第二十話『蒼の監獄』

「いらっしゃいませ〜」


スーパーマーケットは基本深夜に入る前には閉まってしまうイメージがあるが、二十四時間空いているならばコンビニエンスストアの上位互換と言った所か。


今はゴールデンウィーク二日目に突入した日曜日の零時過ぎ……


その時間帯ともなれば、周りにいる客は俺達と同じように仕事から帰ってきた社会人達ばかりである。


「えっとー……後は野菜買って、調味料も買ってー……」


……その中に紛れて、恐らくこの店内にいる最年少は俺と飯田さんの二人だ。


現在の俺はカートを引きながら、色々な売り場にて安い商品を厳選している飯田さんの後を着いて行っている。


買い物籠も既に三つ目を使用しており、会計時には一万円を越す事になるだろう。


「飯田さん、こんな量を一人で持って帰ろうとしていたのですか」


「こんぐらい買わなきゃ、料理の材料ってすぐに無くなるからしょうがないわ」


「家に帰ってこれからお作りになるんですか?」


「そうよ、野菜炒めにしようと思ってるの」


「楽ですよね」


通りで籠の中の三分の二は、カットされた野菜やもやしで占められている訳だ。


野菜炒めは肉と野菜を炒めて、調味料をかけるだけで出来る簡単な料理である。


……そんなこんなで呼び込み君に導かれ、次にやってきたのは肉のコーナー。


「仁藤くんも料理するの?」


「はい……事務所では俺が料理担当なのです」


「へぇ〜、今度見てみたいわね」


飯田さんは俺と料理についての話題を話しながら、肉が詰まれたパックを手に取っている。


事務所では料理担当なので、当然作る際には俺も近場のスーパーマーケットに行って材料を仕入れて来る訳だ。


「んー……」


色んな商品をついた値札を睨みつけている飯田さんを見ていると、俺も暇を見つけてスーパーに行かなければと、休みが終わった後のような絶望感を思ってしまう。


「っし……こんな所かしら、それじゃあ買ってとっとと帰りましょ」


「やっとですね」


「ええ、悪いけど荷物持ちも宜しくね」


「悪くないですよ。今日はその為にここに来たんですから」


「ふふっ、ありがとう」


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


「……重いです」


「流石に二万円は買いすぎたわ」


「こんなの一人で持ったら腕外れますよ」


「ほら頑張って〜、男なんだから力あんでしょ〜」


……それから俺達は商品がパンパンに詰められた袋を、二人で二つずつ持ちながらヨロヨロと飯田さん宅に向かっていた。


先程申し訳なさそうな態度を取っていた飯田さんも、俺の背中を足で蹴り押すように、俺の後ろから運搬の応援をしていた。


「レジ袋破らないように気をつけてよ?」


「袋が破れる前に俺の手が破れそうなんですが……」


駅から離れて、夜の商店街を輝かせていた灯が少なくなっていくにつれて、俺達の周囲を歩いていた通行人達も少なくなっていく。


ついに灯は夜の道を照らす街灯だけになり、その道を歩いている通行人は俺と飯田さんの二人だけとなった。


「……いつもこの道を通って帰っているのですか?」


「そうよ、こっから行った方が家に最短で着くわ」


普段から人通りが絶えない歌舞伎町という眠らない街に住んでいる俺にとって、人が全くいない道を歩くというのは久し振りの事だ。


道中で、まだ力尽きまいと言っているかのように一生懸命にちかちかと点滅している街灯を見る度に不安になる。


ありとあらゆる方向から殺気を感じ、一々その方向を見て何も無い事が確認出来ないと安心が出来ない。


飯田さんにとってはいつもの帰り道を歩いているだけなのだろうが、その時の俺にとっては肝試しをしているような気分だった。


「ふふっ、何かビビってない?」


「……気にしないでください」


「はいはい。 それにしても……あんたが私の地元にいるなんて、何だか新鮮ね」


「駅前……結構栄えていましたね」


