第二十二話『宵の護衛 III』

……ゴールデンウィークが終わった。


昨日でこどもの日が終わりつつも、平日に入ってから既に四日目である今日は木曜日だ。


連休が終わって憂鬱気味になっている人々も、残り二日ぐらいなら頑張れるという事で、休み中に充電し切れなかった僅かな燃料で学業や仕事に励んでいる事だろう。


……まぁ月曜日から働いてた俺にとっては、最初からゴールデンウィークも何も関係無かった訳だが。


「……」


現在は深夜……事務所に帰ってきて風呂やら寝支度を済ませた俺は、兄貴達に見つからないように自分のクローゼットの中に隠してある加湿器を手に取っていた。


連休明けの五月六日……仕事も終わらせ、俺の木曜日ももうすぐ終わりを迎えようとしていたのだ。


……一方の飯田さんはテスト初日。


流石にあれだけ勉強していれば手応えはあったのか、ロイヤルメイデンで会った時の彼女は自信がありそうな表情をしていた。


それは良いのだが、どのタイミングで飯田さんに加湿器を渡そうか。


彼女と対面出来る回数は限られており、一日の中で最も早く出会えるロイヤルメイデンにて、加湿器を持って行き彼女の仕事前に渡そうか、仕事明けに渡そうか……


しかし忙しい仕事前には、何もかも終わった仕事後に渡した方が良いに決まっている。


……だがしかし仕事後に渡した所で、その後に黒百合にも向かうだろうに、あの重い物を彼女に持たせる時間を増やしてしまうのではないか。


そんな色々な展開を予想して、悩んでいる内に……もう飯田さんのテスト終了は残り二日まで差し掛かってしまった。


……いや決めた。


黒百合に着いた後、飯田さんが黒百合にいる間に俺が事務所まで加湿器を取りに行けば良い話でないか。


答えを得た瞬間、悩みが消えた事で急激に眠気が襲ってきた……。


シノギで帰ってきていない兄貴達がいない隙に、とっとと寝てしまおう。


「あら、もう寝るのねぇ大和」


「……」


……そう欠伸をしながら後ろを振り向くと、黒いスーツ姿を夜の事務所の室内に浸透させていた斬江がいつの間にか姿を現していた。


いつから斬江は事務所の中に入ってきていたのだろう。


今さっき入ってきたとするならば、俺がクローゼットの中に加湿器を隠している様も見られてしまっただろうか。


ニコニコと笑っている表情の奥には、月日に照らされた白い肌も相まって不気味さを感じた。


「……今、何をしまったの?」


「……」


「……私の前で隠し事は無しでしょう?」


しかし斬江は、俺の何もかもを知っている。


加湿器を買った事も何もかも、俺の監視役である武蔵さんから報告を受けている筈だからだ。


俺はゲームを没収しようとしている母親の息子の気持ちを思いながら、斬江に恐る恐ると加湿器を手渡した。


「……まぁ、これが例のプレゼントだったのねぇ」


「すみません……隠しておくつもりは無かったのですが」


「じゃあ何で隠してたの?」


「堂々に置いていたら、兄貴達に勝手に中身を開けられてしまうと思ったので」


「あぁ〜、確かにあの人達なら勝手に開けるわよねぇ」


「はい……」


「……でも、大和がプレゼントをあげたくなるなんて、その凪奈子ちゃんって子は相当可愛いんでしょうねぇ」


「……はい、飯田さんは……色々と頑張ってますから」


