第4話 愛の定義。
夕方の階段で、愛を囁かれるのを待っていたはずが。
訴えられたのは吐き気だった。
「……え、なんで?」
疑問を口にしたのは、蒼白な顔の飛鳥本人だった。
わたしは心配の裏で要因を考える。
――おかしい。
確かにこれまでは自我が不完全なせいで、愛を囁けば呪いが発動する状態だった。
だけど今、彼の身において呪いが発動した気配はない。
つまり――要因は呪いではなく、別。
『やだやだやだやだなんでいちゃいちゃしようとしただけなのにこうなるの!? 納得いかない!!』と駄々をこねる
「落ち着いた? 要因に心当たりはないのよね?」
「ああ……まったく」
きっと、病巣はあのあたりだろう。
ため息を吐いて、腕を組む。
階段に座り込んだ飛鳥を見下ろして、言い放つ。
「ならば、愛の定義を確かめましょうか」
「それはまた、深遠な命題だな」
六月のいつかのことだ。
わたしたちは『恋の定義』を決めた。
それはわたしが恋愛を忌避していた頃の話で、恋心を美化しすぎて関係を進められなくなっていた頃の話だ。
飛鳥はそれを、恋は所詮下心だと、元々汚くてくだらないものだと定義して、恋の価値を貶めた。
おかげでわたしは『なんか拗らせてるのもばからしいなぁ』と開き直って、こうして全身全霊で恋に夢中になれている、というわけだ。
……いや、おかしいなわたしの精神構造。
我ながらどうなってるのかしら。
たまに自分でも怖いと思います。
それはともかく。
「恋が汚いものだと言うのなら、あなたにとって愛は何?」
「……まあ、汚いの反対じゃないか? 普通に考えて」
でしょうね、と頷く。
解釈通りの答えだった。
家庭環境は普通じゃなくても、日南飛鳥は屈折せず育った人間だ。
わたしとは違って、「愛されていた自覚がある」と臆面なく言ってのけるくらいに。
なんなら、彼にとって愛の価値は少々重すぎるくらいだろう。
自分を愛した両親は、命をかけて自分を守ったのだから。
日南飛鳥は自身の体感として恋がくだらないものだと感じている代わりに、愛が尊いものだということを骨の髄まで思い知っている。
「それじゃないかしら、原因は」
飛鳥は、自分のことなのにまだぴんときていないようだった。
……これ、流石のわたしも切り込むのは気が重いのだけど。
はっきり言わないと気付けないこともあるから、仕方がない。
少し息を吐いて、彼の目を見た。
「あなた、
飛鳥は愕然と、「何をバカな」と言う。
「あるに決まって……」
即答しかけて、口を閉ざす。
無言で考え込む。
顔を上げた。
「いや……論理的に考えて、
でしょうね、と眉間を押さえた。
悪い想像が当たった。
なんで普段察しが悪いのに、こういう時だけ当たるのかしら、
「そもそも愛は資格制じゃないからね。その思考は論理的ではないわ。間違えないように」
「いや、そうだな。確かにそうだ。理解した」
「わたし、この前夢の中に入ったでしょ? そのせいかあなたの思考、
お互い元から、異世界のことについては分かり合えないなりにいい線をいっていたけど。
多分、今のわたしは
「あなたがさっき、どう論理的に考えたのか、当ててもいい?」
「…………いや、いい。多分正解だ」
──つまり、こういうことなのだ。
彼の中の定義として。
『愛は尊く綺麗なものである』
なればこそ。
『
同じ思考の道筋で答えに辿り着いて、黙り込む。
「……」
「…………」
空気、お通夜になっちゃった……。
「いやいやいやいや、そうはならないだろ! どう考えたってそれとこれとは別だ! 俺は割り切るぞ!?」
「割り切ろうとしてるけど割り切れてないってことでしょ? 人間の感情は理屈ではどうにもならないわ」
「なるが!?」
「なってないんだってば、だから」
こいつ、脳味噌弄るのクセになってるでしょ。自分の感情を理屈で押さえ込むのが癖になってる。
駄目だわ。
階段で頭を抱えてうずくまる飛鳥を見下ろす。
流石の
文脈が思いつかない、というより。
わたし、愛の
零落させると
こちらとしても、愛は綺麗なものに定義しておきたいところだ。
愛は美化した方が、愛で殴った時の威力が増すので。
事態を理解して、飛鳥はガバリと顔を上げた。
沈痛に叫びをひとつ。
「……め、めんどくせえな俺!?」
「ばーか! ばか真面目! あんたの身体は正直ね!」
「いや待て、気合と根性でなんとかする。大丈夫だ、丹田に力を入れればどうということはない。俺は強…………うぷ」
「やめっやめなさい! やめろ! 胃液と一緒に愛とか吐かれても嬉しくない!!」
ぎゃんぎゃんといつもの調子で言い争って、お互い真顔でぴたりと喧嘩を止めた。
「……悪い」
「ばかね。謝る必要なんてないわ」
まあ正直……別にそこまで思い詰めなくてもなぁ〜、って思っているけど。
あのあたりの事情、現世に照らし合わせても正当防衛か緊急避難で情状酌量くらいはされるだろうし。
それなんて言ったら
たかが人の子ひとり手にかけたことくらい気にする価値など──と、自然に考えかけて。
わたしは舌をギリッと噛んだ。
ああ、よくない。
今、
前回の戦闘の前に、契約で竜の血を増やされたせいだろう。
精神がまた少し、ズレたような気がする。
契約内容もそのリスクも飛鳥にも共有しているが、実感として理解できるのはわたしだけだ。
色恋にうつつを抜かすと魔女に寄る。
冷静に物事を考えようとすると竜に寄る。
わたしが
このくらいは仕方がない。
魔王に対して自分達に有利な契約を結びつけた代償として、正当だろう。
(ええ、でも)
わたしは思考を隅に追いやって、飛鳥を見つめる。
たとえ愛がまだ語れないとしても。
「大丈夫よ。あなたが、わたしを愛してくれていることくらい。知っているわ。……ちゃんと、ね」
今更その事実が揺らがないことくらい、わかっている。
(それさえあれば、わたしは
だから問題などないのだ。
わたしが人でなしであることも。
『愛してる』が聞けないことも。
──何も。
わたしの考えていることなど知らないで、飛鳥は苦々しく唸った。
「それでも……大事なことは言わなきゃ意味がないだろう」
いや、だから。
「ゲロ吐いてまで言っても意味ないって言ってんのよ」
「ゲロとか言うんじゃねえよ文月咲耶が! 品がない!!」
「だからそれなんなの!? いつまでわたしのこと美化してるのよ!!」
「ずっとだよバーカ!!!」
…………まあ、これが愛だとわからないほど。
わたしも子供ではない、つもりだ。
喧嘩は売るけど。
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