「歌舞伎町程では無いけど、あそこら辺は結構居酒屋が多くてさ、夜行くと客引きがウザイのよね」


「……なるほど」


そう言っていた凪奈子は、今日一番の死にそうな表情をして、いつ転んでもおかしくないぐらいによろよろとしながら歩いていた。


その様は、まるで長い戦争から故郷へと帰ってきた時の兵士のようだった。


「……飯田さんの荷物も持ちますか?」


「平気よ、ここを右に曲がるわ」


「はい」


やがて俺達は駅前のロータリーから、二階建ての家が立ち並ぶ住宅街へとやって来た。


時間が時間という事もあり、殆どの家の灯が消えており、家の中にも外の道にも人の気配がせず、その住宅街はゴーストタウンのような街並みと化していた。


「……結構スリリングですね」


「あんたもしかして暗い所とか苦手なタイプ?」


「別にそんなんじゃないです」


「ねぇ、やだ……あそこに誰か立ってない…?」


「えっ!?」


「ふふっ」


帰りはグーグルマップが無ければ帰れないと思わせるぐらいに、飯田さんは至る曲がり角で右折左折を繰り返す。


……やがてその迷路のような住宅街をくねくねと抜けていく内に、ついに飯田さんはとある一軒家の前で足を止めた。


その一軒家の門扉の横には、「飯田」と書かれた表札が貼り付けてある。


「ふぅ……やっと着いた。ここよ、私ん家」


「へぇ〜……」


飯田さんが住んでいる家は二階建ての立派なもので、家の外見は派手でも無く地味でも無い庶民的な見た目をしていた。


家の中は他の家と同様に、人の気配がしないぐらいに真っ暗である。


飯田さん以外にその家に住んでいる者は、とっくにお休みになっているのだろう。


それから飯田さんは門扉を開けて、ポストに郵便物が届いていないかをチェックした後、家の入口まで続く石レンガの床の中へと足を踏み入れた。


「今日はありがとう、買い物付き合ってくれて……いつも独りで帰ってたから、仁藤くんが居てくれたおかげで助かったわ」


「……無事に帰れて良かったですね」


「あんたはこれから帰るつもり?」


「はい」


「……終電、間に合わないんじゃないの?」


「……」


飯田さんからそう指摘され、俺は咄嗟にアイフォンの電源を入れて電車の時刻表が表示されるアプリを立ち上げた。


出発駅を本厚木駅に到着を新宿駅に設定し、今の時刻で両区間を移動すると、どれくらいの時間が掛かるかを検索する。


恐る恐る検索ボタンを押し……その結果、五時二十四分の電車に乗った場合、新宿駅には六時十分に着くという検索結果が表示された。


「……今日の五時まで電車が来ません」


「うん。でしょうねぇ」


飯田さんは俺に対して、こいつ死んだなと言っているような、何かを察した目をしていた。


本厚木駅に到着した時の時刻は零時十分。


俺達が乗ってきたその電車が既に終電で、新宿行きの最終電車も、飯田さんの家に行くまでにとっくに出発してしまっていたのだ。


「……」


「あんたどうすんのこれから」


「……仕方がないので、そこら辺のカラオケとかに泊まって帰ります」


「あ、あの……仁藤くん?」


「……何ですか?」


「……」


その時の飯田さんは、いつもの強気な物では無く……彼女にしては珍しい、自分の方が劣位であると相手に感じさせるような弱った表情をしていた。


今から彼女が俺に何を言おうとしているのかは、その表情から察するに何となく予想が出来る。


「……良かったら、今日、うちに泊まっていかない?」


「……良いのですか?」


「ええ、それに買い物に付き合ってくれたお礼もしたいしね」


「……」


……しかし、まだ知り合って間もない男かつ、ヤクザであるこの俺を、こんなにも簡単に家の中に入れてしまっても良いのだろうか。


タダでどこかに泊まれるというのは、こちらとしても物凄く有難い事なのだが……ヤクザの身として、一般人の家に泊まり込むというのは申し訳ない気持ちになる。


