第28話 それでも世界を、貴方は。
目の前に広がるのは冗談みたいな光景で、聞かされたのは冗談みたいな話だった。
どいつもこいつも正気じゃないな、と俺が言って。
いつものことだろ、と俺が言う。
頭の中は煩いが、思考はすっきりと晴れていた。
統合されたばかりの自我にはまだ違和感があるが……じきに慣れるだろう。
もう慣れた。
「魔王、ひとつ聞きたい。おまえは
契約内容の是非を問う。あれは少々魔女に都合が良すぎる内容だ。
魔女を背に乗せた竜は答える。
『嗚呼、勿論だとも。私は元の存在定義を言えば、魔王でなく魔女に仕える竜でね。こうして足蹴にされるのも懐かしいと思えば悪くない』
いや、そっちじゃない。蹴られたいとか聞いてない。
背の上でイラッとした咲耶がメリメリと竜の鱗を剥がし始めている。やめてやれ。
気にも止めずに竜は答え直す。
『──そしていずれの結末も肯定しよう。結果として己が殺されても構わないさ。私の願いは、世界の
そして竜は魔法使いらしく、甘言を囁く。
『キミは、この戦いにわざと負けることを選んだっていいんだぜ?』
こちらの本心を蛇の目で見透かして言う。
俺は答えなかった。
目が覚めた今、ツケにし続けてきた感情は全部蘇っている。
はっきりと自分の中身が
拳を固く握りしめる。
──ああそうだ。俺は、あの世界が、心底から嫌いだ。
だが。
「
「そう呼ばれるのは久しぶりね! ええ、何かしら!」
ぱっと無邪気な笑顔でこちらを見下ろした彼女に、問う。
「
──いや、何? ほんと。全然わかんねえ。
これまでの割合咲耶に甘かった俺は鳴りを潜めている。
多分、今の俺は魔女のことをゴミを見る目で見ていた。綺麗なゴミだな……。
彼女は曇りない眼でこちらを見返す。
「終末旅行の英訳よ。常識でしょう?」
得意満面。
『違うよバカ弟子』
「英語赤点か?」
旅行どころかもたらしてんだよ、終末をよ。
奴らの理屈はこうだ。
俺には復讐の権利があるから負けてもいい、負けてもハネムーンだから悪くない。
なるほど──、
いや。
いいわけがないだろう!!
「……なんでッ、俺が直接滅ぼすって話になってるんだよ!!」
言ってねえよ! 滅ぼしたいとは!!
滅べとは願ったけど!!
「え? だって復讐は自分の手で為したくない? 絶対」
「絶対嫌だ。嫌いな奴は俺の知らないところで勝手にどうにでもなって欲しい」
「あっは、宗派違いね!」
「倫理性の違いだな」
解散。
とは言えないのがこの状況。
後ろをチラリと見やる。魔王をダシに引き摺り出されただろう聖女は、状況の推移を沈黙して見守っている。
前門の宿敵、後門の元同僚。退路はない。
顔を覆う。溜息を吐く。
「……わっかんねえよ、おまえらのこと。
──なんで異世界のこと
「えっ」
『うん?』
あの世界が嫌いだ。
あの世界の人類はクソだ。
それは正しい。
けれど間違っている。
「そもそも、人類はクソで世界はクソだ。そんなこと──
今なら夢で、俺の言ったことがわかる。
ああ確かに『この程度の過去』だ。
勇者の造り方は最悪だが、
あの世界は、あの時代は、最小限の犠牲を徹底していた。
勇者を作るための犠牲と、魔女以外の犠牲は存在しない世界だ。
文句は巻き込まれたのが俺たちだったということだけだ。
人が、世界が、最悪なんてこと。
俺は異世界なんかに行く前からずっと知っていたじゃないか。
悪意は標準、因果は応報せず、ある日突然伏線もなく隕石は降ってくる。
俺の両親も、祖母も、家も、そうして破壊されていった。
日南飛鳥の人生は初めからずっとそうだった。
そんなことは悲劇ですらない。
ただの『普通』だ。
──世界は押し並べてクソだ。例外は、ない。
もしも、人類の愚かさを理由に世界の滅びを導くというのなら。
「だから、中途半端なんだよテメエらは!! それでも魔王か、それでも魔女か!! 滅ぼすならキッチリ滅ぼせ、全宇宙をよ……!!!」
世界を滅ぼす巨悪二人は、神妙に呟く。
──いや、別に、そこまでじゃない。
──うん、そこまでじゃないかな……。
『君は大魔王か??』
「わたしより闇堕ちしてる……」
……ふむ。
「今のは冗談だ」
「笑えない!!!」
別におかしなことは言ってないと思うんだが。
人生なんて二千年以上前からずっと一切皆苦だし。
世界なんてどうせ五十億年後には滅んでるし。
俺は来世があるならブラックホールになりたい。
隕石より強いし、自我ないし。最高じゃん。
何故わからない……?
