序章『絶望の華』

第一話『銀翼の街烏』

……それからの一年、俺は歌舞伎町の花道通りにある皇組の事務所で部屋住みをしていた。


新人ヤクザの登竜門と呼ばれる部屋住み……


部屋住みとは、事務所に寝泊まりし斬江や若頭などの雑用や手伝い、組織運営の手助けを行う事である。


部屋住みを行っている状態だと一切のシノギ……つまりヤクザの行う仕事が出来ず、借金も返済する事が出来ない。


四年前皇組に入ったとはいえ、まだ子供だからと斬江にヤクザらしい事はさせて貰えなかった。


借金返済を宣告された時の俺はまだ子分すらにもなっておらず、まだ皇組の為に何もしていなかった影響で組の中で一番下の身分にいた。


なのでまずはシノギをさせて貰えるように部屋住みをしていく中で、自分の皇組の中での地位を上げていく必要があったのだ。


そして一年に及ぶ、若頭や若衆達から散々こきを使われた地獄のような俺の部屋住み生活は幕を閉じる。


……その後、斬江からシノギをする許可が降り、俺にとって本当の意味での地獄が始まるのであった。


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早朝……事務所の床に布団を敷いて寝ていた俺は、六時半にセットしていた目覚ましの音で目が覚める。


「ッ……」


それと同時に同じく周りの床や黒いレザーソファで寝ていた若衆達も起き出す。


「おら起きろ大和!組長来ん前にとっとと支度しろ」


この事務所の若頭であるケンさんは、寒くて毛布にくるまっていた俺の背中を軽く蹴り飛ばした。


ケンさん……本名五十嵐健。五年前に俺がぶつかってその見た目に小便を漏らしてしまった、あの金髪のオールバックの極道である。


「……はい」


いつかお前より偉くなったら今度はこっちがお前を蹴り起こしてやる。


そう思いながら俺は背中の痛みに耐えながら起き、斬江が来る前に布団と毛布を片付けてからいつものスーツを着て全身鏡の前に立った。


黒いスーツに中には赤いワイシャツを着ており、黒い革靴を履いているヤクザの十八歳は、俺ぐらいしかいないだろう。


支度が終わると皆所定の位置につき、斬江が入ってくる入口の前に立つ。


すると数秒後そのドアは開かれ、五年前からずっと変わらない少し赤が混じった黒髪のロングで全身が真っ黒なスーツを身に付けた、身長百七五センチメートルの大女が入ってきた。