……しかしその謝意は、彼女は普段からどういう場所で暮らしているのかという好奇心へと変わっていった。


「……お世話になります」


「ええ、ゆっくりしてって」


「……ですがご両親の許可無く、勝手に俺を家に上げて、泊めてしまって大丈夫なのですか?」


「平気よ、今どっちも家にいないし」


「……そうなのですか」


大学生であるいいださんが、風俗営業で金を稼いでいる事に何とも思わず、このような遅い時間に家に帰ってきても出迎える事すらしない彼女の両親。


寝ているどころか居ないともなると、両親は共働きでもしているというのか。


「どうぞ上がって」


それから飯田さんは鍵と扉を開けて、入口のドアを引っ張りながら開き、俺が家の中へと入るのを待っていた。


「……お邪魔します」


俺は家の中の暗闇に吸い込まれるようにして、玄関の土間に足を踏み入れた。


玄関には、現在家の中で寝ているはずの飯田さんの身内の靴が一足も置かれていなかった。


「誰もいないのですか?」


「……そうね、皆出掛けているみたい」


「出掛けてる……?」


他の家がどうだかは分からないが、飯田さんの家は就寝中だから電気を消していた訳では無く、中に誰もいなかったから消していたという事なのだろうか。


深夜になっても誰も帰って来る事が無い飯田家……。


飯田さんの家族は、彼女とは別に普段からどのような一日を過ごしているのだろうか。


「はぁ〜、疲れた……」


飯田さんはそう言って靴を脱いで廊下へと上がると、入口に向かって一番手前にあるドアを開けて、その中にある部屋へと入って行った。


「……」


俺はどうすればいいか分からず、飯田さんが入って行ったドアが閉まるまでの間、玄関の土間にて立ち尽くしていた。


「こっちこっち」


そのようにしている俺を見て、飯田さんは部屋からひょっこりと顔を出して、こちらに向かって手を振って部屋の中に入るように誘導をした。


「あ、はい……」


俺は飯田さんに言われるがままに廊下へと上がり、自分と彼女の靴を揃えた後に、その部屋の中へと足を踏み入れた。


「……」


その部屋はリビングらしく、飯田さんがつけたペンダントライトに照らされた空間の中には、ソファや大型のリビングテーブルといった、家族皆で過ごす為の場所がそこにはあった。


キッチンや家族で食事する為のダイニングテーブルが置かれている空間も一緒になっている為……部屋の中は、飯田さん一人で過ごすには勿体無いくらいの広さだ。


リビングテーブルの上にはテレビ、エアコンといった電化製品を操作する為のリモコン。


その他にも読みっぱなしの本や、ティッシュ箱といった物が、ソファの上でいつでも利用出来るようにと無造作に置かれている。


そしてありとあらゆる場所に、服や枕といったものが、自分が片付けられるのをこの家の住人に忘れ去られてしまっているかのように散乱していた。


……良く言えば生活感のある見た目をした部屋だが、悪く言えば只の物が散乱した汚い部屋である。


「結構散らかっててごめんなさいね。適当にそこのソファで座って寛いでいて頂戴」


「……いえ、大丈夫です」


飯田さんからそう言われ、俺はリビングテーブルに備え付けられてあるソファに重い腰を降ろした。


「えーっと、これはこれで、これはここで……」


飯田さんは台所の冷蔵庫にて、買ってきた商品をパズルのようにそれぞれの場所に置きながら整理をしている。


「お腹空いたわね……晩御飯でも作ろうかしら。あんたも食べる?」


「はい……野菜炒め、でしたか」


「そそ、簡単にお味噌汁とかも作るけど」


飯田さんは献立に使う食品を冷蔵庫から出した後に、キッチンの引き出しや棚からフライパンやボウルを取り出し始めた。


……彼女が俺に料理を作ってくれるというのに、俺は何で平然と座っているのだ。


「……宜しければ」


その時、料理の補助をする為にソファから立ち上がると、突如として玄関の方から誰かがドアをノックする音が聞こえてきた。


……こんな時間に訪問者か?


