第十四話『終宴』
……それから数日後の日曜日。
日曜日とは本来は休みの日……だがシフト制で働いている者達はその日でも出勤している者が多く、JR新宿駅にはスーツを着ている社会人達が朝から多く集まっていた。
しかし俺にとっては、一週間の中で唯一斬江に許された何も無い日……俺はその場所にて、新宿パルコの看板を見ながらとある人物達を待っていた。
「お待たせなのぜーっ!」
「おはよう仁藤くん……」
それから社会人達の群れをかき分けて、瀬名さんと長内さんが俺の前に現れた。
「おはようございます……瀬名さん、長内さん」
……そう、今日は飯田さんと長内さんと瀬名さんが数日前から計画をしていた、皆でお台場に行く事を予定していた日なのである。
「やまちゃん早いのぜな〜!」
「はい、遅刻する訳にはいきませんから……」
瀬名さんは一緒に来ていた長内さんと腕を組みながら、コートを着て温かそうな格好をしていても顔は寒風から守れないので、寒そうに鼻を赤くさせていた。
「凪奈子ちゃんも、真緒ちゃんも……まだ来ていないのね……」
そして瀬名さんに寄り添られて温かそうでも、僅かに身体をブルブルと震わせていた長内さん……
「長内さんの私服姿……初めて見たかもしれないです」
「えっ、そう……?」
「そう言えばそうなのぜ! ちーちーって制服姿でしか見た事が無かったのぜな〜」
今日の彼女は緑のロングコートにジーンズと、晴天でも寒い環境に適した格好をしている。
「あまり見ないで……私服ってあまり着ないから、自信無い……」
俺と俺の隣に寄った瀬名さんに今の格好を見られて、長内さんは恥ずかしそうに下を俯いた。
「大丈夫なのぜ! ちーちー、よく似合ってて可愛いのぜ!」
「どこも変じゃ無いですよ」
「そう……?」
「ええ、でも今日ってそんなに寒いかしら」
「凪奈子ちゃん……」
「なーないつの間に!?」
「よっ」
……そして、煙のように俺達に姿を現した飯田さんも、俺や瀬名さんと共に長内さんの服装を伺っていた。
「でもあんたの方はスーツのままなのね」
「本当なのぜ」
「この後、何かお仕事でもあるとか……?」
「そういう訳では無いのですが……実は寝坊しそうになって服を選んでいる時間が無くて、とりあえずこれを着てきただけです」
……というのは嘘で、本当はスーツ以外にはジャージと言った部屋着しか持っておらず、これしか街中に出られるような服装を持っていなかったからである。
「別にいいけど、これから海も行くんだから汚したりしても知らないわよ」
「はい、分かっています」
「寒い時はあたいのパーカーを貸してあげるのぜ!」
「ひとみちゃん……パーカーの中に、パーカーを着ているのね……」
極道入りと同時に、斬江から貰った濃い紫色のスーツ……
ほぼ毎日着ている事から、俺にとってこのスーツは最早私服みたいな物である。
「……とにかく、これであとは真緒だけか」
「集合時間まで、あと五分……」
「これは遅刻なのぜか?」
「まだ、分からないわ……」
真緒さんがやってくる気配すら無い大通りの方を眺めている飯田さんと、腕時計の時刻を見る装着者の長内さんと、その傍で腕時計を覗き込んでいた瀬名さん。
飯田さん達で設定していた集合時間とは十二時。
背の高いビル群を乗り越えて、真上まで昇り詰めた太陽から放たれる光が、寒さで冷えきった我々の身体を温める。
「遅刻したらジュースでも奢ってもらいましょ」
「あたいコーラがいいのぜ!……あっ、でもそれだと高すぎるから、百円ぐらいの自販機のジュースでいいのぜ!」
「ひとみちゃん……遠慮が無いのか控え目なのか、よく分からないわ……」
「……」
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……数日前、例の倉庫の地下から真緒さんと共に脱出しようとした直前に、真緒さんの父親兼帝組組長である帝真と出くわした後。
