第十六話『再来の黒百合』
「……あれ? このメニューお酒しか乗ってないのぜ?」
「ソフトドリンク系はそのメニューの裏にあるわ」
「あっ、本当なのぜ……一杯あるのぜな〜」
「……このクリームソーダとか美味しそうなのぜ!」
「ふっ、子供だな……では私はこのコーラフロートを頼もう」
「あんただって子供じゃないの」
その後、将太さんから裏の事務所で接客の指導を受けて、客席の広場へと戻ってくると……
女子達三人はまだ飲み物を選んでいたのか、三人揃ってメニュー表と睨めっこを続けていた。
「私は喉乾いたし……オランジーナでいいかしら、食べ物も何か頼む?」
「この一キロの大盛りポテトフライとやらを皆で分けるというのはどうだ?」
「味はコンソメにするのぜ!」
「決まりね……すみませぇん、注文お願いしますぅ♪」
「そら大和、お前の出番だぞ! 失敗してもいいから、さっき俺が言った通りにやってみろ」
「はい……行ってきます」
そうして将太さんに背中を押されながら、彼に見守られた状態で飯田さん達の元へと向かう。
「……ご注文をお伺いします」
「おっ、やまちゃんなのぜ〜!」
「……ん? でもさっきと格好が変わらないのぜ?」
「よく見てみろひとみ、首元にあるネクタイが蝶ネクタイに変わっているぞ」
「あっ、本当なのぜ〜!」
「ふーん、本当にここで働く気なのね〜……」
この店でのボーイの制服に着替えた事により、瀬名さんが疑問を抱いて、真緒さんがそれに対して解説を入れて、飯田さんは嫌そうな苦笑いで俺がロイヤルメイデンの店員になった現実を受け止めていた。
……ここは俺も私語で返していきたい所だが、将太さんに見られている以上、今はマニュアル通りでしか対応する事が出来ない。
ガラの悪い客を対応する事とは別に、普段から親しい友人が相手であると、失敗して格好悪い所は見せたくないと、これはまた別の緊張がある。
「……ご注文を、お願いします」
「ほら早く頼めだとさ」
「あっ、そうなのぜな! えっと、えっと……」
「クリームソーダとコーラフロートとオランジーナとぉ♪、あとは大盛りポテトフライ1キログラムをお願いしますぅ♪」
「……はい」
飯田さんからの注文を受け取り、将太さんに渡された小型のタブレットから言い渡されたメニューにチェックを入れて、その個数を入力していく。
「……かしこまりました、では少々お待ちくださいませ」
「お前、その口調疲れないか? 私達の前では別に普通でも構わんのだぞ」
「いやぁ、つい癖で」
「また会おうなのぜ〜!」
そして注文を受け終わり、瀬名さんは最後にこちらに手を振りながら俺の事を見送ってくれた。
そんな彼女に手を微かに振り返しながら、将太さんの所へと戻る。
「いいぜ〜大和、その調子だ! 流石に今まで散々コンビニで働きまくってた甲斐があったな!」
「……ありがとうございます」
「……だがもう少しリラックスした方がいいかもな、動きがカチコチしてて何だかロボットみたいだったぜ?」
「了解です」
将太さんに指摘を受けながらも、何とか初めての注文対応を終える事が出来た。
……要はコンビニと変わらない、決まった台詞を言って機械をタップしていくという作業のようなものだ。
だがそのように感じる事が出来たのは、相手が友人である飯田さん達だったからこそだ。
……俺にとっての本当の戦いはどの人も初対面ばかりである、対サラリーマンの客やガラの悪そうな男達だ。
「……じゃあその調子で、他の客さんからの注文も受けてみようぜ! 引き続き俺も一緒にいるからよ!」
「はい、宜しくお願いします」
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
……その後、次から次へとやって来る客の注文を受け続けた事二時間。
「よし大和、今日はここまでだ! よく頑張ったな!」
ウエイターの仕事は、接客時に何回も同じ動作と言動を繰り返して、強制的に慣れるという覚え方で記憶した後に、今日のロイヤルメイデンでの仕事は終了した。
「……ありがとうございました」
「真面目さが伝わる接客態度で良かったぜ〜、ウエイターの仕事はとりあえず問題無さそうだな!」
「明日からは料理を作る厨房とかの仕事も教えて行くからよ、大和が何の仕事に向いてるか見つけて行こうぜ……それともこの仕事がやりたいとか希望はあるか?」
「いえ、それがどんな種類の仕事があるかどうかも分からない状態で……」