「おはようございますッ!!」


それと同時に俺達部下は斬江に向かって深く頭を下げる。


「はい、皆おはよ〜」


俺達のお辞儀に対し、斬江はにっこり笑いながら手を振った。


これから始まるのは皇組事務所の毎朝恒例の朝礼である。


「……よし、皆いるわね」


皇組事務所は歌舞伎町の他にも、全国ありとあらゆる繁華街に支部を置いている。


俺が住んでいる事務所には、俺を含め六人のやくざ達が寝泊まりをしている。


若頭のケンさん。


若衆その一、スキンヘッドで巨漢の豪さん。


若衆その二、スポーツカットで事務所の中で一番背が低い将太さん。


若衆その三、紫髪のロン毛で斬江よりも少し背が高い大輝さん。


そして俺である。


若衆はもう一人いたらしいが逃げてしまったらしく、その者が今どうしているかは斬江しか知らない。


「さぁ貴方達、今日も頑張って稼いで稼いで稼ぎまくるのよ!」


斬江のこの言葉で、皇組事務所の朝が始まる。


「へいッ!!」


「……それと大和、今日初めてのシノギ、頑張ってね?」


「……はい」


頑張っても頑張らなくても、これから四千万円を斬江に返さなければいけなかった俺は、もう死にそうな顔でそう返事をした。


「じゃあ皆頑張ってね〜」


「はい、お疲れ様でしたッ!!」


朝礼の為だけに来た斬江はいつもの台詞を言い終えると、事務所に来てから五分も経たない内に自分のマンションに帰って行った。


「お前四千万円だってなぁ?そんな大金返せんのかよ〜」


俺が事務所に来てから色々と仲良くして貰ってる将太さんは、俺の肩に手を掛けるとそう言った。


「あの時組長に拾って頂かなければ今の俺はいませんでした……四千万円、恩返しって事で絶対に全額お返しします」


するとそれに対し自分のサングラスを探していた豪さんはこう言った。


「お前も馬鹿だよなァ、あの時組長に着いていかなければ四千万なんて金、返さずに済んだのによォ」


「……」


そんな事、態々教えてくれなくても借金を宣告されたあの日からずっと分かっていた。


その事は大輝さんが俺の代わりに代弁してくれた。


「まぁその事でこいつも相当思い知っただろう。だから余り大和にはその話はしないでおいてやれ、豪」


「へいへい」


そう言った大輝さんも、俺の方を可哀想な目で見た。


俺の事が可哀想だと思っているのか?


それともこいつも俺の事を馬鹿だと思っているのか……?


……そんな目で、俺を見るな。


「……」


「てめえらいつまで喋ってんだ!行くぞ!」


豪さんや大輝さんに対しての殺意も、ケンさんのその言葉で打ち消された。


「へ、へいッ!」


若衆三人組は、いそいそとそれぞれの仕事場所に向かって行った。


この中での事務所の唯一の心の支えは、事務所で一番仲が良い将太さんだけだ。


だがその将太さんも絶対にどこかで俺の事を、馬鹿か可哀想だと思っているはずだ。


そう思っていた俺に、ケンさんは事務所の鍵についているリングを指で回しながら俺に近付いてきた。


「何ボーッと突っ立ってんだ、鍵閉めんだから外に出ろ、おめえも早く自分のシノギに向かいやがれ」


「へい」


時刻は既に今日する仕事の集合時間の十分前を切っていた。


仕事初日に遅刻するのは御法度だ。


俺はアイフォンと長財布を持つと、急いでその仕事場所に走って行った。


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「……しゃっせー」


何とか集合時間に間に合う事が出来た。


仕事が始まってから早三十分。


俺はセントラルロードにある、日雇いでとあるコンビニエンスストアで働いていた。


「にっ、仁藤君? お客様が入って来た時の挨拶は、ちゃっ、ちゃんといらっしゃいませって言おうね?」


相方の四十代ぐらいの禿げているおっさんは、ヤクザである俺にビビっているのか、噛みながらも俺の接客態度に対してそう注意をしてきた。


「……あっ、はい、分かりました」


ヤクザの普段やっている仕事と言えば麻薬、拳銃等の売買。風俗店等から取るみかじめ料回収。違法賭博等が思い浮かぶだろう。


だがそういう仕事は年に四百万円前後を稼ぐ事が出来る仕事なだけあって、組の中で一定の地位に立っている極道では無いとさせて貰えない。


俺は皇組の中では下っ端中の下っ端……そういう者は堅気の人間も働いているような、居酒屋やカラオケ等でアルバイトをして、ちまちま金を稼いでいくしか無いのだ。


このおっさんも俺と同じアルバイトなのだろうか?


こう言う人間がいる事が分かっている筈なのに、どうして歌舞伎町のコンビニでアルバイトする事を選んだのか。


そう疑問に思いながら俺は次々と店にやってきてレジに商品を持ってくる客の会計をこなす。


「……いらっしゃいませ、袋にお入れ致しますか?


