第二話『蒼羽の揚羽蝶』
……シノギ二日目。
今日も朝から同じコンビニで働いており……給料を店長から受け取った俺は缶コーヒーを片手に外に出た。
時刻は既に夜の八時……今日のコンビニでは朝の七時から働いていたので、実に十三時間もそのコンビニで働いていたのである。
「一万三千円か…」
……その労働時間にしてこの給料。
時給が千円しか無いからという事もあるが……昨日の分も含めて、四千万円全てを返す為には、今の稼ぎのままで行くと何十年も掛かる事になってしまう。
『本業の方はいいぞ、こんな所で働くよりも何十倍も、何百倍も稼げる』
途方に暮れていると……昨日コンビニに来店した時に、組の中では下っ端の俺を嘲笑うかのようにそう言っていた、帝真緒の言葉を思い出す。
例えコンビニの日雇いのアルバイトでも、死に物狂いで働いていれば……その功績が讃えられて、いつかは若衆や若頭といった地位に、昇格させてくれるのだろうか。
しかし昇格をしていけば、高い金を稼ぐ事が出来る分に……やくざらしい地位についた頃には自身の身体が極道色に真っ黒に染っており、もう二度と白くて綺麗な一般人に戻れる事は無くなってしまうだろう……
……とにかその日のノルマは一万円。
それ以上を稼いだら、ノルマの残りの金は何に使ってもいいとの事だった。
現在の所持金は二万円。
「どこに行くか……」
セントラルロードでは、既に居酒屋やキャバクラに行こうとしている仕事帰りのサラリーマン達でごった返ししていた。
「お客さん!家にいい子いますよ!」
「ガールズバーでーす!今なら全品十パーセントオフキャンペーンやってまーす!」
客引き達はそんなサラリーマン達の財布を空にする為、皆必死にそれぞれの店へと連れて行こうとする。
斬江から言い渡されていた、事務所に戻るまでの門限までは、まだまだ時間がある。
俺もどの店を行こうかとしつこい客引きを躱しながらも、今日の疲れを癒す為の場所を求め歩き出した。
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キャバクラ、ホストクラブ、バー、パチンコ、スロット、ゲームセンター、カラオケ、バッティングセンター……
ありとあらゆる娯楽がこの街には集う。
娯楽で楽しむ為には金がかかる。
日々のストレスを溜め込んだあらゆる職種の人間達は、それを金を使ってでも発散する為に毎晩この街にやって来るのだ。
俺達みたいなヤクザはそういう外からやって来た者達を利用して、日々金を稼いでいる。
客をバーまで連れて行き酒を飲ませ、通常の何倍もの値段でその客から料金をぼったくる事は日常茶飯事だ。
この街にある殆どの娯楽営業の店は、俺達皇組がオーナーの物である。
店に来た客から金を騙し取る方法も、五年もの間で斬江から散々と教わって来た。
まだ風俗店といった店で働かせて貰う事は当分先であろうし、その方法はいつ試せる日が来るのだろうか。
……と言っても、本来なら事業者側の立場である俺も、それらの娯楽を楽しんでいる者達の気持ちを想いながら紛れて、セントラルロードを歩いていた。
「……ふぅ」
夜の街、歌舞伎町……その場所を包む街の光は決して消える事は無く、日が沈めば常にお祭りが開催されているような騒ぎとなる。
周りを歩いている客達は、俺以外皆誰かといる。
皆楽しそうに笑い、騒ぎ……昼に溜めるだけ溜めたストレスを発散させていた。
まるで不定期に開催されていた縁日に、独りである癖に何となく立ち寄り……色々な屋台でイチャついているカップル達の光景を、指を咥えながら見ているような気分だ。
「……?」
ふと前に目を向けると、向こうからスマートフォンを見ながらこちらに走ってくる女の姿が見えた。
「あーやば……もう五分も遅刻してるわ」
当然、スマホを見ながら走っているので沢山いる周囲の人達にぶつかりながら移動していた。
なのに本人は決して避けることは無く、ただ真っ直ぐに走り続けている。
現在遅刻しているらしく、その女は急いでいるからなのか、堅気では無さそうな者達にぶつかって絡まれようがお構い無しだ。
「てめえ!道の真ん中を堂々と歩きスマホ……」
ぶつけられた一人のチンピラ風の男は、彼女の腕を掴もうとするが、その途端に女は腕を引いたので捕まえ損ねてしまう。