「そっか、じゃあこれからキャバクラでの全仕事を教えて行くから、そん中から選ぼうや!」
「……宜しくお願いします」
「頑張ろうぜ!」
事務所前の従業員専用の廊下にて、俺の肩に手を置いて励ましの言葉を送ってくれた将太さん。
例え頑張れと言われなくても、頑張らなければいけないのがこの現代社会……そんなの言われなくても分かっていると思う人もいると思うが、応援してくれる人がいるだけこの職場は働きやすそうだ。
「とりあえず今日はゆっくり休めや……とその前に、お前に渡したい物があるからここで待っててくれねえか?」
「了解です」
そう言い残すと将太さんは、俺を廊下に立たせたまま事務所の中へと入って行った。
……従業員専用と言う事は、当然俺以外の者も通る廊下だ。
「……お疲れ様です」
「あっ、お疲れーっス」
事務所横にはタイムカードを切るカードリーダーが付いており、皆それを利用する為にその場所を訪れながら、見知らぬ俺の事をジロジロと見つめてくる。
「……お疲れ様です」
「あっ、うっす」
茶髪でここよりはホストクラブで働いていそうなチャラい男や、ギャル風でコンビニに行く時のタバコはメンソールの物しか頼んでいなさそうな、飯田さんと同じキャバ嬢達……。
そんな彼等と会釈をしながら、事務所の中から将太さんが出てくるのを只管に待つ……。
「おっつかれさ……」
……そんな中、飯田さんもタイムカードらしき物を手に持って事務所前へとやって来た。
「……飯田さん」
「こほん……何だ仁藤くんか、お疲れ様」
飯田さんは一瞬だけキャピキャピとしたナナコの片鱗を見せるも、相手が俺だと識別すると頬を染めて、わざとらしく咳払いをしながら改めて挨拶をしてきた。
「どうしたのよ、こんな所で突っ立って」
「仕事終わりで、将太さんにここで待っていろと言われたのです」
「あら、丁度いいわね」
「飯田さんも仕事終わりですか?」
「そっ、いつもと違って三時間しか働いてないからあっという間だったわ」
飯田さんは溜息をつくと、何処か物足りなさそうな表情を浮かべながら、カードリーダーに近付いて退勤の手続きを取った。
「真緒さんと瀬名さんは?」
「とっくに帰ったわよ、今頃は黒百合の方に行ってるんじゃないかしら」
「また後で会おうって、あんたにも宜しく伝えて置いてくれって言ってたわ」
「そうですか……」
「まぁ、今日はあまり黒百合にはいられないんだけど……」
「待たせたな大和! おっ、ナナコもいんな、お疲れ〜!」
その時事務所から将太さんが出てきて、俺達の会話に乱入をしてきた。
「あっ、お疲れ様ですぅ♪」
将太さんが現れた瞬間に声のトーンを上げて、飯田さんはキャバ嬢のナナコモードへと戻った。
「今日も良かったぜナナコ! この調子ならここでの嬢の売上十位以内も夢じゃないぜ!」
「ありがとうございますぅ♪ あと遅刻の件はすみませんでした……」
「ああ全然気にすんな、電車も毎日予定通りの時間に走ってくれるとは限らねえし仕方ねえよ」
腰を低くしてペコペコと謝っているナナコに対して、優しい口調で飯田さんの遅刻の原因を解説してくれた将太さん。
本来なら電車が遅延する事を踏まえて、もっと早い時間から電車に乗るようにしろと怒鳴られそうなものだが……将太さんは従業員の都合も考えてくれるタイプの人だ。
雇い主が従業員に優しいという、どの企業でも理想としているような職場関係の光景がそこにはあった。
「……それと大和にはこれをやろう」
「これは?」
「従業員専用の証明書だ、それタイムカードになっから、出退勤する時にはそれ使って登録すんだ」
「ありがとうございます」
「それと……お前にはウエイターとは別にもう一つ仕事を与える」
「……はい?」
「それは……マネージャーだ!」
「マネージャーですか?」
「えっ」
その言葉を聞いて、ナナコは一瞬だけ飯田さんに戻って困惑の言葉を漏らした。
芸能界ぐらいでしか聞いた事が無かったマネージャーという職業。
水商売界では誰をマネージメントするのかというと、それは勿論キャバ嬢の事であろう。
「おう、ここではキャバ嬢一人ずつにマネージャーがついてんだ」
「主な仕事は嬢がこう言った時間帯の仕事につきたいとかの要望を聞く、スケジュール管理とかだな」
「……なるほど」
「そんで誰につくかなんだが……このナナコとペアになってくれや」
「ええっ!?」
