第八話『深淵探索 II』

……翌日、潜入三日目。


八時半……出勤時間はいつも九時、まだ三十分も時間が余っている中で、現在俺は区役所通りまで来てしまっていた。


「……あっ、真緒さん」


「むっ……仁藤か」


「おはようございます」


「ああ、おはよう」


そう思いながら一旦会社前を横切って靖国通りへと出ようとすると、会社のビルの前でスマートフォンを弄っていた真緒さんと出くわした。


「随分と来るのが早いではないか……? 気合いが入っているな」


「ありがとうございます……遅刻する事だけは嫌で、毎回家からは早く出るようにしているだけですよ」


「ふっ……つくづく真面目な奴だ」


ふと昨日の飯田さんと話している時の真緒さんを思い出す。


真緒さんは飯田さんと話している時に、初めて見る楽しそうな表情を何度も浮かべていた。


付き合いが長いから仕方が無いとはいえ、俺よりも飯田さんと一緒にいた方が、真緒さんは楽しいと思っているのではないか。


今思う必要が無くても、少し仕事から気を緩めただけでその事が頭の中を過ぎってしまう。


「ですが真緒さんも、こうして俺よりも早く会社に来ているでは無いですか」


「私もお前と同じように、遅刻するのが嫌なだけさ」


「……会社の中には入らないのですか?」


「ああ……実は先程社長と会ってな、ここで待っていろと告げられていたのだ」


「丁度お前にもその事を伝えようとしていた所だった」


「ここでですか?」


その時、職安通りから一台の車が歩行者を避けさせながら、こちらへと近づいて来て俺達の前に停車した。


助手席のドアがと開かれて、車のドライバーは下から顔を覗かせて俺達を見た。


「やぁ、おはよう仁藤くん」


「ああ、おはようございます……社長」


「……門見君もいるね、君達を今から宅配の事務所まで連れて行くから、後ろに乗ってくれ」


「はい、お邪魔します」


社長に言われるがまま、俺達は後ろのドアを開けて後部座席に搭乗した。


席についた瞬間に鼻につく、香水のような臭い。


フロントミラーに垂れかけてある、バタフライ型の芳香剤のようなもの……


運転席と助手席の間にある、シフトレバーの握る部分を覆っていた豹柄の布から……どこぞのチャラそうな男が乗っている車の内装感満載であった。


「っ……」


真緒さんも最早トイレのようになっている車内の激臭環境に耐え切れなくなったのか、密かに側にあった車の窓を少しだけ開けて空気を逃がしていた。


そうとは知らずに車を発進させていく社長。


宅配の事務所とは言っても、具体的な地名は告げられずに摩天楼をくぐり抜けていく車。


ドアの肘掛けに肘をつきながら、右から左へと流れていく景色をボーッと見つめている真緒さん。


社長とは現在同じ空間にいる為に、彼女と私語で話す事が出来ない。


一メートルも離れていない状態で座っているのに、一切のコミュニケーションが取れずに、目的地に着く事だけしか待てないやるせなさに、緊張感が高まっていく。


社長も俺達に話し掛ける事無く、ただ黙って車を走り進めている。


俺も俺の時間を過ごすか……少しでも心を落ち着かせる為に、目をつぶって待機をしているとしよう。


「さぁ、着いたよ」


……そうして暫くすると車は止まり、社長の声を聞いて、寝落ちしそうになる前に急いで意識を現実へと引きずり戻す。


扉を開けて車から降りると、俺達は工場の敷地内のような場所に来ていた事に気がつく。


……この場所のどこかに、客に売る商品が保管されているという事か。


「二人共こっちだ、着いてきて」


……あまりキョロキョロとしていると、社長に怪しまれる。


なるべく社長の方しか見ないようにして彼に着いていく。


ここはどこだ……周りは新宿と同じようにビルに囲まれていて、さほど都心からは離れていない事が伺える。


……それにしても学校のように広い土地で、大きな建物が聳え立つ場所なのに……目立つ看板等が、建物外壁のどこにも貼り付けられていない。


何をしている会社なのかも分からずに、周囲の者達は怪しいとは思わないのか……


そこは何処にでもあるような、普通の工場としての外見でカバーをしているという事か。


……それから社長の後に着いて行き、建物の中へと入った。


長い廊下……両端の廊下には、一体何をしているのかが分からない部屋へと続く扉が大量に存在した。


そうして最奥にある大きな扉を潜ると……


「……!!」


「さぁ、着いたぞ」


……山積みで積み木のようになっている、ありとあらゆる大きさのダンボール。


その倉庫にあった、これら全てのダンボールが、客が注文した商品だと言うのか。


商品の正体を探る事も重要だが、殆どが重そうな荷物を客の元に届けるとなると、かなり体力を使う仕事となりそうだ。


「……そうだな、まず何から説明しようか」


「まず荷物に貼り付けられている伝票は二種類あってね?」


「この青い奴は既に支払い済みの荷物で、こっちの赤い奴は代引きで受付をした荷物なんだけど……」


「……あっ、失礼します」


社長が説明をし始めると……そこへもう一人、この会社の従業員らしき男がやって来た。


「ああ、お疲れ様」


「お疲れ様っす」


帽子を深く被って下を俯いていた男は、社長と俺達に会釈をすると、すぐ近くにあった荷物に手を取ってそのまま外へと出て行った……。


「今の人は宅配の事務所の社員でね……ここにある荷物は、大体三十人くらいで手分けしてお客さんに荷物をお届けしているんだ」


「……なるほど」


「……それでさっきの話の続きなんだけど、こっちの赤い奴だけは代引きの伝票でね」


「こっちの荷物だけは、お客さんに荷物を届ける際にお金を受け取ってきて欲しいんだ」


「それで、その運搬方法なんだけど……まずは動きやすい格好になる為に、あっちの更衣室で着替えてきちゃおっか」


「……ああ、はい」


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


動きっぱなしでほぼ運動である仕事に、流石にスーツで挑むのはまずいという事で……俺達には予めジャージのような動きやすい服を持参してくるようにと、昨日から言い伝えられていた。


