第3話 知らない女の子

 戻ってきたら私が確保した席の周りには人だかりができていた。

 もちろんサポーターの集団である。選手達の応援をするために密集しているのだ。後で知ったけれど、ああして集まる事で声量を大きくしているらしい。


 でもこの時はそんな事もわからなくて、私はあたふたと慌てる事しか出来なかった。


 ただ自分の席はあの人だまりの中なのだ。荷物も文庫本だけとはいえ置いてある。置き去りにする訳にもいかない。

 けれどほとんどが男の人ばかりで、しかもなんだか怖い感じがする。とても中に入ろうとは思えなかった。

 少し遠巻きにして、中の様子をうかがう。けれど全く近づけない。困ったなぁと思っていたところだった。


「ねぇ、君どうしたの」


 声をかけられて顔をあげる。そこには私と同じくらいの歳の少女が立っていた。私とは違ってスポーツとか得意そうな感じの、柔やかな笑顔をしていた。


「え、えっと。その」


 声の主が同年代の女性だった事にほっとして、しかし人見知りの気もある私はおどおどと人だまりの方を指さす。


「あの中に……」


 本がある。と言おうとした時だった。彼女は何を勘違いしたのか、顔を明るく輝かせて私の手をとった。


「中に入りたいんだね。わかるわかる。最初はみんなちょっと勇気いるよね。でも大丈夫。なんてことないから。それに嬉しいな。私と同じくらいの子はそんなにいなくて。ぜひ一緒に応援してよ」


 勘違いしたまま私の手をひいて人混みの中に入っていく。


「いれていれてー。ここつめてー」


 彼女は私の手をとったまま、人混みの中に入っていく。仕方なく私もそのまま中に入った。

 意外と私みたいな場違いな小娘がきても気にもしていないようですぐに入れた。

 この時、勘違いといえなかったのが最後の間違い。これが決定打だったと思う。


「選手の入場です」


 アナウンスとともに音楽が流れ始める。そしてサポーターの皆さんがそれぞれタオルや、なにかお手製の旗のようなものを掲げ始めた。

 何をしているんだろうと小首をかしげる。見ると隣にいた少女も紺色のタオルを掲げているようだった。


「あの、これ何しているんですか?」


 タオルを指さしてたずねる。すると少女は一瞬きょとんとした顔をしたあと、すぐににここやかに笑って「選手を鼓舞するためにホームカラーで染めているんだよ」と告げた。

 意味がわかなかった。まぁアベイユの色が青っぽい色だというのはわかる。だからこの紺色はアベイユの色なのだろう。ただユニフォームの色はもうちょっと青いけどなぁ、などと心のうちで思う。


 とにかくタオルを掲げる事で選手を鼓舞するというのは、私にはよくわからなかった。なんか両手でもつ旗を掲げている人達はまだわかる。「N1昇格」とか「勝つ」とか書いてある。応援のメッセージなのだろう。しかしなぜタオルを掲げるのかは未だにわからない。


 ただわからないなりに、これも応援の仕方なんだとは思った。


「私……何ももってないです」

「そうなの。じゃあ私の貸してあげるよ、沢山あるから」


 彼女は言いながら私にタオルを一枚貸してくれた。これも後で知ったけれど、タオルマフラーといって、普段は首にまいて使うらしい。選手入場の時はこれを掲げて応援するし、他のクラブではこれを回して応援する事もあるらしい。


「タオマフもっていないくらいだから、ユニフォームもないんだよね。せっかくだから着てみない?」

「え、でも」

「嫌だったらいいけど、去年のだけどまだいくつかあるからさ。よかったら着てみてよ」


 ユニフォームを手渡されて、少し迷ったけれど私はユニフォームを着てみる事にした。他の人がみんな何かしら着ているのに、一人普段着の私が混ざっているのは迷惑かもしれないと思ったからだった。

 けど実際はそんな事はなくて、一緒に声をだしてくれるだけでも、なんならそこにいるだけでもいい。誰もそれをとがめる人はいないし、むしろ受け入れてくれる。


 ただこの人の私は勘違いで巻き込まれてしまったけれど、それを言い出すこともできなくて、ただただ他の人達に迷惑をかけずにすむようにしないととしか思っていなかった。


「おー、可愛い。似合ってる」

「そ、そうですか」


 彼女の褒め言葉に少しだけ気分が良くなる。まぁお世辞だって事はわかっているんだけどね。でも褒められて悪い気がする人はあんまりいないと思う。


「それ城土じょうど選手の番号のユニなんだよね。城土選手知ってる?」


 たずねられた事に私は静かに首を振るう。知らないと言った事に気を悪くしないかだけが気になっていた。

 しかし彼女は気にする様子もなく、ただ目を輝かせて語り始めていた。


「城土選手はね。デビューしてから今までずっとアベイユだけでプレーしている選手なんだ。私の一番好きな選手。あ、ほらあの10番の背番号をつけている選手がそう」


 彼女が指さした先を眺めてみると、確かにその背番号のついた選手がいた。それは私がいきがけに、ちょっとかっこいいと思った選手だった。

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