「あっ、ごめんなさーい!」
一応女はそのチンピラに謝罪をし、また直線の軌道に戻り移動を再開した。
そのすぐ前にいた俺。
女は俺の存在に気付くもブレーキをかける事が出来ずそのまま俺にぶつかり後ろに尻もちをついた。
「いったー……」
女は尻を撫でながらゆっくり立つと俺の方を睨み付けた。
「ちょっとあんた! 道のド真ん中でぼーっと突っ立ってんじゃないわよ!」
……その女は地味という見た目をしている訳では無く、ギャルという見た目をしている訳でも無かった。
ベージュのコートの中には青いパーカーを着ており下はミニスカートを履いていて、黒いキャスケットを被り、青髪のボブの髪型をしていたその女の姿は、歌舞伎町にいるには場違いの服装をしていた。
……年齢も俺と同じぐらいだろうか。
どう見ても一般人なのに、そもそもそのような成人を迎えている事すら分からない見た目の女が、この時間帯の歌舞伎町にいる事がおかしい。
「何黙ってんのよ! 謝りなさいよ! スマホの画面割れちゃったじゃない! 弁償しなさいよ!」
だが一番驚いたのはその女の俺に対しての態度。
誰に向かって口を聞いているのだろうか。
俺は今ヤクザの身でありながら、堅気であろうその女に絡まれている。
普通は逆では無いのか?
どう見てもながらスマホをしていたあちらが悪いのに、文句を言って睨み付けたり何らかの慰謝料を請求するのは本来俺の立場では無いだろうか。
……するとさっき女の腕を掴み損ねた男がこちらにやって来て、今度は絶対に逃がさないと言わんばかりに力強く女の腕を掴んだ。
「おい姉ちゃん! 逃がさねえぞ!」
「何よ! 離しなさいよ! さっき謝ったから良いじゃない!」
本当に自分が悪いと思っているのだろうか。
代紋を胸ポケットに携えたその男も、一応極道だぞ。
どこまでも強情な女である。
「俺みたいな奴にぶつかったら、どうなるか分かってるよなぁ!?」
「離して! 大声あげるわよ!」
「うるせえ! てめえには色々と言いたい事があんだよ!」
女に対し色々と言いたい事があるのは俺も同じである。
周囲に人集りが出てきた。
奴等は女を助けない代わりに、スマートフォンを出して、皆カメラの方をこちらに向け始めてきている。
……俺はその男が女を何処かに連れて行く前に、男の肩に手を乗せて止めた。
「……待ってください。 今は俺が、この人とお話をしているのです」
「あぁ!? 俺の方から先にぶつかって来たんだから、この女は俺のもんだ!」
「……あまり歯向かわない方がいいと思いますが」
そう言うと俺は、胸元に着けてある代紋をその男に見るよう目で誘導した。
「なっ……てめぇ、皇の人間か!?」
「……これ以上騒ぎを起こせば、誰かが通報して、すぐに警察がやってきます」
「……ここはお互いの為にも、解散しておいた方がいいと思いますが」
「チッ……餓鬼の癖に…!!」
「……すみませんでした」
男は俺や女に何も出来なかったからなのか、悔しそうに唇を噛み締めながらこちらを睨みつけて、その場から走り去った。
これを見せれば殴り合いに発展する事も無く、大抵の組やチンピラは何もせずに帰って行く。
代紋もいうのは本当に便利なものである。
とにかく女の代わりに、俺が先程の男に謝った事でその場は治まり、人集りも消え、静止していた人通りの波は再び動き始めた。
「……あの、ありがとう」
意外だった。
「……自分から謝る事は出来ない癖に、お礼は言えるんですね」
「ぶ、ぶつかった事も悪かったわよ。ごめん……」
「俺から指摘されてから謝られても……もう遅いと思いますが」
俺は最初からその女から慰謝料を請求するつもりは無い。
十三時間もコンビニで働いた疲れもあった為、早くどこかでゆっくりしたかったからだ。
「……それよりも貴方、何処かへ急いでるのでは無かったのですか?」
「あっそうだった! それじゃあね!」
女は俺に別れを告げると、今度はスマホを鞄に閉まってから、歌舞伎町一番街の方向に走り出した。
(……青色だったな)
俺は女が尻もちをついた時に隙間から見えたパンツの色を思い出しながら、また今日行く店を探す為に夜の歌舞伎町を歩き出した。
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……その後、セントラルロードに行きたいと