社長は外で待機しているらしく、彼から与えられた十分の間……早速俺達は更衣室にて背中合わせの状態で着替え始める。


「……あの荷物、仁藤はどう思う?」


社長がいない勤務中で、真緒さんと私語で会話が出来る今の貴重な時間。


スーツとワイシャツのボタンを外しながら、真緒さんは向こうをむいたまま、そのような質問を投げかけてきた。


「……まだ中身を見なければ何とも言えません」


「倉庫にある荷物を勝手に開けるのも良いですが……それだとその荷物を注文した客からクレームが来たりするだろうし、どうしようかと考えている所です」


「ふむ、なるほどな……ならばその商品を自分達で買ってしまえばいいと思いきや、そういう訳にもいくまい……」


「……てか真緒さん」


「……ん?」


真緒さんの名を呼びながら、彼女の方へと振り向くと……


彼女は後ろ肩や腰の肌を露出させながら、タンクトップを着ようとしている状態で、真緒の方もまた俺と目を合わせていた。


「……どうして男の俺と同じ更衣室で着替えているのですか?」


「えっ……」


……唯一の救いといえば、彼女は胸を小さく見せるように厳重にサラシを巻いていた事か。


そう尋ねた真緒さんの頬が、みるみる内に赤くなっていく……


「し、仕方が無いだろう……私は男としてこの会社に入社をして来たのだからな」


「今の私は男なのだ……気に入らないのであれば、こちらに気にせず着替えれば良かろう」


「……そもそも女の着替えを、男であるお前がまじまじと見ているのもおかしいと思うがな」


真緒さんは粘り着くような視線でこちらを見ながら、タンクトップのもう片方の袖に腕を通すと、怒っている事をアピールするかのように裾を思い切り腰へと下げた。


「……あっ、すみません」


指摘をされて、急いで自分のロッカーの方へと向き返す。


「ふんっ……」


そうして真緒さんの方は着替えを完了させ、ウインドブレーカーのファスナーを少しだけ上に上げると、ベンチに座って俺が着替え終わるのを待機していた。


「……しかし何故男と偽ってまでも、ここに応募してきたんですか?」


「……歌舞伎町での仕事は、男よりも女である方が稼げる物が多い」


「それを利用しようと女で入社をした場合は、奴からデスクワーク以外の水商売のような仕事を紹介されると思ったのでな」


「それが面倒だったから男で応募した次第さ」


「なるほど……」


……万が一真緒さんが女だとバレた場合はどうなるのか。


ひょんな事から真緒さんが一人の社員が揉む事ラッキースケベが起きてしまい、そのままアダルトな展開へと進んでいく情景が頭の中に入り込んでくる。


「……さて、私は先に行くぞ。 女のように着替えにもたついて、あまり私達を待たせんようにな」


……だが真緒さんにそう言われながら背中を叩かれた事で、妄想は打ち払われて現実の世界へと戻ってきた。


変な事を考えた罰当たりを意味するかのように……それから彼女は扉を閉めて、そのまま外へと出て行ってしまった。


「あっ、待ってくださいよ……」


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


生地の厚いスーツとは違い、トレーニングウェアという軽量化を重視した服の為に、外に出ると寒風が体を貫いた。


「……すみません、お待たせしました」


「大丈夫だよ、まだ五分しか経ってないからね」


煙草を吸いながら空を眺めていた社長と、腕を組みながら俺を待っていた真緒さん。


その二人の次に……競輪でしか見た事が無いような、サドルが高いロードバイクが目に付いた。


「これは……」


「ああ、二人にはこの自転車を使って、お客さんに荷物を届けてもらうよ」


