第3話 恋人の我儘は聞くもの。
あの後、誤解を解こうと部室から逃げ出した咲耶を追いかけたが。
話し合う前に昼休みは終わってしまった。
ようやくの放課後になって、咲耶の方から声をかけられる。
「ちょっと来て」
無表情で腕を引かれ、連れ込まれたのはひと気のない階段の影。
咲耶は決まり悪そうに切り出す。
「その、あやまりたくて……朝のこと、とか。わたし、暴走してたわ。ごめんなさい。おかげで落ち着きました」
どうやら、学校でしばらく時間を過ごして夏休みボケも抜けたらしい。
「置いてったのは絶対許さないけど」
と、咲耶は真顔で恨み言を述べた後、うっすらと頬を染めた。
「それと、そのう……さっきの話、なのだけど……」
「わたしのこと、そういう目で……見てた、の?」
反射で否定しそうになって、無闇に誤魔化すのは良くないと思い直す。
彼女は意外と察しが悪い。
言わなければわからない、というのは今に始まった話じゃない。
極めて真面目に、正直に答える。
「好きな女が隣で寝ていてまったく不埒なことを考えない、っていうのは、少し難しい」
難易度は、三回くらい脳内で自害してやっと正気を保てるくらいだ。
かあぁっと赤くなったまま、咲耶は頷いた。
「そ、そっか。気をつけます……」
その反応に少し違和感を感じながら、そういえば、と思い出す。
貞操観念がズレていて、その手の語彙や映画のベッドシーンには眉を微動だにしない文月咲耶だが、恋愛そのものには本来、耐性がない。
なにせたった二ヶ月前まで、大の恋愛嫌いだったのだから。
今じゃ見る影もない恋愛脳だが……。
つまり、攻めには恥じらいがなくても防御の方はからっきし、というわけか。
そんなところまで戦闘のやり方と同じじゃなくてもいいだろう、と思うが。
「まああれだ。誤魔化そうとした俺も悪かったよな。大人気なかった」
ちゃんとはっきり伝える。
「というわけだ。勝手に布団に潜り込むのはやめてくれ。心臓に悪い」
「……う」
咲耶は頷きかけたが、やはり納得がいかないのだろう。
一緒に寝るというのは、咲耶としてどうしても譲りたくないラインらしい。
仕方ない、と息を吐く。
「せめて、潜り込むなら
「え? ……いいの!?」
「心の準備をすればどうとでもなる。そのくらいの我儘なら、聞いてもいい」
なんだかんだと言って心頭滅却は得意だ。
別に聖剣で脳味噌弄らなくても、日常生活で必要なレベルは自力でできる。
伊達に同居することになった夏のうちに滝行で鍛えてないからな。
咲耶はぱっと顔を輝かせた。
「わかった今日夜這いしていい?」
「まず夜這いって言うのやめろ。いかがわしい。添い寝って言え」
咲耶はハッとした。
「……もしかしてわたしの言葉選び、おかしかった?」
「そうだよ」
気付いてなかったのかよ。
「あと、たまにだ。たまに。予告したからっていつも来るな」
「安眠抱き枕」
「それ連呼すんのやめろ」
おまえのワードセンス壊滅的なんだよたまに。
「別に、心配しなくても。見たい映画ならいくらでもあるしさ。夜更かしだって悪くないと思ってるんだぜ? 今は」
血糊も平気になった。
散々クソ映画見せられたおかげで。
少し夢見が悪いくらいたいした話ではない。
「恋人関係と言えど節度は守ろうぜ。夏休みはちょっとお互いに……堕落しすぎた」
俺の譲歩で咲耶はようやく頷いた。
「そうね、確かにオンオフは大事だわ。家ではともかく、学校ではちゃんとしましょう。わたしたちの関係、誰も知らないんだし……」
その時だ。
廊下から、ひょっこりとポニーテールの同級生が顔を出したのは。
「あ、文月ちゃん! いたいた」
「ひゃっ……!」
同級生、委員長の麻野だ。
「朝の相談の続き、いいかな? 文化祭のことなんだけど」
それを聞いて、咲耶の様子はぱちん、とスイッチが入ったように切り替わる。
「ええ、もちろん」と答えた時には、『文月』の顔になっていた。
そのまま文化祭準備の話をし始める二人を、一歩下がって眺める。
あれだけ色ボケと夏休みボケを拗らせていて、学校生活に戻るとか大丈夫かよ、と思っていたが。
余計な心配だったらしい。
(そういやこいつ、猫被りが異様にうまかったな)