倉庫を最初に襲撃しに来たのは、俺達皇組では無く、警察では無く……帝組であったという事が分かった。
彼等が来た理由は、皇と同じく歌舞伎町を統べる一組として、半端な商売をしていた倉庫の連中を粛清する為……と思いきや単純に真緒さんを助けに来たからと帝真は言っていた。
「別にお父様が来て頂かなくても、私達警察だけで対処出来ました」
折角助けに来てくれたのだが、真緒さんは一人暮らしを始めてまで独り立ちをしたかったという意も込めていたのか、礼を言うどころか最後まで父親に反抗的な態度を見せていた。
……そして真にとっての最大の問題は、どうして真緒さんの隣に皇組員の俺がいたのかと言う事。
真は娘に負けない殺意溢れる眼光で俺の事を睨み付けていたが、真緒さんは俺の事を協力者だと言ってその場を収めてくれた。
……もしもあの時真緒さんにキスされている所を、真が既に降りてきていて、彼にその光景を見られていたらどうなっていたのかは、言うまでもないだろう。
そうして後にやって来たのが、斬江率いる皇組。
大群を引き連れて彼女らがやってくる前に、倉庫の兵隊達は帝組によって全滅させていたらしい……好き放題やられたのに、全然仕返しが出来なかったと斬江は悔しがっていた。
それから俺と真緒さんが地下にいる間に、倉庫内を調査していた武蔵さんと、斬江達がそこら辺に這いつくばっていた兵士から得た情報で奴等の目的が分かった。
……それは外国から密輸した媚薬を、その倉庫で量産して売り捌く事。
麻薬で無ければどんな薬を売ってもいい……という訳では無かろうが、どちらにせよ皇帝組が暴対法という名の鎖で縛られていたのをいい事に、犯罪に手を染めてまでも商売をしていたのは事実。
どう落とし前をつけてやろうか、と二組で相談している内に……漸く警察が到着。
真緒さんは警察の元に残ると言い、皇帝揃って俺達はやむを得ず退散をする事となった……。
「……仁藤くん?」
……結局、これにてピンク通りにあった会社は倒産、倉庫もとい奴等のアジトは解散となった。
この事は違法オンラインショップとして、新聞の端っこに掲載される程度のニュースとなった。
「仁藤くん……?」
これにより、俺の潜入任務も終了……晴れて明日から日雇い生活に逆戻り……という事になるのだろう。
もう奴等に皇の人間だとバレたらどうしよう、潜入調査なんて初めてなのに上手く出来るか……等と不安に思う必要も無い訳である。
だが唯一残っている不安……それはキスをしてきた真緒さんとの、今後の関係である。
俺は別に気にしていないのだが、真緒さんの方はどう思っているのか……。
真に会った後でも、本人は俺と普通に会話をして、気にしていない素振りを見せていたが……時間が経過してから、改めてもう一度会うとなるとやはり気まずいものがある。
「やまちゃーん? おーい!」
「……あっ、はいなんでしょう」
「あっ、やっと気がついた」
「大丈夫……? 仁藤くん……ボーッとしてた……」
俺の事を何度も呼んでいた様子の飯田さん、長内さん、瀬名さんに注目されながら、俺は自分の世界に戻ってきて現状を理解した。
「……ああ、大丈夫ですよ」
「何か考え事でもしてた?」
「仕事中に……もしかして嫌な事でもあったの……?」
「あ、あたいで良ければ相談に乗るのぜ!」
真緒さんの事を考えるに至って、俺はそれまでに深刻な表情をしていたと言うのか。
女子三人は俺の事を、皆心配してくれているような眼差しを向けていた。
……しかし、あの時の事を彼女達に相談など出来る訳が無い。
そうして俺はまた彼女達に嘘をつく。
「何でも無いですよ……ただ、少しだけ眠いだけです」