肩を将太さんに手を置かれて、最早ナナコの欠片も無い驚愕の声を出す飯田さん。
「じゃーまねの仕事の一つには、メンタルケアってのもあるしな」
「そういうのは普段から仲良い奴同士でやるに越したこと無いべ」
「でも……私にマネージャーとかいりませんよ?」
「まぁまぁ、いた方が何かと楽だぜ? それに嬢ん中でマネージャーいないの、ナナコだけだぞ?」
「えーそうですか?」
将太さんに勧められるも、飯田さんは微妙な表情を浮かべて、邪魔者を見るような視線を俺の方へと向けている。
……思えばここですれ違った飯田さん以外のキャバ嬢達は、皆貴族のようにマネージャーであろう執事風の男を連れていた。
「とにかくお疲れ! 明日からもまた頑張ろうな!」
「はい、お疲れ様です」
「お疲れ様ですぅ♪」
それから将太さんは再度事務所に消えて行き、廊下にいるのは再度俺と飯田さんだけの二人きりとなった。
「……」
キャバ嬢とマネージャー……将太さんに強制的に作られた今の飯田さんとの状況は、顔も知らない政略結婚相手との初対面の時のようなものだ。
互いに目を逸らして、相手にどういう言葉を掛けたらいいか分からない気まずい空気が廊下内で流れている。
「とっ、とりあえず仕事が終わったんならさっさと帰りましょ!」
そんな中、先に口を開いたのは飯田さん。
「あ、はい……」
「女子更衣室はあっちだから、またね!」
そう言い残し、スタスタとその方向へと行ってしまった飯田さん。
俺も今の制服から元のスーツ姿に戻る為に、正反対の方向にある男子更衣室に向かう。
……とは言っても、上下をそれぞれジャケットとスラックスに着替えるだけで一分とかからない。
それに対して飯田さんの方は、まずはドレスを脱ぐ事から始めたりと……中々に時間がかかる着替えとなりそうだ。
そうして着替え終わり、外へ通じる従業員専用出入口にて、飯田さんの方も着替え終わるのを待機する。
「……あら、あんた先に帰ったんじゃなかったの?」
「俺だけが先に帰ってしまうのも、何だか感じが悪いでは無いですか」
「別に待ってくれなくても良かったのに」
それからデニムスカートにロングスカートと、元の女子大生な格好に戻った飯田さんが外に出てきた。
「ふぅ……」
夜九時過ぎ……俺達の仕事が終わっても尚、尽きる事の無い通りにいる人達を避けながら、歌舞伎町一番街から靖国通りへと曲がった飯田さんの後に着いていく。
溜息をつきながら猫背でとろとろと歩いている元気の無い彼女だが、一応黒百合に行く元気はあるようだ。
「ああ……あと今日は本当に、迎えに来てくれてありがとね」
「いや……俺は将太さんから言われた通りに行動しただけです」
靖国通りにて、俺達の先を追い抜いていくエンジン音に声をかき消されながらも、飯田さんは改めて俺に礼を言ってきた。
「遅刻の理由は電車の人身事故……でしたか?」
「ええ、真緒も言ってたけど東京って人が多いから、結構よくある事なの」
「人が多ければ事故も多いって事ですね」
「……でも実はお店に遅刻したのって、電車に乗れなかったからだけじゃないのよね」
「そうなのですか?」
「うん……まぁそれは後で話すわ」
「?……はい」
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
……黒百合の使徒。
真緒さん、飯田さん、長内さん、瀬名さん……久しぶりに訪れるその場所は、この歌舞伎にて出会った友人達が集まる場所だ。
「なーな! いらっしゃいなのぜー!」
「わっ」
入店するや否や、飯田さんを視認した瀬名さんという名の弾丸は彼女に突撃して抱き着いた。
「分かった、分かったからちょっと離れなさいよあんた……」
「なーないらっしゃい〜……あらぁ、やまちゃん久しぶりねぇ」
「二人とも、いらっしゃい……」
「……どうも」
彼女の両肩に手を置いて、自身の身体から瀬名さん引き剥がした飯田さんとは一方、ブルヘッドさんと長内さんはのんびりと皿洗いをしながら俺達の事を出迎えた。
バーはキャバクラと違って店が狭い分に客も少ない。
今ここにいる客は真緒さんと瀬名さん、俺達を含めると十人しかいない。
なので店員の二人は、ロイヤルメイデンでいう
将太さんのようにせかせかと働かなくても良い訳だ。
「ふぅ……」
カウンターに座っている真緒さんも、そこで肘をついてドリンクを飲みながら、ロイヤルメイデンとは違う静寂とした雰囲気に浸っていた。