「……帰ってきたわね、あんたはそこで待ってて」


飯田さんはその訪問者が誰なのか分かっているみたいだった。


「はい……」


それから飯田さんは玄関へと行き、出入口の扉を開けて、その訪問者を出迎えた。


「こちらは飯田さんのお宅ですね。ほら君達、中に入りなさい」


「……触んないで」


「離してよ!」


「すみません……家の妹達がいつもいつも……」


玄関では、家に入ってきた誰かが二人の娘をこの家へと連れて来て、飯田さんは娘達を連行してきた男に対して、ぺこぺこと謝っているようだった。


閉まっていた紺色のカーテン越しには、向こうで赤いランプのようなくるくると回っていた。


このような時間にも構わず扉をノックした訪問者の正体は…深夜の厚木市内をパトロールしていた警官であったのだ。


「これでもう九回目ですよ、この時間帯には外を出歩く事が無いように、貴方の方からもきちんと言いつけておいて下さい」


「はい……」


その警官は、この時間帯に市内を徘徊していた娘二人を補導して、この家へと連れてきたのであろう。


そう言えば飯田さんは妹が二人いると言っていた……しかも高校生だ。


このような時間に帰ってくる女子高生など、少なくとも優等生では無い事に違いはない。


しかしその二人の娘の声……どこかで聞いた事がある。


「貴方達も、夜はちゃんと家で過ごすように……それではお邪魔しました」


「本当だよ、とっとと帰って」


「出てけ出てけ〜、あっはっは……」


「こら!すみません、ご迷惑をお掛けしました……」


「チッ……」


……やがて、扉がばたんと閉まる音が聞こえたと共に、その警官の声は聞こえなくなり、外で回っていたパトランプも、家の前の道から向こうへと走り去っていった。


警官も消え、玄関では娘達に対しての飯田さんの説教が始まった。


「こら!芽依!舞依!いつもいつも私に心配かけて……あんた達みたいな年齢の娘が、こんな時間帯に外を出歩いてたら、大人達からどんな風に利用されるか分かったもんじゃないのよ!?」