「本当……? あまり、無理しちゃダメ……」
「眠い程度なら、モンスターキメれば元気になるわよ」
「あたいはレッドブル派なのぜな〜」
……その時、暗色のスーツを着ている者達の人混みの中で、よく目立つ銀髪を靡かせながらその者は俺達の前に姿を現した。
「おっ、まおまおなのぜ〜!」
「ふむ、皆お揃いの様だな」
黒いダウンジャケットに、モデルのように長い足の細さを目立たせるスキニーパンツ。
流石の真緒さんも今日の休日は皆と同じく私服であり、尚且つ中性的な格好で、真っ先に彼女に反応した瀬名さんの頭を撫でていたその姿は、瀬名さんの彼氏だと言われても違和感が無かった。
「えへへ〜」
「随分のうのうと登場してくれたけど、あんた一応遅刻してるんだからね?」
「たかが五分ぐらい許せ凪奈子、向かってる途中にタイミング悪く信号が全て赤になってしまってな」
「触んな」
「よう千夜、この間のビーフシチューは美味かったぞ。 是非店に行った時にまた作ってくれ」
「いい、けど……真緒ちゃん、その、恥ずかしいわ……」
飯田さんには最後に手を弾かれつつも、真緒さんは瀬名さんだけでは無く、挨拶代わりに慣れた手つきで長内さんの頭も撫でていった。
「やめなさいよあんた、千夜嫌がってるじゃない」
「ああ、すまん……つい癖でな」
「癖……?」
「こいつ、隙あらばすぐ頭撫でてくるから……大丈夫だった?」
長内さんを守るようにして、真緒さんの腕を掴んで彼女の頭を撫でるのを中止させた飯田さん。
「別に平気……悪い気は、しなかったわ……」
しかし長内さんは、手を前で合わせて下を俯きながら、満更でも無い様子で頬をぽっと染める。
「あたい頭撫でられるのは好きなのぜ!」
「おおそうかそうか、ではもっと撫でてやるぞ」
「えへへ〜」
……一方で、俺達の中で一番の歳下である事を利用して、実の姉に甘えるように真緒さんに頭を撫でられていた瀬名さん。
彼女だけは恥ずかしがらず、こうされると嬉しいからといった理由だけで、尻尾を振って本能的に行動しているかのように見えた。
「真緒さん……おはようございます」
「ああ……お、おはよう仁藤……」
「……はい」
……そして俺から挨拶をして、目を合わせた途端に、向こうから目を逸らしながら頬を染めた真緒さん。
やはり実行者である真緒さんの方が、冷静になった後から、俺よりも倍近く恥ずかしい気持ちを抱いていたようだった。
そんないつもと様子が違う真緒さんを、普段の彼女を見ている他の女子達は放っておく筈も無かった。
「あれ〜、まおまおどうしたのぜ?」
「顔、赤い……」
「……あんた達何かあったの?」
「いや、別に何でも無い……こちらの話だ」
ニヤニヤしている瀬名さんや、難しい顔をしている飯田さんから、彼女達に俺達の関係について勘違いさせてしまっているのは明らかだ。
……とにかく真緒さんとは、本当に何も起きていなかったような対応をして、彼女達の誤解を解いていかなければならない。
「ふーん……とりあえず皆揃ったんだし、早く行きましょ」
「その前に、切符買わなきゃ……」
「出発なのぜ〜!」
「そんなに急がなくてもお台場は逃げんぞ凪奈子」
「いや電車が逃げるわ」
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……それから山手線は新橋駅で降りて、そこからゆりかもめというモノレールに乗り換えてお台場海浜公園駅まで向かう途中。
「ちーちー! 海が見えてきたのぜ!」
「うん……色んなお船が、いっぱいある……」
俺達は先頭の一両目に乗車して、長内さんと瀬名さんは電車の窓に手を当てて、そこから外の景色を珍しそうに眺めていた。
……そして残りの俺と真緒さんと飯田さんは、そんな二人を見守りながら三人並んで席に座っている。