「……私に返す分のお金までは使ってないでしょうねぇ?」


「……それは勿論」


常に監視させられているというのは気持ちが悪いが、武蔵さんが俺の行動を全て斬江に話しているのなら、俺から状況を説明する手間が省けて楽である。


「……これが今日の分です」


「ふふっ、ご苦労様大和」


「……俺から金を受け取る為に、マンションから態々いらっしゃったのですか?」


「そうよ、じゃあまたね〜」


「……おやすみなさい」


そして斬江は、態々来てくれてありがとうと礼を言わせる隙も無く、マンションへと帰って行った。


……真緒さんの時と同様に斬江は、俺が飯田さんという娘と親しくしている事に対して不快に思っていないのだろうか。


要するに金を返してくれれば何でもいいという事か……その極論を、考えれば考える程に眠れなくなって来る気がする。


……眠気が晴れる前にとっとと寝てしまおう。


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……翌日。


今日は郵便配達の仕事だ。


「それじゃあこれで全部だ、頼むよ仁藤くん」


「……はい」


まずは郵便局に行き、配達の仕方を簡単に教えて貰った後、上司から配達物が大量に入った箱を受け取る。


「休憩のタイミングは任せるよ、でも十七時までには全部届け終わって、ここに戻って来なきゃだめだからね」


「了解です」


早速箱を持ち、新宿郵便局から外へと出る。


俺は免許証は持っていない為に、自転車での移動となる。


配達範囲は新宿区内のみ……狭いようで広い場所だが、車の通りが多い都心であれば色々と小回りは効くだろう。


「……」


……しかし歩行者の数も多いのが、この大都会新宿だ。


なので基本的には車道での移動となる。


最初に手に取った郵便物に書かれている住所は大久保……自転車に乗り、西武新宿線に沿って北へと向かう。


……かつて真緒さんと行った、潜入任務中での配達業務を思い出す。


潜入任務という仕事自体が、自分の中で皇組員として最も極道らしい内容であった。


それ以降とそれ以前は、俺がこれまでにやって来たアルバイトは、どれも高校生でも出来る物ばかりだ。


それを自覚する度に、俺は極道でいる必要があるのかと思わせる。


コンビニでの接客、道路工事、工場での仕分け、公園での清掃作業……歌舞伎町に来てから俺は、今までに沢山の仕事をしてきた。


「……」


……その中でもこういった配達業務は、過去を振り返るといった余計な事を考えながら仕事を行えるのがメリットだ。


配達物を時間内に全て送り届けなければいけない責任感が伴うが、それさえ出来ればどんなにゆっくりやっても文句を言う人はいない。


上司や周りとのチームワークを気にする必要が無く、のんびりと仕事をする事が出来る……


学校の体育の授業でも、強制参加させられる上にチームに貢献出来なければ、上手い奴から文句を言われる野球やサッカーよりは、自分の土俵で戦えるバトミントンや卓球の方が好きだった。


文句を言うなら、野球やサッカーは格好つけたい奴等だけでやっていればいい……そう思っていたが、やりたくも無い仕事をやりたく無い奴等と日々行わなければいけないのが、この社会だ。