思った店が無かった俺は、先程の強気な女と同じ様に歌舞伎町一番街に来ていた。
暫く歩いていると、一人の客引きに呼び止められた。
「おう、大和じゃねえか!」
……事務所の中で、一番俺と仲の良い将太さんである。
「……将太さん、今日はこの辺りでシノギやっていたのですね」
「おう! おめえも今日初のシノギの帰りか! お疲れさん!」
「……ありがとうございます」
「これからどっか遊びに行くんだろ? 組長に返す分の金までは使わねえようにしろよ?」
将太さんは俺がこの組に入った五年前から、俺の事を実の弟のように優しくしてくれた。
事務所で部屋住み生活をしていた時も、ケンさん、豪さん、大輝さん達のせいでストレスが溜まっていた時も、将太さんのお陰でこの一年を乗り切る事が出来た。
将太さんは、俺にとっての精神安定剤である。
特にこれから行く所の予定が決まらず、暇そうな俺を見た将太さんはこんな提案をしてきた。
「そうだ、お前今暇なんだろ? 今から俺の店に来いよ!」
そうゆうと将太さんは、自分のすぐ後ろに位置していた店の方を指差した。
「将太さんの店……ここキャバクラじゃないですか」
将太さんが指を差したその先にあった店の名前は、ロイヤルメイデンと呼ばれるキャバクラだった。
将太さんはそのロイヤルメイデンのオーナーを務めているらしい。
その店の名前は斬江や兄貴達の間で、事務所にて何回か聞いた事があったが……ロイヤルメイデンはキャバクラであったという事までは知らなかった。
「ああ、お前ももう十八になったんだしな。この街に住んでるからには、一回ぐらいはキャバクラに行っとけって!」
「皇組員割引で安くしとくぜ!」
その組員割引を聞いて別に行きたいとは思わなかったが、このまま断り再び店を探し出しても見つけられそうになかった。
なので結局将太さんの言う通り、そのロイヤルメイデンという店に入る事にした。
「じゃあ……ここにします」
「おうよ! おい! 一名様ご案内だ!」
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……将太さんに連れられて地下の階段を降り入口のドアを開けた先に待っていた物は、天井にはシャンデリア。床は白黒の大理石と店内全体がキラキラとしている景色だった。
「じゃあ、楽しめよ」
俺の肩に手を置きながら、将太さんはそう言い残し、オーナーの仕事を続ける為に奥にある事務所へと向かって行った。
店内には至る所でこの店に来た客と、その側に付いているキャバ嬢が一緒に酒を飲みながら談笑をしていた。
……特に一番目立つのはワインやら酒瓶やらが十本置いてあった奥の席。
そこで葉巻を吸い両隣に座っていたキャバ嬢の肩に腕をかけながら笑っているあの男は、この店に来てから一体どれくらいの金を使っているのだろうか。
その普段から稼いでいそうな男から金を搾り取る為にキャバ嬢十人体制で、その男に接客をしていた。
今の俺はあの男のようには行かず、一万しか使う事が出来ない。
(まぁソフトドリンクならそんなにもしねえだろ……)
初めて来たキャバクラでどうすればいいのかも分からず、俺は受け付けの前で暫くボーッと突っ立っていた。
その俺に気付いたボーイが、申し訳なさそうにこちらに来て話しかけて来た。
「すみませんお待たせしましたお客様、初めてのご来店ですか?」
「あぁ、皇の者です……将太さんの紹介で、今回はお邪魔しました」
「あっ、皇組の……」
ボーイは俺の胸元の代紋を確認すると、手に持っていた料金票のメニューらしき物を俺に見せてきた。
「ご来店ありがとうございます、本日はどのようなセット料金プランをご希望でしょうか?」
そこに書かれてあった物はシンプルコースと呼ばれる一時間で五千円の物。
その中にはロイヤルコースと名付けられていた一時間で三万円もする料金の物もあった。
「……この中で一番安いものをお願いします」
「畏まりました。そうしましたらこちらのシンプルコースになりますね」
「指名したい女の子とかはいらっしゃいますか?」
延長料、同伴料、食べ物等の持ち込み料、サービス料……キャバクラというのは何をするにも金がかかる。
まだ斬江のマンションに住んでいた頃、俺はその事をよく斬江から言い聞かされていた。
「どなたでも大丈夫です」