「あの二人、海に行くのは数年ぶりだそうよ」
「そうなのか?」
「ええ、まぁ海って言っても、私も陸の方に住んでるから中々行く事無いし」
「なら今度の夏にでも、皆で行ってみるか?」
「賛成なのぜ〜!」
「行ってみたいかも……」
もうすぐやってくる春を飛ばして、早くも夏の旅行を計画し始めている女子四人。
そんなこんなでお台場海浜公園駅に到着して、俺達はまずその公園がある海方面へと向かった。
「ほら千夜ひとみ、あれがフジテレビよ」
「おお! 聞いた事あるのぜ〜」
「凪奈子ちゃん、あの丸いのは何……?」
「えっ、あれは……展望台よ!」
「なるほど……」
お台場と言えばやはりフジテレビ。
駅から海へと向かう途中に必ず目にする事になる建物を、飯田さんは自信満々な感じで長内さんと瀬名さんに案内するも……長内さんからの質問に一瞬言葉を詰まらせた事から、百パーセント知っている訳では無いと伺える。
「……」
「……」
……気まずい。
それもその筈、前では長内さんと瀬名さんが飯田さんのガイドを受けており、そこで一つのグループが出来ている。
なので真緒さんは、俺と一番距離が近い隣にいるので、俺と話をするしか無くなるという訳だ。
「……あの時の事は忘れろ、仁藤」
……そして沈黙の中で、先に口を開いたのは真緒さん。
忘れろと言われると、逆に昨日の真っ赤な顔をしていた時の彼女を、むしろ思い出してしまう。
「……そして、あの時は悪かった。いきなりキスをして」
「……いえ、真緒さんが悪いのでは無く、百パーセント薬が悪いという事にしておきましょう」
「……そうだな、そう言って貰えると助かる」
いつもとは違う、こちらが優位に立っているのだと思ってしまうような、弱々しい表情を浮かべる真緒さん。
どうすれば元の真緒さんに戻ってくれるのか……言葉を選びつつも、慎重に彼女に話しかける。
キスをしてきたという事は、真緒さん俺の事好きなんですか?
……そんなド直球の質問だけは、絶対に繰り出してはならない。
「その……あの後は大丈夫でしたか?」
「ああ、何とか落ち着かせたよ」
「良かった……とにかくお体が無事なのであれば、それだけで充分だと俺は思います」
「う、うむ……それにしても、お台場は広いな!」
「……そうですね。お台場も高い建物が沢山ありますが、新宿とかと違ってそれが密集していませんよね」
「ああ、その分に空も広い……夜になれば綺麗な星が見られるかもしれんな」
「海からだともっと綺麗に見られると思いますよ」
……と真緒さんは、少しでも体制を立て直そうとしているのか、不自然にも話題を変えて、俺にこれ以上昨日の事を思い出させないようにした。
視界に乱入してきた、遥か空の彼方にて飛んでいる飛行機を、二人揃って追い掛ける。
……あの飛行機に乗って、どこかに飛び去ってしまいたい。
明日からの仕事の事を考えると、どうせ無理だと分かっていても夢のような話を頭の中で描いてしまう。
「……」
……真緒さんも俺と同じ事を思っていたのか。
飛行機の軌道を捉えている彼女の瞳はどこか儚げで霞んでいた。
……もう昨日の事は気にしていないという扱いでいいのだろうか。
「あそこの横断歩道を渡って公園の中に入れば、すぐに海に出られるわ……ってあの二人遅いわね」
「やまちゃーん、まおまお〜」
「ああ悪い」
……そしていつの間にか距離を離された三人を追いかける為に、瀬名さんに手を振られながら信号機の所まで真緒さんと共に急ぐ。
「あんた達遅いわよ」
「すみません」
「お前達が早すぎるのだ。 そんなに海を見るのに気持ちが抑えきれんか」
「うん! 信号が青になるまで待ちきれないのぜな〜!」
「波の音が、聞こえる……」
やがて横断歩道を渡って、公園の敷地内に入り、津波を防ぐ為の木々を抜けて奥へと進んでいく……