「っく……!」


その現実を工事現場での出来事を思い出しながら、適応能力が無かったからいけないという理不尽さを発散させるように、立ち漕ぎをしながら上り坂を登っていく。


「ふぅ……」


苦しんで苦しんで苦しみまくって、そこから知識を得て成長していけば……いつかは今の下り坂のような幸せに感じる展開が、俺の人生でやってくる筈だ。


……むしろ仕事終わりに真緒さん達に会っている時点で、既にその時はやって来ているのかもしれない。


今は飯田さんも、合格という景色を見る為に、テストという上り坂を必死に駆け上がっている頃だろう。


……俺も頑張ってるから、飯田さんも一緒に頑張ろう。


向こうがどう思っているかは分からないが、飯田さんと一緒に戦っている気持ちを思いながら、俺は二つ目の坂を登って行った。


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……これで全部か。


何枚にもごちゃごちゃに重ねられた郵便物を掻き分けても、もう大久保の文字が書かれた物は無い。


それから大久保のエリアで郵便物を配達し終わった俺は、続いて歌舞伎町の住所が書かれた物を届ける為に、その場所へと戻っていた。


先程よりも郵便物が軽くなった分、車体も軽くなってスピードが上がる。


……しかし歌舞伎町内は特に人が多いので、そのままの速度で大通りに突っ込む訳にはいかない。


なので仕方なく自転車から降りて、それを引きながら靖国通りへと入った。


「……」


郵便物に書かれている住所は、東京都新宿区歌舞伎町一丁目六の一の四……


地図アプリに頼りながら向かったその場所は東通りであった。


そして住所の最後である第二ショーリビルという場所に向かうと……


「……ここか」


その郵便物に書かれてあった住所は、何と長内さんが働いている黒百合の使徒を指している物だった。


……しかし、今の黒百合は準備中の筈。


ドアに掛けられてある看板は営業中であり、中からは数人の話し声が聞こえてきた。


「仁藤くん……?」


……するとどこからともなく、買い物袋を持った長内さんが俺の前に現れた。


「っ!? ああ、長内さん……気が付きませんでした」


「こんにちは、仁藤くん……今日も格好が違う……」


「ああ、今配達のお仕事をしていまして……これ、ここ宛てなので受け取ってください」


「ん……? ありがとう……」


俺から封筒を受け取り、長内さんは不思議そうにそれをじーっと見つめている。


「……何が入ってるんですか?」


「分からないわ……」


「そうですか……それよりも、今の時間帯に黒百合はやっているのですか?」


「うん……最近、ランチも始めたの……」


「そうでしたか……」


「良かったら、食べてく……? あっ、でも……今お仕事中なのね……」


無我夢中に自転車を漕ぎ続け、気がつけばもう昼だったか。


幸いにも今回は初回という事で、郵便物も残り半分を切っていた。


「いや、食べて行きますよ」


「本当……? お仕事は、大丈夫……?」


「はい、休憩はいつでも取っていいって言われているので」


「そう……じゃあ、中へどうぞ……」


「……お邪魔します」


少しだけ口角を上げた長内さんに扉を開けて貰い、店内へと入る。


「……いらっしゃ、あらおかえりちーちー! それにやまちゃんもいるじゃない!」


「……どうも」


店内ではブルヘッドさんがフライパンで何かを炒めながら、こちらに振り向いて挨拶をしてきた。


オムライスでも作っているのか、ミリタリー系の内装に似合わないケチャップの香りに導かれるように、俺はカウンター席に座った。


「この時間からでも、お店開くようになったんですね」


「そうよぉ、何となくでランチを始めてみたんだけど、お客さん結構来るものねぇ」


夜はバー、昼はレストラン体制となった黒百合の使徒。


おっさんしかいなかった店内は日中でも営業するようになった事で、オーエル等の女性客も数人程訪れていた。


「今日もまた違う制服着てるわねぇ……その格好は郵便屋さんかしら」


「はい」


「それで、これ……仁藤くんから貰ったの……」


「ん? あぁ払い込み表ねぇ、後でコンビニ行かなきゃだわぁ」


長内さんから渡された払込用紙を開封して、溜息をつくブルヘッド。


コンビニで仕事をする際に、三箇所に繋がれたそれぞれの紙に検収印を押して、一番右だけを切り取って渡していたあの紙の事か。


この歌舞伎町を不眠にさせている源は電気……その消費量は凄まじく、俺も何回電気代の収納代行を受け付けたのか数えきれない。


「それで? やまちゃん何食べるぅ?」


「……オムライスでお願いします」


「分かったわぁ」


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「どうぞ……」


「……はい」


……それから数分後、彼女が作ったオムライスが俺の目の前に差し出されてきた。


「……」


スプーンを手に取りつつ、目の前から感じる視線……