「ああ、そうだ。確かに俺は『滅んじまえ』と呪った。
知っている。
それでも世界が捨てたものじゃないということを。
知っている。
それでも人が捨てたものじゃないことを。
「俺は、世界を救うことの正しさを、疑った事は一度もない!!」
それは感情ではない。安い絶望でも自分本位の恨みでもない。
そんなものでは揺らがない、
すべてを思い出した今だからこそ
世界は押し並べてクソだ。
だがそれは、けして滅ぼす理由に足りはしないのだと。
彼女は、あきれたように笑みを溢した。
「まったくもってわからないわ。あなたって、人間に戻っても変なんだ」
「おまえにだけは変と言われたくない。俺が人類のスタンダードだ」
『いやそれはない』
俺は、諦めたように笑い返す。
「分かり合えないわねわたしたち」
「相入れないな俺たちは」
「ええ」
「だが」
「それでもいいわ」
「それでいい」
どちらが正しいかなんて無意味だ。
善悪を論じることに果てなんてない。
だから、勝ち負けで決めればいい。
ずっとそうしてきたのだ。
これからも、そうすればいいだけだ。
足を止めるのは戦えなくなってからでいい。
夜天。
赤い月を背負って、魔女は
「ならば。どうかわたしを屈服させて、叱って、完膚なきまでに負かして頂戴。
今夜は旧暦文月の満月、わたしが一年で一番強い時。手は抜かない。全力で行くわ。
……その上で、勝ってくれると
世界で一番、悪い笑みで。
「──さぁ、始めましょうか。最終決戦を何度でも!!」
◇◇
苦笑と共に彼は窓辺に立つ。
「ひどい茶番だな。今から痴話喧嘩で世界の存亡を決めようってんだから」
纏うのは聖女の術によって再現された異世界時代の装備。右腕には聖剣が再び収まっている。紛れもない、あの頃の『勇者』の姿だ。
聖女はそれを──無表情のまま──不納得の目で見ていた。
ここまで状況を整えられては、聖剣を彼に渡さない理由はなかった。
だが納得がいかない。わからなかった。魔女がどうしてこんなことをしているのか。これがどうして、彼を救うことになるのか。
魔女は彼に『世界を救え』と強いている。
それは自分たち人形の罪深い行いとどう違うのだろう。
──それこそが、彼を追い詰めたのではなかったか?