「おお……!」
……そうして海が俺達の目と鼻の先に姿を現し、瀬名さんは加速して真っ先に砂浜へと入って行った。
「これが砂浜なのぜな〜」
「地面が柔らかい……」
足跡が描かれていく地面を見ながら海へと近づいていく長内さんと瀬名さんの後に続く。
「ふふっ、二人ともはしゃいじゃって、連れてきた甲斐があったわ」
「砂の地面など公園の砂場でも見れるだろうに、そんなに珍しいか?」
「海の砂浜と公園の砂場では、規模も色々と違うと思いますが……」
「でもあたいが知ってる海じゃないのぜ」
「うん、水平線が見えない……」
長内さんの言う通り水平線は無く、代わりに海の向こうには都心のビルが立ち並ぶ景色が一望出来る。
海と言われても土地に囲まれている地形を見ていると、初見の人にとって実は湖なのでは無いかと勘違いもしてしまうだろう。
「ここは都会だから建物が多いだけで、ちゃんとした海よ。 因みにあれが東京タワーで、あれがレインボーブリッジよ」
「おお! レイブリなのぜ!」
「……そうやって略して読む人始めて見たわ」
「しかし腹が減ったな」
「もうすぐお昼時ですからね」
「実は、皆にお昼ご飯を作ってきたの……ブルーシートもあるから、皆で食べましょ……」
「ほう、やるな」
砂浜には俺達以外にも、ブルーシートを敷いて海の景色を楽しんでいる家族連れの者達等が訪れている。
長内さんはトートバッグからブルーシートを出すと、砂浜にそれを敷いて俺達の拠点を作ってくれた。
「……失礼します」
「これ、お弁当……」
皆がレジャーシートに座ると、長内さんは続けてバッグから五人分の弁当箱を出して、俺達にそれぞれ配布した。
「私達の為に、態々作ってきてくれたのか」
「何だか悪いわねぇ」
「ううん……大丈夫……皆のお口に、会うと良いのだけれど……」
「ちーちーの手作り料理なら、絶対美味しいのぜ!」
「仁藤くんも、どうぞ……」
「ああ……ありがとうございます」
皆が中身を見ようとしているのに合わせて、俺も弁当箱の蓋を開ける。
……中に入っていたのはハムや卵といったカラフルな具材が挟まれていたサンドイッチ。
「あら美味そうねぇ」
「随分と手が混んでいるな」
「これを作るの、相当時間がかかったのでは無いですか……?」
「ブルちゃんが、皆でお出掛けするならお弁当を作って行った方が良いって……」
「昨日の夜に、一緒に作ってくれたの……」
「張り切ったわね〜」
「あとコーンスープも、水筒に入れて持ってきたわ……」
「本当に張り切りましたね……」
「出来たてじゃないけど、召し上がれ……」
「美味しそうならおっけーなのぜ! いっただきまーす!」
「頂きます……」
瀬名さんに続いて、我々も手を合わせた後にサンドイッチを手に取る。
「ふん! ふぉふぇふふぉふふふぁいふぉふぇ!」
「食べるか喋るかのどっちかにしなさいよあんたは……」
「でも本当に美味しいです」
「具材も色んな種類があって飽きないな」
「皆、ありがとう……作ってきて、良かった……」
両頬をハムスターのように膨らませながら、長内さんのサンドイッチの美味しさを、作った本人に一生懸命伝えようとしている瀬名さん。
それを見て、呆れた顔で瀬名さんに指摘をしながら、長内さんがコーンスープを皆に分配しているのを手伝っている飯田さん。
味が全て違う具材のサンドイッチを一口ずつ食べて、それぞれの味を堪能している真緒さん。
……そして美味そうにサンドイッチを食べる皆を見て、ほっと胸を撫で下ろしている長内さん。
皆が皆、それぞれの昼食の時間を過ごしている。
皆の笑顔を見ていると……独りの時では味わえない、満腹感とはまた違った充実感が、平日で草臥れた俺の心を癒していく。
「ご馳走様、美味かったわ」