「これで……ですか?」


「勿論遠距離運送には車を使うんだけどね」


「君達には近場の配達を担当してもらうんだけど、都心の道路は狭い所も多くてね〜、車よりも自転車で運んだ方が小回りが効くんだ」


「はぁ……」


「荷物を運ぶ際には、このリュックに背負って持っていって貰うよ」


そう言って社長から渡されたのは、後頭部や背中を丸々隠せる程の大きなバックパック。


最近はそのような大きな鞄を背負って、街中を自転車で走り抜けている配達員のような者達をよく見かけるが、その真似をさせようという事か。


「じゃあ試しに、まずは一つだけ荷物をお客さんの所まで届けてみようか……二人共スマートフォンに地図アプリは入れてくれたかな?」


「はい」


「よし、いつもなら行ったり来たりして荷物を運んで貰うんだけど……今日は荷物を運び終えたら一旦休憩して、二つ目をそのまま運んだら上がっていいよ」


「了解です」


「じゃあ僕は歌舞伎町に戻るから、何か分からない事があったり、荷物を全部運び終わったらここに連絡してね」


そうして名刺を渡すと、社長は車に乗って歌舞伎町へと帰っていった。


どんどんと遠ざかっていくエンジン音……


元々の車のその音が凄かったので、現在どこら辺を走っているのか、遠く離れていてもすぐに分かる。


「……どうしますか、今なら周りに誰もいませんよ?」


「私も早速、あの建物の中を調べたい所ではあるが……今はまだ明るくて隠密行動には向かん」


「何処からか社長が見張っているかも分からん、とりあえず今は社長の指示に従うとしよう」


「……分かりました」


真緒さんに着いて行き、倉庫の中へと入って行く。


相も変わらず二人だけで運ばなければいけなかった場合、途方に暮れそうになる程のダンボールの量。


未払いを示す赤い伝票よりは、渡すだけで帰って来られる、青い伝票が貼り付けられた荷物を運んだ方が楽に決まっている。


「っく……結構重いですね」


「ふむ……薬とかが入っている重さでは無いな、それぐらいに中に敷き詰められているという事か?」


「……そもそもこういうダンボールに入れるよりは、封筒とかに入れた方がコンパクトじゃないですか?」


「中に入っている物が薬だけとは限らんが……とにかく運ぼう」


「了解です」


社長から支給されたバッグに荷物を詰めて、それを背負う。


肩が外れそうな程の重さだ……このような重い荷物、小学生の時に背負った教科書が全て入ったランドセル以来だ。


「っと……」


「ふふっ、大丈夫か?」


「はい、何とか……」


「重すぎて後ろに転ばないようにな」


俺はふらふらしていても、真緒さんの方は慣れている様子で鞄を背負っていた。


元々は運動が出来そうな彼女……今思えばウインドブレーカーやら、タイツの上からハーフパンツを履いた格好がよく似合っていた。


「お前の荷物はどこ宛てだ?」


「渋谷でした」


「ふむ、私は中央区の方であった……どうやらここは港区であるらしい、となると互いに反対方向へと進む事になるな」


「港区ですか……」


真緒さんがスマホから地図アプリを開いて現在地を確認しているのと同時に……俺の方でも宛先の住所を入れて、スマホをハンドルのスタンドにセットする。


「ここに来る途中にガストがあったのだが気づいたか?」


「ああ、ありました」


「互いに荷物を運び終わったら、そこに集合して休憩がてら飯にしよう」


「いいですね……分かりました」


「では、また後程な」


そうして俺達はペダルに足をかけて、それぞれの区へと自転車で走り出した。


一体この荷物の中には、何が入っているのか……宅配は宅配でも、犯罪が含まれる場合は運び屋が働いている事と何ら変わりは無い。