聖女は俯く。聖剣の代わりに錫杖を握り締め、葛藤を口にする。
「これで、いいのですか……。本当に、これで
彼は、その問いには答えず。
窓の向こうを、彼女を見上げて呟く。
「……あいつはどこまでわかっててやってるんだろうな」
察するに足る事実がここにある。
おそらく今、
それが何のためか──自分のためと気付けないほど、彼は愚鈍ではない。
異世界で自我を取り戻──いや、再構成した時のことだ。
魔女の正体が文月咲耶だと気付いた後、別に魔王を倒す必要は必ずしもなかった。
最終決戦なぞ容赦無く無視して、とっとと現世に帰ればよかったのだ。
だがそうしなかった。
理由にあったのは「帰還の為の術式を手に入れるついで」などという建前ではない。
──寒々しい罪悪感と、灼けるような使命感。
記憶を失くしても自我を上書きしても消えなかったそれ。
自分が世界を救おうとしたのは、正義感からなどではない。
彼女は夢に入り込んでも、記憶や思考は読んでないと言った。
けれどもう、浅い付き合いではない。
弱さすらとっくに見透かされた関係だ。
──きっと彼女は、言外にすべてを理解している。
世界を救って尚、彼が自分を許すことができなかったことも。
だから彼女は『負ければ世界は滅ぶ』と脅しをかけたのだ。
自身を
──彼を、絶対のヒーローに仕立て上げるために。
それだけがきっと
まったくどうしようもない据え膳だ。
こんなもの、食わずにいられるわけがない。
滅茶苦茶にも程がある。見透かされているのが情け無くて死にそうだ。
だが。
──笑わずにはいられなかった。
「聖女。ひとつ、聞いてくれ。──これが最後の恨み言だ」
世界を滅ぼすに足る理由など、彼の哲学ではひとつも導き出せない。
だが、どんなに理屈で飲み込んでも、それしか最善がなかったと理解しても、あの世界の所業が、日南飛鳥の人生における
──よくも俺の人生滅茶苦茶にしてくれた。
たとえ意志で捻じ伏せても、恨み言が消えることはない。
──よくも取り返しの付かない道に追い込んでくれた。
この先何を許してもきっと、本当に自分を許せる時など来ない。
「おまえらのことが正直憎い。一生恨む。でも許す」
だとしても人類の「滅びたくない」という祈りは正しかった。
だとしても「明日が欲しい」という祈りは美しかった。
ならばいい。
もう、いい。
──そのために、俺の二年と少しくらいはくれてやる。
「
生まれて初めて、人に名前を呼ばれた少女は。
顔を上げた。彼を、見た。
「俺たちはまだ、世界を救えるらしい」
その笑みは。
恨み憎しみ、卑屈と自己嫌悪が根付き。
なのに清々しく、歓喜すら滲ませ。
諦めにも似た穏やかさと誰もを裏切らない自信を浮かべた、
喜怒哀楽のすべてがない混ぜになったその笑顔を、少女は両の目に焼き付ける。
もしも自分に涙を流す機能が残っていたら、と詮無いことを願った。
そうでさえあれば、きっと。
──自分には感情があるのだと、認めてしまえたのに。
「使命の、優先順位を変更。『聖女の権限において、聖剣の使用を全面的に再承認します』
──貴方が、『勇者』です……!」
その手に握られた青い剣の輝きに、目を細めて。
少女は、
「どうか」
──世界を。そして、貴方を含むすべての未来を。
「……お救いください」
祈りを口にした。
「ああ、任された」
そして彼は、背を向ける。
「後ろは、おまえに任せる」
「──はい」
夜風に外套が棚引いた。
靴を踏み鳴らす、力強い音を聞く。
けして広くはない背が、窓から出て行く。
聖女はその背から、けして目を離さない。
──聖女ネモフィリアは知っている。
彼が世界を呪ったことも、死を願ったことも。
けれども彼が、決して負けなかったことを。
最後の最後まで、為すべきことを為そうとし続けたことを。
それを二年、少女は後ろで見続けていて、だからこの人を救いたいと思った。
救いたいと思うことは愛なのだと魔女は言う。
ネモフィリアには魔女の破綻した論理を理解することはできず、彼女の強すぎる感情には共感できない。
(ああ、でも──、)
使命を強いた自分たちに、こんなことを思う資格はないとしても。
どうか想うことだけを、許されますよう。
(私は、貴方を。この背中を)
(──愛したのです)
◇◆
彼と彼女の戦いのその過程、その結末は──、
「大体おまえサプライズ隕石理論ってなんだよ! 人の人生クソ映画扱いしやがって! よく考えたらメチャクチャ罵倒じゃねえか!!」
「はぁ〜? わたしたちの人生より映画の方が高尚じゃない! よく考えなくてもアレ祝福なんですけど! 愛なんですけど!!」
「わっかんねえよ、この物語脳がッ!!!」
「わかれッ、このっ隕石馬鹿!!!」
──最早、語るまでもないだろう。
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