第7話 天使と悪魔の1%



 帰りのホームルームが終わった。

 放課後がきた。


 俺は、教室を飛び出した。

 すぐ、先生に怒られた。

 謝った。でも、すぐに走った。


 駆け出して、一目散にたどり着く先は、校舎裏。

 誰もいない、静かな場所。


 一回目に来た時は、久遠の真剣な返事に驚いた。

 二回目に来た時は、久遠の言葉でズタズタになった。

 三回目は、どうなるだろう。


 昨日は、手がふるえてた。

 いまは、心がふるえてる。


 身体の中心が熱くて、じんわりと手まであたたかくなる。

 反対側にあるグラウンドから、部活の音が大きくなってきた。


 部活が始まってから、十五分後。


 いつも時間ぴったりに、久遠がくる。


 早くもないし、決して遅れたりはしない。


 そう思っていた。


 足音が聞こえる。

 規則正しく、軽い足音だった。


「いつも待たせるの、悪いと思ってるのよ」


 柔らかく、優しい声だった。

 ひょっこりと、俺のいるところがわかっているように顔だけ出して、覗き込みながら言われる。


 今日の久遠は、いつもより早かった。


「告白されるほうも、大変なのよ? はやく行くと緊張させちゃうだろうし、遅く着くとじれて焦っちゃうだろうし、時間ちょうどじゃないと、なんだか申し訳ないのよ」


 そう言ってくる久遠に、俺は言い返した。


「だよな。昨日、生きてる心地しなかった」


「あら、そう言うってことは、今日は違うのね」


 久遠は、風に吹かれて乱れた髪を、後ろに流しながら言う。

 美しい黒髪が、大きくなびいて、広がっていた。


「残念だわ」


 甘えるような声色。

 拗ねるような桜色の唇。

 それらと合わない、挑発的な流し目。

 口元には、不敵な笑み。


 ――ギリッ


 奥歯を噛みしめていた。


 久遠の目に浮かぶ、落胆の色。「期待していたのに残念だわ」と言われたよう。


 このままじゃないけない。


 ほんとうは、久遠に「ありがとう」って言いたかった。

 いまは、久遠に「まだ好きです」って言いたくなった。


 心臓が高鳴って、全身が熱くなる。


 準備なんて、できてない。


 それでも、言葉にならない想いを、言葉にしたい。


 久遠はきっと、わかってくれるから。


 こんなに、久遠が好きなのに。

 伝わらないなんて、いやだ。

 伝えられないなんて、いやだ。


 情熱だって、勢いだって、なんでもいい。

 伝えられるときに、伝えたい。


 久遠は、数えきれないほどの告白を受けていると思う。すごく、慣れているし。


 その中の一回に数えられたくない。

 毎回、毎回、特別で、全力な一回にしたい。


 俺を知ってもらうために。


 ――ぶつかって、みよう。


 好きが溢れて、我慢できなくなった。


 それを言葉にするのが、告白かもしれない。


「よしっ」


 俺は立ち上がった。

 久遠は、待っててくれる。何を見せてくれるのかしら。そんな風に、目を輝かせて。


 空は青い。空の青にも、よくみたらムラがある。

 濃い青から、白っぽい水色までまばらだ。

 はっきりしないそんな色使いこそ、美しいと思えた。


「ありがとな。久遠」


 好きよりも、まずは感謝を口にした。

 言いたくて、温めておいた言葉だから。


「あれだけ真剣にさ、俺に言葉くれるの、はじめてだった。友達でも、言ってくれない。そりゃ、ちょっと傷ついたし、なんでそんなこと言うんだろうって思ったよ。結構ボロボロに言われたし」


 鼻の頭を、指で何度も撫でる。


 久遠は、自然に浮かび上がったような優しい笑みで、暖かいまなざしをしていた。


「久遠は、優しい。ふつう、言わないことを言ってくれる。友達だから言わないっていう、優しさもあると思う。でも、久遠のは違う。友達だから、指摘しなきゃいけないっていう、優しさだ」


 あれ、ちゃんと伝わってるかな。

 なんだか、わからなくなってきた。


 温めた言葉は、もうなかった。

 温まった心から、言葉を生み出す。


 一生懸命考えた言葉じゃなくて、このとき、この場所で、久遠に一番届けたい言葉をひねり出す。


「あのさ!」


 頭が真っ白になる。

 言葉がうまく、でてこない。


 ――でも、言わなきゃ


 久遠の、瞳。

 吸い込まれそうな空の青色を見つめて、言った。


「俺じゃ、ダメですか?」


 開いた手を胸に置いて、久遠に向かって身を差し出すように、想いを届けた。

 バクン、バクンと心臓の鼓動を手に感じている。


 ――ざわっ


 風が、ぶわっと吹き抜けた。


 俺の背中を押すように、風が通り抜ける。

 久遠は、正面から風を受けて、目を閉じた。


 一瞬のことだった。


 風に舞って、きれいな黒髪がなびいている。

 久遠は、つんと尖った顎をすこし引いていた。横髪の重なっている口元が、歪んだようにも見えた。


 風が止んだ。


 ――まぶしい


 久遠が、まぶしいぐらいに笑ってる。

 ほんとうに、心の底から笑ったように、口を大きくあけて、お腹を押さえながら笑ってる。


「あはっ、あははは。ふふふっ」


 綺麗な声で、あどけなく、うれしさが音になって響いている。


「いいわよ」


 久遠が言った。

 心に、ぶわっと広がるものがあった。ふわふわして、浮いちゃいそうな気持ちが溢れた。


「いまの告白、いいわよ」


 ああ、恥ずかしい。

 ひとりで勘違いするところだった。

 ボッと顔が熱くなった。


「羽純くん、ありがとう。わたしのこと、好きになってくれて。昨日と今日で、羽純くん、変わったわね。すごく素敵なことだと思うわ」


 久遠なぎさは、うれしそうに、言葉を大事にしながら言っている。


「そうやって変わっていく羽純くんを見るのは、楽しいわ。好きっていうエネルギーで、どれだけ変わるのか、気になるもの。繰り返していくと、きっと、わたしの理想のひとになってくれそう」


 首をかしげながら、久遠はくすくすと笑う。

 俺は、久遠に言った。


「なる。久遠の理想に、なりたいんだ」


 桜色の唇が、尖るようにすぼめられた。


「ありがとう。でも、それを言っているうちは、まだまだよ」


 イタズラっ子のように、片目を閉じて人差し指を突き出された。


 どきっとした。

 こんな顔もするんだ。


「1パーセント」


「えっ?」


 久遠が言って、俺が聞いた。


「わたしね、羽純くんのこと、好きになりつつあるわ。1パーセントぐらい、付き合っても良いかなって思えるぐらいに」


 人差し指を、唇にあてる。瑞々しい唇に、透明な白い指がくっついた。


「何回も告白されたら、わたし、落ちちゃうかも。そう思わされたのは、はじめてよ」


 天使のような顔で、悪魔のようなセリフが吐かれる。


 俺は、単純だった。


 ――やってやる


 久遠が、好きだから。


 俺なんかが全力でぶつかっても、鉄壁のように揺らがない精神力。


 相手のために、想いには想いを返す、優しさ。


 周りにどう思われたって、自分が正しいと思うことを実行する、強さ。


 どこをとっても、好きだ。

 好きなんだ。


 だから俺は、絶対になびかない久遠なぎさを、絶対になびかせてみせる。



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