現在地である港区から、渋谷区の目的地に着くまでの約十キロメートル……色々な危機を乗り越えながらの配達となるだろう。


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


「……」


……普通の自転車とはハンドルも、タイヤの細さも、何もかも違うロードバイク。


普通の自転車でさえ乗るのが久し振りなのに、沢山の違和感を抱いたまま六本木通りを進んでいく。


連日何本にも別れた東京の車線を通っていく乗用車……その中に紛れて車の運転が出来る程の、堂々と公道に出れる勇気が俺にはまだ無い。


そのような事を考えながら、渋滞している車の左端を進んでいきながら……ひとまず渋谷駅までやって来た。


渋谷109の麓で行き交い、楽しそうに会話をしている俺と同じ年代くらいの若者達……しかし今はあの中に紛れたいと羨ましがっている場合では無い。


目的地まで残り二キロメートル……そうしてやって来たのは、ビル並に背が高いマンションであった。


自転車を付近の駐輪場に止めて、伝票に記載されていた号室を頼りに、エレベーターを登ってゆく。


……ここだ。


こんな値段も階数も高いマンションで、こんなに高い商品を買ったという事は、この部屋にいる住人は余程の大富豪なのであろう。


恐る恐るインターホンを鳴らす。


『……どちら様ですか?』


「……お届け者に参りました」


『……ああはい今開けます』


そして中から出てきたのは、眼鏡をかけた地味そうな男。


男は何か慌てている様子で、俺が荷物を差し出すとひったくる様に受け取った。


「……あの、ここにサインだけお願いします」


「はい分かりました」


そうしてさささっとサインを書くと、俺が失礼しますと言い終える内に、男は扉をバタンと閉めてしまった。


一体何が入っていたのか……最後まで分からず終いであったが、無事に一回目の任務は成功した。


重い物が無くなり、翼が生えたように感じる軽くなった肩を回しながら地上へと戻る為にエレベーターに乗る。


今この階の外には誰もいない、なのでこのエレベーターに誰かが乗ってくる事は無い。


「あっ、ごめんなさい! あたいも乗るのぜ〜!」


……そう思っていると、エレベーターの扉が閉まり始めようとしていた時に、人が一人扉にぶつかりながら中へと入ってきた。


「あっ、すみません……」


「ふぅ、ふぅ……何とか間に合ったのぜ」


……前かがみになって肩で息をしている、その少女の久し振りに聞くような気がする声と口癖。


「……瀬名さん?」


「ん? おおおっ!? やまちゃんなのぜーっ!」


その主である瀬名さんは同乗者が俺だと気付くと、大きく腕を広げながら俺にハグをしてきた。


「一昨日以来なのぜな! こんな所で会うなんて偶然なのぜ!」


最近は風呂に入るなりして、清潔に体を保ち続けている事が出来ているのか……抱き締められている中で、彼女が着ている服の花のような匂いが鼻を擽る。


「はい、何だかお会いするのが久し振りのように感じました」


だがいつまでもこうしている訳にもいかないので、彼女の両肩にそれぞれ手を置きながら、瀬名さんを俺の体から離す。


それと同時に一階に降りた事を合図するベルが鳴り、扉が開かれて俺達は外へと出てきた。


「ここって凄い大きなマンションなのぜな〜、やまちゃんはここで何してたのぜ?」


「宅配のお仕事ですよ」


「おお、奇遇なのぜな! あたいもそのお仕事をしていた最中なのぜ!」


「……えっ」


歩く度にヘルメットの穴からはみ出している、ツインテールが揺れる瀬名さんの今の格好は、俺と同じく動きやすそうな物で、背中にはこれまた大きなバックパックを背負っていた。