「何よ格好つけちゃって、その中に入ってんのはソフトドリンクの癖に」
「えへへ……」
その未成年の癖に大人ぶって背伸びしているような光景を見て、飯田さんは瀬名さんと手を繋いでカウンター席に向かいながら、真緒さんに対してそのような指摘をした。
「場所が場所だからな……こういう落ち着いた雰囲気の店にいると、例え未成年でも大人になった気分になってしまうものさ」
「へー、そうなのひとみ?」
「あたいには、よく分かんないのぜ」
「ふっ、お前達はまだ子供だという事だな」
「あんただってまだ子供じゃない」
「あたい子供のままでいいのぜ〜」
真緒さんの持論を聞きながら、カウンター席に座る飯田さんと瀬名さん。
「どうぞ……」
「あぁ、ありがとうございます……」
彼女達の会話を聞きながら俺もカウンター席に座ると、長内さんから水とバーのメニュー表を差し出された。
「久しぶりね、仁藤くん……」
「はい、お久しぶりです……」
「最近お店に来てなかったのは、何か忙しかったから……?」
「ええ……最近お仕事ばかりしていて、お店に来れる余裕が無かったのです」
「そう……無理しないでね……」
「ありがとうございます」
相も変わらず、そのスピードがこちらにまでうつってきそうなぐらいに、ゆっくりと言葉を話す長内さん。
普段無口な彼女と、こんなに言葉を話す事自体がかなり久しぶりだ。
「あっ、そうなのぜちーちー! 今日なーなに会いにロイヤルメイデンに行って来たのぜ!」
「ロイヤルメイデンって……凪奈子ちゃんが働いてるお店……?」
それから女三人で何かの雑談をしていた中、瀬名さんがその話題を長内さんに振った事で、彼女も女子達の話の輪に入った。
「そうだ。あの凪奈子のアイドルのような接客態度、千夜にも見せたかったぐらいに面白かったな」
「ちょ、やめてよ」
「そうなの……?」
「飯田さんは、普段の時と接客時で大きく性格が変わるのです」
「そうなの……」
「という訳だ凪奈子、ここで実践してみろ」
「絶対嫌よ」
真緒さんからの
「見たいのぜ〜!」
「私も、見たいかも……」
「……うっ」
しかし、瀬名さんと長内さんに期待の眼差しを向けられて、ここで期待に答えなければ、飯田さんはノリの悪い奴だと思われてしまうような空気になってしまった。
「……少しだけだかんね」
「わーい、やったのぜ〜!」
「……」
……何故か俺達以外の客も席から起立した飯田さんを見ており、いつの間にか彼女は皆からの注目の的となっている。
そして店内で流れているバラード調のBGMが止まり、再びループ再生されてから数秒後……
「ご指名ありがとうございますぅ♪ ナナコですぅ♪ 宜しくお願いしまぁす♪」
ピースサインを目に当てながら、満面の笑みを浮かべてノリノリでナナコの挨拶を演じた飯田さん。
……それと同時に店内の時間が止まるような感覚を感じた。
「……な、何で皆黙るのよ!」
「凄い……別人みたい……」
「だろう? それに加えてドレスを着たりメイクもしたりするから、本当に別人に見えるぞ」
「いいな……私も見たかった……」
「何だかアキバ系なメイドっぽいのぜな〜」
「そこまでイタくないわよ!」
「いいわね〜なーな、そういうキャラだとキャバクラに来るお客さんに対して受けがいいんじゃなぁい?」
「あはは……そうですかね?」
カウンターの端の席にて、中年の客と会話をしていたブルヘッドさんは飯田さんの事を褒めて、その中年の客も彼女に向かって拍手をしていた。
そして飯田さんは恥ずかしがりながらも、何処かやりきった感を出しながら溜息をつくと、再び席に着いた。
「やっぱ見せなきゃよかった……何か余計に疲れたわ」
「でも、凪奈子ちゃんが羨ましい……」
「そう?」
「うん……私は、お客さんの前で上手く笑う事が出来ないから……」
笑顔どころか、常に真顔で表情も変わらず、喜怒哀楽の区別がつきにくい長内さん。
その悩みも納得で、長内さんは下を俯きながらそう呟いた。
……しかし飯田さんは飯田さんの方で、二重人格なのかを疑ってしまう程に、キャラが変わり過ぎるのも問題がある。
「そんなにキャラを変えて働いてるから疲れるのでは?」
「関係ないわ、ずっとやってると慣れてくるし」
「……そういうものなのでしょうか」
「じゃあ何でそんなに疲れてるのぜ?」
「……大学でもうすぐテストがあんのよ」
「テスト?」
