第27話 魔女は窓からやってくる。
長い夢を見ていた。
降り注ぐ灼熱と閃光、意識が粉々になる衝撃で目を覚ました。
頬をつねるどころではない。
跳ね起きたのはソファの上。
醒めた先は最早見慣れた居間の真ん中。
だが夢にまで見た隕石の余韻に浸る暇もなく。
──部屋は魔力に満ちていた。
床には赤い
静寂に微かに響く秒針の音、文字盤は深夜三時。
窓は硬く締め切られて、けれどカーテンは開け放たれていた。
硝子の向こうには黒い夜空、煌々と照らす真円の月が微笑んでいる。
──異常な大きさで。
この空間は既に現世と切り離された結界の中と、理解したその瞬間。
割れた窓ガラスは嵐のように、部屋の中を吹き荒らす。
咄嗟に腕で目を覆った。
だが輝くガラス片は、そのひとつひとつが光のように溶けていく。
──夢から醒めてもここは既に現実ではなかった。
いや、夢から醒めた先はかつてあれほど憎んだ、俺たちの
ブチ抜かれた窓の向こうで、大きすぎる月が赤く染まっていく。
翼持つ蛇、魔法使いにして竜、魔王のその背に傲岸不遜に乗って立ち。
魔女は窓からやってくる。
「ねえ飛鳥! いい夜ね」
風に棚引く短い亜麻色の髪には悪魔めいた角。
纏う毒々しい黒の夜会服が、柔らかな肌を惜しげもなく晒している。
魔性の瞳を赤く輝かせ、赤い唇を釣り上げて。
彼女は笑って、告げるのだ。
「いい夜だから──あなたに喧嘩を売りに来たわ!」
いい笑顔だった。
とびきりの。
花も怖気付いて枯れるほどの。
目の前の光景の異常は明白。
彼女の頭には今はないはずの角があり、何より──魔王の封印が解かれている。
「……おまえ、何を」
その問いの答えを聞く、その前に。
部屋の扉が開く音がした。
背後には、聖剣を携えた聖女が居る。
◆◆
話は魔女と聖女の交戦の後に遡る。
深夜零時。
魔女は竜の牢を訪れ、告げた。
「アージスタ。わたしと『契約』を結びましょう」
──話は更に、聖剣を奪われた翌日の作戦会議に遡る。
如何に聖女を倒し聖剣を奪い返すかの話し合いの最中に、
「
「それ本気で言ってる?」
「ああ。
魔王には命が七つある。あと五つ残っている。
聖剣を取り返したところで、あと五回は戦う必要がある。
必然、あと五回死にかける可能性があるわけだが。
それは回復手段無しではあまりにリスクが高すぎる。
死なないにしても五回も入院したら人は留年するので。
だが、
「聖女の回復術があるなら楽ができる」
敵と協力するにはより強大な『共通の敵』がいればいい。
聖女は魔王が生きていることを知らない。
人形にとって使命は絶対であり聖剣回収が最優先だとしても、「魔王を倒す」という大義の前には交渉の余地がある。
──もっとも、毒を盛り退路を断ってからの
だが結局、話を持ちかける前に聖女とは決裂した。
あまりにも高い殺意の前に手を組むどころではなく。
咲耶は交渉が決裂した場合の極秘プラン「聖女殺す」を発令した。
聖女の目的が飛鳥を殺すことなら協力は見込めない。
そして魔王の封印を解いたところで聖剣無しでは対処不可能。彼は弱体化したこちらへ牙を向くだろう。
聖女の想定外の完全敵対により、共通の敵を放つという計画は御破産になった。
──そもそも魔女は聖女を引き込むなど死んでも嫌だったのだが。
彼を好き勝手に利用した相手とどうして手を組まなければならない?
合理であっても感情で納得できない。
わかりやすく敵でいてくれるならそれが一番良いと思っていた。
だが。
今夜の一戦を期に、咲耶はもう知っていた。
聖女の殺意の理由を、彼女の想いの正体を。
──ならばこの手に、賭ける価値はある。
そして魔女は竜に契約を持ちかけた。
「おまえの封印を解くから、わたしに力を貸しなさい」
だが魔法使いは、気怠げに目を細め一蹴する。
「何のためにだい? 時間の限り沈黙すればボクが勝つようにできている。キミの契約とやらに乗る意味がない」
だが魔女は、揺るぎなく答える。
「意味ならあるわ。これは最高の形で世界を滅ぼすための賭けよ。契約内容くらい確認してもいいんじゃない?」
魔王は目を細めたまま、否定を口にしない。
それを肯定と受け取り、魔女は口を再び開く。
「勇者の造り方を聞いた時にわかってしまったのよ、おまえの真意。難儀よね魔法使いは。魔法のためには感情的にならざるを得ないから、時々本音が筒抜けになる」
感情を押し隠して駆け引きをしようにも、それができる相手はもう何百年とあの世界にはいなかった。
「この
あの薄暗い魔王城の奈落で、魔女は彼の懺悔を聞いた。
『必ずや悲願を果たし、この星を滅ぼそう。繰り返された千年の召喚はここで終わらせる』
邪悪の分際が口にするにはあまりにおこがましい、綺麗事めいた誓いを。
「勇者の造り方を話した時、あまりに自分たちのことを棚に上げて人類を扱き下ろすんだもの。変だと思ったのよ」
勇者も魔女もその造り方に本質的な違いはない。
生贄のための異世界召喚。その醜悪さの優劣を語るなど無為だ。
なのに竜は、人類の所業を
「もしかして、異世界召喚は人類が最初に始めたのではない? 勇者に追い詰められたおまえたちは、対抗して異世界召喚に手を染めざるを得なかったのではない?