まさか彼女も……


「宅配っていうか、出前なのぜ! 」


「食べ物って結構重いから運ぶの大変なのぜ……でもこういう建物だと、エレベーターがあるだけまだマシなのぜな!」


……流石に考えすぎであったか。


瀬名さんはただ街中でよく見る自転車の若者達と、同じような仕事をしていたようだった。


「てか最近はよく働くのですね」


「そうなのぜ! 前は汚い服しか持ってなかったら、お仕事が出来なかったんだけど……」


「今はブルちゃんに黒百合で働かせて貰って、そのお金で服とか洗濯出来たり、お風呂に入れるようになって……それで色々なお仕事が出来るようになったのぜ!」


「今のあたいのお家は、ネットカフェに進化したのぜーっ!」


「……なるほど」


とにかく今の瀬名さんは、出会ったばかりの頃に送っていた不便な生活からは抜け出して、いつの間にか人並みの生活を送れるようになっているみたいだ。


しかし、屋根や壁のある所で暮らせるようになったとは言っても、家も住所も持たないホームレスである事に変わりは無い。


……一体どのようにして、そのような生活を送る羽目になってしまったのか。


「えへへ〜」


彼女はその事を気にしていないように、後ろで手を組みながらニカッと笑って八重歯を見せていた。


「っ……」


あんなに危なそうで重い物を運んで、精神体力共に疲れている状態で見せられたその笑顔は、俺に二回目の運送をさせるエネルギーとしては充分すぎる程であった。


「やまちゃんには本当に感謝してるのぜ!」


「……何ですか急に」


「あの時あたいが倒れて、やまちゃんが黒百合に連れて行ってくれて、ご飯を食べさせてくれたのもそうだけど……」


「なーなに会えて、ちーちーに会えてお友達が出来て……そしてブルちゃんに会えてお仕事が増えたのも、全部やまちゃんのおかげでしょ?」


「ああ……そうですね」


「あれから一回も、お礼が言えてなかったなって思って……やまちゃんはあたいの命の恩人なのぜ!」


人差し指どうしを合わせて、もじもじと弄りながら……頬を染めて恥ずかしそうに礼を言う瀬名さん。


ヘルメット越しの彼女の頭を撫でたい衝動に駆られるが……少女漫画に出てくるイケメン程の、女性の頭に気安く触れられる程の度胸は生憎持ち合わせていない。


「命の恩人だなんて大袈裟な……俺はあの時、貴方が道端に倒れたのが放っておけなかっただけです」


「いつか恩返しをさせて貰うのぜな……そうだ! この後一緒にご飯とか食べに行かないのぜ!?」


「構いませんよ。 丁度これから休憩で、ご飯にしようとしていた所です……瀬名さんは大丈夫ですか?」


「うん! あたいもこれから休憩なのぜ!」


「それならば……」


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


「いらっしゃいませ〜、三名様でのお越しで宜しかったですか?」


その後……真緒さんが指定した集合地である港区のガスト。


「……ふむ」


「あ、あの……」