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
……その後。
「……それでテスト勉強とかで学校で講習を受けてたから、電車の遅延関係なく、どちらにせよ今日の仕事には遅れてたってワケ」
「……なるほどな」
テスト勉強や飯田さんの家の用事の事もあり、早く家に帰らなければいけないという事で、黒百合での話の続きは、皆で彼女を駅まで送っていく時間に行われていた。
「慶應大のテストと言ったら、余計に難しいであろうな」
「あたい大学の勉強どころか、高校の勉強も出来なさそうなのぜ……」
「そんなに難しいテストなの……?」
飯田さんとは同年代でありながらも、彼女とは違って大学生では無い真緒さんと長内さんと瀬名さんの三人……その中には勿論俺も含まれている。
彼女達は単位を稼ぐ事に追われ、勉強をし続け、常に優位な成績を保ち続ける大学生の苦労さがあまり伝わっていないようだった。
「まぁね……自慢するわけじゃないけど、慶應大って結構偏差値が高い学校だから……」
「だからテストも難しいし、勉強するのも単位を取るのも大変なの……二年生になれたのも結構ギリギリだったわ」
「単位って何なのぜ?」
「卒業をする為に必要な点数の事だ」
「ここまで苦労するぐらいなら、イキらないでもっと普通の大学に行くんだったわ……ふぅ」
飯田さんはそう呟きながら、新宿の星の見えない夜空を見上げた。
……今の飯田さんの成績状況は分からないが、慶應大のテストで高得点を取るのは、都会の光で隠れている星を掴むぐらいに難しい事なのであろう。
「そこまで不安なら、勉強に専念した方が宜しいですよ」
「そうだぞ、遅刻するぐらいなら一層の事休んで、勉強した方が集中しやすいのでは無いのか?」
「そういう訳にはいかないの、仕事は仕事でお金を沢山稼がなきゃいけないし……まぁ色々とあんのよ」
「黒百合に来てくれるのは全然構わないけど……その時間に、勉強はしなくても大丈夫なの……?」
「それは、あれよ……ちょっとぐらい休憩してもいいじゃない?」
テストがある週間の時……勉強に集中したいのだが、バイト先に仕事を休ませて貰えずに、勉強が出来ないというのが、学生のよくあるアルバイトでのトラブルだ。
しかし飯田さんの場合はそうでは無かった……それに将太さんならテストがあるから休みたいと頼めば、快く了承してくれそうだ。
飯田さんは勉強と仕事のバランスを両立出来ていない状況を、自ら作り出していると言うのか。
「……とにかく、今は仕事もしなきゃいけないし勉強もしなきゃいけないって事ですね」
「……そういう事ね」
「もっと仕事以外で、勉強出来る時間が増えればいいのぜか?」
「それならば私が勉強を教えてやろうか?」
「えっ?」
「勉強会、する……?」
「ええっ!?」
瀬名さんの考察からの、真緒さんと長内さんからの提案により、飯田さんは二段階で驚愕のリアクションを取った。
「三人寄れば文殊の知恵と言うだろう……それが四人、五人とも増えれば、勉強も捗ると思うぞ」
「こう見えても私は高校時代、苦手な科目が無かった程に勉強が出来る優等生だったのだ」
「高校の頃の学力が、慶應の問題にも通じるといいわねぇ」
「大丈夫よ凪奈子ちゃん……英語は得意だから……」
「それはありがとうだけど……」
「問題が分かんない時には、本屋さんに行って調べればいいのぜな!」
「あんたに関しては高校の勉強も出来なさそうなんじゃ無かったの?」
……今後の課題は、飯田さんの大学でのテスト勉強と、そのような大事な時期でも一切休む気の無い仕事との両立。
今日は二人きりで、その事についての作戦会議になるのかと思いきや……真緒さん、長内さん、瀬名さんも、飯田さんのテスト勉強の糧となってくれた。
その協力戦に、いつの間にか俺も含まれているような気もするが……今の所は、これからロイヤルメイデンにて飯田さんを上手くマネージメントしていけるかどうかだけを考えていれば良さそうだ。
「……じゃあ明日は大学での授業をとっとと終わらせて、早めにこっち来ようかしら」
「黒百合が開く前なら、ブルちゃんも皆に会いに行ってもいいって言うと思う……」
「あたいは基本いつでも暇なのぜ!」
「仁藤、お前は来るか?」
「ん? ああ……行けたら行きます」
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