顔を上げると、味の感想が気になるのか長内さんが俺の口元をじっと見つめている。


前にも指摘した筈なのだが、気になる物があるとそこに注目して固まってしまう癖は、まだ治っていないようだった。


「……あの、そんなに見つめられていると食べずらいのですが」


「あっ、ごめんなさい……」


「でも、美味しいです」


「本当……?」


俺からの言葉に慌てて顔を背けつつも目線はこちらに向き、無表情だが長内さんの頬がぽっと染まる。


口の中で卵とケチャップと鶏肉の味が広がり、配達という名の運動時に消費していた空腹を満たしていく。


更には長内さんが作った手料理という事実も踏まえて、その美味しさは倍増して感じる。


「でしょ〜? 最近はちーちーの一人でもお料理作れるようになってきたのよ〜」


「……そうだったんですか」


「うん……元々私、お料理するのは好きだから……」


横からひょこっと会話に参加してきたブルヘッドさんに加えて説明を聞き、長内さんは下を俯いてもじもじと更に頬を赤くした。


「凪奈子ちゃんのテストが終わったら、私……凪奈子ちゃんの好きなお料理、ご馳走するの……」


「……良いですね」


「私、頑張ってる凪奈子ちゃんに……何かしてあげたくて……」


「だから得意な料理をご馳走して、凪奈子ちゃんにおめでとうって言うの……」


「逆に料理以外は、何も出来ないから……」


長内さんの俯いている原因が、恥ずかしい気持ちならがっかりしている事へと変わる。


彼女も俺と同じように、今の自分に飯田さんを喜ばせる為に何が出来るかという事を考えていたのだろうか。


「出来ないも何も……長内さんは飯田さんに英語を教えていたではないですか」


「英語は出来るけど、それは特技だと思ってないの……」


「それに私がやったのは、英語の意味を教えただけ……教え方は、先生みたいに上手くは出来なかったわ……」


「誰かに何かを、上手に説明する事……苦手だから……」


「……なるほど」


アメリカにて長い間英語を話していた分、逆に

帰国してきてから、上手く日本語を話せなくなってしまったという長内さん。


そんな彼女が辿り着いた答えが、自身が得意であるという料理。


自分の為に料理を作ってくれたのかと思えば、飯田さんも嬉しく思えるだろう。


逆に自分は手作りでも何でもない、最初から完成品の加湿器だ。


俺も料理にすれば良かったかと後悔するが……いきなり飯を作ってきたから食べろと言われても、困るだけだろうとその悩みはすぐに完結した。


「あらぁ、そんな事無いわぁちーちー、貴女には料理以外にも素敵な所が沢山あるわぁ」


「そう……?」


「そうよぉ、まずちーちーは何より美人さんだし、それに無口だけどそれが何だか猫っぽくて可愛いというか……」


「やめてブルちゃん……恥ずかしいわ……」


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……その後、飯を食い終わって残りの配達も全て完了。


「今日はお疲れ様、また頼むよ仁藤くん」


「お疲れ様です」


今日の上司だった男から給料を受け取り、別れの挨拶をして、今日もビルに遮られた夕焼け空に迎えられながら外に出る。


今日も一杯足が千切れそうになるまで動かした。


だがこれまでに足を酷使する仕事をしてきた中で、何故だか今日は足が全く痛くない……むしろ気持ち良いくらいだ。


痛くても痛くても歩き続けてきた事で、いつの間にか足が疲れないように鍛えられていたという事か。


今日飯田さんに会った時に話す話題はそれにしよう。


彼女にとってはどうでもいい話だろうが、普段から仕事しかしていない為に、それぐらいしか報告する事が無い。


「ふぅ……終わったぁ」


……一方の飯田さんも、仕事終わりは疲れを感じさせないようなスッキリとした表情をしていた。


余程テストの攻略状況が順調だったのか。


その事を本人も上機嫌に、接客中に色々な客に対して話していた。


「……調子良さそうですね」


「ええ、テストが上手く行ったからか分かんないけど、今日はお仕事の方も楽しく感じたわ」


「良かったですね……でもテストは、まだ明日も残ってるんですよね?」


「うっ、容赦なく現実突きつけてくるわねあんた……」


「油断して痛い目には遭いたく無いでしょう?」


「まぁそうだけどさー……」


本当は良かったの後に、お疲れ様と励ました方が正解だったのか。


今のほんの数秒の出来事で、大きな後悔が生まれた。


……それを思うと、何だか急激に足が痛くなってきた気がする。


「……ねぇ仁藤くん、この後暇?」


「何ですか? 急に改まって」


「ちょっとこの後付き合いなさいよ」


すると飯田さんは不自然に話題を替えて、唐突に強気な態度で誘いを申し込んできた。


「付き合うも何も……この後一緒に黒百合行くのでは無かったのですか?」


「違うわよ、私と怠慢で付き合って貰うの」


「……二人きりでって事ですか?」


「べ、別に変な意味で言ったわけじゃないわよ!?」