「別にいいじゃん……ほっといてよ」


「家にいてもつまんないんだもん……」


「面白いつまらないの問題じゃないの、夜は家にいるのが当たり前なの!」


「……姉ちゃんだって昔は、夜どっか遊びに行ったっきり朝まで帰ってくる事が無かった癖に」


「私がやってたからって、あんた達もやっていいって訳じゃないの……はぁ、とにかく上がんなさい。ご飯にするわよ」


「飯何〜?」


「野菜炒めよ」


「ん〜」


「……ねぇ、これ誰の靴」


……やがて、二人の娘の内の一人が、玄関に置いてある見慣れない革靴の存在に気づいた。


「……ああ、それはね」


「中に誰かいるの!?」


そしてその内のもう一人が、足音を立てながら俺がいるリビングへと近付いてきた。


深夜を過ぎているのだから、もう少し静かに歩けよと思う。


「あ〜っ!」


「……あっ」


「……どうも」


そしてリビングに入ってきた飯田さんの妹らしき娘達の正体は、思った通り日中にバッティングセンターで会ったあの少女達であった。


「何あんた達知り合いなの?」


「そうだよ〜、歌舞伎町で会ったの〜」


「歌舞伎町って……あんた達そこには行くなって言ったのにまた来てたのね……」


「姉ちゃんのカレシ?」


「へぇ〜、いきなり家に上げるなんて、姉ちゃんも大胆だね〜」


「違うわよ!えっと……会ったようだけど改めて紹介するわね、仁藤くん」


「……はい」


それから飯田さんも部屋の中へと入り、彼女の妹達である双子を紹介し始めた。


「まずこっちは芽依、私の妹その一よ」


「何だよその一って、あと勝手に名前教えないでよ」


その芽依さんという女子は、頭の右側にサイドテールで髪を結んでおり、バッティングセンターでは常にスマートフォンを弄っていた方の少女の事だった。


芽依さんは一分に一回は欠伸をして、自分の頭を撫でながら、どこかやる気の無さそうな表情を浮かべていた。


やはり彼女はマイペースな性格なのだろう。


「そしてこっちは舞依、私の妹その二よ」


「宜しくね〜、お兄さんっ!」


「……はい」


対して、飯田さんから舞依と呼ばれたもう一人の女子は、芽依さんとは反対の位置にサイドテールの髪を結んでいた。


そして彼女は、俺がバッティングを教えた方の少女である。


口元から八重歯を出しながら、にんまりと笑っているその舞依の笑顔から、どこかの瀬名さんと同じ人種の匂いがするのを感じた。


芽依さんも舞依さんも太ももを大胆に露出させて、もう少しでパンツが見えそうなぐらいにスカートを短くしている。


こんな時間になっても外を徘徊していた少女達……二人は普段の学校でどのような生活を送っているのかは、何となく容易に想像する事が出来た。


……俺に対しての芽依さんと舞依さんの紹介は終わり、今度は俺を二人に紹介する番となった。


「芽依?舞依?この人は仁藤大和くん……えっと、私が働いているお店の従業員の人よ」


「……?」


流石にヤクザだという事を正直に紹介する訳にはいかなかったのか、飯田さんは一応事実である風に、俺が堅気の人間であるという事を二人にアピールした。


「カレシじゃないの?」


「そう、私とこの人はただの従業員同士の関係よ」


「なーんだ、つまんな〜い」


「いいからあんた達は着替えてらっしゃい。私がご飯作ってる間には、風呂とか入ってきちゃいなさいよ?」


「「は〜い」」


その後二人はお姉さんの指示を受けて、リビングを出て二階にあると思われる自分の部屋へと階段を上がって消えていった。


「……あの二人が飯田さんの妹達だったのですね」


「二人ともそっくりでしょ。もう分かってると思うけど、あの子達双子なのよ」


「……飯田さんが二人に分裂したら、あんな感じになりそうですね」


「ふふっ、あんたって意外とそういう冗談が言える人よね」


「は、はい……」


「何でもないわ。それでどうする?あんたもお風呂入る?」


「……いや、今はいいです」


「そう……分かったわ。じゃあ私はご飯作るから、あんたソファに座ってて待っていて頂戴」


「俺も手伝います」


「え?」


「泊めさせて頂いたお礼です。一人で四人分のご飯を作るのは大変でしょう」


「そう? じゃあお手並み拝見といこうかしら」


それからキッチンの方へと向かい、カウンターの上に置かれているパックに入っている豚肉を手に取った。


飯田さんも俺の後を追いかけて、キッチンの中へと入り、同じくカウンターの上に置かれているキャベツを手に取った。


「とりあえず、肉を切りますか」


「へぇ〜、手際いいわね」


部屋住み時代……かつて何も出来なかった俺に大輝さんが教えたのは料理だった。


料理を作った回数だけ、失敗した回数だけ殴られた。


その時の大輝さんは、正しく新妻の家事の仕方にダメ出しをしている時の姑のようだった。


「飯田さんもその……切るのがお上手ですね」


「まぁね、流石に大学生になった頃から毎日料理してるだけの事はあるわ」


大輝さんに殴られた時には…いくら料理を作るのが上手くなったからといって、歌舞伎町を出ない限り、自分の料理の腕は発揮される事は無いと思っていた。


……しかし、今この時、飯田さんの料理を手伝う為に、大輝さんに殴られながら鍛えられてきた俺の料理の腕が役に立っている。


まさか、一般人の家にて、俺のその力が役に立つ日が来るとは……ありがとう大輝さん。


「……よし、これで全部切り終わったわね」


「炒めるのは俺がやります」


「お願いするわ」


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


……豚肉、キャベツ、ピーマン、人参…そしてもやしを炒めている音が、真夜中で静寂と化していたリビング中に響き渡る。


黒色の生地に金色の刺繍が入ったハローキティのジャージに着替えていた芽依さんと舞依さんは、ダイニングテーブルの席でスマートフォンを弄りながら、顔見知り程度の知らない男が自宅のキッチンにて料理をしている様をちらちらと見ていた。