最近ずっと脱げてるどころか薄皮まで剥がれてたから忘れてたけど。
委員長の麻野は咲耶の、クラス内では一番初めに出来た友人だ。
(芽々はしょっちゅう顔を合わせているが一応隣のクラスだ)
委員長はまだ失踪関連の噂が酷かった頃から咲耶のことを気にかけてくれた。
猫被りは上手くても本質的に人見知りな咲耶が今、普通に教室に溶け込めているのは、彼女のおかげだろう。
なぜ今、こうして文化祭の話をしているかというと。
文月が二年前に文化祭の実行委員をやっていたからだ。
その関係で、今年もいろいろ引き受けているらしい。
「今は部活動も家業も手伝ってないから暇してるの」
と、本人は言っているが……。
責任感が妙に強いのは昔と変わっていないらしい。
二年前を思い出す。
……そういえば、この頃だったな。
俺が文月を気にするようになったのは。
懐かしみながら会話する文月らを眺めていると、視線に気付いて、麻野が俺に苦笑した。
「ごめんね。二人で話してるところ邪魔しちゃって」
「いや、気にするな。文化祭は大事だからな」
祭りは大事だし、祭りの準備はもっと大事だ。
いいよな、学校行事。
実は俺はかなり好き。
「そう?」と、麻野は相好を崩して、ちょっとからかうように言った。
「相変わらず仲良いよね。今朝も文月ちゃんの鞄、持ってきてあげてたし」
「ちがう! あれは……!」
俺が咲耶を置いていっただけなんだが。
説明すると一緒に住んでるのバレそうだな。
「二人って、まだ付き合ってないの?」
……そういえば。
委員長、俺たちが付き合っていると誤解していた時期があったな。
一学期の初めの方の話だ。
俺たちは教室に溶け込めなさすぎて、屋上で飯食っていた時期がある。
『どちらが先に友達を作れるか』なんて子供じみた勝負を始めたのは、それがきっかけだ。
結局俺と咲耶が友達になる、という荒技で引き分けの持ち込んだのだが……。
その時、既に咲耶はクラスメイトに昼食に誘われていたのだ。
そのクラスメイトというのが、委員長。
その誘いを断ってまで、昼休みは俺たちで飯食うことにしたのが五月の話だ。
誘いを断わられ、俺たちが一緒に飯を食っていることを知った委員長が、
『つまり、二人は付き合ってるってこと!?』
と勘違いしたのも、そりゃそうなるという話だ。
流石に今じゃ昼飯は別々に食っている。
お互い、多くはないが友達がいる。
一緒に住んでいる今となっては、わざわざ学校でまで関わる理由がない。
麻野の「付き合ってないのか」という質問に咲耶は歯切れ悪く答える。
「だから、わたしたちはそういうのじゃ……」
一学期には散々繰り返してきた台詞も今じゃ真っ赤な嘘か。
少し、笑いが溢れる。
話す二人に割り込んで、咲耶の肩を寄せる。
「いや、付き合った」
咲耶は、ぽかんとして。俺を見上げた。
「……え? えっ……!?」
委員長は、「きゃー!」と歓声を上げて、迫る。
「なんで教えてくれたの!?」
「委員長には世話になってるからな」
「今の話……みんなに言っていいやつ?」
「ああ、広めておいてくれ」
意を得た、と委員長はにまりと笑った。
「牽制だね、りょーかい」
話が早い。
「文月ちゃんよく告白されるもんね。心配なんだ?」
「そうだな。虫は近付けたくないってのが本音だ」
丁度その時、階段の前を通りがかった合気道部。
道着姿の笹木と、もう一人。
「お、虫」
「誰が虫じゃ。こん滝行怪人が」
寺の息子で、そのうち出家するから俗世にいるうちに彼女作ろうと躍起になってるアホだ。
かつて咲耶に告白した前科があるから信用ならないが、夏休みにいい感じの滝を教えてくれたから存在を許した。
笹木の次によく話す。まあ、友人と言ってもいいだろう。
そいつは、麻野から話を聞いて。呪いそうな目をこちらに向けた。
「爆発しろ……」
「それ二年前で既に死語だったぞ」
「じゃかしいわ!」
笹木はというと、芽々よりも先に伝えてあったので、顔色ひとつ変えず。
「ま、おめでとうって言っとくよ」
寺戸を引き摺って、部活に戻っていく。
「そうだ、飛鳥。後で相談乗ってもらうから、よろしく」
文化祭の準備に追われる委員長も「またあとで聞かせてね!」とはけていき。