「畏まりました。ではこちらから選ばさせて頂きますね。それではお席の方にご案内致しまーす」
俺が案内されたのは周囲にあまり客やキャバ嬢達がいない角の席だった。
将太さんからの気遣いであろうか。
ここでなら酒で酔っ払った、他の客からの騒声などの被害を受ける事も無く、ゆっくりと落ち着く事が出来る。
そう思いながら俺は、事務所にあるレザーソファ物よりも高そうな座席に座った。
「それでは女の子を向かわせますので少々お待ち下さい」
ボーイは一礼をすると、キャバ嬢を呼びに行く為に走っていった。
キャバ嬢……どんなに客に対して格好良いだの素敵だの褒めていても、結局は皆女という立場を武器に、その客から金を搾り取る事しか考えていないのだろう。
偏見ではあるが自分の中でのキャバ嬢に対してのイメージである。
(まぁ適当に返事をしておいて、金がすげえかかりそうなもんは断ればいいだろう……)
そう思っていた俺の席に、キャバ嬢が到着した。
「ご来店ありがとうございまーす♪ ナナコでーす♪宜しく御願いしまーす♪……あっ」
「あっ……」
ナナコと名乗ったその女は、先程の外見とは違い化粧をしていて、髪型も変わり、青いドレスを身に包み派手な見た目をしていた。
「あんた……ここで何してんのよ……」
……だが確かに、先程のセントラルロードで走りながらスマホを見ていたせいで俺にぶつかり、他のやくざにもぶつかったが怖気付くことも無く、謝罪はしないが礼を言う事は出来た青髪ボブの女本人であった。
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「……」
……ナナコは俺の姿に驚きつつ、これから俺に接客をしなければいけないという事が嫌だと悟られないように、ニコニコしながら俺の隣に座った。
「きゃあ〜お客様若〜い♪ ひょっとしてこういう所に来るの初めてだったりしますぅ?」
「……先程もお会いしましたね」
「えぇ〜、何の事ですかぁ〜? 人違いだと思いますよぉ♪」
女は自分の正体を知られたくなかったのか、自分はさっき会った女とは別人で、このキャバクラで働いている"ナナコ"であるという事で押し通そうとしていた。
だが先程再開した時に女が言ったあの台詞。
その時は気持ちを隠し切る事が出来なかったのか、その者がトラブル関係で知り合った者でなければ出来ない嫌な顔をしていた事もあり、その正体はバレバレであった。
「お客様ぁ〜♪ 何かお飲み物でも頼まれますぅ?」
女側も先程の台詞を言ってしまった事で既に正体を知られてしまったと思い開き直っていた。
「……その喋り方、疲れませんか?」
「……分かったわよ」
そう言われると女も素に戻り、もう俺に対してナナコの状態で接しようとはして来なかった。
女はそれで緊張がほぐれたのか、ソファに寄りかかり一度溜息を付くと、ちらりと俺の胸元の代紋を見た。
「貴方……皇組の人間だったのね……それにしてはあまりにも若過ぎない?」
その職業に就いている割には、自分の年齢が若過ぎる事。
その事に対して言いたいのは俺も同じだった。
「……貴方も、キャバ嬢をやるには早すぎる歳なのではありませんか?」
「十八歳よ……キャバクラみたいな店で働いてもいい、ギリギリオーケーな歳ね」
「……俺も十八です」
「あら本当、同い歳じゃない……まぁ、お互い事情って物があるんでしょう」
「……はい」
俺は五年前に斬江に拾われて育てられた恩を金で返す為に、皇組に入った。
この女も、キャバクラで働かなければ手に入らないぐらいの金が日常生活に必要なのであろうか。
「てか、同い歳なら敬語で話さなくてもいいのよ?」
「いえ、この方が言葉を話しやすいだけです……お気にならさず」
「んー……あんたの方が気にしなくていいって言いたかったんだけど、まぁいいや」
……俺はそう思うと、もう少しその女の事について知りたくなった。
「貴女は……極道の俺を見ても何とも思わないのですね」
「あんた以外にも、ここには色々なヤーさんがやって来るの。もう散々見慣れたし話し慣れたわ」
「……仁藤大和と言います」
「……飯田凪奈子よ」
「凪奈子って……貴女、源氏名も本名使っているのですか……」
「いいじゃない別に、いい名前が思いつかなかったんだから……」