その頃、飯田さんは味噌汁が入った鍋をかき混ぜながら、フライパンの中で徐々に完成されていく野菜炒めをまじまじと見ていた。


「へぇ〜、美味そうに出来たじゃない」


「……後は胡麻油をかければ完成です」


「随分と本格的なのね」


「誰かに食べて貰う以上、手は抜けないですから」


「ねーっ、まだー?」


「待ってなさい舞依、もうすぐ出来上がるから」


「……よし、出来ました。 お皿はどこですか?」


「はいはい、今用意するわ」


そうして俺達は四人分の野菜炒めを完成させ、皿へと盛り付けた後、白米と味噌汁と共に双子のいるダイニングテーブルへと運びだした。


「はい、二人ともお待たせ」


「……」


「おーっ、美味そ〜」


舞依さんは、俺達が作った野菜炒めを見て、余程腹が減っていたのか、口から涎を垂らしそうにしながら腹の虫を鳴らしていた。


「……ふーん」


……しかし、一方の芽依さんは、俺が炒めた野菜炒めを見て腹の虫を鳴らしながらも、スマホを弄り続けて野菜炒めに興味が無いふりをしていた。


芽依さんは舞依さんとは違い、いきなり家に上がり込んできた男が料理した飯を食べるのに抵抗があったのだろう。


それから飯田さんは芽依さんと舞依さんのいる席の、向かい側に着席した。


「仁藤くんも、どうぞ座って」


「……失礼します」


そうして俺は、飯田さん達が座っている席と向かいの椅子に腰を下ろした。


「……これだけ?」


「本当はもっと作りたかったんだけど、時間が無かったからしょうが無いわ……それじゃあ食べましょ、頂きまーす」


「いっただっきまーす!」


「……頂きます」


飯田さんの挨拶に、舞依さんと芽依さんもそれに続き、三人は箸を持って三品だけのかなり遅い晩飯を食べ始めた。


「頂きます」


俺も手を合わせて礼をした後に箸を持って、自分で炒めて味付けをした野菜炒めがどれくらいのものだったかを確認した。


「んぅ!」


「……!」


「……へぇ。やっぱり野菜炒めとかって、家によって味付けが変わるものね」


最初は食べるのを嫌そうにしていた芽依さんも含めて、三人は美味しそうに野菜炒めを食べてくれている。


……事務所で兄貴達に振舞っている野菜炒めの味付けが三人にも通用して良かったと、俺は心の中で胸を撫で下ろしながら、飯田さんが持ってきた麦茶のポットから四つのコップへと注ぎ入れた。