「七枚も食べれば流石に腹も一杯だな」
「これで午後からも元気に遊べるのぜ!」
「お粗末様でした……」
それから少女達は食事が終わり、改めて海の方を見た。
先程までレインボーブリッジの下を潜っていた屋形船が、いつの間にか何処かへと姿を消していた。
「平和ね〜」
「平和なのぜな〜」
「何だかポカポカしてきた……」
潮の香りを纏った海風が少女達の髪を靡かせて、肌に優しく当たりながらすり抜けていく。
現在は三月……その風は先程の物とは違い暖かく、もうすぐにやってくる春の訪れを感じさせる。
太陽の光に水面をキラキラと反射させている海も温かそうだ。
「……こうやってボーッとしているのも、悪くないという訳だな」
「……ずっと日曜日だったら良いのに」
「それは困るのぜ! 毎日お休みだったら、働ける日が無くてお金も貰えなくなっちゃうのぜ!」
「ひとみちゃん、仕事熱心……」
「平日があるからこそ、そこでお仕事を頑張った分に、休日がより良い物になるのだと思います」
「毎日が日曜日だと、それではニートでは無いか」
「はいはい働きますよ。 そうだといいなって、言ってみたかっただけ」
憂鬱気味に言葉を漏らした事で、皆から反論で返されて、体育座りのまま顔を上げた飯田さん。
……少しは元気が出たのかと思いきや、飯田さんは何か言いたげな表情で、目を細めながら俺を見つめている。
「……でもあんたの格好だけは、平日ん時のまんまよね」
「……そうだな、千夜のブルーシートが無ければスラックスが砂まみれになっていた所だぞ」
「実は……」
そこで俺は、先程は急いでいて着てくる服がこれしか無かったというのは嘘で、実は皆に見せれるような服装がこれしかないという事を告白した。
「えぇ〜、その服しか持ってなかったのぜ!?」
「スーツは持ってるけど私服は持ってないってどういう事よ」
「そうしたら、お家にいる時もスーツなの……?」
「いいえ……家にいる時はジャージなのですが、それも私服として着こなすには向いてないというか」
「……ならばここいらの服屋で、こいつに合った服を探してやるというのはどうだ?」
「それいいのぜな!」
「えっ」
「丁度ここら辺にはショッピングモールも沢山あるしね」
「あの建物の中なら、他にも一杯お店がありそう……」
そうして真緒さんの提案により海浜公園から離れて、次に俺達が向かったのはダイバーシティと言ったショッピングモール。
そこで俺は数多の服屋に寄っては、俺に似合いそうな服と言って、女子達に着せ替え人形のように様々な服を着させられたのであった……。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
「あ〜楽しかったのぜ!」
……それから時刻は二十時。
楽しい時間はあっという間……すっかりと空が暗くなってしまったが、それに対して日中の太陽よりも眩しい光を放つ新宿へと、俺達は帰ってきた。
「あー、また明日から学校と仕事が始まるわ、めんどくさ」
「あたいも明日からお仕事だけど頑張るのぜ……だからなーなも頑張るのぜ!」
「私も、頑張る……」
「二人とも、ありがとう……ええ、お互い頑張りましょうね」
日曜日は終わり、もうすぐやって来る仕事始まりの月曜日に、飯田さんを含む社会人達や学生は皆絶望をしている事だろう。
……だが手を繋ぎあって、お互いを励ましあっている三人は、皆金曜日まで乗り切る為のエネルギーを今回のお台場で補充する事が出来たようだ。
「全く大袈裟な奴だ。たかが一週間など、案外あっという間な物だぞ」
「こっちはあんたと違って、学校と仕事を掛け持ちしてるから大変なの。あっそろそろ電車が来るわ、じゃあまたね」
「会えたら、また明日なのぜ〜」
「お店で、待ってるわ……」