瀬名さんを連れた状態で真緒さんと合流し……初対面である真緒さんは、口に指を当てながら隣に座っているひとみの事をじっと見つめていた。


「あうぅ……」


一方の瀬名さんは肩をひそめて下を俯きながら、ちょこんと座って真緒さんからの視線に耐えている。


「おい仁藤、誰だこの娘は……仕事中にも関わらずナンパでもしてきたのか?」


「違いますよ……紹介します、この方は……」


「瀬名ひとみなのぜ!」


「ほう……?」


緊張気味の様子な瀬名さんに代わって、俺が名を名乗ろうとすると、その前に彼女は自らの名を名乗った。


「やまちゃんとはお友達の関係なのぜ……よ、宜しくお願いしますのぜ……」


流石のフレンドリーな瀬名さんでも、目付きが悪くほぼ男装な格好をしている真緒さんに、少しだけ怯えているみたいだった。


「ふっ、私の名は帝真緒だ。 宜しくな」


「えっ……」


……しかしフレンドリーな性格をしているのは真緒さんも同じ。


真緒さんの方からも自己紹介をすると、俺は出来なかったのに、彼女は何気なく瀬名さんの頭を優しく撫で始めた。


「えへへ……格好いい名前なのぜ!」


瀬名さんも真緒さんに気を許す事が出来たのか、表情を緩めて嬉しそうに微笑んだのだった。


瀬名さんを上手く昼飯に誘えたのはいいものの、どうやって真緒さんと対面させようか、瀬名さんと自転車で移動中の間に悩んでいた所であった。


女同士の友情の仕組みは、男の俺には分からんが、俺から手出しをしなくても二人が知り合いの関係になれて良かった。


「……そっかー、まおまおはやまちゃんの会社の先輩だったのぜなー」


「ま……まおまおだと?」


「ああ……瀬名さんはご友人に対して、皆さんに渾名をつけてお呼びしているのです」


「……だめ、なのぜ?」


「ああ、全然構わないのだが……そのように人から呼ばれるのは初めてでな」


「そうでしょうね……俺でも呼んだ事無いですよ」


「ええーっ、可愛いのぜな〜まおまお、まおまお」


「……そう何度も呼んでくれるな、擽ったい」


「そら、私の頼みたいメニューは決まったぞ。 お前達も早く決めろ」


「っと……」


真緒さんなりの照れ隠しなのか、彼女は肘をつきながらメニュー表を閉じると、カーリングのように滑らせてこちらに渡してきた。


「今度黒百合の使徒っていうお店にもおいでなのぜ!」


「なんだその店は……」


「あたいが偶に働かせて貰ってるバーなのぜ! やまちゃんもよく常連のお客さんとして来るのぜな!」


「最近では飯田さんもよく来られているんですよ」


「ほう、凪奈子も来るのか」


「えっ、まおまおなーなとお知り合いなのぜ!?」


黒百合に真緒さんが来れば、瀬名さんや飯田さんだけでは無く長内さんと会う事も出来る。


……しかし、まだ対面していない唯一のペアである長内さんと真緒さんが、友人同士になるのが一番難しくなる事も予測される。


この後に控えている、二回目の運送が成功出来るかの不安よりも、そちらの不安の方が大きいまま仕事を再開するのであった……。

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