「ありがとう仁藤くん」


「お兄さん料理上手いじゃん!」


「ありがとうございます……芽依さん、でしたか」


「あたしは舞依だよ!こっちが芽依!」


「サイドテールで右側の方を結んでいるのが芽依、左側を結んでいるのが舞依よ」


「……」


間違えて自分の名を呼ばれた芽依さんは、野菜炒めを口へと運ぶ動作を続けながらも、不機嫌そうな顔をして俺から目を逸らした。


「……申し訳ないです、芽依さん」


「……別にいいよ。あたしの方も舞依って他の人から呼ばれた事、何度もあるし」


「あんた達って髪下ろすと、姉である私でも見分けがつかなくなるぐらいに顔がそっくりなんですもの」


「もーっ、何年あたし達の姉ちゃんやってんのさ!」


「……ところでさ、お兄さん」


そう言って麦茶を飲みながら俺の方を向いてきた芽依さんは、先程から俺のスーツの胸ポケットにつけている皇組代紋のバッジが気になっていた様子だった。


「お兄さん……もしかして、"ヤクザ"って奴?」


「……」


芽依さんが今口にした言葉は、連続殺人犯に対して"貴方は殺人鬼ですか?"とド直球に聞いているような物だ。


……しかし、そのような命知らずの者にしか出来ない行動を、彼女はにやにやとしながら…完全に興味本位丸出しでその質問をしてきたのであった。


「えっ、マジで!?お兄さんヤクザなの!?」


そして舞依さんも、芽依さんに便乗するように、俺に対して命知らずの質問を投げかけて来た。


……初対面時にも全く俺に怯える様子を見せなかった姉なら、妹も同じだという事か。


「……お二人共、よくそんな質問が出来ますね」


「そうよ、この仁藤くんは皇組っていう極道のやくざなの」


「……まぁ隠すつもりもありませんでしたが」


「おお〜」


「……ふーん」


本物の極道をお目にかかる事が出来た事に対して嬉しかったのか、目をきらきらとさせている舞依さんとは別に……芽依さんはテーブルに肘をつきながら、やっぱりそうだったのかと思っているような薄いリアクションを示した。


「銃とかって持ってんの?」


「持ってないですし、持っていたとしても見せませんよ」


「刺青とか入れてたりする〜?」


「入れてないです」


「えぇ〜つまんなーい……」


「お兄さん本当にやくざ?」


「……すみません」


俺はヤクザだが、斬江から常日頃から人を殺す事を許可されていなければ銃を持たせてくれるはずも無く……斬江に金を全額返金し、いつでも堅気に戻れるようにする為、墨を掘っている訳でも無い。


代紋のバッジを外せば、俺はただの目付きが悪いチンピラと変わらないのである。


二人もそう思ってしまったのか、テーブルに項垂れながら残念そうな表情を浮かべた。


「あんた達、アウトレイジの観すぎなのよ」


「お二人共そんなの観てるんですか?」


「うんうん!」


「面白いじゃんあれ」


「……少なくとも女子高生が観るような内容では無いと思うのですが」


そうして話している内に、俺達の野菜炒めと米と共に徐々に無くなっていき……


〆に味噌汁を飲み干して、やがて俺達は三十分も経たない内に晩飯を完食させた。


「ご馳走様」


「ごちそうさーんっ!」


「はいはいお粗末様。さてと……」


それから飯田さんは皆が汚した皿と茶碗をキッチンのシンクへと運び、片手にスポンジを持って皿洗いを始めた。


「……ところであんた達、まだお風呂入ってきてないでしょう。私も早く入りたいんだからとっとと入ってきちゃいなさい」


「お先」


「あっ、ずるい!」


「走るなー」


風呂場の方へと向かった芽依さんに続いて、舞依さんも彼女の後を追うように廊下へと駆け足で出て行った。


入浴以外に寝る事しか予定が無かった俺は、とりあえず暇を持て余す為にキッチンに行って、飯田さんの皿洗いの手伝いをする事にした。


「ありがとう仁藤くん。野菜炒め美味しかったわ」


「……ありがとうございます」


「それで仁藤くんはいつお風呂に入る? 私より先に入っちゃう?」


「……俺は一番最後でいいですよ」


「分かったわ」


芽依さんと舞依さんに入浴を促す発言をしたり、食事終わりに皿洗いをしている飯田さん……


「ん? どうしたの仁藤くん」


彼女の横顔は、厳しい生活の中でも妹達には最低限の世話をしてやろうという、姉では無く最早母親のような顔をしていた。


「母親みたいって……やーねぇ、まだ私は母親やる程の歳じゃないわ……同級生で結婚してる女の子は、割といるみたいだけど」


「あの双子のお世話をしてる時点で、もう母親みたいなものだと思います」


「そうだけど……お母さんって呼ばれるよりは、何かお姉ちゃんって呼ばれる方がまだいいわ」


「凪奈子お姉ちゃん……?」


「あんたはそう呼ぶ必要無いじゃない」


「……すみません、そう言ってみたかっただけです」

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