俺からの返答に飯田さんは顔を赤くし、彼女はそれを隠すように、くるりと俺に背中を向けた。


一日と乗り越えられるテストの壁が無くなっていく事で、飯田さんの心に余裕が出来たのか。


それにより電車に乗って厚木に帰る前までの少ない時間だけでも、翼を広げて俺と共に新宿の街に繰り出したいと言うのか。


「……いいですよ、お付き合いさせて頂きます」


「……! 本当?」


「はい……俺は飯田さんのマネージャーですから……仕事終わりに貴方のアフターケアに付き合うのも、俺の仕事です」


「ありがとう仁藤くん、お仕事が終わってからからも私の事を想ってくれてるなんて、随分と仕事熱心じゃない?」


「……? 俺は飯田さんに付き合ってくれと言われたから付き合うだけですよ?」


「からかいが効かないわねあんた……まぁいいわ行くわよ」


「あぁ、はい……」


それからニヤニヤしたり不機嫌そうになったりと感情が忙しい飯田さんを追いかけて、二人で外へ出る。


連休が終わっても、落ち込まずにぶり返す歌舞伎町一番街の熱気。


酒に酔い、あちこちで顔を真っ赤にさせながらガハハ笑っている人々が、普段どういった態度で仕事を行っているのかが想像もつかない。


「……それで、どこに行きたいのですか?」


「……静かな場所がいいかしら」


「って決めていないのですか」


「私新宿にはよく来てるけど、歌舞伎町以外の場所はあまり知らないの」


「あんたの方が私より新宿は知ってるんだろうし、その場所まで私を案内して頂戴」


「静かな場所ですか……」


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


そうして都会の喧騒と光から逃れるように、俺は飯田さんの望んだ場所へと案内した。


「……ここです、新宿中央公園」


「……へぇ、こんな所に公園なんてあったのねぇ」


「土曜日にはフリーマーケットをやっていたのですが……ご存知でしたか?」


「土曜日ね……私その頃ひとみと一緒に大学に行ってたわ」


「……そうですか」


都会と言えど夜になれば人は少なくなり、歌舞伎町と比べて今ある灯りは道路を照らす物しかない。


「確かに静かだわねここ……」


閉園後の遊園地にて、メリーゴーランドを独り占めして楽しむかのように……


春になったら桜が咲く木が立ち並ぶ大通りを歩きながら、飯田さんは広いこの場所の快適さに満足しているようだった。


音と光が控え目になった事で、今度は俺達や木々の間で流れる夜風の冷たさも、改めて感じるようになってくる。


……その夜風に髪を靡かせながら、飯田さんは俺の前でゆっくりとゆっくりと歩いていた。


「……」


まるで先が見えない未来やみに向かって、どんなに辛くても自分の為だけでは無く、妹達の為にも頑張って生きている様を体現しているようだった。


「……ん? どうしたの仁藤くん?」


「……あっいや……どうですかこの場所は、新宿の自然も捨てたものでは無いでしょう?」


「ええ、ちょっと寒いけど……風は気持ちいいし、ここならリラックス出来るかも」


「……じゃあこれならどうですか?」


「えっ……」


夏まであともう少し、だが五月の夜風はまだまだ冷たく、その風から飯田さんを守る為に、俺はスーツのジャケットを脱いで彼女の肩にかけた。


「これで寒くないですか?」


「……へぇ、気が利くじゃない。 ありがと」


……口元を緩ませながらそっぽを向く飯田さん。


相手の気遣いなど関係ない。


全ては飯田さんのマネージャーであるから。


その理由で片付けてしまえば、俺は彼女の為に何でも出来るような気がした。


……彼女を喜ばせる事で、俺も喜びたかった。


「……てか二人きりじゃなくても、一回黒百合に行って真緒さん達をお誘いした後からで、来ても良かったのではないですか?」


「それだとワイワイしちゃうでしょ、静かな場所でゆっくりする為に来たのに、それだと意味が無いじゃない」


「なら一人で来れば良かったじゃないですか」


「……だって、一人で行くのは怖いし」


「……え?」


……一応聞き取れた筈なのだが、確認の為にもう一度耳を飯田さんに寄せる。


すると飯田さんは逃げるように、歩行の速度を上げた。


「こっ、こんな都会の夜の公園で、女の子一人で行動するなんて危ないじゃない!」


「私がまだ男だったら、一人でも良いんでしょうけど……とにかくあんたマネージャーとして、私を駅に向かうまで、最後まで一緒にいなさいよね!」


「っと……」


急に速度を上げて歩き始めたと思ったら、今度は急に立ち止まって、俺にもブレーキを踏ませたりと本当に忙しい人だ。


「……それって最早マネージャーじゃなくてボディーガードなのでは?」


「……うっさい」


「……はい」


……しかしこの飯田さんに振り回されている感じ、嫌いじゃない。


真緒さん達や五人で活動をしていた場合、飯田さんと二人きりで無ければこのやり取りも出来なかっただろう。


