのに、かっこいいんだ。二日前に告ってふられて、昨日も告ってふられた。二連敗中」


 割りばしをもった手で、指を二本立てた。


「久遠? Aクラスの久遠って、久遠 なぎさか?」


 珍しい、ショータが人の名前を憶えてる。


「知ってるーっ。お姫様みたいな子。てっちゃん、見るからに釣り合わないよ?」


 グサリと言葉がささった。


「テツ、サッカー部でも話題になってた。久遠ってやつ、告白されて一度もオッケーしたことないってよ。覚えてやればよかったんだが……同じ中学のやつが、何て言ってたっけな。ああ、忘れた」


 ショータは、思い出すこともやめて弁当をつついてから、思い出したように言う。


「ムリだろ」


 太陽の光が涙に反射して、きらきらしている。

 つらい。


「しゅきぴなら仕方ないかー。ええーっ、でも、なんでーっ、もーっ。てっちゃんの、バーカ、バーカ」


 ここあが急に頬を膨らませた。すねながら、肩を遠慮なく叩かれる。

 なんで?


「思い出した。『久遠なぎさを怒らせるな』だ。罰ゲームで久遠に告白したやつが、振られたショックで一週間ほど学校に来れなかったって言ってたか」


 めずらしく他の人のことを覚えていたショータが、教えてくれた。


 その言葉を聞いて、なんとなく予想がついた。教卓の前で怒りを見せた久遠を思い出す。教室が静まり返るぐらい強烈だった。あの強烈な怒りを、ひとりに向けられるところなんて、見たくはない。


「あっ、うん。想像ついた。久遠がさ、怒るとやばいかも」


 久遠に怒られたら、尻尾を丸めて縮こまるしかない。あとは、飛んでくる言葉の凶器から、心を必死に守るしかない。それこそ、トラウマになりそうだ。

 

 考えただけで、ぞっとした。でも、ほんの少しだけ怒られたい気もする。


 なぜか、ショータとここあが静かになった。

 俺は、思っていたことを口にした。


「でもさ、久遠がこわいって思われたかもしんないけど、そうじゃなくて」


「バカ、テツッ」


「わわわっ。しーっ、しーーーっ」


 ショータが俺の口に、食べかけのおにぎりを突っ込んでくる。


「もごっ、んぐっ」


 なんでだよ。

 そんな声も出せなかった。おにぎり、おいしい。


「心外ね。そんなに、こわい人だと思われてるかしら、わたし」


 背筋が凍る。

 うわさをしていた人物が、すぐ近くにいて声をかけてきた。


 目の前に、久遠 なぎさがいた。

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