「いらねえよ」


店員がやくざみたいな奴(本物)なら、その客も当然やくざのような見た目の者達が沢山やって来る。


金を投げて渡して来る者、早くしろと急かして来る者、袋詰めの際の注文が多い者……


何奴も此奴もお客様は神様だと言わんばかりの態度で接してくる者が殆どだ。


普通の街にあるコンビニに来る普通の客も、こういった態度の者達が中にはいるのだろうか。


「おいおっさん! 弁当熱すぎんだよ! 温めすぎだろ!」


「で、ですがお客様。私はそのお弁当に記載されてある時間通りに温めただけであって……」


「あ?そんな事聞いてねえよ!返品だ返品!金返せ!」


相方のおっさんも色々と苦労しているようだ。


その客の態度の悪さに、俺もおっさんに同情していると、俺がついているレジの前から女の声が聞こえてきた。


「フライドチキンを頼む」


「……はい?」


「アレだ、フライドチキンをくれ」


女はそう言うと、レジ横にあるアメリカンドッグやら焼き鳥が入ったホットケースを指差した。


……しかし、ここのコンビニでのフライドチキンは、塩味と辛味の二種類がある。


なのでフライドチキンだけを言われても、客がどちらを注文したいのかが分からないのである。


「……すみません、味はどちらになさいますか?」


「そんなの、辛い方に決まっているだろう」


「えっ……」


「よく見てみろ、今は辛い方しか残っていないだろう? それともお前は、存在しない方の塩味も私に売りつけるつもりだったのか?」


「……申し訳ございません」


客の態度は偉そうだが、ここで舌打ちを出したりしてはいけない。


しっかりと塩味辛味共に、フライドチキンのストックがあるかどうかの確認をしなかった俺が悪かったのだ。


自分の失敗を女の正論によって、他の客から公開処刑されている羞恥心やらを飲み込みながら、ホットケースの前に行きトングで辛味の方のフライドチキンをトングで掴む。


「……はい、二百円になります」


「うむ」


「レジ袋にはお入れ致しますか?」


「いらん、このままで良い」


「……かしこまりました」


「それからお前……堅気の人間では無いだろう?」


「……はい?」


……顔を伏せながら接客をしていたが、唐突に話しかけてきた女の言葉で、思わず彼女と目が合う。


改めて見るとその女は、銀髪のロングで後ろを結んでおり、襟足がジグザグしているようなホスト風の髪型をしていて、斬江と同じく真っ黒なスーツに身を包んでいた。


彼女はレジカウンターに両腕を組みながら置き、緋色の細い瞳で根拠も何も無い癖に俺を極道だと見抜いて、フッと笑いながら俺に視線を送ってきた。


俺がヤクザであるという事を見破ったこの女……さては極道か?