彼女が歩きたい時に一緒に歩き、彼女が止まりたいと思った時には一緒に止まる。


その何でも無い時間を共に過ごしているだけでも、リラックスしている筈の飯田さんだけでは無く、俺もいつの間にか心が癒されていた。


「ふぅ……ふぅ、少し歩き疲れたかも」


「……ならあそこのベンチで、少し休みますか?」


「そうするわ」


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


「……これ、この間のお返しです」


「え? いいの?」


「はい」


「……頂きます」


……それから付近にあった自販機の飲み物を渡して、飯田さんにぺこりと会釈をされながら、俺は彼女の隣に座った。


それにより今度は、静止した状態で飯田さんと共に時間を過ごす事となる。


夜風は冷たいのに隣には飯田さんがいる事で、彼女の体温がこちらにも流れてきているようで温かく感じた。


ごくごくとコーラを飲んでいる飯田さんの体がぶるっと震える。


「……冷たっ」


「温かい物の方が良かったですか?」


「ううん、大丈夫……コーラでも何でも、疲れた後に飲む甘い物は美味しいわね」


「……そうですか、家に帰ったらまた勉強ですか?」


「勉強はもう充分したわ……明日に備えて、今日はすぐお風呂入って寝ようと思う」


「なるほど」


「……仁藤くんの方はどうなの?」


「ん?」


「そういえば仁藤くんって自分の話全然しないからさ……あんたのプライベートって、私達の間じゃ結構謎に包まれてるわよ」


腕を組みながら苦笑いを浮かべている飯田さんを見て、改めて自分の私生活を思い返してみる。


ヤクザの職業柄、謎に包まれていると思われても仕方が無いだろう。


しかし普段からやってる事は郵便の配達時にも思っていた通り、掛け持ちに掛け持ちを重ねているアルバイトだ。


「今日は……郵便配達のお仕事をしていました」


「郵便配達? へぇ、全然ヤクザらしい事やって無いじゃない」


「俺はまだまだ下っ端なので……それらしいお仕事はまださせて貰えないのです」


「ふーん……」


……がっかりしているように言ったが、むしろ全然このままでも良い。


ヤクザらしい仕事に手を出せば、それだけ一般人としての欠片がポロポロと崩れ落ちていく訳だ。


それで人でも殺したとなると、その状態で飯田さんに会わす顔が無い。


今のヤクザである身でも、申し訳無く思わずに飯田さんと会えているのは、普段やっている事が一般人と変わらないからであろう。


彼女の方もこんな目つきの悪い俺と、よく仲良くしてくれている物だ。


「……あと黒百合が最近、お昼ご飯の営業を始めたんですよ」


「あら本当?」


「はい、なので昼間に長内さんやブルヘッドさんともあって、そこでご飯食べてきました」


「へぇ〜、私も今度行ってみようかしら」


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


楽しい時間は本当に本当にあっという間だ。


一日の時間感覚の長さが、郵便配達やロイヤルメイデンでの仕事が線だとしたら、飯田さんと公園で過ごしていた時間はその中での僅かな点のみだ。


「今日は付き合ってくれてありがとう仁藤くん……今度は真緒達も誘って公園に行きましょ」


現在俺は小田急新宿駅に無事飯田さんを送り届けて、改札にて彼女と別れようとしていた。


「……はい、明日は黒百合に行くのでしょう?」


「うん、テストも終わりとなれば、明日は軽いお祭り騒ぎになるんじゃないかしら……あぁ〜、早く明日のこのぐらいの時間にならないかしら」


「このぐらいの時間だと、もうお家に帰らなきゃいけなくなりますよ」


「そうね、じゃあ二十一時ぐらいで」


ここで別れたら、飯田さんはテストの最終局面へと旅立つ……


それが最後の別れになら無くても、もしかしたら次会った時は彼女が悲しそうな表情を浮かべているのでは無いかと不安になる。


プレゼントは悲しんでいる状態で渡すよりも、どうせなら彼女が喜んでいる状態で、更に喜ばせる為に渡したい。


長内さんも俺と同じ事を考えながら、今頃黒百合にて料理を作っている頃だろう。


プレゼントを準備し終えた今、後は飯田さんの無事を祈るのみである。


「……頑張ってください飯田さん、テストが終わったら、またロイヤルメイデンでお会いしましょう」


「ふふっ……お土産は何も持って帰れないけど、ここの問題が難しかったぐらいは教えてあげるわ」


そうして飯田さんはそう言い残すと、こちらに手を振りながら改札を抜けて、今日も山手線のホームへと消えて行った。


……向こうは最終局面でも、こちらの明日からは何して働くのかが分からないアルバイトの日々だ。


今日は色々とあってよく眠れそうだ。


それから飯田さんがいなくなった瞬間に疲れをどっと感じつつ、彼女の温もりが籠ったジャケットを正しながら、俺も明日に備える為に事務所へと帰宅したのだった。

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