……飯田さんも苦労しているのは自分だけじゃないと、俺に親近感を感じてくれたのか、苗字を含めたフルネームで自分の名を名乗った。
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「それで……何か飲む?ソフトドリンクならこの中でこれしか無いけど」
飯田さんはそう言うと、テーブルに貼り付けてあるドリンクメニューを指差した。
「……コーラが、五百円もするのですか?」
「どこの店行ってもそれぐらいの値段よ。文句があるなら外に自販機があるからそこで飲みなさい」
その他にもオレンジジュース、烏龍茶、ジンジャエール等も同じ値段だった。
飲み物一本にワンコインを使うぐらいなら、牛丼屋に行って丼物の並盛を頼んだ方がまだマシだ。
ふと俺はメニュー欄に記載されてある、とある飲み物に目が止まった。
「シャーリー・テンプル……」
「それはノンアルコールカクテルね。一応未成年でも飲める奴よ」
シャーリー・テンプル……まだ俺が斬江の部屋に住んでいた時のある日、バーボンを飲んでいた斬江に、俺も酒を飲みたいと言ったら当然断られた。
その代わりに、俺が酒を飲めない歳だからと斬江から作り方を教わり、よく二人で一緒に作っていたものだ。
あの楽しかった時の記憶を思い出したかった俺は、そのシャーリー・テンプルを頼む事にした。
「……じゃあこれでお願いします」
「ふっ、ノンアルコールカクテルを飲みたいとか大人ぶっちゃって、未成年なら未成年らしくソフトドリンクにすればいいのに」
「……貴方だって未成年でしょう」
俺の過去を知る筈も無い飯田さんは、俺の事をそう馬鹿にしながら手を挙げてボーイを呼んだ。
「すみませ〜ん♪」
「はい、何でしょうか」
「あのぉ♪シャーリー・テンプル二つお願いしますぅ〜♪」
「って貴方も頼むのですか……」
それからボーイは厨房に向かい、数分もしない内に飲み物を持って来た。
「お待たせしました。シャーリー・テンプルお二つです」
「ありがとうございますぅ♪」
ボーイが立ち去ると、飯田さんはシャーリーテンプルを俺の目の前で作り始めた。
「……そういえば先程は、どこかにお急ぎのご様子でしたが、ここのお店に遅刻しそうだったからとかですか?」
「……そうよ。でも結局、間に合わなかったわ…」
俺の質問に反応をした飯田さんは、良くぞ聞いてくれましたと言わんばかりに、シャーリーテンプルを作っている最中でも言葉を返してくれた。
「そもそも、どうして遅刻したのですか?」
「電車が人身事故で遅延してたの」
「ったく……飛び降り自殺なんてすんじゃないわよ。死ぬなら他行って死になさいよね……」
俺も昔、組の皆で遠くに出かけたその帰り……電車の人身事故に遭遇して、翌日の朝にならなければ帰れなかった時があった。
電車の人身事故の原因は、約九割が自殺だ。
大勢の前で盛大に死にたいのか、電車に轢かれれば確実に死ねるからなのかは分からないが……大勢の他人に迷惑がかかろうとも、自分が死ねば関係無いという理由で、簡単に駅のホームから飛び降りるのはやめて欲しいものだ。
「電車が遅延するわ、スマホの画面が割れるわ、店に遅刻してオーナーに怒られるわ…今日は本当についてないわ…」
飯田さんも俺と同じ事を思っていたのだろう……本来接客中であれば絶対にしてはいけないのだが、彼女は大きくため息をついた。
「オーナーって将太さんですか?」
「あらお知り合い? まぁそっか、同じ皇組の人だし……」
「というよりもスマホの画面が割れたのは、貴方のせいではないですか」
「それはそうだけど……はい完成!」
「これあんたの分ね」
そうしてシャーリーテンプルは完成し、飯田さんは俺の前にそれを差し出した。
「……ありがとうございます」
「それじゃあ乾杯しましょうか」
「……はい、お願いします」
「かんぱ〜い!」
「……乾杯」
グラスとグラスが触れ合う心地よい音が乗った直後、俺達はシャーリー・テンプルを飲み始めた。
ジンジャエールの苦味とグレナデンシロップの甘味、そしてレモンの酸味が混ざり合ったその味は、とてもさっぱりとした甘さで懐かしい味がした。
それを飲んだだけで、俺が斬江と過ごした今まで生きてきた中で一番幸せだった日々を思い出す………
「貴方ってどこに住んでんの?この街?」