年齢は俺と同じぐらいだろうか。


「……失礼ですが何を仰っているのか、よく分からないのですが」


「私には分かる……お前のその死んだような目、昼の世界では住む事が出来ない……夜の世界に潜んでいる心が汚れた者にしか出来ない、希望も光も無いドス黒い目だ」


「……」


こいつはもしかしたら極道とは違うジャンルの、電車や公共施設なとでよく出没するタイプの危ない人なのかもしれない。


……先程から何を言っているのかがサッパリだ。


その癖プライドは高そうなので、この女は少しでも反論すると付け上がってくる、面倒臭いタイプの性格なのであろう。


「……左様でございますか」


「うむ、何より私の知り合いにその者が多くてな、そういう男達は何度も見てきたから更に分かるのだ」


自分は極道だと認めた訳でも無いのに、その女は勝手に俺が極道だと決めつけて、勝手に自分語りをして話を進めた。


「帝組……という名に聞き覚えは無いか?」


「……!!」


歌舞伎町を制する組は二つあり、一つは俺の入っている皇組で、もう片方は帝組である。


突如その組の名を口にした女は、自分は帝組の人間であるという事をアピールしたかったのだろうか。


「……」


……今ここで俺が皇組に所属する極道だと告白したらどうなるのだろう。


「……ええ、聞いた事ございますが」


「ふっ、当然だな」


自分が入っている組の知名度を改めて再確認したのか、その女は腕を組みながら目を閉じニヤリと笑った。


「それにしても、極道である筈のお前がこのようなコンビニでアルバイトとはな。本業の方はどうしたのだ」


「もしくはお前、組に入ったばかりでまだそういう仕事をさせて貰えないとかか?」


「まぁ……そういう事で大丈夫です」


「ふっ、そうか」


俺達が会話をしている内にレジの前では、強面な数人の客達で行列が出来ていたが、皆その女の正体を知っていたのか、誰も俺達の会話を止めようとする者はいなかった。


その列の先頭にいた客は、あまり反抗しない方が良いと注意喚起しているような視線を俺に送りながら、首を横に振っていた。


……とりあえず適当に返事をして、とっととこの女には返ってもらおう。


「本業の方はいいぞ、こんな所で働くよりも何十倍も、何百倍も稼げる」


「いいですね」


「お前も早く出世して、本業のシノギが出来るといいな。そら、五百円だ」


「……三百円のお返しです。 ありがとうございました」


「ありがとう」


辛味チキンと釣りを受け取ると、礼を言ってからその女は立ち去った。


その日このコンビニで働いてから初めて客から礼を言われた。


自分と同じぐらいの年齢だった極道の俺に親近感が湧いたのだろうか。


俺は皇組の組員だと言っていればどうなっていたのだろうか。


今回は告白しない事で助かったのかもしれないが、敵組の一員である彼女ならば、またどこかで出会う事になるだろう。


そう思いながら俺は元の態度の悪い客達の接客をこなしながら、その日の仕事を終えた……。


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….…仕事を終わらせて、二十二時過ぎに事務所に帰ると鍵は空いており、若頭や若衆達はまだ仕事中だからなのか姿は無く、事務所の中央にある席に座っていた斬江の姿だけがそこにあった。


「お帰りなさい大和。初めてのシノギ、お疲れ様だったわね」


「はい…ありがとうございます」


斬江は酒を飲みながら俺の帰りを待っていたらしい。


俺は斬江の側まで行き片膝をついた。


時給は千円……八時から二十二時まで働いた分の、一万四千円を封筒から出すと、そのまま斬江に差し出した。


「今日のシノギで稼いできた金です……お受け取り下さい」


「はい、ありがと〜」


斬江はそれを受け取ると、自分が座っている隣のソファのシートをぽんぽんと叩き、自分の隣に座るように指示をした。


「……失礼致します」


「どうだった? 初めてのお仕事は」


「……はい、何とかこなせました」


「そう、良かったわね〜……でもあの茶髪のロン毛のお客さんは、態度悪かったわよねぇ」


「……はい」


……俺が外にいる間は、斬江の指示により動いている監視役のやくざによって、二十四時間全ての行動を監視されている。


コンビニで働いている間の、客との会話も全て胸ポケットにあるピンマイクに音声が全て記録されており、俺が赤の他人に余計な事を言えないようになっている。


……当然斬江は、俺が働いている間に店にやって来た帝組の銀髪の女の存在も知っていた。


「……貴方が働いている所に、帝組の女の子が来たらしいじゃない」


「はい、辛味チキンとやらを買って行きました」


「まぁその子辛党だったのね、あそこのコンビニだと、私は塩味の方のチキンが好きかしら」


斬江はテーブルに置いてあったグラスを手に取ると、俺はバーボンの瓶を持ち斬江が持っているグラスに注いでやった。


「……あの女の子は帝真緒ちゃん。 帝組の組長である帝真(まこと)の娘よ」


「ッ!?帝真の娘ですか!?」


「ええ、銀髪といい、瞳の細い目といいお父さんとそっくりだわあの子」


帝真……歌舞伎町の帝王というシンプルな二つ名で呼ばれてはいるが、彼に歯向かう者は五体満足では済まされないと言われている程に、恐ろしい男であるらしい。


「貴方が皇組の人間だって事はその子にはバレてない?」


「はい、堅気ではない事はバレましたが、その事については大丈夫です」


「そう、なら大丈夫ね……でも次に会った時からは女の子だからって油断しちゃダメよ」


「分かっています」


斬江は俺の返事を聞くと、バーボンの瓶とグラスを持って冷蔵庫の隣にあるシンクに置くと脱いでいたコートを着て、外に出る支度をした。


「……今日はもうお風呂入って歯磨いて寝ていいわ。また明日もシノギだからこの調子でお金を返して頂戴」


「分かりました、それでは失礼します」


「うん、おやすみ〜」


俺は席を立ち斬江に向かって一礼をすると、斬江がドアを開けて外に出るまで彼女を見送った。


その後俺は風呂に向かい汗を疲れと共にシャワーで流し、布団を床に敷くとそのまま眠りに着いた。


残りの借金は三千九百万九千……たった一万を稼ぐだけでは、完済となる四千万円まではまだまだ程遠い。


……俺の借金返済生活は、まだまだ序章を迎えたばかりである。

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