「精々気をつけて帰る事だな」
小田急新宿駅前にて、それから飯田さんは時刻表を見た後、俺達に別れの挨拶を告げて手を振りながら山手線のホームへと消えて行った。
「では私達も帰ろうか」
……それから歌舞伎町に戻り、この間と同じように、瀬名さんとは歌舞伎町一番街で、長内さんとはあずま通りで別れる。
「じゃああたいはこっちだから!」
「皆、ばいばい……」
「ああ、達者でな」
そうしてこの間と同じように、また真緒さんと二人きりの状況が生まれた。
「ふぅ……千夜のビーフシチューを皆で食べた時が、遥か昔のように感じるな」
「……そうですね」
飯田さん、長内さん、瀬名さんと別れるまではこの間と同じ展開……しかし唯一違うのは、今はアジトでの一件を終えて、真緒さんとは色々な意味で更に仲が深まっている状態だ。
「……潜入任務の方は、お疲れ様でした」
「……ああ、そうだな。 お疲れ様」
「この後は……警察の方では何をなされるおつもりなのですか?」
「そうだな……これまで通り、また何か新宿で悪い事が起きそうになったら、それが起きる前に未然に防ぐように巡回だ」
「いわばパトロールという奴だ。 また明日から忙しくなるぞ」
「いや暇では無いですか……」
「いや暇では無いぞ」
「事件が何も起きなかったら暇なのでは?」
「……そうかもしれないが」
頬をかきながら、真緒さんは俺から誤魔化すように目を逸らした。
電車に乗る前からの気まずかった時とは一変、真緒さんの話を聞いている中で、グイグイとツッコミが出来るようになった。
この調子で残りの三人といる時も、飯田さんと被るが五人でいる時のツッコミ役でいたいと思う。
「とにかくお気をつけて……しかし介入しすぎて、あの時みたいに捕まらないようにお願いします」
「あぁ、ありがとう……今度は捕まらないように、もっと強くなれるように特訓をしなければな」
「……対策の仕方が、何か違くないですか?」
「私は警察だからな。何か事件が起きていれば、それが例え子供同士の喧嘩でさえ見過ごす事は出来ん」
「……まぁ俺が言いたいのは、とにかく怪我をしないでくださいという事です」
「ああ……ではまたな」
そう言って真緒さんはこちらに手を振り、彼女の自宅があるアパートの方へと向かった。
それを見送りつつ、俺も区役所通りから花道通りへと向かおうとした瞬間……
「……それと」
「……?」
真緒さんは何かを思い出したようにその言葉を漏らして立ち止まり、こちらの方へと振り返った。
「……あの時の、キスをした時の事だが」
……もう終わった物だと勝手に思っていたが、本人はまだ気にしていた、忘れそうになった時に思い出したその話題。
あちらを向いていた時に、既に頬は染め始めていたのか、いつの間にか彼女の顔は真っ赤だ。
「あの時の、仮は……いつか絶対に返そうと思う」
「えっ……」
「あっ、違う……悪いようにはしないから安心しろ」
「……別に返さなくてもいいですよ」
「うるさい。 そういう問題では無い。 返すと言ったら返すのだ」
「はい……」
「……それだけだ。 ではな」
そうして真緒さんはぷいっと正面へと振り返すと、小走りで速度を上げてアパートのある路地へと消えて行った。
……何だか言い逃げをされたような気分だが、彼女にとってもやられたらやり返すというプライドがあるのだろう。
今回の潜入任務が終わったら、また俺達は元の警察と極道という、水と油の関係に戻る。
季節も環境も変わっていく今の状況で、一体どんな借りが返ってくるというのか。
先程の真緒さんの顔を見て、火照っていた俺の心を……まだまだ温かくなる事が無い夜風に冷やされる夜の事であった。
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