「はい、事務所で寝泊まりしています」
「へぇ〜、確かに貴方達みたいな人ってアパートとか借りられないものね」
「……飯田さんはどこにお住いなのですか?」
「んんっ、普通に凪奈子呼びでいいわよ。 私はね、まず小田急線で……」
……それから暫くは、キャバクラには主にどんな客が来るのか。
これまでキャバクラに来た中で一番面倒な客はどういう者であったのか。
キャバクラで働いていると月にいくら稼げるか等を飯田さんとお話した。
……それから一時間が経ち、そろそろ事務所に帰らなければいけない時間がやって来た。
コンビニで働いていた時の十三時間の中の一時間とは違い、凪奈子と過ごした時間の方があっという間に感じた。
「……そろそろ俺は帰りますね」
「……あら、もう帰るの?」
「はい……組長に、十時前には帰ってこいと言いつけられているのです」
「……極道の世界にも門限ってあるのね」
俺が席から立つと飯田さんも立ち、出口の方に俺と一緒に着いてきた。
「お会計お願いしまーす♪」
「はい、六千円になります」
俺は六千円をボーイに手渡すと、奥の方から将太さんが出てきた。
「おっ、もう帰るのか!」
「はい、そろそろ門限の時間なので……」
「また来いよ! じゃあまた事務所でな!」
将太さんに手を振られながら、凪奈子も俺を外で見送る為に一緒に外へ出た。
階段を上がり地上ヘ上がる。歌舞伎町の夜は深夜になった辺りから本番である。
二時間前とは変わらない数の人が、歌舞伎町一番街のあちらこちらを行き来していた。
「……はいこれ!」
……すると飯田さんは自分の財布の中から紙切れを出し、俺に手渡してきた。
「私の名刺。まぁ来たいんならいつでも来ればいいじゃない。待ってるから」
青くてラメの入っているデザインの名刺には、ななこという偏差値の低そうな書体の文字の隣に、ダブルピースに舌を出しながらウインクをした実にあざと過ぎる飯田さんの姿が写真に写っていた。
「……結構恥ずかしくないですかこのお写真」
「うっさい、どんな人にも好かれるようになる為にプライドや恥なんてとっくのとうに捨てたわ」
「……あんたって礼儀正しい感じだけど、煽る時は容赦なく煽ってくるわよね」
「……そうでしょうか」
「……いいから早く行きなさいよ、早く帰んないとその組長って人に怒られちゃうわよ」
自分にとっては黒歴史のようなものを見られた飯田さんは、口で言っていた物のやはり恥ずかしいのか。早く帰って欲しそうに手を追い払った。
「はい……ではまた」
「うん……」
俺は事務所がある花道通りに向かって歩き出した。
飯田さんは角を右に曲がろうとする俺の姿が見えなくなるまで、その場でずっと手を降り続けていた……。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
「おかえり大和〜! 今日もちゃんと時間通りに帰ってきたわね」
「……ただ今帰りました」
……事務所に帰ってきた後、俺は昨日のように稼いだ分の金を斬江に渡し、今日起きた事を斬江に報告していた。
報告はいつも、斬江からの質問に俺が答えていくスタイルで話が進んでいく。
「どうだったー、初めてのキャバクラは? 楽しめた?」
一日の俺の全ての動作、全ての発声を常に監視されて、確信をつかれる質問をされても……別に驚きはしない。
「はい……久しぶりにシャーリーテンプルを飲みました」
「そうだったわねぇ、あのナナコちゃんの作るシャリテン美味しそうだったわぁ……キャバ嬢としては相当出来る娘(コ)ねぇ」
飯田凪奈子さん……コンビニで会った真緒以上に、斬江以外の女性とあんなに会話をしたのは初めてで新鮮だった。
何よりも飯田さんとは同い歳……それも含めて、歌舞伎町で働いている者同士、親近感が湧く。
また行けば、いつでも会えるのだろうが……一般の女性とは違い、キャバ嬢という人種と会う為には金が必要となる。
むしろ飯田さんもそれを狙って、また来てもいいみたいな事を言っていたのか?
その夜は一晩中、布団に入ってからも暫くは、彼女との会話を思い出しながら……
余計な事などは言っていなかったか等の、反省会を開きながら眠りについたのであった。
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