後に残されたのは俺たち二人だけだ。
しかし付き合ったと報告するのは、これはこれで妙な緊張感があるな。
告白をぽろっと弾みで済ませてしまった分、ようやくひと仕事を終えたような実感がある。
「な、な……」
咲耶は、茹で上がった金魚のごとく、ぱくぱくと口を動かして。
俺に掴みかかる。
「なんでバラしたの!?」
「別に隠す理由もないだろ」
どうせ周りから「まだ付き合ってないのか」とせっつかれていたのだ。
なら、とっとと明かした方が学校生活を回しやすい。
ついでに二年の失踪関連の悪評も、落ち着いてはいるが根強く残っている。
神隠しにあった説、駆け落ちに失敗した説、ヤクザに拉致られてた説、異世界に転移していた説、その他諸々……。
与太話ではあるが、現世もそこそこファンタジーだと芽々から聞いた今。真相を当てているのが、少し怖い。
付き合ったことで噂で上書きされ、駆け落ち説が有力になるならいいだろう。
「隠す理由どころか、バラした方がメリットがあるくらいだ」
「デメリットだってあるわよ!!」
咲耶は俺のネクタイを掴んだまま、間近で、睨む。
「わたしが、恥ずかしいじゃない……」
恋愛に対する防御性能がからっきしの咲耶だ。
芽々や笹木くらいの親しい友人には明かせても、堂々と付き合う心の準備はまだできていなかったのだろう。
「わかってた。だからこれは、俺の我儘だな」
流石に芽々に指摘されては、認めざるを得ない。
いくら冷静になろうとしても、その事実は変えがたい。
ならばいっそ、自覚的に浮かれ野郎をやった方がマシじゃないだろうか?
全力で浮かれきった方が、一周回って冷静になれるんじゃないか?
ならばそう。
ちょっと
「いいだろ? 恋人の我儘は聞くもんだって、おまえが言ったんじゃないか。俺は聞いたぞ」
反論の筋が見つからないのだろう。
うろたえるように咲耶は目を泳がす。
俺の首が閉まる前に、ネクタイを掴む手をゆっくり剥がす。
行き場のなくなった咲耶の指は、そのまま俺の手を握った。
「だめよ……ゆるさない」
本気で拗ねている声色。
……やりすぎたか?
咲耶は、黄色味を帯びた日差しに照らされ、か細い声で言った。
「ゆるさないから……『愛してる』って、言ってくれたら、ゆるします」
…………。
……俺の彼女、かわいいな。
ああそうだな。
もう言えるようになったはずなのに、大事なことをまだ言ってなかった。
ちょっとクサい台詞だが、それもまた恋人の醍醐味だろう。
もう少しくらいは……調子に乗っても、許されるよな?
廊下は文化祭準備の喧騒で、多少の声はかき消される。
階段の影には今のところ、人が通りががる気配もない。
切り替えは大事だが、今日ばかりはまだ夏休みの延長だ。
手を握り締められたまま。
夕方の日差しを背後に、深く息を吸った。
「……咲耶、」
◆
わたしの心臓は破裂しそうな程に鳴っていた。
当たり前だ。
だって……もしかして一生聞けないかもしれないと思っていた言葉を、せがんだのだから。
どきどきと、言葉を待つ。
逆光の中で、彼は真っ直ぐにこちらを見つめる。
涼しい顔をして、握ったままの手は少し汗ばんでいる。
けれど視線は逸らずに、口を開いた。
「……咲耶、」
わたしの恋人……かっこいいなぁ。
ちょっとイキリだけど。
ヘタレとイキリを併発してるけど。
有り余ってかっこいいから許しちゃう。
愛なんて囁かれたら一撃で死んじゃうくらい好き。
ときめきすぎて舌噛まないようにしとかないと、と思った。
あらかじめ噛んでおこうかしら?
それだわ。わたし天才。
心の準備と舌噛む準備を整えて、待つ。
「…………」
だけど、いつまで経っても続きの言葉が来ないのだ。
おかしいな? と思った。
わたしの飛鳥は、ここでヘタれるような人じゃない。
逆光でよく見えなくなっていた顔を覗き込む。
「飛鳥?」
影でよく見えなかった顔色は。
血の気の引いた青だった。
「悪い……」
ひく、と頬を引きつらせて。
打ち明ける。
「……吐きそう」
「──え?」
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