……初めは魔女を丁重に扱っていたのだったか。でも、おまえたちは異世界召喚の罪を異世界召喚でもって贖わせようとして、しくじった。同朋は皆狂い、けれど著しく強化され、人類を追い詰め返すに至った……。
全部想像だけど。そう間違ってはないんじゃないかしら。わたし、勘は悪いけど。
竜は人類を憎んでいる。
あの都を憎んでいる。
異世界召喚そのものを憎んでいる。
「──おまえが執心なのは魔女ではなく、
この竜を、いつか殺すとずっと思っていた。
けれど一度二度と、勇者に倒されるのを見て気が付いた。
──こいつには悪の大魔王らしさが足りていない。
甘いのだ。
自分を殺した勇者にも気持ちが悪いほど好意的で、現世にやってきた時も飛鳥を殺そうとはしなかった。
甘さの理由はなんだ?
魔女は考える。
「『世界の半分を勇者にやろう』この世界で最も有名な魔王の台詞よ。
……あいつは最終決戦を会話すらせず、背後から不意打ちで魔王を倒してしまった。だから、知らないの。
あの時──
『答えて』」
この会話は『契約』の手続きにあるものだった。
彼らにとって契約は強力な魔術だ。
だから彼は、真意を答えた。
「『よく来た勇者よ。私は待っていたのだ、ずっと。キミのような勇者を。──ボクと共に、この世界を滅ぼさないか』」
──あの時、告げられないままに死んだ言葉を。
「ええ、ええ! きっとそうだと思っていたの!
契約の意味ならあるわとびきりのが。
──もし勝てば、最高の結末をおまえにあげる。
ねえ
わたし実は、クソみたいなバッドエンドが好きなのよ」
◆
そして
わたしは再び敵として、あいつに会いに行く。
あいつが死ぬまで待つなんて悠長なことを魔王にはさせない。聖女が黙って聖剣を持ち逃げすることも。あいつが過去の記憶に呪われ続けることも、だ。
わたしが魔王も聖女も勇者も、全員、ここに引き摺り出してやる。
ここは結界に切り離された異世界空間。
ここではいかなる破壊も現実には作用しない。
叩き割った窓の向こうに飛鳥はいた。
背後には聖女が沈黙して置物のように立ち尽くしていた。
飛鳥が目覚めるその前のことだ。魔王の封印を解いた後、気配を察知して彼女はやってきた。それまで聖女を阻んでいた結界も排除してここへと誘い込み、わたしは言った。
『これがあいつを救う方法だ』と。
その理由を確かめるまで、聖女は自らの『救い』を行使することはない。
飛鳥は、唖然と警戒がないまぜになった目で「何をした」と問いかける。
わたしはそれを空から見下ろして答える。
「契約を結んだの! 魔王と
その条件のひとつが、再び
聖剣に触れずともわたしが竜の因子を発露した姿であるのは、契約のおまけに過ぎない。
魔王に力を分けてもらい、聖剣なしで変身できるようになったのだ。
……不死の呪いは少しばかり濃くなったけど、誤差のようなものでしょう。
嫌な予感を感じたのだろう。飛鳥は苦々しく頬を引きつらせ、問う。
「負けたら、どうなる」
わたしが賭け金にしたのは『最高の結末』だ。
口の端を釣り上げた。
「もし負ければ──世界を滅ぼしに行くの。
魔王は望んでいた。
『異世界召喚の罪は異世界召喚でもって贖われるべきだ』と。
「
──人は、人が自ら作り出した業によって滅ぶべきだわ。
それこそが因果応報。自業自得の
魔王に提示した、わたしが考える
──要するに。
「勝てば約束を果たすハッピーエンド、負けても世界を滅ぼすハネムーン。
──悪くない賭けでしょう?」
どちらに転んでも、
契約の内容を聞き、飛鳥は。
唖然を通り越して血相を青から赤に変えた。
「……本っ当に! おまえは一人だとろくなことをしないな!!」
……ああ、その怒り慣れてない声色は懐かしい
けれどその叱り方は馴染みきった
ここにいるのは紛れもない、『日南飛鳥』だ。
頬が緩んで仕方なかった。
「それほどでも──あるわ!」
「ねえよ! 褒めてねえ!!」
──わかってる。本当は。
無理矢理引き摺り出して追い詰めて立ち上がらせる。こんなもの、冷静に考えれば毒でしかない。
ようやく『人間』に戻ったあなたに、再び『勇者』を強いろうというのだから!
でも。
「『
たとえ毒をもって毒を制すやり方でも。
これが、わたしなりの救い方だ。
「さぁ、御膳立ては済んだわ! 魔女の据え膳、毒まで食らってちょうだいな!!」
──
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